月9出演中の台湾人美女

皇紀2670年(平成22年)5月25日

 平成22年5月現在、フジテレビ(CX)系・毎週月曜21時からのドラマ『月の恋人?Moon Lovers?』(木村拓哉主演)に、台湾の林志玲(リン・チーリン)が出演しています。彼女はモデル出身の女優で、平成20年製作・公開の支那映画『レッドクリフ(赤壁)』(ジョン・ウー監督)に周瑜(トニー・レオン)の妻である小喬役で出演し、話題になりました。

 ところが、林志玲が話題になったのはこればかりではありません。彼女のお母様が民進党の陳水扁前総統の支持団体婦人会会長だったために、台湾独立派と見なされ、中共国内のネチズン(支那人ネット右翼)から彼女の関連商品が不買運動の対象にされてしまいました。

 また、彼女の来日時、テレビ番組の取材で訪れた箱根登山鉄道の制帽をかぶってスチールを撮影したところ、やはり支那人から「日本軍帽をかぶった売国奴」などと誹謗中傷されたこともあります。インターネット上の或る事象に対する過激な脊髄反射と、いい加減な推論で他人の何かを断定する行為は、ことほど左様に愚かなことと言えましょう。

 そもそも中共国内の支那人が、帰属未確定の台湾に生まれ育った本省人(彼女の一族は台南人)に「売国奴」と吐く神経がまったく不明で、国際法的根拠もありません。

 http://gendai.net/articles/view/geino/124011

 ▲日刊ゲンダイ:韓国女優に取って代わって台湾美女が日本の芸能界を席巻しそう

 日刊ですから毎日のように極めてつまらぬ記事を配信し続け、東京MX『5時に夢中!』ではエッセイストのマツコ・デラックスさんの餌食になっている株式会社日刊現代ですが、ほんの少しだけまともなことを書いてみたようです。それが上記リンク記事ですが、要は「中共タレントは事務所の仕事が粗っぽく、韓国タレントはトラブルを起こしやすく、台湾タレントは親日で常識的」というだけの、ほぼ中身のない記事に変わりはありませんが。

 韓国の東方神起メンバーの3人が事務所を提訴したことで、残りの2人との軋轢も生じ、日本での順調な活動をご破算にしてしまったのは先般のことでしたが、大日本帝國は、かつて台湾と同じように皇民化で朝鮮人の民度も引き上げようとしたはずでした。何度でも申しますが、占領統治期以降の私たちが学校で教わった「日本の植民地政策=皇民化政策は悪だった」というのは、まるで不正確です。まず「植民地政策=皇民化政策」からして、「搾取と収奪」の植民地と「道徳と教育」の皇民化が同じなどという大間違いをしています。

 しかし、台湾との差わずか20年弱の日本統治期の短さが、台湾と韓国・北朝鮮の明暗を分けてしまったようです。北朝鮮に至っては、独裁と搾取の李王朝時代に逆戻りしてしまいました。その凄惨な現実を切り取って高い評価を受けているのが、平成20年製作・本年日本公開の韓国映画『クロッシング』ということになるのでしょう。

 かくして、日本民族が目指したはずの「多民族協和」は今もって実現しないどころか、中共や韓国・北朝鮮の目に余る「反日本」が災いし、ますます遠のいています。しかもその原因を日本にしか求めない規定路線では議論にもなりません。

 TBS系・毎週水曜21時からの韓国ドラマ『アイリス』(イ・ビョンホン主演)は、もうすでに視聴率を7%台にまで落とし、自社製作では埋まらないラテ欄を韓国製ドラマで埋めようとした間違いが如実に表れています。このドラマの放送をめぐっても、やはり韓国側がトラブルを起こしました。

 私は俗に言う「韓流」騒ぎより以前から韓国映画やドラマを見ていましたが、台湾ドラマが日本の人気漫画「花より男子」や「悪魔で候」などを原作に堂々と製作してきたのに対し、韓国製は「日本のどこかで見たような……」とこちらが思っても、絶対に原作が日本にあることを彼らは認めません。日本でも、米国映画などから材を得た場合、製作者がそのことをことわるのが通常です。

 このよう東亜の有り様は、私たち日本民族にとって「他人を笑う」だけに留まりません。これが亜州のコンテンツ能力を左右しますし、中共には優れた映画人もたくさんいますから、本当ならば今一度日本の皇民化を全亜州に対して敢行しなければならないと思うのです。

 そう思って振り返ってみますと、民主党の鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長が形式上且つ事実上日本政府の顔であり、ああ、だからますます「他人を笑う」ひまなど私たちにはありません。

↓↓↓皆様のご支持を!

人気ブログランキング

※複数の読者の方々より、やはり「政治ブログランキング」への登録を残しておいて欲しいとのご要望を賜り、22日より「映画ブログランキング」との2カテゴリー登録に直しました。皆様にクリックしていただくその一票は分散されますが、今までより一層のご支持を賜われるよう努めてまいります。

↓↓↓皆様のご支持を!

FC2ブログランキング

スポンサードリンク

レナウンが中共企業傘下へ

皇紀2670年(平成22年)5月24日

 経営再建中のアパレルメーカー「レナウン」は、中共山東省の繊維大手「山東如意集団」の傘下に入るようです。これが中共経済の勢いと日本経済の不振を象徴しているのでしょうか。

 http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100523/biz1005230059001-n1.htm

 ▲産經新聞:レナウン 中国企業傘下に 山東如意が4割出資へ

 私は映画だけでなく、実は映像広告(TVCFなど)を専攻しましたから、特に昭和30年代後半・昭和40年代前半からレナウンがポップなコマーシャル・フィルムをオンエアし、国際的な評価を受けて一世風靡したことをよく覚えています。「イエイエ」や「レナウン娘」は私たちにとって教材でした。

 http://www.youtube.com/watch?v=fm6xs0fbCAI

 それほどであったレナウンのTVCFを見なくなってもう久しく、百貨店の業績不振と重なって経営再建に入ったと言うのですが、百貨店の業績不振を招いた老舗ブランドの1つこそレナウンだったのではないか、と私は思うのです。

 5月1日記事で取り上げたように、百貨店の業績は復活傾向にあります。それは、各社が売り場で扱うブランドを入れ替えたり、ファスト・ファッション・ブランドをテナントに迎え入れたりし始めたからでしょう。後者の安直さはともかく、前者の努力はそもそも百貨店文化の要だったはずです。服飾文化の発信基地が、レナウンなどを扱ったままその機能を低下させていました。

 はっきり申し上げて、明治大正からの老舗が昭和の高度経済成長期に成功した、まさにその体験にしがみついて平成に没落したわけで、日本企業が手を出さなかったレナウンを傘下にして中共企業が日本市場にうまく参入できるとはとても思えません。レナウンのブランド力が、かつては試みたような大胆なイメージ戦略で息を吹き返すのは、もはや容易なことではないと思います。

 今回のことは、日本型バブルバーストの負の遺産を象徴してはいますが、中共に関して言えば「計算違いの強欲ぶり」を発露させただけか、案外吸い取れる旨味がレナウンにないと知って再建中に日本側が斬り捨てられるのを見せつけるだけか、と申さざるを得ません。しかも、天然ガスや水などの資源を中共政府主導で横取りされるのは日本政府が責任をもって阻止すべきですが、レナウンを持っていかれても社員(人間)さえ助かれば何の問題もないでしょう。それほど、もうレナウンは日本のアパレル業界をまったく代表していないのです。

 レナウンがそのような(バブルバーストの影響をうけた典型的な)企業になっていったのも、日本政府の経済・金融政策に独立国としての基軸がないためであり、その原因は占領憲法それ自体ではなく、政府が占領憲法を無効にもしないで解釈改憲で日本国民を騙してきたことにありましょう。決してレナウンだけではありません。多くの企業がすでにそのようにして倒産し、日本国民の失意と混乱を招きました。米国や中共にこれ以上もてあそばれたくなければ、占領憲法の無効宣言しかないのです。

↓↓↓皆様のご支持を!

人気ブログランキング

※複数の読者の方々より、やはり「政治ブログランキング」への登録を残しておいて欲しいとのご要望を賜り、22日より「映画ブログランキング」との2カテゴリー登録に直しました。皆様にクリックしていただくその一票は分散されますが、今までより一層のご支持を賜われるよう努めてまいります。

↓↓↓皆様のご支持を!

FC2ブログランキング

日本が描いた世界大戦争

皇紀2670年(平成22年)5月22日

 昨日記事で少しばかり東宝特撮映画を取り上げるうちに、どうしてもご紹介しておきたい作品を思い出しました。それが昭和36年製作・公開の『世界大戦争』です。特技監督はもちろん円谷英二氏ですが、監督は僧門にあった松林宗恵氏であり、本作では仏教的無常観を描いたと言い遺しています。

 主人公は政治家でも軍人でもありません。一介のハイヤー運転手である田村茂吉(フランキー堺)とその妻(乙羽信子)、長女冴子(星由里子)とその恋人で笠置丸船員の高野(宝田明)たちなのです。もちろん当時の米ソ冷戦を下敷きにした連邦側・同盟側の核兵器の発射をめぐる緊迫したやりとりを挟みますが、松林監督はあくまでそのような国際情勢に関与し得ない市井の人々を丁寧に描きました。

 大東亜戦争の敗北から16年、サンフランシスコ講和条約の発効からわずか9年で大都市を形成し始めた東京の繁栄が冒頭に映し出されますが、本作は最後に地球上のめぼしい都市という都市の核爆発による壊滅と人類の絶滅を描いて終わります。この基本的構成は、のちの『日本沈没』(森谷司郎監督・中野昭慶特技監督)と同様ですが、日本民族の大移動が許されたものと本作ではあまりに違い、ともすれば私が先般より取り上げてきた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『マッチ工場の少女』よりも遥かに一切の救いがない終わり方をしてしまうのです。

 俳優の「フランキー堺」といえば、私にとって堺正俊先生(当時、大阪芸術大学舞台芸術学科教授)です。絶対に本名でお呼びしなければ酷く怒られました。その堺先生が或る日「君たちへ、私の出演した最もお気に入りの作品を見せてやろう」とおっしゃったのが、当時はまだソフト化されていなかったテレビドラマ版の『私は貝になりたい』(昭和33年 ラジオ東京テレビ=現TBS)だったのです。「映画版はいつでも見られるからね」と。

 この作品では、主人公の清水豊松(フランキー堺)が東京裁判(極東国際軍事裁判)で理不尽にもBC級戦犯とされ、死刑に処されるのですが、本作の田村茂吉に非常に共通した「存在のあまりのはかなさ」を感じさせます。堺先生は、私たちのような学生にそれを伝えようとなさったに違いありません。

 戦争は、自然と人間の生命の継承を一瞬にして破壊してしまいます。ゆえに天皇陛下と祭祀のもとに成り立っている日本の國體に本来戦争行為自体は反しており、それでもかつて何度も戦争によるほか解決されない国際情勢へとその身を投じていきました。投じざるを得ない事情があったのです。

 東宝は、大東亜戦争下で『ハワイ・マレー沖海戦』のような戦意高揚映画を何作も発表しました。そして戦後、何作ものいわゆる反戦映画を手掛けています。かの『ゴジラ』もそうであり、本作は当然のことでしょう。主人公の茂吉はわずか16年前に終わったばかりの戦闘行為を思い出しては「二度とご免だ」と思っており、しかしながら、さらなる高度経済成長のために遠い他国の戦争は利用できるものと考えています。

 こうした或る種の大いなる矛盾がもう一つの主題であり、しかるに本作には誰1人として戦争に高揚・発狂するような悪人が登場しません。ともに米国映画『渚にて』(スタンリー・クレイマー監督)を踏襲した、のちの『復活の日』(深作欣二監督)に於けるガーランド統参議長(ヘンリー・シルヴァ)のような分かり易い狂人によって核兵器の発射ボタンが押されてしまうわけではないのです。

 戦争によってしか解決しない国際情勢の発生、わが国がそこに身を投じざるを得なかった最大の原因は、すべて人類が祭祀に基づいて自然と生命を守ろうとは考えもしていないためではないでしょうか。日本だけが世界平和を訴えていても、韓国は島根県竹島を武力侵略し、北朝鮮は他国民を拉致したままで、中共は沖縄県尖閣諸島をつけ狙い米国は相変わらず利権を求めてどこかと戦争を始めようとします。それに一も二もなく支持を表明する愚かな首相が日本にいたのは、占領憲法によって米軍の統治を免れていないからに他なりません。「第9条」が聞いて呆れます。

 本作の田村家は、まもなく核攻撃を受ける東京から人々が退避したあとも残り、家族でごちそうを囲みますが、この前に茂吉が「母ちゃんに家を買ってやるんだ。冴子に立派な結婚式を挙げてやるんだ。(長男の)一郎には大学に行かせてやるんだ。俺の行けなかった大学に……」と人知れず天空に叫ぶシークエンスがありました。そんな家族を、激烈な核の閃光が一瞬にして呑み込んでしまいます。

 また、お春(中北千枝子)はパニックと化した東京の保育所に横浜の職場から這ってでも娘の鈴江に会いに行こうとする中、公衆電話から、核戦争の何たるかを理解できるはずもない無邪気な娘を安心させようと「クリームパンを買っていくよ。ゆで卵もたくさんね。すぐ行くから待っててね。母ちゃんが鈴江に会うまで何も起こりゃしないよ。起こるもんかね!」と言って会えぬまま死んでゆきます。

 この親が子を想う家族の結束こそ祖先祭祀であり、それをすべて破壊してしまったのが作中のまったく無機質な核戦争でした。本作の翌年には、実際にキューバ危機が起きています。

 最後、洋上にあって難を逃れた笠置丸は、完全に壊滅し放射能にまみれた故郷日本に、それでも帰ろうとします。彼らは、その帰郷が死にに行くことになると知っていても……。司厨長の江原(笠智衆)は「人間は素晴らしいものだがなあ。一人もいなくなるんですか、地球上に……」とつぶやきます。その背後には、児童合唱による『お正月』の歌が流れますが、「もう幾つねると」と数えることもできなくなってしまいました。

 この「継承されなくなる」「継承するものがなくなってしまう」ということが、決してあってはならないのだと説いて、はじめて平和主義であり反戦・非核なのです。その保守主義の基本哲学を忘れたひたすらの反日本や、家族の解体、個人としてのみの尊重によって得られるものなど何もありません。保守とは、そういうことなのですよ。

↓↓↓皆様のご支持を!

人気ブログランキング

※複数の読者の方々より、やはり「政治ブログランキング」への登録を残しておいて欲しいとのご要望を賜り、22日より「映画ブログランキング」との2カテゴリー登録に直しました。皆様にクリックしていただくその一票は分散されますが、今までより一層のご支持を賜われるよう努めてまいります。

↓↓↓皆様のご支持を!

FC2ブログランキング

宇宙と向き合えない日本

皇紀2670年(平成22年)5月21日

 思わず「これこそ報道の捏造ではないか」とわが目を疑いました。それは20日、国際宇宙ステーションでのミッションを終えて帰還した宇宙飛行士の山崎直子さんに向かって、鳩山由紀夫首相が「日本は(有人宇宙船の開発を)やらないのか?」と質問したというのです。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100520/plc1005202117016-n1.htm

 ▲産經新聞:「日本は有人宇宙船やらないの」 首相、山崎さんに質問???

 産經新聞社も時事通信社もこれを報じて、ともに「人ごとのように」と指摘していますが、もはやそのレヴェルではありません。第93代日本国内閣総理大臣としての自覚、いえ、日本人としての自覚すら、この鳩山首相にはないのではないでしょうか。

 思えば、科学技術立国のはずである日本に宇宙開発の驚くべき功績がほとんどありません。実は、このことも占領憲法の問題と無縁ではないのです。

 日本映画界を見渡しても、残念ながらロクな宇宙SF映画がありません。昭和32年、東宝が『地球防衛軍』(昭和29年に世界を震撼させた『ゴジラ』の本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)をクランクアップ(撮影終了)させたとき、旧ソ連が人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、米国を屈辱の海へ叩き落としました。

 その姉妹作品として発表されたのが昭和34年の『宇宙大戦争』(同じく本多猪四郎監督・円谷英二特技監督)であり、その月面着陸のシークエンスの見事さは、米国が躍起になって成功にこぎつけたアポロ11号の月面着陸(昭和44年)以前のことですから、まさに東宝映画が先を行っていたのです。

 しかし、結局はジョージ・ルーカス監督の『スターウォーズ』(昭和53年日本公開)に日本映画が後追いするようなことになります。その末路の哀れは、究極的に東宝の『惑星大戦争』(福田純監督・中野昭慶特技監督)と、東映の『宇宙からのメッセージ』(深作欣二監督・矢島信男特撮監督)に表れてしまいました。特に前者は『スターウォーズ』の公開に少しでも先駆けようと製作期間わずか2ヶ月の安物であり、後者は下手に深作演出と当時公称15億円の製作費が一定の功を奏し、中途半端に「観れてしまう」映画(当時世間の不評を買ったらしい成田三樹夫のガバナス皇帝も悪くない)なのがかえって悲しいものです。

 さらに、東宝から『惑星大戦争』の原作を依頼されながらも見事に断わってみせていた小松左京氏が、昭和59年にオリジナル企画の『さよならジュピター』(予定していた『日本沈没』の森谷司郎監督が死去 橋本幸治監督・川北紘一特技監督)を発表しますが、精巧な特撮映像にこそ見応えはあるものの、物語に大した独創性がなく(そもそもの「木星太陽化計画」に必然性・緊迫感を感じさせない展開にしかなっておらず、敵対する環境保護カルト教団との闘いも陳腐で)、これまた不発に終わります。

 以来、GHQが『ハワイ・マレー沖海戦』(昭和17年)の真珠湾攻撃の特撮を本物と見間違えて(戦意高揚映画に関係したともされ)円谷監督を公職追放せしめ、昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効からわずか2年後に発表され世界各国を驚かせた『ゴジラ』の、日本映画界に於ける優れた特撮・発想の系譜は途絶え、完全に米国映画に譲ってしまいました。

 宇宙開発も米国がほぼ掌握しています。先を行ったはずの露国はソ連共産主義を打ち負かしたことでかえって遅れ、昨今強引に横槍を入れ始めた中共は、まったく独自に且つ未だ共産党一党独裁であるからこそ比較的容易に参入しました。

 日本は米軍の統治から今もって外れず、占領憲法を無効にもせずに放置し、米軍ありきで自衛隊を第9条に於いて合憲などと解釈改憲を続けていますから、日本人をスペースシャトルに搭乗させても独自に開発など、米国にでも許してもらえないというわけでしょうか?

 そこへ鳩山首相のまるで寝とぼけたような発言です。在日米軍普天間飛行場の移設問題なども、この程度の感覚で話してきたのでしょう。まったく呆れたものです。しかも、JAXA(宇宙航空研究開発機構)に対して事業仕分けで予算削減したのは民主党ではありませんか! 広報施設建設の廃止まではともかく、飛ぶものも飛ばないですよ、これでは

 もう約2ヶ月後に迫った参議院議員選挙では、是非とも民主党に惨敗していただきましょう。それでなくとも、わが国の宇宙SF映画を観ているとみじめな敗北気分になりますから。

日本文化の様式と滅びの美

皇紀2670年(平成22年)5月20日

 18日記事市川崑監督作品を挙げるなら『細雪』がよいと申しましたが、昭和58年に製作・公開された本作は、蒔岡家の四姉妹を岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子が演じました。当初の長女鶴子役は、昭和34年大映版で三女雪子を演じ、市川監督とは『私は二歳』『雪之丞変化』で組んだ山本富士子の予定だったそうです。

 まずは谷崎潤一郎の原作の素晴らしさを申さねばならないでしょう。書き始められたのは、日独伊三国同盟の調印にはじまった昭和17年であり、軍部の発禁処分に遭って、完成は昭和23年まで待たねばなりませんでした。物語の舞台は、大東亜戦争前の昭和初期、大阪船場の老舗商・蒔岡家です。

 私たちが日本史(本来の「国史」)の授業で教わったことから受ける印象と、谷崎が松子夫人の四姉妹をモデルに描いた戦前の大日本帝國の実相はまるで違っていることが分かります。

 昭和モダニズムを謳歌する女性たちが余すところなく描かれており、当時すでに「ウィンナ・シュニッツレル(シュニッツェル)=ウィーン風カツレツ」や「クラブハウスサンドイッチ」といったものがあったと分かります。私たちは、GHQによる占領統治を経て、すっかり自分たちの国史を失ってしまいました。

 谷崎は、のちに三島由紀夫が評したように、「日本文化の様式を記録」し、その滅びの美を描いてみせたのです。『細雪』は3度映画化されていますが、いずれもこの雰囲気を見事に表現しています。

 本作で申せば、まさに大東亜戦争の勃発と敗北によって急速に突入していく暗さを体現する四女妙子(古手川祐子)を、そして極めて複雑な女である三女雪子(吉永小百合)を、市川監督がその独特な陰影をもって描きました。最後に雪子がニヤリと口角を上げる不気味さは、何とも言えません。

 ここでも、私の好きな「市川演出」が冴え渡っています。着物のこすれる音や、蒔岡家の家紋が入った羽織りをハラリと脱ぐ次女幸子(佐久間良子)をアップにして別カットでインサートするところなど、まさに老舗商の滅びを予感させて美しく、見事です。

 また、私の敬愛する伊丹十三が蒔岡家を預かる長女鶴子(岸惠子)のいやらしい婿養子を演じていますが、彼が「蒔岡」の名を口にする時の、その屈折した心境・立場を表したような声音は、のちに監督として卓越した演出をするに至る芸の細かさでしょう。

 大東亜戦争前のわが国が暗く、貧しく、何もかもが間違っていたように伝えていくことこそが間違いです。大東亜戦争へと突入する過程にいくつもの外交戦略の不備があり、突入してからのほぼ無計画な計画の中で、それでも「パーマネントはやめませう」などの掛け声を自ら発し、すべて臣民が必死に闘っていたことも知らねばなりません。

 GHQの置き土産たる占領憲法の放置と、三島も批判した占領憲法違反の自衛隊に対する解釈改憲の継続は、わが国を再び滅ぼしかねないのです。私たちの現在の暮らし、この平成の御代を「滅びの美」をもって描きたくはありません。是非、占領憲法を無効にできると知って下さい。さもなくば、民主党の小沢一郎幹事長のような政治家によって改憲されてしまうのです。