国家は内側からが最も腐る

皇紀2671年(平成23年)8月10日

 http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C……
 ▲日本經濟新聞:野田氏、代表選の正式出馬表明を見送り

 米国政府はどうやら菅直人首相の訪米日程調整を拒否したようなので、彼らの支持を政権延命の拠り所にしてきた節のある菅首相も、いよいよ「もはやこれまで」と思っているでしょう。

 問題は民主党がこのまま政権政党で居座る(あくまで衆議院の解散総選挙をしない)限り、事実上党内から次期首相が選出されることになってしまいますが、果たして誰になるのでしょうか。

 野田佳彦財務相が党代表選挙への出馬に意欲を示したかと思えば、翌日には「見送り」となりましたが、ドル安・株安に対応(仕掛け? 演出?)している米国政府の指示に従える財務相という立場に留まり、うまくやれば、野田氏こそ次期首相ということになると思います。

 私は、野田氏が財務相に就任する前までは、氏を民主党内では比較的真っ当な政治家に評価していました。しかし、実は国会議員の仕事とは、法と税に関することのみと申して過言ではなく、皆つい政治家の国史観などを問いますし、残念ながらわが国ではそこから資質を見極めねばならないのですが、前述の2点に関する政策提言のなっていない者を首相にしてはいけません。

 野田財務相は、本日発売の月刊誌に掲載している論文ではともかく、明確に増税路線を打ち出しています。近年わが国で財務相になった者は皆、同じことを言い出すのです。

 現下のような経済情勢では、確かに直接税よりも間接税の税率を増やすのが定石でしょうが、さらに国民(臣民)の暮らしを深く見つめた時、それで税収が増え、財政の健全化が果たされると考えるなど、とても選挙で選ばれたとは思えないほど国内経済の惨状が見えていません。

 内需を回復出来ていないまま、さらに消費が落ち込むことの国家的衝撃になど、全く考えが及んでいないか、或いは国民の生活を破壊してわが国が持っている資産や産業力だけを引き抜こうとする外国勢力(主に前者を狙うのが米国、後者が中共)の言いなりになる他ないほど、わが国の政治が腐敗しているのです。

 英国では、警察官による黒人射殺事件に端を発し、キャメロン政権による緊縮財政策に堪忍袋の緒が切れた一部国民が暴徒化していますが、税の再分配が不当になればなるほど、国家は内側から滅びの道を歩み始めます。奇しくも、正当な裁判を受けられないまま警察官に射殺される国民が出たことは、或る一つの事件とはいえ、まさしく国家滅亡の入り口に立ったと言われかねないのです。

 菅政権は、中共人が海上保安庁の巡視船に当て逃げしても無罪放免にしてしまい、内需回復のための公共投資(例えば資源開発や採掘)もせず、目下の円高に対しても(資源確保と共に)紙幣の増刷という大きな手には一向に出ません。これは、外敵にやられるよりも早く国家が滅ぶ状況と言えます。

 昨日メディア各社が大きく報じた「世界同時株安」は、資本主義という賭博を楽しむ富める者たちにとってあまり大きな影響はなく、むしろ特に日本国民に多い「元本を増やそう」などと考えてきた無思考で無批判な貧しい者たちが絶望的な状況に墜ちるでしょう。

 私もその貧しい者の一員ですが、だからこそ多くの政治家に向かって必死に内需回復の基本政策を訴えてきたのです。皆様、もう本当に他人事ではありません。「政治不信」と諦めることは暮らしの崩壊を意味するのですから、わが国が本来持っている力と、私たちの弱点を思い知った上で、僭越ながらどうか私のこの活動を助けて下さい。皆様自身がたちあがって下さい。

 頑張るぞ! 日本には力がある! むしろこれからだ!
 真正保守政策研究所:新しい資源エネルギー政策を提言します

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フジテレビも変わったなぁ

皇紀2671年(平成23年)8月9日

 昭和20年8月9日午前11時2分、米軍が長崎市に原子爆弾を投下し、人類史上2度目となる核兵器による大量(非戦闘員約12万人)虐殺が行なわれてから66年が経ちました。

 当初標的でなかったとはいえ、米国は基督教の浦上天主堂にあった聖母像にも、原爆の閃光と強烈な放射性物質を浴びせかけ、吹き飛ばしたのです。

 6日記事では、廣島市への原爆投下を扱った映画をほんの2作品ばかりご紹介しましたが、実は長崎を舞台にした作品こそが占領統治期に初めて作られたいわゆる「原爆映画」であり、それが大庭秀雄監督の『長崎の鐘』(昭和25年)でした。

 長崎の作品は数少ないのですが、名匠と言われた木下恵介監督の『この子を残して』も、上記作品と同様に永井隆(医学)博士の随筆を原作にしています。つまらないテレビ番組より、たまにはこれら映画をご覧になられてはいかがでしょうか。

 つまらない放送局といえば、目下槍玉に挙がっているのはフジテレビジョンですが、『夜のヒットスタジオ』などの司会でお馴染みだった前田武彦さんが5日、82歳で亡くなられました。

 まずはご冥福をお祈り申し上げますが、確か「マエタケ」さんはフジテレビのこの番組中に、日本共産党の候補者が当選したことを礼賛した(一部では「万歳した」と書かれているが、それは事実でない)ため、当時フジサンケイグループ会議の鹿内信隆初代議長に激怒され、降板させられています。

 鹿内氏は、単なる「反共」の右派でしたから、このようなことが平気で出来たのでしょう。それがよいと私は全く思いませんが、やはりフジテレビも随分変わったものだなぁ、と。

 俳優の高岡蒼甫さんの「韓流捏造批判」が半ば政治的な発言だったとして所属芸能事務所をやめねばならなかったことを「おかしい」と指弾するのなら、マエタケさんが番組を干され、以後表舞台からほぼ姿を消したこともおかしかったのです。

 放送局が政治的なものを嫌う傾向はいよいよ過剰になり、結果として報道に於いてもまともな報じ方が出来なくなっています。とはいえ、今やなぜか思想的に右へ振れると消されるのに対し、左へ振れると重宝されるのは、やはりおかしいのです。

 マエタケさんは特定政党を挙げたので明確にまずかったのですが、今マエタケさんが絶頂期なら、TBSやテレビ朝日が報道・情報番組のご意見番として重宝したでしょう。それが現下わが国のメディアなのです。

日本・トルコ交流〜和歌山

皇紀2671年(平成23年)8月8日

 http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?sto……
 ▲紀伊民報:トルコ学生が串本町訪問 日本語弁論大会で優勝の2人

 土国(トルコ)の日本語弁論大会で優勝した女子大学生が和歌山県東牟婁郡串本町を訪れたのは、旧オスマン帝国の海軍艦「エルトゥールル号」が現在の串本町沖で遭難し、多くの犠牲者を出しながらも、旧大島村住民たちの必死の捜索、救出で回復した69人は、天皇陛下(明治天皇)の御言葉により集まった義捐金を得て、大日本帝國海軍艦で無事祖国に帰ることが出来た史実によります。

 私はこれまで何度かこのことを取り上げてきましたが、改めてこの「エルトゥールル号遭難事件」に端を発した真の日土友好の歴史を、皆様にお広めいただきたいのです。

 串本町では、今でも5年に一度の追悼式典が催されており、平成20年にはアブドゥラー・ギュル大統領も出席されました。

 エルトゥールル号の残骸の一部は、現在も串本町沖海底に眠っており、土国の調査団が和歌山県民や議員の協力を得て遺品引き揚げ作業を続行中です。紀伊民報は、これを精力的に報じ続けてきました。是非とも知っていただきたいのです。

 日露戦争に勝利したわが国を土国こそが高く評価していること、以伊(イラン・イラク)戦争勃発のまさに直前、土国が以国内に取り残されたわが国民を助けるために救援機(トルコ航空機)を融通してくれたこと、厳しい外交の中で真の友好と呼べるものがどれほど少なく、貴重であり、またその関係を維持することがいかに難しいか、わが近隣国の様子を見渡し、今一度私たちは覚悟を持たなければなりません。

 私たちも串本町を訪れ、日土関係の将来を考えましょう。いわゆる「ラムサール条約」に登録された世界で唯一の「非珊瑚礁海域に存在する珊瑚礁」がある串本町には、海中公園もあります。さぁ、この夏は和歌山へ行こう!

戦没者を「差別」する首相

皇紀2671年(平成23年)8月7日

 http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110806/……
 ▲ZAKZAK(産經新聞グループ):バチ当たり!“KY菅”被爆地で延命パフォーマンス

 昭和20年8月6日に廣島市、9日に長崎市へ米軍が原子爆弾を投下し、私たちの先人を大量虐殺したことを忘れないための「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」にわが国の内閣総理大臣が出席するのは当然だと思いますが、ではなぜ過去の戦争で戦場に赴き、命を落とされた先人たちの尊い犠牲を忘れない(その御霊を招魂する)ために靖國神社へ参拝しない内閣総理大臣がいるのでしょうか。

 靖國神社への英霊の合祀が既に選別されている現状や、厳密に言えば式典への出席と招魂社への参拝にはその性格の違いがあるにせよ、民主党の菅直人首相は明確に靖國神社への参拝を全閣僚に禁じた上、千鳥が淵戦没者墓苑にだけは行き、平和祈念式典には出席し、あろうことか「被爆」と「被曝」の違いを混同させるような挨拶を延々としました。

 菅首相や江田五月法相、或いは仙谷由人官房副長官のような左翼活動出身の政治家たちは、概して「人間の平等」を唱えていたはずです。彼らの頭の中では、現世生きている人間だけが絶対であり、亡くなられた方々に「(彼らなりの)平等」の文字はないのでしょうか。

 赤紙招集で私たちを殺しに来る敵と戦い、亡くなられた方々は、まさかのちの世でその政府・内閣の最高責任者に無視されるとは、夢にも思っておられなかったに違いありません。

 産經新聞社は、菅首相の演説内容を指して、或る種宗教的に「バチ当たり」と表現していますが、敢えて何が罰当たりかと申せば、神道(宗教ではない)に基づき招魂社として設けられた靖國神社に参拝しないことです。

 私たちは今、先人たちに成り代わり、そのような政党や政治家と戦わなければならないのです。

皇国に原爆が落とされた日

皇紀2671年(平成23年)8月6日

 昭和20年8月6日午前8時15分、米軍が廣島市に原子爆弾を投下したのは、人類が初めて大量(非戦闘員約20万人)虐殺を目的として核兵器を使用したことを意味します。

 私は毎年この日に様々なことを書き記してきましたし、3年ほど前には広島市で「核の議論(必ずしも核武装の議論ではない)」の提起を目的とした当日の活動を考えたこともありましたが、或る被爆された方が「あの日に反核運動をやる左翼がやかましい」と心情を吐露されたのを伺って、「ああ、やはりそうだったのか」と思うのと同時に、せめて8月6日と9日は静かにしようと決めました。

 しかし、静かに先人たちを想うことと、何も考えないようにすることは全く違います。私たちは、今も米露中朝の核兵器に四方を取り囲まれたまま、自国の力では何も対策を講じていません。

 日本国憲法(占領憲法)を放置する限り、わが国は「米国の核の傘」とやらの下にいるという幻想を抱かされ続け、反核を言う資格もありませんが、左翼の皆様はそれでも「護憲」なのでしょうか? 自主憲法(大日本帝國憲法)を取り戻さない限り、核武装以前に自立防衛すらかないませんが、右翼の皆様はそれでもあくまで「占領憲法の改正」であり日米安全保障条約を遵守することのほうが大切なのでしょうか?

 わが皇国に米軍が原爆を投下してから66年目の本日、亡くなられた先人たちを想う時、二度とあの災禍を繰り返さないよう、思想の左右に固執して考えることなどありません。二度と空き巣に遭わないよう人がすることは、大抵そのための防御であり、これが生きる本能であり、しかしながら私たちはあの犠牲を重く受け止める顔をしつつ頭の中では軽んじて何もしてきませんでした。

 仮にも節電を言うのならテレビを消そうと私は申しましたが、本日皆様には、つまらない放送番組を見ない代わりに、被爆したわが国が原爆を扱った映画と、戦争終結のためという大義名分を吐いて開き直る米国が原爆を扱った映画を、是非見比べていただきたいのです。

 日教組の製作計画(関川秀雄監督の『ひろしま』)とは決別して作られた新藤兼人監督の『原爆の子』や、先日亡くなられた田中好子さんの名演が光る今村昌平監督の『黒い雨』をご鑑賞後、例えば被爆を主題にした作品の製作を目下止められているジェームズ・キャメロン監督の『トゥルー・ライズ』や、トム・クランシー原作の『トータル・フィアーズ』に於ける核爆発の場面をご覧下さい。製作国の米国では、いかに原爆の真の恐怖が伝えられなかったがよく分かります。

 これが世界の現実です。広島の想いなど届いていません。大東亜戦争敗北と同時に「価値観がひっくり返った」などと言って、大本営発表の嘘からGHQ発表の嘘に騙され代わっただけの私たちが皇国の覚悟を捨てた時から、被爆された方々のあまりに尊い犠牲は無になると決まったようなものだったのです。

 本日は静かに祈ります。そして、私が思い描いてきた「核の議論」の提起は、わが国の防衛に皆様の強い関心が寄せられるその時々に街へ出てしてまいります。