ナヌムじゃなくてハンの家

皇紀2675年(平成27年)6月25日

 国内のみならず海外メディアまでもが取り上げ、世界的な人気を博していた和歌山電鐡貴志川線貴志駅の三毛猫の「たま駅長」が二十二日、十六歳で亡くなっていたことが分かりました。関係各位に心よりお悔やみ申し上げます。

 たま駅長は、南海電鉄時代の貴志駅横にあった小山商店が南海撤退に伴う閉店で行き場を失いかけていた猫で、それを「日本初の猫の駅長」にすることで追い出さずに済ませようと機転を利かせたのが和歌山電鐵の社長になった小嶋光信氏(岡山県の両備グループ代表)でした。

 おかげで猫は救われ、一時は廃線に揺れた貴志川線がこの「招き猫」に救われることになります。駅舎も猫の顔をモチーフにしたデザインに建て替えられ、立派になりました。そもそも貴志川線は、紀州の「神宮」である日前・國懸(ひのくま・くにかかす)神宮と竈山(かまやま)神社、伊太祈曽(いだきそ)神社のいわゆる「三社参り」ができる路線です。

 ひょっとすると後任は、同じ三毛猫の「ニタマ駅長代行」かもしれません。動物を利用することへの意見はさまざまでしょうが、ネコカフェならぬネコトレイン(貴志駅構内にカフェとグッズのショップあり)として愛され続けてほしいものです。たま、ありがとうね

 http://www.sankei.com/world/news/150623/wor150623……
 ▲産經新聞:元慰安婦が天皇陛下や安倍首相、産経新聞などを提訴の構え 2000万ドルの損害賠償 米国の裁判所に

 昨日記事のつづきのようになりますが、私たち日本人に対する「ヘイトスピーチ」にあふれた韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)らの平成四年以来の行動がわが国側の「嫌韓」をいよいよ招き、この挺対協の正体を朝日新聞社の下村満子元論説委員のような「親韓・反日派」にまで暴かれてしまったことは、もはや朝日自身がこれまで流布してきた「慰安婦問題」が虚報だったと観念せざるを得なくなる前兆現象だったと申せるでしょう。

 米国で連邦地方裁判所に提訴するならすればよいのです。その事実を日本に来て派手に会見を開き、約一億二千六百万の日本人に知らしめてください。天皇陛下を訴えるとは、ただでは済みません。上等です。だから大大的に発表してください。

 「ナヌムの家」なんぞというかつて園長が女性に性的暴行を加えた現場でチマチマと会見を開かないで、ローマ教皇庁に教皇訪問を拒否された場所でわめいていないで、在韓米軍慰安婦を除外する女性のための施設がどれほどの福祉精神をもって活動しているのか、騒ぎに巻き込まれたサン・フランシスコ市の皆さんにもよく分かるよう述べればよいのです。

 分かち合い(ナヌム)ではなくて「恨(ハン)の家」に名前を変えて出直してください。

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ロッテホテルは使いません

皇紀2675年(平成27年)6月24日

 http://www.sankei.com/entertainments/news/150623/ent150623……
 ▲産經新聞:「タイタニック」作曲家死亡か 小型機で墜落と米メディア

 映画『タイタニック』『アバター』(ともにジェームズ・キャメロン監督の世界的大ヒットを記録した作品)など多くの映画音楽を手掛け、米アカデミー賞オリジナル作曲賞を『タイタニック』で受賞した作曲家のジェームズ・ホーナーさんが二十二日、自ら操縦していた自家用飛行機の墜落で亡くなりました。心よりお悔やみ申し上げます。

 さて、昨日記事で在韓日本大使館がウェスティン朝鮮ホテル(ソウル特別市)で日韓国交正常化五十周年記念式典を開催したと申しましたが、一般報道に載る「ソウル市内のホテル」ではなく私がわざわざホテル名を特記したのは、日本大使館がこれまで行事で最も多用してきたロッテホテルソウルではなかったことを皆さんに知らせるためです。

 二十一日記事以来、二十二日記事米国務省が今年からザ・ウォルドルフ=アストリアを使わないと言い出した話も含め、立て続けに「ホテル絡み」ばかりですが、情報が入る時というのはそのようなものです。

 日本大使館がロッテホテルをまったく使わなくなったのは、昨年七月十一日に予定されていた自衛隊創設六十周年記念行事の会場提供をロッテホテルが拒んでからずっとです。日米韓の安全保障連携に泥を塗った韓国側のこの態度に、さすがの外務省も「もう使わない」という意思表示をしました。

 何度も申しますが、韓国政府は補助金を出して市民団体の「反日」「反米」闘争を支援し、つまるところその市民団体に煽られて政策が右往左往します。昨日もことわったように、日韓外相会談での(わが国側にとって)多くの妥結をもってしても「日韓雪解け」とならないのは、韓国の極右・極左団体による思想扇動によって政府の方針がいとも簡単にブレるためです。

 この連中の暴走が一掃されない限り私たちの対韓感情は悪化の一途をたどるばかりであり、むしろ残念ながら私たちの韓国への怒りが煽られるでしょう。だから「ヘイトスピーチ」なるものの取り締まりは、まず先にやった韓国から始めさせねばならないのです。

日韓…言った通りになった

皇紀2675年(平成27年)6月23日

 http://www.sankei.com/politics/news/150619/plt150619……
 ▲産經新聞:民主・岡田代表「つまらないところで意地張る姿は見苦しい」 首相の日韓イベント欠席を批判

 二十二日に在日韓国大使館(東京都港区南麻布)がシェラトン都ホテル東京(同白金台)で開いた日韓国交正常化五十周年記念式典を巡り、民主党の岡田克也代表はまずこの言葉を韓国の朴槿恵大統領に向かって言うべきでした。

 安倍晋三首相が出席することにした経緯については未確認の点があるものの、朴大統領に対して「鎌をかけた」のは間違いありません。河村建夫元官房長官に官邸をうろつかれれば身内も騙さなくてはならなかったでしょう。結果、朴大統領は安倍首相に追い詰められて在韓日本大使館がウェスティン朝鮮ホテル(ソウル特別市)で開催した同式典に出席せざるを得なくなったのです。

 また、世界遺産登録問題では、五月八日記事で「イコモスがわが国に勧告したものをのちに撤回した例はなく、韓国政府の目論見は必ず失敗します」と申したように、連合国(俗称=国際連合)教育科学文化機関(ユネスコ)で韓国が大統領自ら「日本に投票するな」と働きかけて回ったことは必ず問題になります。韓国は、振り上げた拳を降ろすタイミングの分からない問題に手をつけてしまった、とようやく気づいたのです。

 さらに、五月三十日記事で指摘したように、もはや韓国も中共ももうかつてのような「友好ムード演出」で私たち日本国民を騙せなくなりました。それほど「反日」をやりすぎてしまったのです。

 そして、六月十九日記事で皆さんに情報を提供したとおり、日韓外相会談でわが国側は決して珍妙な妥協などしませんでした。かえすがえすも日本經濟新聞が「日本政府が財政支援」と報じた情報源が分かりません。

 しかし、韓国側は「いずれ最終解決を保証」などと言ったらしく、重ねて申しますが、韓国政府の言う「最終解決」を絶対に信用してはいけないのです。これにわが国は何度騙されたことでしょう。

 読者の方から書き込みがありましたが、以前にも申しましたように今や韓国人が金科玉条のように大切にするいわゆる「村山談話」も、発表当時は韓国で批判的に扱われ、市民団体の「反日」デモを招きました。残念ながら日米がいよいよ「韓国疲労」を起こし始めたのは、彼らのこのような態度が原因です。

 今回は確かに安倍首相の圧勝でした。それでも「日韓雪解け」とはならない様を、これからもとくと見せられるのでしょう。政府に安心の暇はないのです。

安倍首相は「日中友好」だ

皇紀2675年(平成27年)6月22日

 米ニューヨーク市の「ザ・ウォルドルフ=アストリア」といえば米国で最も有名な高級ホテルですが、実は昨年、中共の保険会社「安邦保険集団」に十九億五千万ドル(約二千四百億円)で買収されてしまいました。

 その歴史は独国から移住して大富豪となったアスター家が開業させた二つのホテルに始まりますが、昭和二十四年に米ヒルトン・ホテルズを創業させたコンラッド・ヒルトン氏がかねてからの念願を叶えてこれを買収、さらに安邦保険に買収されても百年間はヒルトンが経営に携わるという条件がついています。

 しかし、毎年九月に連合国(俗称=国際連合)総会が開かれるたびに外交団を宿泊させてきた国務省が、今年からはザ・ウォルドルフ=アストリアを使わないと言い出しました。映画『ゴッドファーザーⅡ&Ⅲ』や『星の王子 ニューヨークへ行く』などの舞台となり、歴代大統領やわが国の歴代首相のみならず先帝陛下も御利用になった由緒あるホテルは、中共の手に堕ちて避けられるようになったのです。

 国務省は公式にその理由を明らかにしていませんが、盗聴の懸念などセキュリティ上の問題が発生したためでしょう。というのも、買収のもう一つの条件に「大規模な改修」が入っていたのです。その改修で盗聴や盗撮の装備が壁面や天井などに組み込まれる可能性を否定できません。

 安倍晋三首相も訪米時にはもう使わないほうがよいと思います。外務省が正しく判断してください。

 http://www.sankei.com/world/news/150620/wor150620……
 ▲産經新聞:安倍首相が「中国に好意を示した」と香港テレビ 単独インタビューが反響

 さて、安倍首相が中共の香港フェニックステレビのインタヴューで中共に好意を示すような発言をしたという報。四月二十五日記事で申したこととの絡みもあるようです。

 この手の「国民(人民)感情への介入」は、中共共産党がわが国に対して過去何度も行なってきた得意分野でしょう。時にはジャイアント・パンダまで利用し、私たちに「日中友好ムード」を提供してきたわけですが、五月三十日記事で指摘したように、中共も韓国も「反日」の度が過ぎて揺り戻しが効かなくなりました。

 安倍首相は一貫して、わが国が全く中韓に敵意を示していないことを諸外国にアピールしています。一方で「備えの輪」を広げてきたのですから、これは評価すべき極めてしたたかなやり方です。

現在のサイパン島の惨状

皇紀2675年(平成27年)6月21日

saipan1 この画像は、北マリアナ諸島サイパン島にある彩帆香取神社です。第一次世界大戦で独国からサイパン島を奪取した大日本帝國の海軍艦「香取」内に祀られていた香取神宮(千葉県)の分霊を分祀して建てられました。第二次世界大戦(大東亜戦争)の日米激戦で焼失し、現在の社殿はその後再建されたものです。

 私がサイパン島を訪れたのはいわゆる「戦後五十年」の二十年前で、この画像もその時のものであり、天皇陛下と皇后陛下の御行幸啓を賜ったのはその十年後のことでした。当時のサイパン島には日本航空が直行便を持ち、旧コンチネンタル・ミクロネシア航空もまだ就航していましたのでわが国からの観光客が全体の八割を占めていましたが、御行幸啓の直後に日航が撤退し、今や日本人観光客は全体の二割にまで落ち込んで中共人と韓国人が席巻しています。

 日航は「ホテルニッコー・サイパン」とショッピングモール「ラ・フィエスタ・サンロケ」を保有していましたが、これらも手放し、現在は前者が経営再開待機状態(一度中共系の「パームス・リゾート・サイパン」として出直しましたが韓国系の「ネクター・サイパン・ホテル&スパ」が開業予告したまま未だ放置)で後者は完全に廃墟と化しました。

saipan2 このホテルニッコーは天皇陛下と皇后陛下が御宿泊になりましたが、そもそもサイパン玉砕と共に多くの民間人が飛び降り自決した通称「バンザイクリフ」に近い島北部にポツリとあり、慰霊に訪れられた陛下の御利用に好都合だったのでしょう。しかし、その場所が仇になって日航は想定したほど収益を上げられませんでした。(画像はバンザイクリフに並ぶ慰霊塔)

 もともと慰霊に訪れる日本人のために作られたのが昭和五十二年開業の「ハファダイ・ビーチ・ホテル(現グランヴィリオリゾート・サイパン)」でしたが、グランヴィリオ(ルートインの高級ブランド)は日本資本を維持したものの、他の「第一ホテルサイパンビーチ(現フィエスタリゾート&スパ・サイパン)」も「サイパン・グランドホテル(現カノアリゾート・サイパン)」も洒落たバーとミニホテルを併設していた「レミントンクラブ(現ネオレミントン)」も全て日本資本から中共または韓国資本に売却されています。

saipan3 わが国の統治になってサイパン島のインフラストラクチャー(社会基盤)が整備され、欧米人と違い私たちは本当にこういうことが心から好きなのだと実感させられるのは、学校を作り銀行を作り、店を建てて「ご当地銀座」を作る、と。こうして繁華街となったのがガラパン地区(旧柄帆町)です。島の開発を担った南洋興発株式会社(創業者は「砂糖王」こと松江春次氏)が運搬用の鉄道まで敷き、島は現地チャモロ人と日本人で大いに賑わいました。(画像は当時第一ホテルから眺めたガラパン地区)

 それが大東亜戦争で焼け野原と化し、戦後再び島をよみがえらせようとしたのは、やはり日本人だったのです。そして今、再び日本人が整備した観光資源はことごとく焼け野原となりました。苦労して作り上げたのものを簡単に中共・韓国系に持っていかれたのです。

 それでもガラパン地区には何と「奉安殿(天皇陛下の御尊影と教育勅語が収められた祠)」がひっそりと残されています。訪問当時の私は(日教組教育のおかげで)あまりピンときていませんでしたが、見返した旅行記に確かに記してありました。

 中共人・韓国人観光客で溢れかえっているはずの現在のサイパン島は、昼間のガラパン地区が驚くほど閑散としているらしく、夜になると移住したフィリピン人の女性たちが「客引き」をしているそうです。私が訪問したころには、そのような商売は見当たりませんでした。

 ハイアット・リージェンシー・サイパンは今でも神戸ポートピアホテルの子会社経営です。日本人経営のひまわりホテルも健在で、私たちが今一度この地に散った先人たちを想って訪れ、島を浄化すべきではないでしょうか。サイパンに行くならグアム、グアムに行くならハワイという理屈も分かりますが、お金に余裕のある方は是非!