いざとなれば一億円集まる

皇紀2672年(平成24年)5月7日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120503/lcl1205……
 ▲産経新聞:【都の尖閣購入計画】 都の担当者「多くの方々からお志、感謝」 募金5日間で7600万円

 もう皆様もご存知の通り、東京都が四月二十七日に開設した沖縄県石垣市尖閣諸島の購入資金の寄付金口座に、たった五日間で五千四百二十八件もの入金があり、計約七千六百万円が集まりました。

 先月二十三日記事で申しておりましたように、都は最初から都民の血税ではなく全国有志からの寄付で購入資金をまかないたいと考えていましたから、都民や都在住の中共人が「私たちの税金で沖縄の島を買うなんて」などと具にもつかない文句を言うのは間違いです。

 いえ、もう一度断っておきますが、石原慎太郎都知事は外務省を焚きつけ、政府による尖閣防衛を促すことが「都による購入」発言の真意であり、購入してもしなくても行政区は石垣市のままですからご安心ください。中共政府の息がかかった投資家へ簡単に転売することは今後もできません。

 では、購入しなくなった場合の寄付金の行方ですが、これはどうも尖閣諸島の整備計画にまわるのではないかと思われます。私たちの資金で整備しない限り、現在のような荒地状態では中共人による不法侵入を防げません。いずれにしても、尖閣防衛のために注がれるお金なのです。

 私が代表を務めている研究所では、これまで仲間均石垣市議会議員を支援しようと呼びかけ、多くのご賛同を得て、また仲間議員からお礼のお言葉も頂戴しましたが、つまり、これからさらに仲間議員のような尖閣防衛の最前線で行政調査を試みてこられた政治家の活躍が必要になります。

 今頃は七千万円が一億円になっているでしょう。本当はすべて臣民が一円ずつ出しただけで一億二千六百万円以上になりますが、すべて中共人民が出しても本来なるはずの十三億円越えにはなりません。通貨価値の違い以上に、人民の心が一つではないからです。

 私たち日本社会も恥ずべき様相を呈し始めて久しいですが、私はまだわが国には希望があると思っています。それがこの寄付金、或いは東日本大震災義援金募集(国内分のみ)に集まったお金に形となって現れている、と。

 いざとなればこれだけの国士がおり、そもそも島の所有者である栗原家の皆様こそ(大日本帝国憲法下ですべて臣民に保障されていた)祖国防衛権を行使してきた人々でした。この権利を私たちが公然と取り戻すには、本物の憲法(大日本帝国憲法)を復原するしかないのです。

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請願署名にご協力を~本日

皇紀2672年(平成24年)5月6日

 今月の予定です。万障お繰り合わせの上、ぜひともご参集ください。

占領憲法無効宣言早期実現の会

 日 時  平成24年5月6日 日曜日
       13時30分開場
       13時45分より16時まで
       16時30分より懇親会
 場 所  神戸市勤労会館 405号室
       JR・阪急・阪神・地下鉄「三宮」駅下車 東へ徒歩5分
       地図 http://g.co/maps/dwxf4
 参加費  無料 (懇親会 希望者のみ会費3000円)

 講 演  「わが国の現状と真正護憲論」
       遠藤健太郎 真正保守政策研究所代表

 主 催  日本精神復活推進協会
       盛井一徳  吉栖正康

 当日は請願署名をお願いしますので、なにとぞご協力ください。
 また、現在進行中のかかる重大計画を私がこの場で発表する予定です。
 ご家族ご友人をお誘いあわせの上、皆様のお越しをお待ちしております。

 なお、読者の方からご提案いただきました全国各地の請願署名に関しましては、現在方法を検討しております。決まり次第「真正保守政策研究所」からお知らせいたしますので、今しばらくお待ちください。ご提案、ありがとうございました。

端午の節句は楚の文化

皇紀2672年(平成24年)5月5日

 本日は端午の節句です。

 この風習を「朝鮮半島起源だ」などと韓国政府が虚勢を張ったと伝えられたのは今から七年前のことですが、連合国(俗称=国際連合)教育科学文化機関が無形遺産に認めたのはあくまで「江陵端午祭」のみでした。

 しかしながら、中共人民の多くがこれに激怒し、対抗する一部の韓国人が余計に激昂して、いつの間にか「端午の節句は韓国起源とユネスコが認めた」という話になってしまいました。つまり、韓国人の思う壺にはまってしまったのです。

 そもそも中共人民の主張にも誤りがありました。端午の節句は一般に楚(現在の湖南省・湖北省あたりにかつてあった王国)が発祥の文化であり、中華人民共和国はこの王国との継続性がまったくない共産党革命国家であるため、仮にも「中国の文化」とは言えないのです。

 ではわが国はどうかと申せば、幾年か前のこの日に申しました通り、もとあった「五月忌み」の風習と大陸伝来のこの風習が結びついたのであり、もともとは女性の祭りだったことが分かっています。

 かえすがえすも、わが国は国興り以来二千六百七十二年も皇統が途絶えず、すなわち国家のかたちが変わっていないことに感謝しなくてはなりません。堂々と「これは日本の文化です」と言える喜びは、韓中両国の醜い「文化戦争」を見れば見るほど感じ、またやはり人は生命の継承こそ存在の証であるのだから、朝鮮人も中共人もいざとなれば伝統文化を持ち出して自分の存在意義を主張したがるものだと思うものです。

 それが分からないのは日本人の破壊活動家(左翼という名のテロリスト)たちだけなのでしょう。せめて子供たちを菖蒲湯にでもつからせてあげなさいよ。

財務省に反対派がいる?

皇紀2672年(平成24年)5月4日

 http://jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2012050300205
 ▲時事通信:日本、韓国国債購入へ=持ち合いで連携強化-日中韓財務相会議

 安住淳財務相が韓国国債の購入を検討していると発言したことは、先月二十八日記事でも取り上げましたが、読者のご指摘どおり特に地上波放送の報道が大きく伝えることはありませんでした。

 わが国政府が初めて購入する国の国債にもかかわらず、まして日韓友好こそ至高の策であるなどとうたっている報道各社がまるで隠すようにこれを扱ったのです。

 私は何とかやめさせられないものかと探っていたところ、どうも財務省内に反対ないしは慎重にすべきとしている職員が複数いると聞きました。官僚主導の肯定ではありませんが、大臣が稀代の莫迦(安住財務相は西田昌司参議院議員の言うように巨視的経済がまったく理解できていない)の場合は仕方ありません。動いていただきましょう。

 問題は、彼らが同じ省内の米系・韓中系を打ちのめせるかということです。連合国(俗称=国際連合)世界銀行系(勝茂夫副総裁といえば……)や米財務省をも乗っ取ったと申して過言ではないゴールドマン・サックス系の威力に私たちが立ち向かえるかと問われれば、現段階でまったく答えることができません。

 「怖いですね」「私たちには打つ手がありませんね」 これを聞いて相手が油断してくれればよいのですが。と、ここまで読んで思いっきり油断してくれることを祈ります。

 何度でも申しますが、財政破綻寸前の韓国国債を購入するくらいなら政府は非常時被災国民用にトイレットペーパーを買ったほうがましであり、中共国債の購入ももはや意味がなく、仮にも投資するなら緬国(ミャンマー)か、或いはもう一国中共から引き剥がすことを目的に柬国(カンボジア)にしたほうがよいでしょう。

屈辱の日

皇紀2672年(平成24年)5月3日

 本日は、占領憲法(日本国憲法)が昭和二十二年に施行された日です。つまり、私たちにとって何ら目出度くもない「屈辱の日」と申して過言ではありません。

 どうにも仕事で極めて腹の立つことがあったからか、昨日から本日にかけて私は機嫌が悪い。毎年のように本日も仕事だ。目出度くもないわけだから休む義理はない。気がつけば文体まで変わっている。

 真の憲法(大日本帝国憲法)を取り戻しても、もし皆が望むなら五月三日は何かの祝日にすればよかろう。「憲法復原で祝日を減らされたらかなわん」なんぞと言われることがかなわん。

 どんな仕事でも、或る一定の責任者ともなれば担当者に代わって顧客が吐き出した暴言に対処しなければならないのは、皆もご経験がおありだろう。近頃はつまらぬことですぐに「金を払っとんのや」「客やぞ」と言い出す輩が多くなった。そんな親に育てられた子供は大抵ぼんやりしている。内心「また親が怒鳴ってる」くらいに思っているのだろうが、次第に何も感じなくなっていく。だから大人になってもぼんやりしているのだ。

 塾の先生だろうが食堂の店員だろうが、この手の場面に遭遇して思うのは、怒鳴り散らしたら終わりだということ。こちら側の話ではない。客のほうだ。怒鳴り散らす客に対してこちらはまず静かにさせよう、或いはもう帰らせようとしかしない。つまり、その客の怒りの原因を取り除くことはもはやどうでもよくなる。それが分からぬまま怒鳴っている輩を見ると「哀れだな」といつも思う。

 提供者ないしは共有者に直して欲しいことは、冷静に順序だてて説明しない限り相手に伝わらないどころか、結局思い通りにならないものである。政治活動も同じだろう。

 皆がぼんやりしているうちに、占領憲法の無効を確認する機からそうしないまま六十年が経ってしまった。互いを思いやることも忘れ、一人前に文句だけは言うくせに皆が自分は何もしなかった顛末だ。

 今一度一億の民族が教育勅語に目を通してはいかがか。それが世に聞く「軍国主義の権化」なのか、自分の目で確かめてみるべきである。

 百貨店の開店時刻に、買うか買わぬかまだ分からぬ客に向かって玄関で二列に並んだ従業員が深々とお辞儀をする国の「お客様は神様です」という訓示の類いは、まさしく占領憲法の根幹を成す「国民主権」や「日本以外の国は平和を求めている」といった間違いに相通ずる。

 だから仏国でよく買い物をする私の親しい墺国人は、気味悪がって日本の百貨店には二度と入らないのだ。