麻生副首相のいうとおり

皇紀2673年(平成25年)7月30日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130729/plc130729……
 ▲産經新聞:麻生氏「静かにお参りすればいい」 首相らの靖国参拝念頭に 終戦の日にこだわらず

 麻生太郎副首相兼財務相は二十九日、都内で開かれた公益財団法人「国家基本問題研究所」(櫻井よしこ理事長)の月例研究会に招かれ、安倍晋三首相や閣僚の靖國神社参拝を念頭に「国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい」と述べ、「静かにお参りすればいい。何も戦争に負けた日だけ行くことはない」と話しました。

 これは麻生副首相が首相時代にも言っていたことです。記者たちの無粋な質問に対して、まるで出来の悪い生徒を叱る先生のように靖國参拝への想いを語り、まずは天皇陛下の御親拝を賜れる環境を整えるべく、朝日新聞社らによって創出された騒々しい現状をたしなめ、この時は自身が参拝しない方針を説明しました。

 しかし、安倍首相は第一次内閣で参拝しなかった理由をほとんど述べていません。後続の麻生首相のような確固たる考えも披露出来ず、ただ参拝しなかったと見られたことを、現在の安倍首相は振り返って「痛恨の極み」と言っているようにも聞こえます。過ちは誰にでもあることですから、第二次内閣で改めればよいでしょう。

 二十六日記事でも申したように、八月十五日を「狙い撃ち」する中韓に対し、安倍首相は「行くとも行かないとも言わない」という姿勢を崩しておらず、それはすなわち国内で騒がしい八月十五日に参拝しないことが(言ってもいないことをしないだけですから)中韓への配慮には当たらない、と。

 むしろ私たちの多くに「とにかく交渉の余地もない国」と思われてしまった中韓は、安倍首相が長期政権で今後いつでも然るべき日に参拝するという方針を「外交カード」にされたのです。

 恐らく安倍政権はこれを躊躇なく切りますから、中韓はおしまいでしょう。彼らはわが国政府を揺さぶるために以前わざわざ作ったカードをもう既に失っているのです。

 私は前出の記事でもう一つ、「首相官邸は安倍首相の靖國参拝を常に準備しています」とも申しました。安倍首相と麻生副首相が話し合ってそう決めたと思われます。そもそも大東亜戦争の戦没者だけを祀っているわけではない靖國神社への参拝に、八月十五日という日付は決して重要ではありません。

 それを知らない中韓のいわゆる「対日無知」は、例えば米ヴァンダービルト大学のジェームズ・アワー教授が指摘している通り、韓国の報道機関が「沖縄タイムズや琉球新報と同水準」だからであり、中共の場合は共産党の機関しかありませんから、やはり同じことになるのです。

 私たちも八月十五日にこだわる必要は全くありません。大東亜戦争後の占領統治期を経たせいで、感情的にあたかもこの日の参拝でなければならないように思い込んできましたが、麻生副首相の言う通り静かに参拝出来る日を選んで、まず私たちは国内の騒がしい「蝿」を追い払うことから始めなければならないのです。

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歴史忘れた民族に未来なし

皇紀2673年(平成25年)7月29日

 http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130728/scr130728……
 ▲産經新聞:日本非難の巨大横断幕「歴史忘れた民族」 FIFA規定違反の疑い

 蹴球(サッカー)東亜杯男子の日韓戦が二十八日、韓国の首都ソウルにある蚕室総合運動場であり、日本代表は二対一で韓国に勝利して優勝しましたが、韓国側応援団の観客席に「歴史を忘れた民族に未来はない」などとハングルで大書された横断幕が掲げられました。この行為は、国際蹴球連盟(FIFA)の規定に著しく違反した可能性があります。

 一方韓国の報道機関は、私たち日本側応援団の観客席に旭日旗が掲揚されていたのはFIFAの規定に違反していると指摘しました。しかし、これは応援時の「政治的な主張」を禁じた規定と何ら関係がありません。

 「大東亜戦争を想起させる」といったようなことを言われますけれども、例えば独国ナチス党のいわゆる「逆鉤十字(ハーケンクロイツ)」は特定政党の旗ですから、これを掲げればFIFAの規定に抵触するでしょうが、旭日旗は同国で現在も使われている「黒十字」と同じ軍旗であり、特にわが国では私たち民間の祝事などでもともと用いられてきたものです。

 昨年の倫敦五輪でも韓国の朴鍾佑選手が、島根県隠岐郡隠岐の島町竹島の領有権が韓国にあるかのような主張を掲げ、FIFAの処分を受けました。彼らはこのようなことを対日戦に限って繰り返しています。

 国際的運動競技の場で、観客が一方的に政治的対立を扇動するのは見たくないものであり、そもそも競技と一切関係がないはずですが、日韓戦に於ける韓国人の応援はもはや「競技そっちのけ」状態で非礼です。

 ところが今回、私の見解は少し異なっています。確かにFIFAの規定には抵触しますが、たとえ彼らが意図しなくても、実のところ「歴史を忘れた民族に未来はない」とは韓民族(朝鮮民族)自身のことを指しているとは思いませんか。

 ならば「どうぞ自己反省と総括はご勝手に」ということです。

 都合のよい「伝統」を創り、皇室までもをその中に追いやって、占領典範(現在の皇室典範)と占領憲法(日本国憲法)を「わが国のもの」と思い込むような間違いは私たち国民の中にもありますが、それはわが国の問題であって他国民に言われることではありません。

 むしろ彼らが日本国民に指摘されて最もみっともないのは、何度も申しますが、大韓帝国(李王朝)が清の朝貢国扱いから外れて完全なる独立を果たせたのは、日清戦争に勝利したわが大日本帝國がそれを主張したからだったという歴史の真実を、現在の韓国や北朝鮮の人たちが全く忘れている、或いは政治的にその記憶を消そうとしてきたことです。

 感謝されたいとは申しませんが、日露戦争を経て、朝鮮半島の赤化に怯えていた大韓帝国と日韓併合条約を締結したことをもってしても、これほど苛烈に今なお攻撃されるいわれは一切ありません。独立させ、保護し、ハングルとウォンを復活させて、なぜ「反日」を言われるのか、私たちの多くが一度真剣に考えてみましょう。

 その上で、もはや日韓が一定の価値観を共有することすら極めて困難だと感じたのであれば、はっきり政府に向かってそう言う時です。歴史も感謝も忘れた民族にもう未来はありませんから。

韓国、理由なき入国拒否

皇紀2673年(平成25年)7月28日

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130728/kor130728……
 ▲産經新聞:韓国、評論家の呉善花氏の入国を拒否 評論活動が影響か
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130727/kor130727……
 ▲産經新聞:式典に日本政府招待せず 朝鮮戦争休戦で韓国側

 大東文化大学の卒業で拓殖大学の呉善花教授が二十七日午前、韓国の首都ソウルで行われるご親族の結婚式に出席するため、仁川国際空港に到着した後、すぐに入国管理事務所に誘導されて一時間半も待たされた挙げ句、理由も告げられずに入国を拒否されました。

 私にとって呉教授は数多あるインターネット上の韓民族(朝鮮民族)に対する侮蔑的意見を否定する(そのような言動には組しない)根拠となる存在のお一人であり、客観的にも著述家として極めて優れた知見の持ち主です。

 呉教授はお母様の葬儀に出席するため、済州島に帰郷した際にも理由なき入国拒否を受けました。私たちが韓国政府や「反日」過激派を批判すると、必ず思想や言論の自由を主張して韓国側を擁護する国内の極左勢力が目に入りますが、その韓国では「親日」の思想や言論の自由が基本的人権とともに一切無視されているのです。

 さもなければ、呉教授の入国が拒否されたのはなぜだと言うのですか。私は少なくとも、虚実を言いふらしてカネに換えていたような言論人を徹底的に批判しても、思想が違うという理由だけで個人の存在を否定したことはありません

 例えば大江健三郎氏に対して、『沖縄ノート』の記述に事実と異なるものがあったために梅沢裕元少佐らの名誉が致命的に損じられたことへの謝罪を強く要求しても、伊丹十三監督への関心から『取り替え子』などを拝読して感じたのは、文体に人間の呼吸を感じさせる部分がまるでないのに人間の本質を追及しようと自己批判にまで及んでもがく大江氏を、作家として「やはりとてつもない方だ」と書いたことがあります。それは、大橋巨泉氏に対しても、永六輔氏に対しても全く変わりません。

 保守(右派)と革新(左派)のどちらも、原理主義的になると必ず相反する存在を粛清しようとし始めます。かつて日本左翼が極左(破壊活動=テロリズム)化して内部でまで殺し合った(内部ゲバルトが起きた)のもそのせいでしょう。

 これでもわが国わが民族は、「反日」原理主義を深化させて個人を粛清しようとする韓国のほうが正しいと思い込んで、遠慮し続けなくてはならないのでしょうか。日韓関係を壊したのは、国際法を無視して島根県隠岐郡隠岐の島町竹島を武装占拠した韓国ではなく、その解除を求めるわが国のほうなのでしょうか。

 いわゆる「親日」を言うだけで祖国を追われた呉教授の人権を今現在も踏みにじる韓国が、朝鮮戦争の休戦協定締結六十年の記念式典にわが国政府を招待すらしませんでした。日韓関係をますます悪化させているというより、日韓の断交へと向かっているのが韓国であるという現実を、多くの私たち国民が知るべきです。

橋下市長は真正保守が嫌い

皇紀2673年(平成25年)7月27日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130724/stt130724……
 ▲産經新聞:「中山成彬氏、仲間と思わず」橋下氏が離党求める
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130726/trl130726……
 ▲産經新聞:「『捏造』発言で名誉毀損」 中大教授が維新議員を提訴

 元文部科学相の中山成彬衆議院議員がインターネット番組で、大阪市の橋下徹市長を「私は(日本維新の会の)代表と言わず、市長と言っている。代表と認めていない」と発言したことに対し、橋下市長は二十三日、「中山氏を仲間だと思っていない。僕のことを代表と思わないなら、維新の会から出ていってもらったらいい」などと述べ、二十七日の執行役員会で離党を求める考えを表明しています。再選が決まったばかりの中山恭子参議院議員はどうなるのでしょうか。

 勘違いに満ち溢れた「従軍」慰安婦に関する自説が外交問題化したにもかかわらず、橋下市長は同党の共同代表を辞任せず、市長職にも留まっていますが、違法な売春に携わる韓国人の流入が増えている社会問題を指摘し、何ら騒動にもならなかった前海賊・テロ対策特別委員会委員長の西村眞悟衆院議員はあっという間に除名された挙げ句、議員辞職まで要求されてしまいました。

 確かに日本維新の会の母体は、大阪府の松井一郎知事と浅田均府議会議員が自民党からの分離を画策し、橋下市長を代表に担いだ地方組織ですが、合流を決めた旧太陽の党(たちあがれ日本)の政治家たちを次から次へと排斥しています。

 私も原則として橋下氏については「大阪市の市長」と表記してきました。閣僚経験者である同党の代議士が「代表と認めていない」と発言したのはいささか過激だったかもしれませんが、橋下市長の態度はもっと過激であり、なぜ自分がそのように評価されたか「分からない。よく話し合いたい」というようなことを述べて事を収めるのが、公党の代表としての品格ではないでしょうか。それがないから代表として認められていないのです。

 自民党内にも安倍晋三首相のことが嫌いで嫌いで仕方のない政治家が山のようにいます。安倍首相もそんな彼らをよく知っていますが、権力闘争に於いて吐き出される党の総裁批判に「離党しろ」などと公然と脅し返したことは、これまで一度もありません

 いわゆる「真正保守派」が稚拙な橋下説を補強しようと発言して切り捨てられてきたからこそ、中山代議士は橋下市長を代表とは認めなくなったのでしょう。中央大学の吉見義明教授に訴えられることになった桜内文城衆院議員も、そのような犠牲者の一人になるのかもしれません。

 吉見教授の著作にある内容が事実に基づいていないとの研究結果は、既に多くの識者によって指摘されており、例えば上智大学の渡部昇一名誉教授は「(吉田清治氏より)もっと悪質なのは、吉見義明中央大学教授です」とはっきり、その理由と共に述べています

 なぜ今さら、桜内代議士だけが訴えられるのか不思議でなりません。個人の名誉が傷つけられたと言うのですが、吉見先生、あなたのせいで一億の国民国家の名誉がもうとっくに傷つけられているのです。この新たに今も発生し続ける民族の苦痛に対する賠償を、あなたは負いますか?

 私たちはこう提言すべきです。しかし、橋下市長のように最初から真正保守派をそれ相応の事象が発生するのを待って排除しようと目論む政治家がまだ中央を目指せるならば、わが国に政治の成熟は望めません。それは、私たちの意識次第なのです。

安倍首相は靖國参拝するか

皇紀2673年(平成25年)7月26日

 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130723-OYT……
 ▲讀賣新聞:首相の靖国参拝「すべきだ」46%…読売調査

 讀賣新聞社は参議院議員選挙の投開票日とその翌日に全国世論調査を実施し、安倍晋三首相は靖國神社へ「参拝すべき」と答えた人の割合が四十六%と、「参拝すべきでない」の三十六%を大きく上回ったことが分かりました。

 ちなみに全く別の質問で、いわゆる「河野談話」を「見直すべき」が四十二%となり、これまた「見直す必要はない」の三十五%を上回っています。

 民間の報道機関による世論調査の結果は参考の程度にしかなりませんが、少なくとも政府の方針で戦う覚悟を決められ亡くなられた国民の御霊に感謝する行為を歴代の首相がなすべきと考えることに、大きな違和感を抱くような者の数はそれほど多くないと分かりました。

 何度でも申しますが、戦争で死なせてしまった国民に知らん顔をするような為政者に抗議こそすれ、直視しようとする為政者を非難するのは、まるで「現政権は私たち国民の生命を犠牲にして放っておいても構いません」と言っているようなものです。中韓のたった二カ国に配慮して参拝をやめるような類いの話ではありません

 だからこそ、安倍首相はこれまで「行くとも行かないとも言わない」という方針を貫いてきました。これは八月十五日の参拝を想定した対応です。

 しかし、この日付は大東亜戦争に限定して、天皇陛下の玉音放送があった昭和二十年の出来事にちなんだものであり、はっきり申し上げて大した意味はありません。それは、畏れ多くも先帝陛下の玉音を指して申しているのではなく、靖國神社に祀られた御霊は大東亜戦争戦没者に限らないからです。

 これまた何度も申しますが、八月十五日よりも春季または秋季例大祭に参拝するのが筋であり、本来今上陛下の御親拝を賜るのが先でしょう。

 中韓はわが国私たちを貶めるべく、俗に「靖國カード」と言われる外交上の駆け引きを仕掛けてきましたが、安倍首相は最初からこれに一切捉われていません。よって「八月」とは言わず、行くとも行かないとも言っていないのです。

 恐らく首相官邸は安倍首相の靖國参拝を常に準備していますしかしながら八月十五日には参拝しません。そしてそれは安倍外交の妥協ではなく、言ってもいないことをしなくても中韓に配慮したことにはなりませんから、むしろ「いつまでも『日本外し』のようなことをしていると、いつでも参拝しますよ」という外交カードをわが国から仕掛け返しているのです。

 中韓は本当に取り返しのつかない愚かなことをしたもので、領土・領海問題に於いて決定的にわが国を怒らせ、歴史認識を繰り返し外交問題化して呆れさせたことは、かえってことほど左様に安倍政権の「有利」を引き出してしまいました。

 安倍首相は今度こそ自らの政権を長期安定させたいと当然思っています。私がそこに一抹の不安を感じていようとも、彼が為すべきことを為せば私たち国民から高い評価を受けるでしょう。つまり、安倍首相が首相として靖國神社へ参拝する機会は今後いくらでもあるのです。

 第二次政権で参拝出来なければ、彼はもう死んでも死に切れないに違いありません。私たちから見ても、安倍首相は「(第一次政権で参拝しなかったことは)痛恨の極み」などと大嘘をついた出鱈目な政治家として、歴史にその汚名を残し続けます。多くの国民が望むように、参拝すべきです。報道機関はそれを当たり前のこととして伝えてください。