「現憲法は独立を回復するまでの憲法」安倍晋三が祖父・岸信介という“政治家”を語る | 文春オンライン

戦前は満州国で辣腕を振るい、戦後は首相として日米安保条約改定に尽力した岸信介(1896~1987)。孫である安倍晋三元首相が、祖父としての素顔を語る。◆◆◆祖父が首相のとき、私は2~5歳でした。やはり…
(週刊文春|文藝春秋社)
〈麻生太郎が語る祖父・吉田茂〉日米安保の調印にこぎつけた吉田茂の“リアリズム” | 文春オンライン

戦後日本を牽引し、復興の礎を築いた宰相・吉田茂(1878~1967)。孫であり自身も首相を務めた麻生太郎氏が、吉田の政治家としての手腕を率直に評価する。◆◆◆吉田茂の何がすごかったか。後世に名を残す理…
(週刊文春|文藝春秋社)
週刊文春(文藝春秋社)が興味深い取材記事を掲載しています。安倍晋三元首相と麻生太郎元首相・元副首相兼財務相の現在に至るまでの行動原理が、彼らの祖父である岸信介元首相と吉田茂元首相をどう理解しているかによって分かる記事です。
まず吉田元首相が桑港(サン・フランシスコ)講和条約よりも日米安全保障条約の締結に、むしろ政治生命を懸けていた(自分一人の責任とした)ことが改めて分かります。
よく大東亜戦争後の焼け野原で、国民を食べさせる政策に集中した吉田元首相は、本来受け入れがたい現行憲法(占領憲法)を占領統治下のみのこととして受け入れ、カネのかかる国防を米軍にやらせたとは聞いていましたが、この辺りのことを「リアリスト」と理解している麻生元首相は、さらに小村壽太郎元外相のポーツマス条約締結と松岡洋右元外相の国際連盟脱退に対するそれぞれ世論の反応と歴史的評価について、吉田元首相の話をよく記憶しており、いかに報道権力や世論が当てにならないものかを感覚で即座に理解できるようです。
これが麻生元首相の記者会見に於けるいわゆる「テレビ朝日、朝日新聞社いじり」の一言(大抵は問題発言とされる)に繋がっているのかもしれません。
吉田元首相のいわゆる「バカヤロー解散」は、西村眞悟元衆議院議員の父で社会党右派(当時)だった西村榮一元衆議院議員の鋭い質問に思わずつぶやいてしまった一言に端を発したのですが、吉田元首相と激しく対立していた後継の鳩山一郎元首相が三木武吉元衆議院議員の策で誕生した自由民主党(昭和三十年体制の始まり)をもってしても、吉田講和後を受けて占領憲法の無効確認をしなかったことが今日に至るまでのわが国政治の耐え難い不作為を招いています。
その西村眞悟氏が占領憲法の無効を訴え、鳩山由紀夫氏が未だ意味不明な言動を繰り返していることに、それこそ歴史の巡りを感じるのです。
そこで岸元首相へと繋がっていくわけですが、端的に申し上げて岸元首相に対する人物評価は、戦中・戦後共に極めて悪く、私はかつて安倍元首相がなぜ同じ祖父でも父方の安倍寛元衆議院議員に一切言及しないのかという疑問を呈したことがあります。
とはいえ乾坤一擲の勝負に出て日米安保改定を成し遂げ、まさに文春がその一言を大見出しにした「現憲法は独立を回復するまでの憲法」との認識は、いえそれを明確に記憶している安倍元首相が占領憲法の無効を口にした理由が分かりました。
私がしたためた新無効論の概略を手に、その場で大いにうなづいてくれた安倍元首相が某政治討論番組(讀賣テレビ系)で「現憲法は無効にできる」と発言してみせたことは、そもそも祖父からの薫陶でもあったのです。
外交と安保は政治家にしかできないという認識も、安倍元首相の政治家としての姿勢と一致しており、一方でいわゆる「アベノミクス」が日本銀行の量的金融緩和に終わった失敗の原因も、これで分かったような気がします。
惜しむらくは現在、経済政策を政治家が民間を率いて主導しなければどうにもならない時代になったと理解してほしいことです。
戦後の焼け野原を官僚の計画経済で復興させた時代とは違います。
十二月二十八日記事でも取り上げた安倍元首相主導の世界戦略「日米豪印戦略対話(Quad)」は、同時に中共の出鱈目な経済成長と「世界の工場」を中共に取られたわが国の経済復興策でもあってほしかったのです。
責任倫理の理解として占領憲法改正しか唱えられない自民党を作ったのは鳩山一郎元首相であり、旧民主党政権を「悪夢の三年間」と批判して歴代最長政権を達した安倍元首相には、それこそ乾坤一擲の勝負に出て自主憲法の系譜を守る大日本帝國憲法の真の改正を成し遂げても欲しいところでした。