自ら思考し批判する日本

皇紀2672年(平成24年)9月24日

 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2012092200016
 ▲時事通信:右傾化する日本=米紙

 米国紙ワシントン・ポストは二十一日、島根県隠岐郡隠岐の島町竹島や沖縄県石垣市尖閣諸島をめぐる問題で「日本は徐々にだが右傾化への重要な変化の途上にある」との記事を掲載しました。

 http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/……
 ▲The Washington Post:With China’s rise, Japan shifts to the right

 まったく的外れな記事です。昨日も申しましたが、自国領を取り返したり守ったりすることは政治思想における右翼や左翼とは無関係であり、そもそもわが国のそれは仏国発祥の分類に該当しません。

 よって「中道に路線を修正しつつあるに過ぎない」との論評も、慶応義塾大学の教授らにまで取材しながら詳細な日本政治の研究と分析を経たものとは思えず、これがほとんどの米国人読者の興味をひかないにもかかわらず書かれた(多少言いすぎですが)日本人向けの世論誘導記事だと分かります。

 あえて申せば、これまでのわが国は米軍による占領統治体制の中で朝鮮戦争以来「韓国右翼化」してきたのであり、共産主義との対立を掲げながら日中国交回復以降は特にその派生としての「屈中」を繰り返してきたのです。つまり思想的には韓国右翼が日本左翼であり、その対立軸としての日本右翼があるだけでした。だから実はすべて繋がっていたりもするのです。

 このまま占領憲法(日本国憲法)を改正してしまえば、わが国が米軍の系譜に書き換えられるのであり、それはすなわち皇国であることに対する「返ることのできない否定」となり、太平洋防衛の共通目標を有する日米の同盟ではなく「内政に至る一切の対米服従」になってしまいます。そして、この出鱈目な国家の存在は必ず近い将来に米国政府の抱えきれない負担と足枷になるでしょう。

 私たちは自ら考え、批判する気力を持ち、わが皇国本来の憲法(大日本帝國憲法)を取り戻さなければなりません。それから「右傾化」や「左傾化」を評論したければすればよいのであって、目下のわが国には「中道」も含めて何もないのです。

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領土防衛或いは大陸的発想

皇紀2672年(平成24年)9月23日

 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201209210167.html
 ▲中國新聞:「平和的に解決」と習氏 尖閣念頭に呼び掛け

 十日以上行方が分からないとされた習近平国家副主席は二十一日、広西壮族自治区南寧で開催された「中共東南亜諸国連合(ASEAN)博覧会」に現れ、演説で「隣国との領土や領海、海洋権益をめぐる争いを友好的な話し合いを通じ、平和的に解決するよう努力する」と述べました。

 同様のことは外交部の洪磊報道官も十九日に「日本政府に対して話し合いで解決するという軌道に戻すべきだと促している」と発言しています。

 私はこれまで島嶼防衛の基本的政策提言の中で、沖縄県石垣市尖閣諸島周辺に主として海上自衛隊を派遣し、島内に港湾および航空関連施設を建設しても自衛隊員を常駐させるのではなく、あくまで不法侵入を片っ端から撃退していく作戦を主張してきました。

 また、その上で島根県隠岐郡隠岐の島町竹島はすでに不法上陸中の韓国武装警察官らがおり、これを排除して奪還すべきとし、北海道千島列島ならびに南樺太の日本帰属確認と桑港講和条約で提示していた条件での政治的決着を露国政府と話し合うべきだとも申してきました。いわゆる竹島問題と尖閣問題、そして北方領土問題は個別に性格の違うものなのです。

 しかしながらわが国ではこのような主張を「右翼的」として攻撃する傾向があり、改めて「本当にそうなのか」「このような政策提言はどこか過激なものなのか」「私たちはこのまま右傾化していくのか」との疑問をあえて提示してみようと思います。

 先日、或る独国と墺国の学者に伺ってみますと、なんと疑問をぶつける前に「領土問題というのは戦争で解決するものだ。軍を出すのか出さないのかという域の事態に『話し合おう』などと何を言っているのか。安全な場所でただ中共に憤慨しているだけなのが日本人」とお二人ともに答えられてしまいました。

 それもそのはずです。これをもって欧州で複雑に入り組んだ多人種の総合意見と断定する気はありませんが、欧州の場合は国境が地続きであり、その策定でもめれば必ず戦争になって勝利した国が権利を主張してきました。これは政治的思想における右翼か左翼かといった議論とはまったく無関係です。武力を駆使して自国領を取り返す、或いは守るという行為を「過激で右翼的だ」と指摘すること自体が「偏狭で理解不能な島国発想だ」と彼らは言います。

 中共指導部や外交部から「話し合いで解決を」といった言葉が発せられたのも、人民解放軍との軋轢が表出しているとも言えますが、私たちのそのような貧しい思考を読まれているからでしょう。そうして広大な大陸で何度も殺し合いをしてきた中共にこれまでも騙されてきたのがわが国ではありませんか。

 私たち一人一人が島嶼防衛の実行を支持するのかしないのか、紛争の勃発という事態に耐えられるのか否か、そこが曖昧だからこそ政治家の決断もなく、官僚も自らの在任期間中の安寧だけを願って逃げるのです。

 この曖昧さの原因はむろん占領憲法(日本国憲法)にあり、覚悟を決めたくてもかなわず、戦えるが戦えないという状態の継続がますます私たちの思考を偏狭で無気力なものにしてきました。もしもの泥棒に備えて木刀を手に持つことが即「他人を殺傷すること」にはならないのです。

共産主義のパターン

皇紀2672年(平成24年)9月22日

 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120920-OYT1T00290.htm
 ▲讀賣新聞:中国軍の5将軍は主戦論「断固として軍事行動」

 私はかつて朝日新聞社の問題を指して尾崎秀実記者の例を挙げ、彼こそが大政翼賛会を奨励するよう世論を誘導し、大東亜戦争を「闘いぬけ」と主張して近衛文麿首相を篭絡した完璧な共産主義者だったことを書きました。

 すなわち、大政翼賛会や大東亜戦争は何やら「愛国右翼」によって始められたものではなく、わが国の解体を目論んだ旧ソ連工作員の共産主義者(尾崎氏は昭和十九年にいわゆる「スパイゾルゲ事件」で処刑)によって仕掛けられたものだったのです。これにわが国の尊厳を守ろうとした保守派がまんまと乗せられたのであり、結果として多くの先人たちが尊い生命を賭して戦われました。

 それが騙しの構図にはまって互いを騙しあっていた正体であり、今日においてもまるで同じような話はあちこちにあります。私が『新聞アイデンティティ』に寄稿した「東宮批判」の一件もそうです。

 さて、共産党のための軍隊である人民解放軍の徐光裕少将ら五人の将軍が対日主戦論を展開しているといいますが、今さら何の不思議もありません。むしろ胡錦濤国家主席はどこまでこの莫迦げた主戦論を封じられるかが見物です。

 彼らが以前から過激な論調を主導してきたことは何度も申してまいりましたが、共産主義は結局こうして自国を滅ぼします。いや、そのためにわざと主戦論を主張しているのであり、日中の対立で利を得ようとする勢力のことは先日お話しました。

 しかし、わが国の改憲保守派は日米同盟を信じて何もしようとしていないのに等しく、米国防総省も国務省も沖縄県石垣市尖閣諸島が「日米安全保障条約の対象である」とは発言してもわが国政府に代わって中共の暴挙に立ち向かうなどとは一切約束していません。現に島嶼防衛はわが国政府の責任にて行なわれることを日米両政府はすでに確認しています。

 ならば一刻も早く自国の憲法を取り戻して交戦権の現存を確認し、それで初めて可能な米軍との共同作戦があるのかないのかについて協議しなければなりません。この状態にないからこそ米国は日露中韓朝の対立を煽ったかと思えば収めようとし、そして「あくまで中立」などと言って突き放すのです。

 中共人民が軍に騙されるのは勝手ですが、私たちがそれに付き合う必要はありません。戦う体制を整えていないわが国がこのまま戦闘を仕掛けられれば勝ち目はなく、競って通貨の切り下げをするほど影響力を低下させた欧米各国に寄生してきたいくつかの多国籍企業が利を得る前に、別の勢力を盛り立てて露中韓朝を包囲することで利を得られるような兵站を考えなければならないのです。

「暴動」報道と人権法案

皇紀2672年(平成24年)9月21日

 http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2006W_Q2A……
 ▲日本経済新聞:中国、日本企業の通関強化 一部で全量検査も

 中共公安当局はいわゆる「反日デモ」の抑止に慌てて着手しました。

 共産党指導部が主として欧米各国で「反日デモ」ではなく「暴動」或いは「破壊活動(テロリズム)」と指摘され始めたことを嫌悪していることがこれで分かります。

 わが国ではあくまで「反日デモ」と報道され続けていますが、これは過去の大東亜戦争に絡めて私たちへの反省を求めるような意見の源流であり、暴動の原因が共産国家の歪んだ資本主義ではなくわが国にあるといった方向へ議論を誘導したいせいでしょう。

 また、沖縄県石垣市尖閣諸島に対する中共政府の強硬な姿勢が、今回の暴動によって突き上げられた結果ではなく、胡錦濤国家主席による確固たる政治決断だったこともこれではっきりしました。

 今後は人民による暴動などではなく、まさに私たちの生活を狙い撃ちする「嫌がらせ」が始まります。日本経済新聞社の報道が正しければ、わが国企業による中共向け輸出品に対する通関検査の強化もその一つです。

 中共では一度このような暴動が起これば政府が抑制もしないのだと全世界に知らしめたことは、わが国が国際社会の理解を得るための道具になりますが、何度も申してまいりましたように、露中韓は「相互不信」のままでも連携して日米を攻撃してきたのであり、まず島根県隠岐郡隠岐の島町竹島の不法占拠問題から徹底的に解決する覚悟を決めなければなりません。

 ところが、野田内閣は人権侵害救済機関を法務省外局として設置する法案を閣議決定してしまいました。これは私のみならず多くの有識者が散々警告してきたとおりの日程で事を運ばれたことになります。法務省の執念には呆れます(省内に人権利権にあやかりたい変な人たちが多いのでしょう)が、臨時国会で成立させないよう皆様改めてご協力ください。

 まさかと思っているうちに「千島列島と南樺太の帰属は日本にある」「尖閣諸島は日本の領土」「竹島は日本の領土」といった言論までもが統制の対象にされかねません。そんなことでは現行憲法の存在と同様「戦う」以前におしまいです。

自民党総裁選 関連情報

皇紀2672年(平成24年)9月20日

 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012091900170
 ▲時事通信:町村氏が緊急入院=自民総裁選、撤退も

 与党・民主党代表選挙に対して野党・自由民主党総裁選挙のほうが国民の注目度においてやや上回っている現状から、自民党議員からは「再政権交代が可能だ」との声が上がっています。

 しかし、依然として党の支持率に両党の差は大してありません。それは特に安倍政権から福田政権にかけて経済も外交も何ら進展しなかったという私たちの失望を自民党が正しく分析できていないからです。

 安倍晋三首相の欧州歴訪には大きな意味がありましたが、その意味を表すいわゆる「中共包囲網(自由と繁栄の弧)」の構築で得点したのはむしろ麻生太郎外相(当時)でした。河野談話を踏襲し、靖國神社に参拝もしなかった安倍首相に失望した人は多く、福田康夫首相の「屈中」と「役立たず」ぶりは多くの票を失わせるに十分であり、同じく靖國神社に参拝せずとも毅然とその理由を述べて記者たちを叱り、景気対策を打ち続けた麻生太郎首相のころにはもう自民党に何も残っていなかったのです。

 そもそも小泉純一郎首相の打ち出した「官から民へ」にはじまる新自由主義の経済政策はすでに評価の対象にすらならず、ここで本当に自民党は「ぶっ壊れ」ていたのでした。

 民主党への政権交代はなかば消去法によって選ばれた結果に過ぎず、大阪市の橋下徹市長らの日本維新の会に対しても多くの人がその程度の見方しかしていません。私が政権交代前から申してきた「民主党は自民党の劣化版にすぎない」ことを皆様も身にしみてお分かりになったように、私たちが国家と暮らしの未来についてどう折り合いをつけながら見極めていくかが今問われています。

 自民党は総裁選が大きく取り上げられて喜んでいる場合ではありません。

 町村信孝元外相は神戸市内での街頭演説を終えた十八日午後から、本当に体調を崩されたようです。安倍元首相に同じ清和政策研究会の所属議員票を譲るためでも何でもありません。現に「町村票」は決して安倍元首相支持に転ずることはないはずです。なぜなら総裁選の前から安倍元首相を批判する意見を記者たちに吹聴してまわっていたのは、清和会内部に厳然と存在する「反安倍派」議員たちだからです。

 地方(都道府県連単位)票でも十八日現在の読みでは石破茂元防衛相が最も多くの支持を獲得しており、次いで石原伸晃幹事長が多く、安倍元首相はわずか二県、町村氏は北海道のみであり、林芳正政調会長代理に至っては一つも支持がありません。

 それが党員党友票でどう変わるかは文字通り開票の日まで分かりませんが、現状のままでは誰が総裁、のちにもし首相になっても何もよくはならないでしょう。

 沖縄県石垣市尖閣諸島の問題についても、ただ勇ましく中共を批判したり日中関係の重視をうたってみても、それが国民経済とどう繋がるのか誰も何の展望も私たちに向かって述べられていません。これでは多くの人が「領土・外交・防衛」と「経済・財政・景気回復」を天秤にかけて(本当は根っこが繋がった問題なのに)判断してしまうだけです。

 総選挙が来年になろうが何であろうが、私たちは自分の暮らしを防衛するための決断を下さなくてはなりません。最善の選択肢がないということは、私たち自身の政治に対する意識がいかに薄弱だったかの表れです。もう一度よく国家のかたちを見つめなおしましょう。