映画監督の新藤兼人先生が先月二十九日に百歳で亡くなりましたが、改めまして心よりご冥福をお祈り申し上げます。二日のお通夜では、俳優の津川雅彦さんが弔辞を読まれました。
新藤監督は占領統治期の昭和二十五年、初めて米軍による長崎への原子爆弾投下を(GHQによる検閲のため直接描写はできなかったが)扱った『原爆の子』(大庭秀雄監督)の脚本を執筆し、いわゆる「国家主権回復」後にして占領憲法の無効を確認しないまま占領統治体制を続けることになった昭和二十七年に『原爆の子』の脚本監督を手がけておられます。これが事実上世界初の「反核映画」でした。
私のお勧めは、一切の台詞を排した『裸の島』です。瀬戸内海に浮かぶ湧き水もない乾いた小島で畑を耕して暮らす家族(乙羽信子、殿山泰司ら)の姿を描いています。飲料水は隣の島から運んでくるのですが、長男が病気で倒れても医者の到着すら間に合わず、私にはこの小島が現代日本(資源は輸入、国防は米国頼み)の縮図に見えました。
海外での評価が高い新藤監督は、現役最高齢(世界第二位)の映画監督として『一枚のハガキ』を遺されましたが、表現者としての発想がいつまでも涸れない人だったように思います。俗に言う同じ「反権力」でも、例えば『サンダカン八番娼館 望郷』における熊井啓監督や共産党員だった山本薩夫監督なんぞとはまったく違う純粋さと申しますか、率直さを感じさせる人でした。
ですから、脚本家としても「依頼は断らない」と確かおっしゃっていて、娯楽色の強い『黒蜥蜴』や『地震列島』、『ハチ公物語』なども新藤先生の脚本です。本当にとてつもない映画人でいらっしゃいました。
——————————
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120603/plc……
▲産経新聞:明日にも内閣改造 4閣僚程度の交代
確か本年一月に「最善・最強の布陣」と改造したはずの現野田内閣でしたが、わずか五ヶ月でもたなくなりました。この繰り返しが、安倍内閣から続いています。
もはや誰が後任に就きそうだという情報をとる気も起こらず、私はこれを書いている三日午前の段階で何も知りません。配信される四日午前に追記するつもりもないのです。
そもそも前田武志国土交通相なんぞ役所から事務方と一緒に出てくると、一体どれが大臣なのか分からないような佇まいではありませんか。御用聞きはいても、政治家がいないのです。
かつて永田町に近い赤坂周辺は、本当の意味で華やかな街でした。焼け落ちた「ホテル・ニュージャパン」は宿泊施設としては三流でしたが、地下に出店していたナイトクラブ「ニューラテンクォーター」全盛期の登壇歌手のみならず客層の壮麗さ、或いは六十軒近くあった高級料亭、少し離れた飯倉の伊国料理店「キャンティ」まで、デザイナーや画家、建築家たちが夜通し文化を語る「サロン」を形成さえしていたといいます。
それが今やどうしたことでしょう。「昔はよかった」という話ではありません。赤坂が元気だったのは、その分だけ政官財の力が強かったからであり、現在の凋落ぶり、または朝鮮人バーなどの続出は、政官財の力の失墜と無気力・無思考が原因です。たったこれだけのことで街が廃れて穢れるのです。
細野豪志環境相が次期首相の座を狙っていると聞きましたが、まさかシークレットサービスの方と見間違う「大臣に見えない大臣」が何のおつもりでしょうか。シークレットといえば、米中央情報局が彼と露国の裏関係を調べているという話もあります。
政官財は力があればこそ体制批判にも耐えました。ところが彼らの耐性が極度に落ちたため、わずかなことで大衆迎合に奔ってしまいます。それが民主党政権なのです。迎合してもらった大衆も、実はまったく支持していません。この自覚が目下政治家にないのです。
内閣改造は勝手にしていただいて結構ですが、私たちはこのような内閣そのものを捨てなければなりません。言うだけ無駄だということは決してないのです。
http://www.shinhoshu.com/2012/05/post-237.html
▲占領典範・憲法無効決議を東京都議会に求める請願集会のお知らせ