自然災害…民族の結束

皇紀2673年(平成25年)10月20日

 十月二十日は皇后陛下御生誕の日です。本日で七十九歳になられました。台風二十六号による被害が大きいため、本年は祝賀行事を取りやめられましたが、臣民の一人として、皇后陛下の末永い御健勝を心より御祈り申し上げます。

 皇后陛下がこの日に際し、文書にて御寄せになった御言葉の中に、極めて重要なことが書かれていましたので、そのことについては明日、取り上げます。

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 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131016/dst131016……
 ▲産經新聞:噴火、津波…天災と闘う伊豆大島

 台風二十六号の襲来により、被害を受けられた方にお見舞いを申し上げると共に、亡くなられた方のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。再び台風二十七号もわが国に接近しており、注意が必要です。

 特に甚大な被害を受けた伊豆大島(東京都大島町)では町民の避難がうまく進まなかったことから、報道各社は気象庁による特別警報の運用見直しを含め、行政への非難を激化させています。

 台風接近が報じられていたにもかかわらず、大島町長と副町長が不在だった問題は確かにありますが、町役場では非常時の出勤体制になっていたはずであり、まして自然災害と向き合ってきた町民が、なぜあれほどの豪雨を目で見て耳で聞いていたのに避難しなかったのか、という命に関わる疑問を拭えません。

 東日本大震災の同年、和歌山県下で台風被害により二十七人の方が亡くなりましたが、実は未だにご遺体の見つかっていない方がいます。豪雨で増水した川に家ごと流されたご家族がそうであり、大震災でも津波で流されたまま今なお行方不明者の扱いになっている方がいるのです。

 目下、地元警察と東京消防庁、自衛隊が昼夜を問わず全力で捜索(避難勧告が出ると中断)していますが、やはりなぜ気象庁と東京都から土砂災害警戒情報が出た時点で大島町は避難勧告を出さなかったのか、どうしてもこの疑問に対する答えを出しておかなければなりません。

 導入されたばかりの特別警報に批判の矛先が向いていますが、今回の問題はそこではなく、気象庁が大島町に大雨警報を発表したのが午後五時三十八分、土砂災害警戒情報を出したのが同六時五分ですから、通常行政は深夜になる前に避難勧告を、少なくとも六時五分以降の出来るだけ早い時刻に出すはずです。

 町内では防災無線も導入されており、気象庁は何度も町役場に大雨に関する情報をファックスで流しています。午後十時には降り始めからの雨量が二百ミリを超え、山麓地帯では崖崩れなどが発生しやすくなるのも誰の想像にも難くありません。

 ところが、大島町は動かなかったのです。産經新聞社は「伊豆大島は天災と闘ってきた島だ」と過去の事例をまとめていますが、これは陳腐な自己責任論でも単なる行政批判でもなく、私自身を含め私たちが自然の所為を思い描けなくなり始めたことが被害拡大の原因の底辺にあるのでないか、と。

 気象庁は統計に基づいて警戒情報を出しますが、私たちはその中で、情報と情報の出される仕組みに溺れてしまっているように思えてなりません。これは気象のことだけではなく全てのことに言えるでしょう。

 もっと申し上げますと、あらゆることに対して無気力であり無思考なのです。よって他国の外交・安全保障上の思惑にも「まさか」と考えもしないから対処も出来るはずがありません。一時よく言われた「ことなかれの日本」というのは間違いで、もっと本質的な私たちの問題です。

 改めて今回の問題を整理しますと、行政は首長の在不在(生存・死亡)に関わらず市民の安全を確保する体制を確立しておくこと、平時に行政区分内の状態を全て把握して与えられた情報に即時対応すること、市民も日頃から周辺環境の確認をしておくこと、地域が連帯出来るよう備えておくこと、といった対策が挙げられます。

 そうです。私たちは度重なる自然災害と向き合ってきた民族だからこそ結束してきたのです。

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