皇室を潰せると思っている

皇紀2672年(平成24年)3月20日

 本日は春季皇霊祭です。北朝鮮が南に向けて弾道弾を発射する準備に入ったのも気がかりでしょうが、いつもとは少し違うことを書きます。後半は短い独り言だと思っていただいて結構です。

 読者諸氏ご指摘のように、わが国には新興宗教分派をはじめとする「万世一系の皇室を滅ぼして日本を終了させようとする」破壊活動団体が少なからず存在しています。

 近隣の新興国もわが国の伝統国家としての性質を否定したがっており、彼らに屈するに堕ちた政治家や官僚が目的の遂行のために各所に配置されてきたのも決して仮想の類ではありません。

 ここでは私が表立って活動していることをいくつかご報告してきたこともありましたが、実のところ書いていないことのほうが圧倒的に多く、ゆえに分かりにくいでしょうがそれらこそ最も重要な案件であり、その一つが臣民として皇室を御守りするためのあらゆる行いです。

 しかし、一臣民に出来ることは限られてもいます。皇統を護持するためには正当な皇室典範を政府がとり戻すことですが、あとはすべて天皇陛下に御決めいただき、私たち臣民が「ごちゃごちゃ」申すべきではありません。「保守」を振りかざして過介入する一部論壇は、ほとんど前述の破壊活動団体と変わらないのです。いや、彼らはその「保守」の中にも破壊活動を潜入させてきました。

 さて、そんな実働工作員・監視員たちに申しておきますが、世界唯一となった皇室を潰そうとすれば、せいぜい私たちの抗議とやらを受ける程度では済まないと覚悟しておいてください。私たちとて無邪気ではありません。

 その選民意識から日本人には無関心でも、万世一系の皇室をとにかく「最後の砦」と考えている勢力があり、それはすでに彼らが某域圏の新たな枠組みづくりを模索していることと無関係ではありません。これで何のことか分からない工作員は、本部かどこかにでも行って聞けばよいでしょう。本部が知らなければ君たちこそ終了ですが、何か分かったら私にも教えてください(笑)

 よき読者の皆様には不親切な内容で恐縮ですが、はじめに「独り言」とおことわりしたことをもってお許しください。そろそろ破壊勢力による私たちへのあからさまな脅迫に対して、老婆心ながら序の牽制をしておいて差し上げるべきと考えた次第です。

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福祉を利権政治にするな!

皇紀2672年(平成24年)3月19日

 http://www.youtube.com/watch?v=lB94UOBdsSw
 ▲YOUTUBE:平成24年3月16日 参・予算委 自・片山さつき議員 ①

 上記動画の七分四十秒を過ぎたあたりから自民党の片山さつき参議院議員が生活保護の問題について、厚生労働省による平成二十二年度の仮試算で千二百億円弱も外国人に支払われており、その保護率は日本人の二~三倍、三分の二が朝鮮半島出身者であると指摘しています。

 この問題については、私たちが何年も前から「日本では日本人のほうが侮蔑的差別をされ始めている」などと指摘し訴えてきたことですが、直接役所にこの件で行くと担当者が必ず困ったように首をかしげながら口ごもり始めるのです。

 その原因は、在日韓国・朝鮮人への生活保護が国会議員や地方議員の「口利き」によって進行してきたからにほかなりません。また、そのような環境を官僚機構が形成してきた節もあり、社会福祉を利権にしてきたわが国政治の闇と化しているのです。

 今でこそ抱え込んだ票田や資金源の性質(労組や韓国民団など)から民主党が諸悪の根源のように言われますが、思わず野田佳彦首相が「議論の飛躍だ」と片山議員の質問に対して言い返したように、自民党も無関係ではなく、もっとも公明党(=創価学会)と日本共産党こそがこの口利きを率先してやってきました。

 わが国は元来、暮らしに困り始めた隣人に救いの手を差し伸べあう社会を形成してきたと申して過言ではありませんが、一方で不真面目な隣人には手厳しく、それが社会福祉政策の考え方の根底にあり、よって実は生活保護制度の極めて手厚い福祉先進国家であることがすっかり忘れられています。

 その制度を悪用する不真面目な隣人に手厳しかったはずの私たちは、それこそ占領統治期を経て特別永住者を制度化してしまった今、誰もが見て見ぬふりをして沈黙するようになってしまいました。悪しき利権政治に鋭いメスを入れると意気込んできただけの報道機関も、この件ではまったく及び腰できたことを否定できないはずです。

 この議論へ入る前に片山議員は、増税が与える景気への影響を住宅着工件数の変遷などを例に挙げながら指摘していますが、政府は日本銀行とともにいわゆる「円高デフレ」状態からの脱却を本気でやらない限り、生活保護の背後にある本当の問題を解決できません。その上で、このような「たかり」政治を撲滅すべく、わが国はいつまでも在日韓国・朝鮮人を特別永住者として本来不法に抱え込んでいてはいけない、とはっきり決めましょう。

占領憲法下の橋下全体主義

皇紀2672年(平成24年)3月18日

 大阪市の橋下徹市長が提案した国歌起立条例が二月末に施行されました。すでにこれに違反した市立中学校教諭がおり、市の教育委員会は処分の検討に入りましたが、果たしてこれは正しいことなのでしょうか。日教組のいわゆる「反日」活動家(教育公務員にして破壊活動家)の不正と戦ってきた私は、大いなる別の危機感を禁じえないのです。

 わが国が大日本帝國を名乗っていたころ、私たちはこの大東亜戦争に敗れる以前の自分たちの国家が、個人のあらゆる自由や権利を迫害されたものであったと学校などで教わるわけですが、端的に申せば、それが特に昭和十六年以降のわずか四年間の強烈な記憶に過ぎないことを知りません。

 これまで三度も映画化された谷崎潤一郎の『細雪』を読んでも、豊かなる「阪神間モダニズム」の美しい描写は時代に忠実であり、また、昭和十年に製作された伊丹万作監督の映画『戦国奇譚 気まぐれ冠者』は、主人公たちが民衆の戦意を喪失させることに奔走し、片岡千恵蔵演じる気まぐれ冠者が「この世でいらぬものは戦じゃ」と語って終わります。

 伊丹監督はのちに、戦時下のことを「ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないような滑稽なことにしてしまったのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だった」(『伊丹万作全集1 戦争責任者の問題』筑摩書房より)と述べていたことは、これまで私が何度も引用してきた通りです。

 すなわち、大日本帝國憲法下においても、内務省が言論弾圧に関する法律を次々と作ってしまうまで経済的事由を別にしても個人は自由でした。ところが、そのような政府や官庁に付き従う国民という姿が全体を覆い、今度は自分たちで個人を束縛し始め、敗戦後の占領統治期になって「お国に騙された」と言い出したのです。それが私たちの知る「占領統治によって生み出された日本史(国史ではない)」に過ぎません。

 ましてわが国の本筋から外れている占領憲法(日本国憲法)下では、ポツダム宣言からの流れを受けた特別永住者が発生、法務省が「人権」の名のもとに言論弾圧を仕掛けようとし、圧倒的な「人気」という得体の知れないもの(民主主義)を背景に、橋下市長ら大阪維新の会は国歌斉唱時の起立を「強制すること」にしました。

 私は何度も申してきましたように、平成十一年施行のいわゆる「国旗国歌法」しかり、天皇陛下の祭祀を知らざる者に、国旗の掲揚と国歌の斉唱を「強制」しても何ら意味がないのです。この強制と、強制を熱狂的に支持する者たちの存在は、明治以来自由だった共産主義の研究に溺れていた者たちはともかく、わが皇國を守り抜かんとした先人たちの抵抗がむなしく無視された時代の再来にほかなりません。国旗と国歌をその道具にした野中広務官房長官(当時)や橋下市長らの罪はあまりに重いのです。

 民主党が熱狂的に迎え入れられようとしていたころ、大阪市内の街頭で民主党政権への交代に抗せよと訴えた私に罵声を浴びせかけてきた聴衆たちは、まさしく「全体主義」の一片だったのであり、あの当時政権交代を否定した私は「自民党の回し者」とまで侮辱されました。しかし、今になって「民主に騙された」と言って平気でいられる人は、伊丹監督の言葉を引用するに「現在でもすでに別の嘘によって騙され始めているに違いない」のです。

 いえ、私たちは間違いなく昭和二十年以降の占領統治期より別の嘘に騙されてきました。その象徴が占領憲法であり、大日本帝國の正統な皇室典範と憲法を否定しておいてなお「天皇陛下万歳」などと言っていられる人は、知識の不足どころか「信念或いは意思が薄弱」なのです。

 もう一度申します。神聖にして、そのもとではすべて臣民が大和(平和)でいられる国旗と国歌を、全体を煽る道具に利用する昨今の傾向は絶対に許せません。むしろ掲揚と斉唱に関して法や条例で強制なんぞするのではなく、結果としてこれらを否定することは破壊活動(テロリズム)なのですから、事件としてただ逮捕、または国外追放にすればよいのです。

 私たちは、日本皇國の臣民たることを「夢中になって互いを騙しあう者たち」に強制されるいわれはありません。

岩礁をめぐる中韓の争い

皇紀2672年(平成24年)3月16日

 http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2012/03/12/090000……
 ▲聯合ニュース:韓国と中国 離於島の管轄権めぐり外交摩擦

 韓国政府が「離於島」と名づけた岩礁(暗礁)は、中共では「蘇岩礁」と呼ばれており、それぞれの歴史的経緯にあまり意味はないため割愛しますが、要は国際法においてこれがどう位置づけられるのかが重要です。

 それら根拠は、いわゆる「海洋法に関する国際連合条約」に求められます。つまり第二次世界大戦の戦勝国とされた国々に後発の中共がなぜか加わって組織されている連合国(俗称=国際連合)が決めたものですが、それでもこれによらないと各国が勝手を言い出して紛争が頻発するのであり、異議があれば批准せずに抗議すればよいでしょう。

 まず中韓はこれを批准しており、その上で同法第六十条が岩礁を領土とせず、両国の中間線が排他的経済水域(EEZ)の限界であると定めている以上、該当する岩礁が韓国のEEZ内にあることと、韓国は「島」であると主張出来ないことを確認しなければなりません。

 しかし、中共は韓国が総合海洋科学基地なるものを建造した(韓国のEEZ内にあるため、韓国の建造物は法的に認められる)ことに抗議し、岩礁が中共のものであると主張しており、韓国はあくまで「島」であると主張した上で中共と紛争も辞さない構えです。

 東京都小笠原村沖ノ鳥島のように、国際法上すでに島と認められたものを人工護岸するのは何の問題もありませんが、干潮時にも海に沈んでいる岩礁は島と認められず、まして韓国は建造した海洋基地に対しての領海やEEZを同法の規定により設定出来ません。それでも李明博大統領は中共と交渉を再開すると言っていますから、強気というより法を無視した態度と申せましょう。

 島根県隠岐郡隠岐の島町竹島について、何やら「日本は韓国に対して悪いことをしたのだから差し上げればよい」などと、それこそ法を一切無視した主張をして紛争の火種を撒き散らす好戦的な説もありますが、かくのごとく韓国は李承晩初代大統領時代から領土・領海に関して虚勢を張ってきた(当時も認められなかった)のであり、これを見逃していてはいけません。私たちは毅然と竹島を奪還すべく政府に訴えるのみです。

 一方の中共も、法的に意味のない「もっともらしい歴史」を巧みに持ち出しながら、自分たちで膨れさせた国家の重みに耐えかね、資源を求めて領土・領海の強奪に余念がありません。沖縄県石垣市尖閣諸島も、やはり私たちが高い意識を持って守り抜くべく、これからも訴えてまいりましょう。

 とんでもない主張を盾に紛争の可能性を口にするような国家を相手に、話し合いや取引が通用するわけなどないのです。世界の人々を説得しうる正しい主張のもとであれば、英米らとは取引してでも、中韓と戦うことをわが国が占領憲法(日本国憲法)によって否定されていてはならないと私は思います。

台湾問題より重大なこと

皇紀2672年(平成24年)3月15日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120313/plc1203131039……
 ▲産経新聞:台湾代表の指名献花外し、対応に問題なし 藤村官房長官、前日の首相謝罪覆す

 政府が11日に主催した東日本大震災一周年追悼式典で、台湾を代表して出席した台北駐日経済文化代表処の羅坤燦副代表が指名献花から外されるなど冷遇された問題は、特に自民党の世耕弘成参議院議員が国会で追及していましたが、ならば自民党政権だったらどのように出来たとでも言い張るつもりでしょうか。

 台湾が官民を挙げて日本の被災に救援の手を差し伸べ、近隣のどの国よりも多くの義援金を送ってくれたことへの感謝の気持ちを、私たちは決して忘れることが出来ません。

 しかし、占領統治期までさかのぼって、わが国が台湾と中華民国をどう理解し、その上で桑港講和条約発効の七時間半前に秘かにいわゆる「日華平和条約」を締結し、後進の中共と国交を回復するべく昭和四十七年に勝手な失効宣言をしたのか、そもそも講和発効前に交戦権を否定した占領憲法でどうして平和条約に署名出来たのか、ここから日台関係の歯車は狂っていたのであり、政府の嘘と出鱈目をこれ以上放置していてはいけないのです。

 この根本的な問題から目を背けて台湾問題を語るより、追悼式典で天皇陛下と皇后陛下が御退席される際、場内には出席者に着席を維持するよう指示があり、全員が座ったまま両陛下を見送るという不敬行為があったことこそ大問題ではありませんか。

 台湾代表への失礼は、もうすでにここから始まっており、私たちはいつの間にか自分たちの国家の姿も何もかも忘れ、漫然と礼を欠いていられるようになってしまったのです。

 自国の憲法一つを例にとっても、政府の嘘と出鱈目を踏襲した上でしか護憲も改憲もありえず、どこまでも政府に騙されておこうとする根性では、台湾の扱い方など分かろうはずがありません。極めて厳しく申せば、俗に「改憲保守親台派」といわれる論壇がこの期に及んで大騒ぎしているのもみっともないのです。

 台湾人との友好は、双方に国際法上瑕疵のある問題をすべて整理・解決しなければ表立ってはかなわず、さらに米中との関係にある程度の覚悟を持たなければなりません。そして、私たちに出来るもう一つのことは、日台関係を友好のまま繋いでおく努力です。