本日は「竹島の日」

皇紀2672年(平成24年)2月22日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120221/plc12022122……
 ▲産経新聞:「竹島の日」の式典、閣僚・民主役員の出席ゼロ

 島根県隠岐郡隠岐の島町官有地竹島は、その「日本領有」「韓国不法占拠」の国際法的根拠が明らかで、もう何度も提示してまいりましたから今回は省略しますが、かえすがえすも島根県が平成十七年に「竹島の日」を制定しなければならないほど、政府が行動を起こしてこなかったのは事実です。

 私もこの式典にお招きいただき、出席したことがありますが、美しい町並みにたたずむ島根県民会館前周辺が一種異様な緊張感に包まれていたのをよく覚えています。その原因は、韓国の団体が抗議にやってくるからです。

 本年もすでに三人の韓国人が弱弱しく抗議に訪れることがわかっていますが、不法占拠国の不当な訴えになど応えたくもありません。実際、私が訪れたときにも韓国人が来ていたそうですが、結局は姿すら見ませんでした。

 自治体が懸命に「領土奪還」を主張しているにもかかわらず、自公政権でも民国政権でも、閣僚や党幹部は出席しません。これだけはもう一度申しますが、その理由は、軍事的実体を有する米韓同盟と実体のない日米同盟の差であり、私たちにとって唯一の「憲法」である大日本帝国憲法において即合憲である国軍(現在の自衛隊)を動かせず、ただ翻弄される日米同盟よりも米韓同盟が優先され、竹島の日本領有をよく知っている米国の支援すら得られないからです。

 本来であれば、他国の支持は別にしても、特に支援を必要とせずに自国の領土は自分たちで取り返すものですが、占領憲法(日本国憲法)のままではそれすらかないません。

 この本質と向き合わず、解釈による改憲で乗り切ろうとするわが国の一部論調が、韓国人の本当の意味での「歴史修正」のつけ入る隙を与え、いつまでも領土や歴史の問題で日韓が対立し続けるのです。だからこそ、日本右翼と韓国右翼、奇妙なほど韓国右翼と共鳴する日本左翼は、みな同根にすら見えてなりません。

 渡辺周副防衛相は今回の出席を見送ったそうですが、あそこは優秀な政策秘書がついていますから、どうか秘書さん、副大臣を叱っておいてください。結局は、政府が重い腰を上げねばならず、私たちは政府に「何腰か知らんが、動く力もないなら、ただ去れ」と、もっと強く訴えなければならないのです。

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死刑判決と死刑廃止の将来

皇紀2672年(平成24年)2月21日

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl120220……
 ▲産経新聞:判決骨子[光市母子殺害事件]
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl120220……
 ▲産経新聞:上告棄却は「極めて不当」「虚偽の自白に依拠し判断誤った」 弁護団が声明

 平成十一年四月十四日、福田孝行(現在、大月孝行)被告が本村洋さんの奥様とご子娘を殺害した事件は、当時十八歳の少年に対する死刑が確定し、一応の決着がつきました。

 この件について、私は過去に何度も申してまいりましたが、すべて本村洋さんの「(妻と子を守れなかった)無力な男でした」というご発言に始まったと思っています。彼は確か、福田被告(当時)への無期懲役を言い渡した一審判決の直後にも、同じことをおっしゃいました。

 彼が果敢に極刑を求めるのに対し、まるで「出すぎた被害者」のように揶揄する論調が、特に死刑廃止論者から出ましたが、私は洋さんが自らの悔やみと戦うため、ただ表舞台に出ざるを得なかっただけに思えてなりません。

 死刑の是非について私は、全世界規模で宗教的理由から論じられる間は、この世から残念ながら殺人事件はなくならず、死刑という量刑の選択が妥当な場合もなくならないと思います。倫理や道徳の世界において、いわゆる「パラダイム・シフト」にも似たことが起きない限り、わが国の死刑制度を他人種や多国籍団体から否定されることはないのです。

 人類はもっと大きな進歩を果たし、いつか死刑の廃止が叶うでしょう。そのためには、いかに大月被告のような個人の理性と心情を絶対とした価値の遂行に及ぶ環境を排除できるかにかかっています。それが、私が思うに被告をむしろ死刑に追いやった弁護団による「新供述」である「ドラえもん」であれ「母胎回帰」であれ、被告の衰退した(環境によってさせられた)生存の本能に包括された劣化した理性による判断が、母子を殺害するに至ったことは間違いないのです。

 個人の人権は、人が人として生きる権利であり、この尊重を過分に訴える団体が主として死刑廃止を唱えるのは、ともすれば自分たちで犯罪の原因を蔓延させておいて、犯行に及んだ者を「ただ生かせ」と主張しているに過ぎません。凶悪な殺人事件の根絶にはまったく関心がないのです。

 だからこそ、洋さんのご活動はつらいものに違いなかったでしょう。彼が今回の判決後会見でおっしゃった「犯罪が起きないように」という世界の実現を、最も望んでこられたのが洋さんご自身なのです。

 私は、祖先祭祀や自然祭祀の実践を当たり前とする世界的価値観の大転換が起きない限り、死刑を必要とするような殺人事件はなくならないでしょうから、いつか「皇統を守り抜いてきたはずの日本人自身、気づくのが遅かった稚拙な時代だった」と振り返ることのできる、死刑のない世界を求めてまいりたいと思います。

大阪維新が公明と選挙協力

皇紀2672年(平成24年)2月20日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120218/stt120218……
 ▲産経新聞:維新と公明「関西6選挙区で協力確認」 橋下、白浜両氏が会談

 大阪維新の会と(創価学会=)公明党の協力体制が着々と整いつつあるという情報は、すでに先月中旬にほぼ間違いのないものとしてありましたが、ついに選挙区単位の調整で合意に達したようです。

 産経新聞社記事の指摘通り、橋下徹市長は市議会を掌握するために公明党の議席が必要であり、公明党は失った大阪府下の衆議院の議席をいわゆる「橋下人気」にあやかって奪還したいため、両者は最初から接近していました。

 大きな目的を達成させるには、時に方法を選り好みしていられないことがあります。しかし、そこには結果とは別に必ず「越えてはならない一線」が存在するため、行動からその者、或いはその集団の規範や信念が見えるものです。

 すなわち、大阪維新の会にとって創価学会は「気を許してもよい相手」であり、「超えてはならない一線のはるか手前にある組織」ということになります。「はるか手前」になければ、選挙協力にまでは至りません。

 かつてこの「一線」すら日本共産党に対して以外にはそもそもなかった自民党が、同じ手を使って政権を奪還しました。そして、再び政権の座から転げ落ちたのです。もう二度と「自公政権」はごめんですし、仮にも「民公政権」は最悪の展開といえましょう。

 なぜ少しは「真っ当な国史観」を探求し、公務員の破壊活動(テロリズム)への傾倒を阻止しようとしているように見える橋下市長らが、その取り組みを妨害するに違いない創価学会と手を組むのか、政治信念以外の何かが強烈に作用しているとしか考えられません。

 私は彼らの極めて怪しい人脈から、その理由と今後の主張や展開がわかると指摘してきました。大阪維新の会の化けの皮が公然とはがれてから「だまされた」と叫ばなくてもよいように、皆様にはもう少し冷静であっていただきたいと存じます。

手術の成功と医療

皇紀2672年(平成24年)2月19日

 天皇陛下は十八日午前、予定通り東京大学医学部付属病院で、心臓の冠動脈迂回手術を受けられました。

 術後に会見した順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授と、東京大学医学部心臓外科の小野稔教授らによりますと、執刀時間は三時間五十六分で終わっており、ほとんど出血もされなかったことから、陛下の御体力をできるだけ奪わない手術としては成功したといえます。

 昨日記事で私が指摘していた懸念の一部は、ひとまず払拭されたと申してよいでしょう。

 特に、天野教授はいわゆる外科医師界の「非主流」でありながら、ここまで手術実績でたたき上げてきた方ですから、左右の内胸動脈の縫合処置にくわえ、不整脈を防ぐための左心耳の処置も施しており、これを想定していたこととして、それでも執刀時間を短くした腕はさすがです。

 しかし、重ねて申しますが「神の手」など存在しません。私がわが国の医療に対する国民的誤解と無知の拡大を恐れるのは、わが国に蔓延してきた「医師を権威として患者がそれにただひれ伏すという形骸」が、決して私たちの幸せな人生の歩みを助けはしないからです。

 たとえば今回でも、何らかの想定外の事態が発生した場合、執刀時間が長引いた可能性はあります。それでも日本の医師は、下した診断による症状を「治すこと」を絶対的な目的とし、患者に対して有形力を行使し続け、結果やたらに長い時間を病院で過ごさせる傾向が強いのです。これはもう「医療」とは呼ばず、本来医師にとってもよい環境とはいえません。

 政策研究所の代表として私は、医療現場と増大する医療費の問題に取り組む中で、この誤った現場哲学が、辿りつつある日本の医療と社会保障の崩壊の一翼を担ってしまっていると気づきました。

 私が陛下の御年齢と御体力を心配申し上げたのは、想定されるこの「医師の独善」ともいえる有形力の行使が、たとえ患者の症状を改善したとしても、逆に寿命を縮めることになる場合があるためです。

 陛下は、医師の説明を受けられ、すべて御自ら御納得をされたと伺っています。これから術後経過を見られることになりますが、望ましいのは、いたずらに陛下の御安静を周囲が強制するのではなく、一日も早く普段の祭祀を執り行っていただくことです。それが、陛下の御体力の回復にもよい作用をもたらすと願ってやみません。

 皇尊弥栄。

天皇陛下の御回復を祈って

皇紀2672年(平成24年)2月18日

 天皇陛下は本日午前九時半ごろより、東京大学医学部付属病院で、心臓の冠動脈迂回手術を受けられます。手術の成功と、陛下の御回復を心より祈念しております。

 あまり大学医学部の内部事情のようなことを書くつもりはありませんが、皆様もご存知のとおり、今回執刀するのは順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授(日本大学医学部卒業)らです。

 まず最初に申したいのは、天野教授のような医師を指して「神の手」などと表現するメディアがありますが、これは私たちの医療に対する誤解や無知の拡大を招くもので、まったく適当ではありません。「神の手」を持つ医師などどこにもいないのです。

 その上で、天野教授が冠動脈迂回手術で多くの実績を有しているのはわかっています。また、同手術に平均五時間はかかるのもわかっていますが、実際は術前の麻酔に一時間、術後の心電図などに一時間、計七時間かかることに対し、陛下の御年齢と特に最近の御体力を十二分に考慮して手術計画が組まれたのか、気がかりでなりません。

 これ以上は申しませんが、陛下の御体力をいたずらに奪わないよう、最善の努力がなされることを、一臣民として強く希望します。そして最後に、皇室医務それ自体に不信と疑問を呈し、このことはまた日を改めて提起させてください。今はただ祈りましょう。