住民投票条例という手段

皇紀2670年(平成22年)12月22日

 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101222k0000m040039000c.html

 ▲毎日新聞:住民投票 「16歳以上」で有資格 長野・小諸

 長野県小諸市議会は21日、定住外国人を含む満16歳以上の住民に、投票・請求の資格を認める常設型の住民投票条例を可決しましたが、これは本年3月3日、長野県議会がその法制化に慎重な対応を求める意見書を可決した永住外国人地方参政権付与法案に似た効力を持つものです。

 この問題は以前にも指摘し、例えば本年4月1日より施行された岐阜県多治見市のように、投票資格者に定住外国人を含めなかった例はありますが、神奈川県川崎市大阪府岸和田市なども既に外国人に投票資格を認めてしまっています。

 国政の場で論じられる外国人地方参政権はあまりに大きく扱われ、多くの県議会が反対の意見書を可決するに至っていますが、市町村単位で外国人の投票を認める条例を可決していきますと、住民投票にかけねばならない身近で重要な問題が起きた時、何やらおかしなことが起きる可能性は決して否定出来ません。

 韓国民団(在日本大韓民国民団)は、このような住民投票条例を外国人地方参政権への布石と位置づけ、自治体にはたらきかけています。彼らは「おかしなこと」は起きないとし、そのように指摘することは「外国人差別」だと主張しているようですが、国を興し、社会基盤を整え守ってきた国民ではなく、その将来に責任を持たない他国民が行政に入り込もうとするのは一種の規則違反なのです。

 国政の諸問題が重要であるのは当然ですが、地方自治も大切であり、皆様もお住まいの市町村議会が何を論じ、どう動いているのか、注視しておいて下さい。

 なお、16日記事で取り上げた東京都青少年健全育成条例の改正について、頂戴しましたご指摘に対し、既に少しお答えさせていただきましたが、この改正案の草案づくりに加わっていたのが「ECPAT/ストップ子ども買春の会」後藤啓二顧問(弁護士、みんなの党)であり、この組織は「日本軍『慰安婦』 問題行動ネットワーク」等を名乗る組織と事務所所在地がまったく同じであることを付記しておきます。

 また、18日に秋葉原で、19日に吉祥寺で統一教会(世界基督教統一神霊協会)が「過激な性描写に反対」「青少年に有害な表現を排除」するデモを敢行しました。当然、彼らの政治工作部隊である国際勝共連合の名前もあったそうで、私も児童・生徒の年齢に不適合な性教育などには反対ですが、統一教会に口出しされる筋合いはありません。まず「カルトは要らない」と申したいところです。

 たとえ訴えそのものが正しくても、そこに何者が入り込んでくるか、本当に気をつけなければなりません。日本の政治は単純に「米国に操縦されている」と言えども、米国のどの筋なのかという問題もあり、もっと複雑にさまざまな組織の侵入を許し、或る方向へ誘導されているかもしれないのです。

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歴史修正主義はどっちだ!

皇紀2670年(平成22年)12月21日

 日本会議大阪日台関係研究会と、日本と台湾の未来を考える会は19日、大阪市内で「第2回日台関係講演会」を開催し、西村眞悟元防衛政務官、田母神俊雄元航空幕僚長、三宅博前大阪府八尾市議会議員、惠隆之介拓殖大学客員教授が登壇しました。

 先の3氏による政策提言はここで何度も取り上げてきましたから、今回は惠先生のお話しがどのようなものであったか、少しご紹介したいと思います。

 沖縄県のご出身元海上自衛官だった惠先生は、作家・ジャーナリストとして、例えば『海の武士道 DVD BOOK』などで知られており、ここには大日本帝國海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」工藤俊作艦長が、ジャワ島北東部のスラバヤ沖で別の日本海軍艦に撃沈された英国海軍駆逐艦「エンカウンター」の漂流者約400名を救助するよう決断、乗組員ほぼ総動員で実行したという史実が取り上げられています。

 http://www.amazon.co.jp/海の武士道-DVD-BOOK-惠-隆之介/dp/4594060943/ref=pd_sim_b_1

 ▲Amazon:海の武士道 DVD BOOK 惠隆之介 著 育鵬社 刊

 この工藤艦長の決断は、ややもすれば同胞の生命を危うくするものであり、するからには人一倍の注意を払わねばならなかったはずです。それが生命の危険と常に向き合う戦時下指揮官の責任でした。今もって救われた感謝の気持ちを忘れない英国のサムエル・フォール元少尉が訪日しなければ、生前の工藤艦長(昭和54年没)はご家族にさえこの敵兵救出劇を語られなかったそうで、誰にも知られずじまいになっていたかもしれません。

 日本軍人には「己を語らず」という至誠があり、例えば日本の陸軍大学校に学んだ朝鮮人の洪思翊陸軍中将も、連合国軍に戦争犯罪人として処刑されるに至るまで、軍事法廷では一切自らを弁明しませんでした。しかし、他の戦犯被告人を弁護するためには積極的に証言しており、その裁判記録が残されています。

 工藤艦長の示された「武士道」について申せば、英国人のフォール氏と惠先生、そして平成19年にこの史実を元にした番組を放送したフジテレビによって、広く知られることになったのです。

 国を問わず、戦時下にはいくつかの「美談」とされる史実が存在します。ほかにも杉原千畝領事代理(リトアニアの在カウナス領事館)が独国に迫害され逃れてきたユダヤ人にいわゆる「いのちの査証(ビザ)」を発給したことは有名です。

 ところが、このような話をすると必ずと言ってよいほど「日本の軍国主義を美化している」と批判されてしまいます。はっきり申しておきたいのは、これは「美化」ではなく、史実を伝え残そうとし、その目的が先人の善い行ないに学ぼうとすることに他なりません。

 南京大虐殺や従軍慰安婦の物語は、それを史実と主張する方々が否定する論述に対して「歴史修正主義」(歴史学に於ける用法とは別の意)或いは「歴史修正主義者」と非難しています。また、沖縄県の集団自決に関する議論でも、まったく同じ批判の応酬合戦が生じてきました。

 惠先生は、琉球王国(琉球國)最後の王朝である第二尚氏が搾取型の統治を行なっていたため、基本的に沖縄県民は「琉球回帰」よりも日本に組み込まれた琉球処分を歓迎していたにもかかわらず、なぜか(中共の思惑に乗じる不思議な日本人がいるお陰か)「沖縄は常に日本に虐められてきた」との考えが広められつつあることを指摘しています。

 また、在日米軍基地の70%以上が沖縄県に集中しているという報道なども、これは敢えて専用基地のみではじき出された数値であり、自衛隊との共用基地面積を入れれば全国の30%以下に過ぎないという事実を覆い隠そうとする或る種の情報戦に(占領体制の継続により自前の国防を前提とした日米同盟すらままならない現実はあるが)私たちはまんまと敗北させられてきました。惠先生によれば、米国政府関係者すら騙されかかっていると言います。

 さらに、大東亜戦争末期に地上戦と化した唯一の国土が沖縄ということになっているのも、南樺太などでの対ソ地上戦をなかったことにする「歴史修正」であり、ここに北方領土返還を封殺し、沖縄県を日本から離反させる国家解体(極左革命)運動の主旨が見え隠れするのです。一体どちらが「歴史修正主義者」なのか、疑わざるをえません。

 軍令なくして沖縄県民の集団自決はありえなかったとする一部の主張にも、彩帆(サイパン)島民に比して沖縄県民に対する侮辱だとして、惠先生は大変怒っておられました。戦争ほど哀しいものはありませんが、集団自決という戦い方まで繰り出された先人たちの想いは、私たちの想像を絶しており、理解出来ないからといって妙な辻褄あわせは完全な「歴史修正」です。

 私は『日本書記』がいわゆる多説併記型であることから、国史教育もこれに習えばよいと訴えています。南京大虐殺も従軍慰安婦も、あった・なかったを併記すればよいのですが、日本を「悪」とする日本の教育では「善」を排除するため、この公平・公正な検証作業が叶いません。

 人間には偏見も傲慢もありますが、善くあろうと努め、そう願います。当然のように「悪」ばかりが喧伝されてきたので「善」の部分を語って人間の「善」とは何かを知ろうとする人たちが出てきたわけですが、そのような人たちを「悪」を語る人たちが「ストップ! 歴史修正主義」などと叩き潰そうとすることこそ「歴史修正主義」ではないのかと問いたい。

対中ODAの増額を要請か

皇紀2670年(平成22年)12月20日

 伊藤忠商事相談役だった丹羽宇一郎在中共大使が今月上旬、対中ODA(政府開発援助)の強化を外務省本省に意見具申していたことが18日、分かりました。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101219/plc1012190129002-n1.htm

 ▲産經新聞:丹羽大使が対中ODA強化要請 関係改善めざし外務省に

 いやしくも「共産主義国」を名乗りながら、あってはならない人民の所得格差がとてつもないにも関わらず、何やら13億人を挙げた経済発展が目覚ましいなどと誤報される一方、格差の実態は既に知られ、ゆえになのか日本政府による対中無償資金援助と技術協力は続いています

 沖縄県石垣市尖閣諸島の日本領有を脅かし、まんまと東支那海のガス田開発で日本政府を騙した中共に、累計約3兆6000億円、平成20年度だけで約53億円を差し出した日本が、なぜか世界最大の中共支援国なのです。

 日本の政治家や文化人たちによれば、「過去の贖罪」として支援すれば優しくしていただけるはずではなかったでしょうか? こればかりは文字通りの官民を挙げた日本領侵略に直面し、天皇陛下の名代という自責を忘れて夜中に呼び出されるがまま抗議もせず、それは前原誠司外相に何らの判断能力もないからにせよ、まだなお「カネをよこしてくれ。話をつける」と要請したとされる丹羽大使は、まだまだ騙されたがる被虐欲者(マゾヒスト)に違いありません。

 ご本人は「そのような事実はない」と話されているので、現段階で「要請した」と断定は出来ませんが、政治の世界に於いて事態が進行中にその内容を当事者が明言することはほとんどなく、全て終わってから「やはりそうだったのか」と思い知ることになります。

 そもそも日本の商社としては極めて早くから中共に進出してきた伊藤忠の丹羽氏が、民主党政権になって在中共大使に任命された時から、このようなことになると予想されていました。

 丹羽大使とは刎頸(ふんけい)の友であるとも噂されている「中共富豪の5指」に入る頂新グループ魏応州董事長(代表取締役会長)との間で、既に伊藤忠は中共食品市場への進出をまとめあげており、しかもその手法は、通例の単独または合弁会社の設立ではなく、直接頂新グループの持ち株会社に資本参画して合弁会社を立ち上げるというものです。これは決して食品業界に対してだけではありません。

 皆様もご存知の通り、米国のジョン・ルース駐日大使は外交官ではなく弁護士であり、民間人が大使に登用されるのは異例なことでも悪いことでもない(米国はマイケル・アマコスト大使ののち1人も外交官を駐日大使に任命していない)のですが、それは何らかの政府としての思惑があってのことであり、伊藤忠の丹羽氏を大使に任命した事実をもってしても、民主党政権はカネのために「屈中」する思惑を持っていたと考えるべきです。

 かつて、米国務省の対中外交関係者たちが、退官後に次々と「対中企業相談(コンサルタント)業」を始めている事実を書いたことがありましたが、彼らはそのためにと言ってもよいほど中共当局幹部との親交を深めていきます。ところが、丹羽大使は最初からこれであり、あまりに前例がありません。

 日本のODAそのものの問題は、実は10月24日に名古屋での講演でもお話ししたのですが、どの国でも当然の「ひもつき(タイド)援助」になっていないことであり、一方で政商が私腹を肥やし、日本の政治家が割戻し(キックバック)を受け取るという悪事が散見されます(配信動画では、あまりにも泰国での実例を生々しく話したため、公開していません。ご了承下さい)。

 一体何のためのODAなのか、もう一度私たちは政府に考えさせる必要があるのです。この対中ODAの件を端緒に、決して中共のみならず狡猾な外国に対し、日本が老獪になれるわけでも清廉であるわけでもない現実を外務省に質したいと思います。皆様も是非お考え下さい。

日本「平和」を言うなら…

皇紀2670年(平成22年)12月19日

 田母神俊雄元航空幕僚長が会長を務める頑張れ日本! 全国行動委員会草莽全国地方議員の会などは18日、「民主党(菅)内閣打倒! 皇室冒涜糾弾! 中国の尖閣諸島侵略阻止! 国民大行動」を挙行し、東京都内の渋谷駅前に約4000人が集まりました。(画像は産經新聞社より)

 駅前の街頭演説には田母神会長のほか、西村眞悟元防衛政務官や土屋敬之都議会議員、三宅博前八尾市議会議員、作曲家のすぎやまこういち氏のほか、10日に沖縄県石垣市尖閣諸島の南小島に上陸した仲間均石垣市議会議員と箕底用一同市議会議員も立ちました。

 石垣市議会は17日、明治28年の閣議決定で尖閣諸島が日本の領土であることを確認した史実を記念し、その1月14日を「尖閣諸島開拓の日」とする条例を可決しています。仲間議員も箕底議員もこの大義を成し遂げられた翌日に、上京してでも領土保全を訴えたのです。

 http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY201012180217.html

 ▲朝日新聞:石垣市「尖閣開拓の日」条例、中国「侵犯するたくらみ」

 日本は「平和国家」を目指すとしてきました。そのような理想を主として牽引してきたのは、これまで概ね「反戦・非核運動」や「9条護憲運動」だったわけですが、これではまず戦争という現実を目の前にしてから反対する運動に過ぎず、また日本さえ戦争に巻き込まれなければよいともとれる極めて個人主義的な一部の市民運動にしかなりませんでした。

 つまり、それが「理想」と語るにはあまりに内向的で近視眼的であり、日本自身が平和の実現のために何ら戦略も兵站もなく、おまけに説得力のある哲学も持ち合わせずにきたということなのです。この居丈高な盗人にして平和を乱す中共に対し、日本政府はどう対処するのでしょうか。

 http://sankei.jp.msn.com/world/korea/101218/kor1012182346010-n1.htm

 ▲産經新聞:違法操業の中国漁船  韓国警備船に体当たり 1人死亡

 http://mainichi.jp/select/world/news/20101218ddm003010144000c.html

 ▲毎日新聞:防衛大綱 中国外務省、新大綱に強く反発

 島根県隠岐郡隠岐の島町竹島不法占拠したままの韓国さえ、好戦的な中共による(官民を挙げた)組織犯罪の被害を受けています。日本政府のすべきことは国際法に則り、それを無視する国家は平和を乱す火種でしかないのですから、消防士となって消火し、不法占拠には行政代執行、組織犯罪は検挙していくことです。以前「中国は暴力団ではない」と反論してきた方がおられましたが、中共が排除されるか否かは人民の(その制度はないが)選択に任せるとしても、私たちはただ彼らの「行ない」に対して毅然と対処すべきだと申しています。

 それらが出来ずに「世界平和」を語るのは、まるで決してありえない事態に陥って警察署も消防署も失った自治体がなぜか偉そうに「殺人・強盗・放火はいけないことです」と語り、いざ事件が発生すれば隣の自治体に犯人を吐き出して「本件はうちの管轄ではない」「揉めごとには一切関わるつもりはない」などと言うようなものです。もはや住民は引っ越すほかありません。

 日本は一見平和に見えますし、大抵の人は昨日も今日も「円」が使えて平穏無事ですが、これほど心もとない体制下で暮らしている自分をまず疑ったほうがよいのです。私は何度も申している通り、皇室祭祀という哲学を本来有する日本こそが世界平和を牽引するべきだと思っています。現実に右往左往して簡単に諦めたくはありません。

 だからこそ自民党も民主党もつまらぬ屈中作家を日中外交の助言者に雇っている場合なのか、との高い意識を私たちが示しているのです。東京での国民行動は、もはや数回の開催を経てのべ1万人を超えたはずであり、大阪での約3300人をはじめ、各地で「倒閣」の声が上がっています。それでも概して財界もメディアも(政局騒動ばかりで)ほとんど静かであるということは、いかにわが国の政治が劣悪になり始めているかの皮肉な証拠でしょう。

この記事の関連動画

 http://www.youtube.com/watch?v=DjZBTlWEZdY

 ▲3「尖閣諸島」外交文書が語る日本領

 「領土と憲法」決起集会、仲間均議員の講演より 平成21年12月1日大阪

 http://www.youtube.com/watch?v=5jNkCQUCvZg

 ▲自民も民主も日中コンサルにS氏

 遠藤健太郎講演会より 平成22年10月24日名古屋

「石原都知事は狂ってる」

皇紀2670年(平成22年)12月18日

 16日記事で取り上げた東京都青少年健全育成条例の改正に当たり、石原慎太郎都知事の関連発言に対してコラムニストのマツコ・デラックスさんが苦言を呈しました。13日放送のTOKYO MX『5時に夢中! 月曜日』での発言です。

 http://www.youtube.com/watch?v=XJW0CdGe2UQ
 ▲YOUTUBE:マツコ「石原都知事は狂ってる」?青少年条例とゲイ差別

 ここでマツコさんが指摘していた「同性愛者はどこかやっばり足りない気がする」という石原都知事の発言については、毎日新聞社が記事にしていました。

 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101208k0000m040122000c.html
 ▲毎日新聞:石原都知事 同性愛者「やっぱり足りない感じ」

 私は何度も、エドマンド・バークが提唱した保守哲学について、祖先から受け継がれたものは無条件に次世代へ継承するとし、ゆえに仏国の革命に理論的な批判を加えたのは、彼が人間の習性としての偏見に気づき、その偏見に支配される理性と意志と心情に何らの疑いもかけないことへの危険を指摘したためだと論じてきました。

 ですから、実は革命を唱える左翼思想こそ個人の偏見を肯定しているのであって、少なくとも保守を標榜する者は自らの偏見を疑わねばなりません。では、私自身は同性愛者に対する偏見が全くなかったと言えるか、自問する必要があるのです。これはとても辛い作業でした。

 一方でバークは、永続的且つ広く普及した共通の偏見にこそ古きものへの尊敬の念が潜在し、それは美徳と智恵をもたらし、個人の「裸の理性」による扇情的行為を防ぐものとしています。私はここに、個人の理性を絶対的現世価値観とした仏革命の「ギロチンの嵐」と、過去欧米に蔓延した同性愛者に対する「火あぶりの嵐」は、根源が同じではないかと考えるのです。

 祖先から受け継がれた生命を次世代へ継承するという生物の本能に対し、同性愛は「次世代への継承」という点で反することになります。しかし、自らの存在は紛れもなく「祖先から受け継がれた生命」であり、特に性同一性障害者が苦悩する過程で「生まれてこなければよかった」「自分は間違った存在だ」などと考えるようになることに、私は皇室祭祀をもって互いに優しく解きほぐす努力をすべきだと思うのです。

 男女が結婚をした場合に於いても、必ず子孫を残すことが出来るとは限りません。さまざまな要因によって、子供の誕生を願いながら叶わぬ夫婦もおり、それがすなわち結果として生物の本能に反し、保守主義や祖先祭祀に反すると断じるのは間違っています。むしろ、そのような現実に悩む夫婦を救う哲学と理想が皇室祭祀にあるのだ、と。

 ところが、柳澤伯夫元厚労相の「産む機械」発言に見られる極めて唯物論的な発想で申せば、「産む権利」「産まない権利」といった権利闘争へと発展し、同じく同性愛者も権利闘争をするほかなくなります。決して「私は異性愛者です」などとは申さない私の横で、わざわざ同性愛者に「私は同性愛者です」と言わせる闘争運動はいかがなものでしょうか。

 そうは申しても、私を含む保守哲学を研究する者がいち早くこのことに気づけばよかったのでしょうが、現状では「権利闘争」や「人権運動」を主として革新的な左翼が請け負っており、そうでなくともいわゆる「人民主権」のジャン=ジャック・ルソーや、或いは表層をさらえば「人間をただの手段として扱うな」という哲学を示したことになっているが、ルソーの強い影響を受けて理性を人間の自然的素質とした(私が思うに)間違いのあるイマヌエル・カントらに傾倒する者が、人間の存在を革命目的の最大限達成に手段として利用している有り様です。

 これでは決して同性愛者に対する排除・排外の現象はなくなりません。また、私が以前から提起してきた身体障害者に対する偏見がないかという自問の必要も同じで、例えば旧約聖書のレビ記には障害者への温情的表現と蔑視的表現が共に表れます。本来キリスト教はこの事実のみをもってしても、人間の偏見に気づかせる教えだったはずです。

 彼らは、ユダヤ教もそうですが、障害者への偏見と同性愛者への偏見を乗り越えたとしていますが、元来は穏健なイスラム教にせよ、原理主義者は極めて過激なことを今なお主張します。どうしても宗教は教義・教典を突き詰めれば、何かしら排除・排外の傾向へと奔りがちなものではないでしょうか。

 そのような世界観を変え、闘争ではなく和(平和、協和、調和)によって進歩する人類の哲学は、やはり皇室祭祀をおいて他にないのであり、まず日本民族自身が実践しなければならないのです。神社を参拝する神父や牧師、ラビらがいることを、私たち自身がよく知らねばなりません。

 ともかく、調べうる限り平安時代より「衆道」が存在し、「武士道」と「男色」は矛盾しないものとしてきた日本の歴史をひも解けば、そこに一族の安泰という目的もあったでしょうが、端的に申せば非常に緩やかな価値観を共有していたことが分かります。それを可能にした世界でも唯一と言って過言ではなかったのが日本民族なのです。このことを肝に銘じておきましょう。