靖國神社の桜並木と御神木

皇紀2672年(平成24年)6月22日

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120620/crm120620……
 ▲産経新聞:「サクラがかわいそう」…靖国神社でプレート外した中国の植物園長逮捕

 靖國神社の桜並木に掲示されていた戦友会員のお名前が記載された表示板を勝手に取り外し、足で踏んで壊した中共人男性が四日午前、器物損壊の現行犯で逮捕されていましたが、神社側は示談に応じたようです。よって、この男性はもう帰国してしまいました。

 応じた理由は男性から謝罪があったためでしょうが、それにしても「桜の木がかわいそう」などと言っておきながら戦友会員のお名前を足で踏んで壊していたのですから、まず許すべきではなかったと思います。

 仮にも中共国内で日本人が似たようなことをやって、二日の留置で帰国させてくれることは絶対にないでしょう。私たちは毅然と叱るべき時を心得ておかねばなりません。

 それにしましても、読者の方からご指摘があったように、高知県内の神社にある御神木が人為的に枯らされたり、特殊工具を使ったと見られる穴をあけられていたりする被害を受けています。高知新聞が十日にこれを伝えていますが、何者による犯行かはまだ判明していません。

 私は以前にも申しましたように、わが民族が中共や韓国、北朝鮮など他国からの精神侵略を阻む砦は、唯一皇室にあり、各地に神社があるのです。これを失った時、わが国は「日本」でなくなり、私たちは「日本民族」でなくなります。まぁ国は焼かれ放題、私たちは殺され放題になるのでしょう。

 自らの命を絶ち、その継承も断ち切り、自然を破壊してしまいたいということであれば、このような神社への冒涜を無批判に眺めていればよいでしょうが、つい先日の「誰かを殺して死刑になりたかった」というような祭祀を拒絶したかの者と同じ人生をわざわざ歩みたいと考えること自体が、苦境の中にあっても懸命に生きてきたすべての人々を冒涜していると自覚すべきです。

 子供たちに御神木を「ただの木」と教えるのと「昔から生き続けてきた人たちが代々守り、この木も生き続けてきた」と教えるのとでは大きな違いがあり、例えば屋久杉を守ろうとすることは「政治運動」ではなく「祭祀の実践」に他なりません。だからこそ「御神木」なのです。

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公務員叩きが目的ではない

皇紀2672年(平成24年)6月21日

 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120619……
 ▲産経新聞:政府、橋下市長の条例案にNO!職員の政治活動規制「罰則付きは違法」と見解

 かつて教育委員会で事実確認した日教組(日本教職員組合)による数々の不正行為の何を私が問題としたかと申せば、それは地方公務員法違反であり、教育公務員特例法違反であり、そして組合事務所の家賃や光熱水費への市税の不正流用でした。

 ところが、これらの法律に違反しても罰則がないため、追及はきわめて難しく、だからこそ政治家を動かして文部科学省を動かすしかなかったのです。その結果、私たちのほうが「その威力を背景に脅した」などとして、日教組側に犯罪者扱いされてしまったのです。

 私は社会的・道義的責任を果たす上で「謝罪します」と申しましたが、同時に日教組の不正行為追及はやめないと宣言したことで、一部から「開き直りやがった」だの、一方からは「なぜ悪くもないのに謝ったのか」だのと批判されました。

 二度にわたった会談自体が相手の了承を得たものであり、私たちは大声一つ上げずに頭を下げて退室してきた(音声記録が双方にあった)のですから、周囲に多大なご迷惑をおかけしてしまったということ以外、確かに追及したことは何も間違っていなかったと思っています。

 このとき、事の重大さを最もよく理解して下さったのは、罰則規定を設けようとした自民党の義家弘介参議院議員でした。しかし、あれからすぐに民主党へ政権交代となり、三年以上が経った現在も実現していません。

 市税の不正流用について、私はこれを法的に追及できると考えていましたが、それこそ事件化への道を阻まれてしまったため、大阪市役所から市職員労組の事務所が一掃されたときは胸のすく思いでした。

 ですが、私が(もはや外部の政策研究者の言うことなどお聞きにならないご様子ですが)橋下徹市長にご忠告申したいのは、今回の条例改正の目的を「公務員叩き」に悪用しないで欲しいということです。目的はあくまで「公務の何たるかを正す」ということでなければなりません。

 閣議決定には「地方公務員の政治活動を規制する条例に罰則を設けることは、地方公務員法に違反する」とありますが、ならば地公法の間違いを認めて改正に言及すべきであり、「公務員の地位から排除することで十分」ということであれば、橋下市長はあちこちに市職員の生首を転がすようになるでしょう。

 それを見た私たちが「ざまぁみろ」と思うような社会ではいけません。何度でも申しますが、本来「官と民」の対立などあってはならないのです。公務の責任は重く、よって公務にしか任せられない事業があります。

 橋下市長はそれらをほぼすべて「民間にやらせればいい」とおっしゃっていますが、いわゆる「小泉・竹中改革」がどれほど醜悪な顛末となったか、皆様はまだご覧になっていないと言われるのですか?

 私ほどこの問題になかば「怨念」のような感情を抱いて今も政治家に訴えている者は、まぁ他にもおられるでしょうが、それでも「官民対立」という不毛に終わりそうな政治の動きを黙ってみていられません。橋下市長が優れた指導者になるか否かは、私たちにも責任がある問題と考えるべきです。

米国、韓国産食品に警戒

皇紀2672年(平成24年)6月20日

 台風四号の被害を受けられた方に、心よりお見舞い申し上げます。

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 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120615/trd120615……
 ▲産経新聞:韓国産貝類の販売禁止勧告 ノロウイルス汚染懸念で米国

 これは一応、ここでも皆様にご警告申し上げたほうがよいだろうと判断しました。ご存知の方もおられるでしょうが、米国食品医薬品局(FDA)は韓国産海産物が人糞に汚染されているとして、店頭での販売禁止を勧告したというのです。

 韓国産海産物はわが国にも大量に輸出されており、私たちも注意しなければなりません。

 まだまだわが国には韓国より中共や東南亜諸国のほうが衛生観念で劣ると考えている人が多いようですが、韓国や中共に比べれば泰国(タイ)や馬国(マレーシア)、尼国(インドネシア)などの大手食品工場のほうがよほど衛生管理が徹底されています。

 海産物の水揚げ時になぜ韓国人の人糞が混入するのか、まったく分かりません。恐らくどの国の人も理解に苦しむでしょうが、韓国が真の文明国となるには、電力はほぼ安定的に供給できているようですから、次に衛生問題を解決することです。

 ただし、米国において韓国人への非難がこれで高まっているとの一部論調は間違いでしょう。つい先日も韓国人売春婦問題が州レヴェルで行政問題化していますが、彼らは自国を堕落させ汚染する外敵から単に自国を守ろうとしているに過ぎません。

 これで何が分かるかと申せば、米国各地に「慰安婦像」なるものを建立して日本および日本人を誹謗中傷しようという在米韓国人団体による政治活動も、まったく米国人の興味をひいていないということです。

 では最大の「悪」は何かと申しますと、これらの中傷に私たちが謝罪してしまうことにほかなりません。不衛生な韓国産食品の問題にしても、なぜか「歴史問題」に絡めて無批判のうちに輸入し提携し続けることこそ「悪」であり、そのような日本人は外国人から見てまことに不気味なのです。

 私が欧州や東南亜の友人たちに言われたことは、中共や韓国、北朝鮮の(彼らの目にも)ひどい「反日」(と映っているもの)に日本人自身が易々と謝るのはなぜか、と。日本人は何を考えているのか分からなくて気持ちが悪い、というのです。

 この一切を「遠藤の個人的体験にすぎない」と片付けるのも結構でしょうが、自分たちの暮らしの安全も守ろうとしない無自覚な行為は、やはり不気味でなりません。はっきりしているのは、食の安全に優先される日韓関係などないということです。

民設民営カジノは言語道断

皇紀2672年(平成24年)6月19日

 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120618……
 ▲讀賣新聞:公務員に厳しい橋下市政、府民の8割「賛成」

 日教組などを含む公務員の組合による政治活動は、公務の何たるかをもう一度問い直さねばならない問題であり、この点に厳しく迫る大阪市の橋下徹市長が高い評価を受けるのは当然でしょう。

 市職員の「刺青」問題にしても、過ちから立ち直る機会は誰にもあるのですから、かつて刺青を彫ったことが問われているのではなく、あたかもその過ちを「個性」と称して現在も開き直っていることに、市民から疑問と怒りの声が寄せられていると職員は理解すべきです。

 しかし、震災瓦礫の処理は政府の責任問題であり、そもそも受け入れの是非が大阪市長に一任されることではありません。

 何度も申してきましたように、瓦礫は阪神淡路大震災時と同様に発生した地元で処理すべきであり、これを産業廃棄物処理業者との利権構造にもつれ込ませたほど何ら対応しなかった民主党政権の罪はあまりに重いのです。

 それでも大阪湾岸の埋立地である夢洲に持ち込みたいということであれば、橋下市長の勝手にすればよいだろうとも思います。

 と申しますのも、いつの間にか大阪市の顧問団に加わっていた溝畑宏前観光庁長官は、この夢洲に民設・民営のカジノ建設を推進する立場で橋下市長と組んでいるのです。溝畑氏のいわゆる「大分トリニータ問題」は以前に言及したことがありますが、観光庁長官時代にもその怪しさを全開にしました。

 私は博打の類いが大嫌いですが、この構想の何が問題かと申しますと、決して民間主導で賭博施設を運営してはならないということです。公設・公営が原則であり、市街地にあふれるパチンコの一掃を条件に新たな行政法人を設立してカジノを運営するというのが、私のかねてからの提案でした。ですから決して私個人の理性と意思と心情をもってカジノを否定しているのではなく、設立に利があるとした政策提言もしているのです。

 ところが、橋下・溝畑構想では澳門(マカオ)特別行政区での大成功体験を持ち込もうと、中共人の経営者集団を招こうとする動きがあります。一体私たちはいつからこれほど「自分で学ぶ」「自分で気づく」ということを放棄してしまったのでしょうか。

 確かに澳門のカジノは米国ラス・ヴェガスの規模を超えましたが、その成功の法則をそのまま持ち込んでも(他国の失敗からは大いに学べますが)必ずうまくいくとは限りません。大抵うまくいく法則というのは、自分で気づいたものでなくてはならないのです。

 カジノはいわゆる「ドレス・コード」が厳格なものであり、治安や貧困の問題とは最初からほぼ無縁の存在ですが、自治体の効率的な収入源とするには、文字通り公務の責任が問われます。これで大阪市の財政が潤い、ゆとりが生まれ、経済を活性化させるかもしれないのです。

 橋下市長や溝畑氏は、その一番大切なところを分かっているのでしょうか。私たちはこの問題についても決して流されてしまうことなく、注視しましょう。

マスコミは再び死んだ…

皇紀2672年(平成24年)6月18日

 http://mainichi.jp/opinion/news/20120616k0000m0……
 ▲毎日新聞:「決める政治」を評価する
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120616-O……
 ▲讀賣新聞:一体改革合意 首相は民主党内説得に全力を
 http://www.asahi.com/paper/editorial20120616.html
 ▲朝日新聞:修正協議で3党合意―政治を進める転機に
  http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42669370W……
 ▲日本経済新聞:首相は消費増税の実現へひるむな
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120616/plc1……
 ▲産経新聞:3党合意 社会保障抑制は不十分だ 「決められぬ政治」回避したが

 民主党と自民党および創価学会=公明党との「三党合意」や、そもそもの消費増税案について私はかねてより批判し、反対派議員に一層の尽力を求めましたが、わが国の主要新聞五社はただの一社も批判しませんでした。

 いかに優れた政策合意であっても、それは或る一方の政治信条側からの評価に過ぎず、もう一方は必ず批判を加えるはずです。例えば私たちが主張してきた占領憲法(日本国憲法)の無効決議についても、決してすべて新聞社に「目が覚めた思い。真の日本の船出」などと書いてもらいたい、或いは書いてもらえるだろうなどとは思ってもいません。

 では、今回の消費増税案がそれほど完全無欠な合意内容だったのでしょうか。答えは申すまでもありません。衆議院で可決されても参議院で否決されれば元の木阿弥になってしまう……各党の思惑が交差する中で単に談合しただけなのです。

 結果、表出された新たな問題は、メディア各社の談合でした。産経新聞社のみがわずかに一言ありげだが、それでも各社がペンを揃えて「決められない政治を繰り返す事態が回避できたことは評価したい」というようなことを書いています。

 これがもたらす今後最大の問題は、私たち自身が文化的無気力、無思考、無自覚、無責任、無反省、無批判の罪を繰り返すかもしれないということです。池内万平さんは『新・十三の顔を持つ男(伊丹十三監督のこと)』の中で、伊丹万作監督の『戦争責任者の問題』は現代日本の諸問題(原発事故など)にも当てはまる、と。日本人はあのころと何も変わっていないのかもしれないと言っているように、またぞろ「お国に騙されたと言って平気でいられる」という「悪」を繰り返そうとしています。

 消費増税は国家本来の問題から見れば枝葉末節に過ぎませんが、それでも実施される二年後までに必ず衆参両院議員の選挙が行われるのであり、私たちは今回の談合政治に対して「もう許しません」という行動を起こそうと思えば起こせるのです。

 実は尾崎秀実氏らのような共産主義者が求めたに過ぎなかった大政翼賛会政治を再び繰り返し、家畜的な盲従にメディアがその役割の一切をまたもゆだねるというのならば、私たちは徹底して抗しようではありませんか。