橋下市長と外国人参政権

皇紀2672年(平成24年)2月17日

 私はこれまで何度か情報源を申し上げることのできない「情報」を書いてまいりましたが、それを信じるか否かは、皆様のご判断にお任せするしかありませんでした。

 大阪維新の会の代表で大阪市の橋下徹市長が、永住外国人地方参政権付与の主旨に対して実は賛成であることは間違いないのですが、このたび読者の方から彼が発言した証拠を記されたものをご紹介いただきましたので、もういい加減にはっきりさせておきましょう。

 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid809.html
 ▲ぼやきくっくり:「アンカー」橋下vs青山(1)外国人参政権(付:平沼・与謝野新党)

 この文字起こしをされた方は、先の大阪市長選挙を前に橋下氏へのいわゆる「ネガティヴ・キャンペーン」に記事そのものが利用されているという指摘に対し、大変な心配りを示されていますが、あくまで公平に申しますと、外国人参政権の付与について、橋下氏は「特別永住者への配慮は必要」であると明言しています。

 まさか橋下市長ほどの方が「特別永住者」の制度とその制定経緯をご存じないはずがありません。彼は、そもそも人種差別的でゆがんだ制度によって認定されるところの在日韓国人には地方参政権を与えるという考えを持っているのです。

 これは何も驚くほどのことでもないでしょう。橋下市長のような「国民主権絶対論者」はつまるところ、地域住民としての外国籍の者にも責任を自覚させるという趣旨において、国家の守るべき砦をも侵していくのです。

 もう間違った情報でも何でもありません。公務員労組の問題で応援してきた私は、ただ橋下市長が今後この考え方を改めてくださればと望むだけです。

 橋下市長に対しまして、ここは幾重にも重要なので断っておきますが、誰かの言いなりになってご自身の腹の内で整合させるばかりではなく、国家の何たるかをよくお考えになって地方自治に取り組んでいただきたく存じます。

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コレもっと怒っていいよね

皇紀2672年(平成24年)2月16日

 http://www.nikkei.com/markets/kawase/nichigin.aspx?g=DGXNASFL1407……
 ▲日本経済新聞:日銀、追加金融緩和を決定 買い入れ基金を65兆円に増額

 一連のこの既視感(デジャヴュ)は一体何でしょう。やっても無駄なことを日本銀行がやり、それを財務相が高く評価してみせるという、結局かつて円高と物価・給与下落(デフレーション)を解消できなかった施策がただ繰り返されたのです。

 しかも日銀が極めて悪質で許しがたいのは、米国の連邦準備制度理事会(FRB)が先月末、長期的な物価上昇率の目標を二%とするいわゆる「インフレ目標」の導入を決定し、実質ゼロ金利政策を少なくとも二年先まで続ける方針を発表したのを受け、それよりもまったく低い目標で後追いしたことにほかなりません。

 わが国の私たちは、米国よりはるかに長い間デフレの辛酸をなめさせられてきたにもかかわらず、この日銀の態度を見て怒りを感じない者には、もう二度と国家を語ってほしくないのです。

 日銀は政府・与党の圧力に屈したのではなく、日本国憲法(占領憲法)を「憲法」とする立法と行政そのものに屈してきたのであり、私は本気で円高を是正するべく思い切った金融緩和が必要だと訴えてきました。それができれば、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加に目がくらむ莫迦などいなくなり、だからこそ政府と日銀は外圧をもろに受けて円高を是正してはいけないことになっているのです。

 それがどれほど私たちの暮らしを締めつけているか、皆様も真剣に考えてください。

 わずかな「インフレ目標」ではなく、わが国のすみずみまで資金が出回るようにしなければならず、そのためには資源と食料の確保と、確保するための力が必要です。資源力と軍事力を背景にしない限り、強い経済は成り立ちません。それがいやなら、今や新自由主義という「地球市民」的経済にのまれて餓死するほかない(いつも思うが、よって極左「地球市民」派が新自由主義を極右思想と絡めて糾弾するのは滑稽な自傷行為でしかない)のです。

大阪維新のブラックなところ

皇紀2672年(平成24年)2月15日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120207/lcl120207……
 ▲産経新聞:大阪府市併任の特別顧問に余語氏 府市特別参与に4氏

 公務をあまりに軽視した市職員らの組合活動を根絶させる取り組みには支持を表明してきましたが、私が最初から大阪府の松井一郎知事と大阪市の橋下徹市長ら「大阪維新の会」の掲げる政策公約をまったく評価していないことは、彼らが当選することになった選挙の前にはっきりと申し上げました。

 その理由は繰り返しませんが、私が提示していた悪い予感の一部分が透けて見えるような人事を、とうとう大阪府が発表してしまったのです。馬脚の現し方があまりにもまずいと言わざるをえません。

 府の特別顧問に就任した余語邦彦氏といえば、重田康光氏が設立した「光通信」の経営に関与し、売れるものはすべて売るという手法で一時期の危機を脱して見せたことは有名ですが、当時の「クレイフィッシュ」を乗っ取った張本人とも指摘され、パチスロメーカー「アルゼ」の最高経営責任者も務めた実績不明の人物です。

 産業再生機構に在籍(執行役員)したときの「カネボウ化粧品」の「花王」への売却(実質押しつけ)の手腕が取りざたされたこともありますが、実態は断り書きのとおりであり、売却益を生んだものの肝心なカネボウの再生を花王に押しつけて自らは知らん顔をしたに過ぎません。

 なぜこのような人物がわざわざ特別顧問に選ばれたのでしょうか。大阪維新の会がどのような人脈で動いているのか、なぜ橋下市長が在日韓国・中共人地方参政権の付与に賛成なのかよくわかり、これ以上は申しませんが、よく考えてみてください。私に彼らの政治塾への参加を促した人がいましたが、絶対にごめんです。今話題のあれも、ただの「政治をネタにした商売」ですから。

市長選に関与した宜職労

皇紀2672年(平成24年)2月14日

 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2012021200172
 ▲時事通信:宜野湾市長に佐喜真氏=普天間の県外移設主張-自公推薦、元市長破る・沖縄

 十二日に投開票された沖縄県宜野湾市長選挙の結果は、すでに報道されているとおりです。どれも「二十七年ぶりの保守系当選」をうたっていますが、その候補を自民党が推薦すれば自動的に「保守系」と規定されるのは、もういい加減に間違いでしょう。要は候補者の掲げる政策公約ですが、佐喜真淳新市長の主張はよくわかりません。

 と申しますのも、本来市長選挙の公約になりうるのか否かの議論が必要だったようにさえ思える在日米軍普天間飛行場の移設問題について、共産党と社民党などの推薦を受けていた伊波洋一元市長と同じく、佐喜真氏も「県外移設」を訴えていました。

 それでもこれが「保守と革新」という対立構造の成り立つところに、現下のすべて選挙の問題があります。これこそが国民的政治不信の原因なのです。

 よって、結束する革新は、姿の見えない保守を相手に違法な組織選挙をたくらみました。防衛省沖縄防衛局長の講和問題どころではなく、あかるみになった大阪市長選挙への市職員の関与と同様、宜野湾市職員労働組合が先月二十五日付で、「イハ洋一さんの勝利を目指して(原文まま)」支持者獲得一人二十人などの指示を文書にして職員(組合員)に配布していたことが明らかになりました。

 この文書は「宜職労第二十号」として配布されており、現物があるからこそ申しているのであって、知らぬ存ぜぬは通りません。違法であるのに罰せられないという法の間違いは、もうたくさんです。革新系活動の卑劣さを、まずは多くの皆様に知っておいていただきたく存じます。

パチンコ店の闇にメス

皇紀2672年(平成24年)2月13日

 米国の歌手ホイットニー・ヒューストンさんが十二日、米加州にあるホテル「ザ・ビヴァリー・ヒルトン」の四階客室で、彼女が過去六度も受賞したグラミー賞の本年度授賞式直前に、わずか四十八歳で亡くなったという報は、私たちを驚かせるに十分でした。彼女の歌の中で私が好きだった「all at once(あっという間に)」逝ってしまったのです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120211……
 ▲讀賣新聞:パチンコ40グループ、総額1千億円申告漏れ
 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/……
 ▲ZAKZAK(産経新聞グループ):パチンコチェーンの深い闇…特別スキームと“消えた税金”

 かねてより噂されていたパチンコチェーンのいわゆる「特別スキーム」に、東京国税局のメスが入りました。企業組織再編に関する非課税対象が拡大された法改正を受け、これを悪用して、年五十億円以上もの「節税」をやり過ごしたパチンコチェーンもあったようです。

 彼らに「納税逃れ」の知恵を授けた指南役の会社がありましたが、現下の問題は、パチンコが生活保護の悪循環に組み込まれている事案の報告が多数存在していることであり、これを根絶しなければなりません。

 霞ヶ関の不公正な税の再分配も問題ですが、内閣が根本的なパチンコ問題にメスを入れずして消費税増税をうたい、社会福祉の充実などと強弁しても、私たちは物分かりよく納得すべきではないのです。