菅改造最狂絶叫内閣が発足

皇紀2670年(平成22年)9月17日

 平成8年製作・翌年日本公開の米国映画『スクリーム』(『エルム街の悪夢』のウェス・クレイヴン監督)を基調として、同時代の恐怖映画を次々と模倣した平成12年製作・公開の迷作『最終絶叫計画』(喜劇出身のキーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ監督)という作品がありますが、殺人鬼がその動機とする事件にまったく無関係な登場人物たちを次々に殺していくさまを滑稽に描いています。まさに米国お得意の「莫迦映画」です。

 日本での配給は日本ヘラルド映画(現在の角川ヘラルド・ピクチャーズ)でしたが、宣伝企画担当の方は実に見事な邦題をつけました。近頃は原題をそのまま片仮名表記したものが増えましたが、『Scary Movie』を『最終絶叫計画』と名付け、続編を経た3作目の『Scary Movie 3』を『最‘狂’絶叫計画』としたのです。作品の持つ突き抜けた莫迦さ加減を巧く表現しています。

 今回の菅直人改造内閣人事にもその名をつけて差し上げましょう。(産經新聞社 閣僚名簿速報

 国家公安委員会委員長、すなわち警察法第6条によって内閣府の外局に設けられた国務大臣が岡崎トミ子参議院議員ですって!?

 9年前に朝鮮学校の朝鮮人理事長、ならびにパチンコ店経営の韓国人から寄付を受けるという政治資金規正法違反事案が発覚し、平成15年には元従軍慰安婦を騙る韓国人を中心とした在ソウル日本国大使館への抗議活動に、日本の国会議員として参加したのが岡崎議員です。国会議員が海外に行ってまで自国の大使館を攻撃する行動に参加するなどとは、ほかに聞いたことがありません。どこの国民の生活を第一に考えていただけるのでしょうか?

 岡崎新国家公安委員長によるこれまでの「反日」行動を言えば枚挙に暇がありませんが、彼女が信念を持って、一活動家として健全に行動なさるならまだしも、彼女は国会議員なのです。しかも今度は、形骸化しているとはいえ警察の民主的運営と政治的中立性を確保することに一応はなっている国家公安委員会の長となり、一体何をしようというのですか。

 このほかにも、環境相に松本龍衆議院議員が決まりましたが、彼は部落解放同盟の副委員長であり、日本革命的共産主義者同盟発行の週刊誌に、いわゆる国鉄労組のJR採用「差別と呼称して闘っている」問題で連帯しているとの記述があります。これを見れば鳩山由紀夫前首相のほか、文部科学相に決まった高木義明衆議院議員の名前もあります。

 http://www.jrcl.net/frame08047c.html

 ▲週刊かけはし:早期解決決断を!36闘争団が国交省前で連日座り込み JR採用差別問題で院内集会

 また、法務相に決まった柳田稔参議院議員は、子ども手当法案を強行採決した厚生労働委員長です。千葉景子法相が去っても大した変わりがないと言えるのは、死刑反対派の彼女でさえその執行に抗せなかったほど、何らかの党利党略のためであれば何でもやるのが民主党政権と言えるからに他なりません。

 私が幹事長人事の決まる前に「岡田克也外相か前原誠司国交相にしなければ、菅首相は怒られるよ」と書いたのは、これが最低限「日米合意」とやらを日本政府に履行させる条件だったからです。岡田外相を幹事長にすれば、当然前原国交相を外相にしなければ、菅首相は本当の意味での続投を保証されません。岡田外相が無益と分かっていて疲れた顔で幹事長職を引き受けざるをえなかったのはこのためで、菅首相がいかに屈米であり官僚主導であるか、これで皆様もお分かりになった筈です。

 その菅首相が、19日まで葉山御用邸でご静養の天皇陛下を急遽東京に呼び出してでも17日午後16時すぎに認証式を強行しました。天皇陛下は内閣の、国民の召使いなのですか? 菅首相こそ、とんだ階級制度意識の持ち主です。天皇陛下はそのような一切の制度によって存在しておられるのではありません。認証は賜るものであり、認証しろと強行するものではないのです。

 21日から23日までUN(連合国 俗称=国連)総会が開かれるため、どうしても余裕を持って参加したい菅首相が天皇陛下のご予定のほうを強引に変更させました。はっきり言っておきましょう。そうまでして参加して、誰が貴様の演説なんかに政治力を期待しているものか、と。どうせ総会会場はいつものごとくガラガラに違いないのです。

 初めから最低、最狂、国民絶叫モノの内閣に、私たちはいつまで耐えられましょうか。

映画『氷雪の門』オフィシャルサイト

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民主党で挙党一致という幻

皇紀2670年(平成22年)9月16日

 民主党の新しい幹事長人事ですが、菅直人首相の某筋が川端達夫文部科学相で納得するわけなどないでしょう。岡田克也外相か前原誠司国土交通相にしないと怒られるのではないですか? 菅首相。

 今回の党代表選挙がまさに内ゲバだったと改めて思えるのは、小沢一郎前幹事長派の萩原仁衆議院議員(大阪2区)が、菅首相に投票した1年生議員(ちなみに萩原代議士も当選1回)とすれ違いざまに「覚えておけよ。おまえらとは一生口をきかんわ!」などと罵声を浴びせたことでも明らかです。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100915/plc1009150104001-n1.htm

 ▲産經新聞:【新民主党解剖】第9部癒えぬ傷跡(上)≪後≫ 「脱小沢」「挙党」…出口ない迷路

 戦って負けた悔しさは分かりますが、それでも戦いを終えた相手に罵詈雑言を浴びせるのは日本民族の所作ではありません。萩原代議士の高圧的な態度は、かねて横粂勝仁代議士の発言を封じようと「横粂! あかん! こっち来い!」と吐いたことでもはっきりしていました。

 「こういう醜いことは他所の国にでも行ってやってくれ」というわけにもまいりません。このような行動様式こそ、いたずらに戦争を勃発させる要因の1つになるでしょう。何らかの既得権益を守るべく主謀にとっての邪魔者を「悪」と規定して排除しようとする思惑に、この手の軽薄な「憎悪」が非常に役立ってしまうのです。国際社会に於いて萩原代議士のような政治家の存在を許していると、いつまでも人類は戦争を経験し続けなければなりません。

 ですから、民主党に挙党一致は叶わぬ夢でしょう。

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選びようのなかった代表選

皇紀2670年(平成22年)9月15日

 民主党の代表選挙は14日午後、菅直人首相を党員・サポーター票249ポイント(資格に国籍条項なし)、地方議員票60ポイント、国会議員票412ポイント(206票)の計721ポイントで再選しました。小沢一郎前幹事長は順に51ポイント、40ポイント、400ポイント(200票)で敗れています。

 私のみならず多くの皆様が指摘されていたように、いわば首相の資質がない菅候補首相になる資格がない小沢候補の闘いは、不毛と申しますか、茶番と申しますか、まったく粗悪なバディフィルムを見せられているような気分でした。

 このバディフィルムというのは、2人の登場人物を1組の活躍として観せる映画のことを言いますが、大抵2人の性格がまったく異なっており、時に意見を違えて衝突しますが、結局は互いの友情を確認するような大きな出来事に遭遇して物語を終えます。

 昔観て面白かったのは、昭和63年製作・公開の米国映画『ミッドナイト・ラン』(マーティン・ブレスト監督)です。保釈金金融屋と契約している賞金稼ぎ(ロバート・デ・ニーロ)は元麻薬捜査官でしたが、仲間に裏切られて退官したため対人不信からくる独善的な態度をとり、一方狙われる会計士(チャールズ・グローディン)は雇い主が麻薬王と知ってカネを横領し、慈善事業に寄付して身を隠していました。さて、この2人が1組で一体何をするのでしょうか、といった実に小気味よい作品です。

 もちろん、2人の立場は大きく異なっており、乱暴な賞金稼ぎと堅気の会計士では話も合いません。ところが、麻薬王のカネを横領するという大胆な「社会正義?」に出た会計士だけに、彼は時として賞金稼ぎも驚くような行動をとったりするのです。

 しかし、菅首相と小沢前幹事長では、政治家としての出自こそ違えていますが、政策論争と言っても大きな違いはありませんでしたし、ゆえに大した緊張感もなく(これが映画なら退屈を極め)、一国の首相の座を争う者同士がどちらも国家を語らないまま終わってしまいました。例えば「日本という忌むべき国家の枠組みをなくします!」とか「天皇陛下のもとに世界平和を実現させる日本に建て直します!」とか言ってくれれば分かり易かったのです。

 どうしようもないと言えば、UN(連合国 俗称=国連)の潘基文事務総長(韓国出身)と沙祖康事務次長(中共出身)も相当なものでしょう。7月24日記事で取り上げたインガブリット・アレニウス氏(瑞国=スウェーデン出身)退任に次ぐ騒動の勃発です。

 http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010091400065

 ▲時事通信:「事務総長、あなたを嫌いだ」=国連高官、本人前に大胆批判

 沙次長は、かつて人民解放軍にかかる軍事費の増大を指摘されて「米国に言われる筋合いはない。黙れ!」と会見で騒いだことのある要注意人物でしたが、言われる潘総長に同情の余地もなく、面白いバディフィルムになりそうもありません。

 中共人の最大公約数的印象を語る時、私の知る限り欧州人でも「とにかく尊大」と答えますが、沖縄県石垣市尖閣諸島や東シナ海ガス田開発を巡って、私たちはまさに彼らの「盗人猛々しい」態度にさらされています。

 前原誠司国交相は14日の閣議後会見で「東シナ海にいかなる領土問題も存在していない。日本の主権を脅かす活動や行為には厳しく毅然と対応していくに尽きる」と述べていますが、ならば民主党に、前原国交相に問いたい。なぜ海上保安庁巡視船当て逃げ事件で取り調べた中共人漁民たちを政府チャーター機で帰国させたのですか?

 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010091400354

 ▲時事通信:「東シナ海に領土問題ない」=厳しい対応取る?前原国交相

 船長を逮捕・留置したままなのは当然ですが、これほど勇ましいことを言っておいて、やっていることはただ日中の対立活動に燃料を投下しただけです。日本国民のカネでお国まで送ってもらった漁民たちは、喜び勇んで且つ同情を誘うように尖閣諸島の中共領有を叫んでいます。前原国交相、何が狙いですか? 誰の、いやどこからの指示ですか? さかんに米国のロビイストたちと懇談しすぎですよ!

 こういう愚か者に煽られて行動するほど莫迦莫迦しいことはありません。沖縄に本土から送り込まれる左翼活動家と、台湾に大陸から送り込まれる反日活動家はほぼ同義であり、これで沖縄県庁や台北經濟文化代表處・辧事處を叩けば日本弱体化および日台分断工作一派どもの思うツボでしょう。だから、同じ言葉でも誰が発しているかによって重要な意味と背後の違いがあるのです。

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対立扇動の利権屋が暗躍

皇紀2670年(平成22年)9月13日

 まず、沖縄県石垣市尖閣諸島付近で中共の漁船に海上保安庁の巡視船が当て逃げされた事件について、事件発生してから12日までの6日間に丹羽宇一郎駐北京大使が4回も中共政府に呼び出され、3回目には楊潔篪外交部長(外相級)が、12日午前0時(!)の4回目には戴秉国国務委員(外交担当の副首相級)までもが登場する中、石垣市議会議員選挙の投開票が行なわれました。

 http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-09-13_10142/

 ▲沖縄タイムス:石垣市(定数22) 選管最終

 仲間均氏(現職)は当選です。定数22に対して34人もが立候補した今回の選挙では、県下でほかに名護市議会議員選挙ばかりが注目を浴びましたが、ほぼ答えの出ている稲嶺市政に対し、石垣市で本年3月に現職を破った中山義隆市長と大浜長照前市長派の多い市議会はうまくいっていませんでした。

 上記のような外交案件にさらされながらも、決して日本政府が地方を守っているとは言えない状況にありますから、仲間議員には一層頑張っていただきたいと思います。

 http://www.shinhoshu.com/2009/12/post-119.html

 ▲真・保守市民の会:「領土と憲法」大阪決起集会の動画配信

 さて、米国では相変わらずキリスト教とイスラム教の対立を扇動する極めて幼稚なパフォーマンスの是非が問われているようです。5人に1人がバラク・オバマ大統領をイスラム教徒と誤認していたような米国民の、そもそものイスラム教に対する知識は万全なのでしょうか。

 http://sankei.jp.msn.com/world/america/100912/amr1009121204004-n1.htm

 ▲産經新聞:米でコーラン焼却や冒涜 ホワイトハウスそばでも

 http://sankei.jp.msn.com/world/america/100820/amr1008201020001-n1.htm

 ▲産經新聞:オバマ大統領はイスラム教徒? 誤解深める米市民 NYモスク発言も影響か

 最初に書いてしまいましたが、宗教革命によって誕生したプロテスタント系によるこのような「コーラン焼却」行為は、あくまで対立扇動の政治的、或いは経済的な絡繰り活動に過ぎず、人々の憎悪を掻き立てて対象を排除・排外に導くことで主謀の既得権益を守る行動に他なりません。

 その主謀とは、恐らく近頃かつての東トルキスタンを攻撃の対象として煽り、日中韓の間にも入って私たちをだまそうとしている勢力でしょう。中近東での何らかの戦争継続のみならず、東亜戦争の勃発まで目論み、世界各国で拝金活動に余念がないようです。だからこそ、石垣市尖閣諸島への日本政府対応は極めて高度な外交技術を要するのだと申さねばなりません。

 しかし、人間が神を求めたのはもっと純粋な気持ち、または一種の恐怖心からだったと思えばこそ、平成20年に製作されたイラン映画メシア(原題=The Messiah)』でネーダー・タレザデフ監督はイスラム教から見たキリスト教を描き、異教徒間の対話を生み出すような視点を提示してみせたと言われています。

 よって伊国ローマで開かれた宗教現代映画祭(Religion Today Film Festival)で高い評価を受けたのですが、残念ながら私はこれを鑑賞できていません。是非観てみたいのですが、日本での公開という話をまったく聞かないのです。どなたかご存じでしょうか。

 本来は同じ神を信仰しながら、宗教であるがゆえに互いを自らの戒律で排除・排外してしまうという歴史は繰り返されてきました。これらを指して昨年11月10日に「排他的で独善的」と述べた民主党の小沢一郎前幹事長は、そうでないものとして仏教を例示するという無神経ぶり結局はただの他宗教批判)を披露して、なぜ祭祀を語らなかったかと問い質したいところです。この政治家の心の中に天皇陛下はおわさず、ということなのでしょう。

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おいしい食べものたち 2

皇紀2670年(平成22年)9月11日

■スパゲッティのおいしい食べ方

 スパゲッティ・ナポリタンが日本生まれの非伊国料理であることはよく知られていますが、その起源には諸説あります。第1次世界大戦の連合国だった大日本帝國が地中海に海軍艦隊を派遣した際、伊国に寄港して触れた味を祖国に持ち帰り、見よう見まねに作ったものであるという説と、大東亜戦争でGHQに接収されたホテル・ニューグランド(横浜市中区山下町)の第2代総料理長だった入江茂忠氏が、接収解除後に米兵たちが無責任に残していった大量のスパゲッティ乾麺と瓶詰めケチャップの有効利用から考案したものという説の2つが有力です。

 そもそも米兵たちが食べていたものとは、米国で一般的なミートボール・スパゲッティであり、昭和30年製作・翌年日本公開の米国映画『わんわん物語』(ウォルト・ディズニー社によるオリジナル・アニメーション作品)で、コッカー・スパニエル犬のレディと雑種犬のトランプが一緒に食べる、あの有名な一場面で登場するのがこれでした。

 いずれにせよ、ナポリタンが2度の大戦を経験した日本民族によって考案された食べものであることは、非常に興味深いと言えましょう。かといって、何やら誇らしげに食べるものでも、或いは占領統治を想起させて悲しみや怒りに打ち震えながら食べるものでもないでしょう。食べものから歴史を知るというのは、そういうことではないのです。

 本来の伊国料理としては、例えばスパゲッティ・アッラ・カルボナーラがあります。これまた由来に諸説ありますが、カルボナイオ(carbonaio)が「炭・炭焼き」であり、アッラ・カルボナーラ(alla carbonara)で「炭焼き風」になることから、長期間の山ごもりに耐える炭焼き職人たちがよく作って食べたものではないか、という説が最も有力です。

 で、これも意外にそれほど古くはない食べ方だそうで、チーズに塩漬け豚肉、卵、黒胡椒を使って簡単に作ることが出来ます。この黒胡椒を振りかけることで、炭焼きの窯や職人たちから飛び散る炭の粉を連想させるのです。地方によっては、日本のように生クリームを入れて作るものもあるといいます。

 しかし、これが今日のように広まったのは、やはり第2次世界大戦で米軍の進駐を許した伊国が、戦災援助として受け取っていた卵の大量配給により卵料理が浸透した、その一貫でした。同じように日本に進駐した米軍は、日本に対しては十分な戦災援助をせず(体裁上したことにして)、配給だけでは餓死者を出しました(現実問題として皆がヤミ流通の食糧を必要とした)が、伊国でそのようなことはなかったのでしょうか。

 それはともかく、カルボナーラがいわゆる労働者を想起させた食べものであり、敗戦によって急速に伝搬した食べ方なのであります。

 これを極めて政治的に「労働者としての闘争」という共産主義的視点で申せば、炭焼き職人またはそのイメージとしての食べものに炭の粉を模した黒胡椒が振りかけられるのは、或る種の差別的表現として排除・排外の対象ということになってしまうでしょう。いえ、この段落のおかしさ自体が如実に物語っているのですが、再度申せば、食べものから歴史を知るというのは、そういうことではないのです。

 さらに興味深いのは、スパゲッティ・アッラ・プッタネスカなる食べものが厳然と伊国に存在していることであり、その意味が「娼婦のパスタ」というではありませんか。娼婦たちが手っ取り早く食べるために考案したものとか、娼婦がよく客に作って出した食べ方であるとか、いかにも艶っぽい色使いや味付けであることが名前の由来であるとか、この起源にも諸説あるようです。

 とにもかくにも、これを女性蔑視であり、不健全であるとして排除してしまえば、この食べ方にまつわるすべての出来事、または関わった人々が一瞬にして消されてしまいます。私が「そういうことではない」と申してきた理由は、ここに集約されるのです。

 苦々しくナポリタンを食べて、果たしておいしいでしょうか。占領憲法下の日本政治が間違いに満ちあふれていることと、多くの先人たちから受け継いできた文化は、まったく別の次元で語られねばなりません。

 料理に「娼婦風」と名づけた人々に対する、仮にも現世価値観のみを至上とする偏見による全否定は、歴史に学んでいるのではなく、ただその偏見によって忌むべきと規定したものを消去してしまうだけなのです。それは新しい宗教であり、実のところ現下の日本では、例えば増え続ける放送禁止用語のように、有形無形にこのやり方がまかり通ってしまっています。

 なるほど伊国には私たちより陽気な人が多いかもしれませんが、彼らは何も考えていないわけでも、笑って不都合を忘れようとしているだけでもなく、単においしいものをそのまま伝え残したいだけでしょう。それが国家・民族の差なく人類の本能ではないかと思うのです。

 最後にひとことだけ申せば、実のところ日本料理たるナポリタンは、フォークの先端でスパゲッティをつまみ上げて巻きつけ、静かに口に運ぶというより、箸ですすりあげて食べるのが正解である、と私は思います。

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