われを忘れる毎日新聞

皇紀2673年(平成25年)1月3日

 http://mainichi.jp/select/news/20121231k0000e040080000c.html
 ▲毎日新聞:教え子・安倍君へ:「立場違う人を大事に」 元成蹊高教諭

 これが一新聞社としてわれを忘れるかのように、なりふり構わずかつての恩師まで引っ張り出してきて安倍晋三首相を叩く毎日新聞社の姿です。

 朝日新聞社の場合は安倍首相を叩くことが「社是」なのだそうですが、一般論としてこの世界の中でそのような報道機関が存在を許されるものなのでしょうか。かなり異常だと思います。

 私も安倍首相の就任前には何度も各論で徹底的に批判しましたが、これは前の安倍内閣発足時も同様で、ひとたび発足すれば公平に欧州歴訪など成果として讃えるべきは讃えました。むしろ報道の異様な「理由なき安倍叩き」を批判したものです。

 毎日新聞社によって引っ張り出された成蹊高校の青柳知義先生は大変お気の毒であり、先生の思想を云々する暇もないほど記事から記者個人と編集部そのものの悪意が漂ってきます。これではかえって何が言いたいのか分かりません。それとも安倍首相のためにわざと読むに耐えない程度の幼稚な記事を書いているのでしょうか。

 そうまでして叩かれたりする安倍首相とは、一体どのような方なのでしょうか。内閣官房参与に飯島勲元小泉純一郎首相秘書官が就きましたから、報道対策を万全にしていただきたいものです。

 カネを配られても受け取らず、社是ゆえ曲げないともし朝日新聞社が言うのなら立派だとも思いますが、同時に他所からカネが出ている工作機関であることを疑うべきでしょう。毎日新聞社はどうするのでしょうか。

 このようなものを信じて読んでいる人がまだ皆様のお近くにおられたら、どうか助け出して差し上げてください。

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やっと新聞社が書いた事件

皇紀2673年(平成25年)1月2日

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121229/crm121229……
 ▲産経新聞:【from Editor】 切腹した大学生

 当時金沢大学四年生の杉田智氏が平成二十三年十二月八日、石川懸護國神社にある清水澄法学博士の碑の前で割腹自決しました。この件について、ここでは同年十二月二十一日記事で言及しています。正直なところ、この時の私は自分が二十二歳だった頃を思い出して恥ずかしさのあまり居たたまれなくなったのです。

 あれから一年以上が経ち、やっとのことで産経新聞社の大野敏明編集委員が記事にしました。これまで一度たりとも、どこの新聞社も、杉田氏の想いとともに事実を報じなかったのです。

 地元紙などはあったことだけを書いたようですが、全国紙の編集部は取り扱いに困ったか、或いはその思想を黙殺したかったのでしょう。インターネット上だけで情報が拡散され、しかしながら中には杉田氏の想いと行動に心ない書き込みをする者がいたと聞いています。

 私は昨年十一月十一日に占領憲法(日本国憲法)の衆議院請願を提出する際、東京都日比谷野外音楽堂の寒空の下で何度も彼のことを思い出していました。私を来賓に招いてくださった吉水神社の佐藤素心宮司も同じだったようです。今、彼と共に戦列にいる、ああ彼と一度でいいから話がしたかった、本当は生きていて欲しかった、と。

 しかし私が思うに、今や杉田氏は護国の鬼神となってわが国を見守っています。占領憲法の無効を訴えたわが国最初の法学者として、清水博士も私たちを見守っているのです。

 現世個人に過ぎない私たちではありますが、必ずや彼らの想いに応えなければなりません。杉田氏を心の底から幻滅させた三年間の民主党政権は終わりました。そして、自民党内で再登板は難しいとされていた安倍晋三元首相がもう一度政権を奪還した背景には、わが国を取り巻く周辺の危機が文字通り難局を迎え始めたことにあるでしょう。

 大野編集委員は、清水博士についての説明まで記事に加えることを忘れませんでした。それでも産経新聞社は、占領憲法をなぜか占領統治軍にでもなったつもりで改正してしまう論陣の腐りきった根性と(一報道企業ですから)決別はできないに違いありません。にもかかわらず、よく書かれたと思います。

 私たちが成すべきは、わが国を天皇陛下にお返しすることです。昭和二十七年四月二十八日に占領憲法が無効となり、皇室典範が正統のものに復原されていたことを今確認しなければ、わが国は「日本」ではありません。私たちは「日本民族」とは呼ばれないのです。

 二十二歳の青年が国難と見切って自決するような恥ずかしい国から、彼の御霊と共に、わが国が「スメラギの祭祀の国」であることを取り戻しましょう。そうして初めて私たちは、大東亜戦争以前よりももっと祭祀に根ざした美しい暮らしを実践できるに違いないのです。

謹賀新年 平成二十五年

皇紀2673年(平成25年)1月1日

新年のお慶びを申し上げます

 しかし、毎年一家言申して恐縮ですが、本来わが国をはじめとする東洋の暦ではまだお正月ではございません。本日をもって「A Happy New Year」と騒いでいるのは、いわゆる「カソリックの暦」を基準にする者たちで、国際的価値観に照らし合わせて彼らと話を合わせてやってもよいのですが、私たちにとって決してまだ目出度くはないのです。

 本年は二月十日の日曜日が本来正月となります。この時にもう一度、皆様ご家族揃ってお餅でも食されてはいかがでしょうか。皇紀二千六百七十三年、平成二十五年の幕開けは、どうぞこの日までとっておいてください。

 だから、まだ早いよ!

 されど天皇陛下は世界唯一の「祭祀王」であらせられますから、暦の国際基準に合わせて本日「四方拝」を執り行われました。私たちのお正月の習慣はすべてこの皇室祭祀に由来があります。

 だから、ま、祝ってもええじゃないか!
 占領憲法(日本国憲法)は無効でええじゃないか!

 というわけで、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

圧力! 朝鮮学校と民主党

皇紀2672年(平成24年)12月31日

 http://sankei.jp.msn.com/life/news/121228/edc121228……
 ▲産経新聞:「朝鮮学校無償化、不適用は当然」識者指摘

 早晩消滅する政党を批判してもあまり意味はなく、或る消費者問題で槍玉にあがること必定の爆弾を抱えたような人物が新しい党首になっても、私は敗戦後の民主党に対する批評をどれもこれも見送っておりました。

 しかし、これだけは申しておきましょう。今さら産経新聞社の取材に文部科学省幹部が秘かに告白せずとも、わが国にある朝鮮学校への高校授業料無償化について、民主党の鳩山由紀夫元首相、菅直人元首相がそれぞれ「適用せよ」と文科省に圧力をかけていたことは決して許しません。これは既知のことで、私は何度も官邸の「ごり押し」と民主党の「集金活動」を批判してきました。

 自民党の下村博文文科相が指摘するとおり、適用外の判断はいわゆる「民族差別」ではありません。わが国はそもそも北朝鮮と国交がなく、彼らを一国家とは認定していないのです。

 その原因は申すまでもなく、朝鮮学校を執り仕切る朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が日本国民拉致事件に関与しており、その解決に向けた交渉に於いても北朝鮮政府は不誠実を極め、いまだ被害者の全員を帰国させないこと以外にありません。

 わが国に対する弾道弾発射などの挑発行為も原因の一つですが、そもそも不法入国者に特別永住許可を与えるという国際社会では通らない「局地的価値観」を恥ずかしげもなく披露したわが国政府は、彼らの子供たちを私たちと同じ公立学校に入学させることを認めていたのですから、勝手に私製学校を設けて「民族差別」を強化したのは在日朝鮮人のほうです。

 それで今さら授業料無償化に必要なお金を政府から貰おうとする朝鮮学校関係者の政治運動は大間違いの恥さらしであり、これを受けた民主党は何度でも申しますが、とっくの昔から日本の政党ではありません。党の再生などと戯けた夢を見ているようですが、民主党は今すぐ朝鮮総連とともに消してしまわなければならない組織です。

 安倍内閣がこのように方針をぼかさず明確にした時は、それがよいことであれば皆様は強い支持を表明してください。特にこれからは私たちの意志をはっきりさせることが大切になります。

 では、よいお年を!

アサド政権を潰しにかかる

皇紀2672年(平成24年)12月30日

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/121225/mds121225……
 ▲産経新聞:シリア軍がガス爆弾使用か 6人死亡、化学兵器か不明

 叙国のバッシャール・アル=アサド大統領に対する国民的批判が欧米各国の思惑以下だったことから、私が本年始めに予想したよりはるかに体制崩壊は遅れました。

 今回政府軍によって化学兵器が用いられたという情報も決して信用できません。被害者とされる人物が塩素系兵器だったようなことを証言していますが、一部では彼らがサリンを使用してでも反政府派を一掃する予定だとの報道もあります。

 もしそうなれば国際世論は一気にアサド政権打倒の正当性をこれまで以上に主張しやすくなるでしょう。そのために反政府派が作り上げていく可能性も否定できません。これまで政府軍に武器弾薬を提供してきた露国政府は、自国の利益を守るために政権側につき続けると思います。

 一方、わが国と関係の深い土国にとっても足元の大問題であり、わが国政府(前民主党政権)がこの問題で何ら役に立たないことに苛立ちを隠していません。

 概して中東問題に対する私たちの無知・無関心は私自身も例外ではなく、占領憲法(日本国憲法)の有効という異常状態を継続してきたことによる無思考がこれに言い訳を与えています。

 立場をはっきりさせれば欧米や土国、露国や中共のどちらかとの対立を招くかもしれません。しかし、それはわが国にとってすべて否定的な現象ではなく、計算もせず現実から目を背ける行為は「外交の死」を意味しています。

 叙国は北朝鮮との関係も根深く、私たちが日本国民拉致事件の解決を訴えてきたことに絡めて何らかの対応を主張できるはずです。これを「ずるい外交だ」と批判する論壇が左のほうに存在するでしょうが、国民益に適う外交すらしてこなかったわが国政府のこれまでの歩みこそ批判の対象ではありませんか。

 最も重要なことは、政府と反政府の対立激化で叙国民が死んでいくのを一刻も早く止めることです。そのために結論を急ぐならば、わが国はどちらを主張すべきか、そこで国民益を考えろ、そうしてもよいのだ、と私は申しています。つまり、反政府軍に回教原理主義の過激派がいる以上、アサド政権との対話を試みるべきではないでしょうか。