靖國への想いを世界に…

皇紀2673年(平成25年)6月18日

 http://sankei.jp.msn.com/region/news/130616/szk130616……
 ▲産經新聞:日米犠牲者の冥福祈る 賤機山で静岡大空襲慰霊祭 静岡

 昭和二十年六月十九日の米軍による静岡市に対する戦略爆撃(大空襲)で犠牲になった市民と、空中衝突して墜落死した爆撃機の米兵搭乗員を弔う「第四十一回日米合同慰霊祭」が十五日、静岡市葵区の賤機山山頂で開かれ、在日米軍横田基地や航空自衛隊静浜基地の関係者のほか市民ら約百五十人が参列しました。

 これは、昭和四十七年から医師で同区に在住の菅野寛也さんが私費を投じて主催してこられたものであり、ジョン・ルース駐日大使からは「静岡大空襲の生存者は、米国人犠牲者も同じ人間として扱ってくれた」との言葉が寄せられ、横田基地配属の司令官からも「敬意と慈悲を持って米国人搭乗員と日本人犠牲者を共に埋葬していただいた」という挨拶があったようです。

 米国人が新興のうちにここまで自国を大国化させられたのは、いわゆる「寄り合い所帯」ゆえか、このような理解の示し方が出来るところに理由があるのでしょう。どの国にも「病める後姿」はあるものですが、米国も常に文化的進化を目指してきました。

 一方、わが国の先人たちが、戦争で亡くなった敵国兵のご遺体を弔ったり、その後も「慰霊」と称して招魂の儀式を執り行ったりしてきたのは事実です。

 それは大東亜戦争だけでなく、例えば日露戦争に於いても、島根県沿岸まで漂着した複数に及ぶ露国兵のご遺体を拾い上げ、県民たちが「敵兵とはいえ、定めしこんなところで死にたくはなかったろう」「かわいそうだ」と言って弔ったといいます。

 もちろん戦場で戦っている最中は敵兵を殺さねば自分が殺され、国を滅ぼされるかもしれません。しかし、戦争が終われば亡くなった敵兵の御霊も自分たちと同じと考えるのが、わが民族の「道」なのです。今でも、死んでなお生前の罪を激しく問うようなことは決してしません。

 これは間違いなく、天皇陛下によって司られる祭祀の、深淵なる生命の営みに対する畏敬の念からくるものであり、ゆえに(合祀が全うされていませんが)連合国に「戦争犯罪人」として処刑された者の御霊も祀られた靖國神社や全国の護國神社が招魂の場として設けられ、守られてきたのです。

 欧米をはじめ、世界はこのことを知りません。静岡市民が主催している日米の合同慰霊祭も、米国市民のほとんどが知らないでしょう。連邦議員や政府高官の間でも、恐らくあまり知られていません。ならば伝えなくてはならないのです。わが民族の祭祀と、靖國への想いを

 特に中韓だけが靖國神社に対する無知をさらけ出して政治的道具にこれを貶め、また当然何も知らない欧米諸国政府もあまり説明をしない日本政府より中韓両政府のさかんに言うことを(経済的要因もありながら)聞いてしまいます。

 本来は安倍内閣に取り組んでいただきたい案件なのですが、米国民に知らせることぐらいなら私たちにも出来るに違いありません。英語が話せて巧みに書ける人ならなおさらです。是非拡散してください。

スポンサードリンク

Comments are closed.