タイヨウのうた

皇紀2670年(平成22年)5月10日

 ポルフィリン症(プロトポルフィリン症)の難病指定を政府に請願する署名活動が4日、鳥取県境港市であり、特にかねてより池谷さん兄弟を取材していたTBSが大きく取り上げました。

 http://mainichi.jp/area/tottori/news/20100505ddlk31040248000c.html

 ▲毎日新聞:ポルフィリン症 難病指定、国に請願JR境港駅前で署名活動/鳥取

 平成18年公開の日本映画『タイヨウのうた』は、小泉徳宏監督のデビュー作で、シンガーソングライターのYUIさんの女優デビュー作でもあり、中規模公開作品としては異例の大ヒットとなりましたが、ここでは色素性乾皮症が取り上げられました。

 ポルフィリン症と色素性乾皮症は、日本民族がすでに『日本書記』に生命の源として認識していたことを表した太陽の光を避けなければならないという皮肉な症状であることに共通点はあるものの、基本的には別の疾患です。

 映画では、この日光を避けなければならない点だけが強調されていましたが、小泉監督は決して「太陽のギラギラ」を恐怖描写に変えることはしませんでした。そこに、自然と人間の関係を古来より極めて高いレヴェルで認識してきた日本の映画らしさがあり、であるからこそ太陽の光に当たれない悲しさが強調されています。

 主として色素性乾皮症は神経障害を伴い、映画での描写には難しいものがあったのでしょう。しかし、このようないわゆる難病の存在を広く知らしめることに貢献したのではないでしょうか。

 ポルフィリン症は、プロトポルフィリンの水溶性が低いことにより、肝臓に胆石がたまるといった症状を引き起こしますが、色素性乾皮症が特定疾患に指定されたのに対し、ポルフィリン症はされていません

 上記毎日新聞社配信記事には「難病指定」と書かれていますが、実はこれと「特定疾患」は同じではないのです。厚生労働省の難治性疾患克服研究事業のうち、特定疾患とされたものは研究費の助成とともに患者の治療費も助成対象ですが、難病指定とされるものでは患者への助成がありません。恐らく池谷さんたちは特定疾患指定を求めているはずであり、そうであれば難病指定の請願という報道は正確ではないでしょう。

 ところが、そもそも「難病」に定義がありません。治療法が確立されていないという点だけで言えば癌(がん)などもそれに該当してしまい、一方すでに日本政府が難治性疾患克服研究事業を非常に多く抱えすぎてしまっているという問題もあるそうです。

 これには製薬企業との兼ね合いもあり、患者数の少ない疾患に対して治療薬の開発が不効率であるという経済原理が、ときには生命を軽んじる傾向を許容してしまいます。政府主導の難治性疾患克服研究が、たとえ研究費を助成するものであってもうまく進まない理由と言えましょう。

 池谷さんたちは民主党への政権交代以降、一度は厚生労働省へ請願を届けました。鳩山由紀夫首相は「命を守りたい」などと国会で演説しましたが、俗に理系であると言われているほど仮説の立証をする(命を守る政治という目標から実行すべきことを論理だててゆく)能力はまるでありません。この請願に対する回答は一切、池谷さんたちにないのだそうです。

 在日米軍普天間飛行場移設問題でもそうですが、鳩山首相や民主党議員たちは極めて情緒的に政治目標を語りあげて現実的対処ができていません。できないことを言ってはならず、たとえ非難を浴びると分かっていてもできない理由を説明すべきです。鳩山首相の「命を守りたい」と「最低でも県外」は、ほぼ同じくらい軽く発せられた言葉に違いありません。

 病気も「自然」と言えます。癌も自らの身体が育てた細胞の一部であり、自然も災害をもたらすことから、畏れの対象であることを私たちはすっかり忘れてしまっています。この「自然」とどう向き合うかが問われているのであって、映画でも登場人物たちが受け入れたり、闘ったりする様が描かれていました。鳩山内閣にそのような姿勢はまったく見受けられませんが、皆様はいかがお感じでしょうか。

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心機一転がんばります!

皇紀2670年(平成22年)5月7日

 5日記事にて、私は「これまでのような政治ブログの形態を終了させたいと思います」と申しました。では、どのような形態で発信していくか、ということです。

 現在、日本に於けるブログの役割はさまざまでしょう。ツイッターのような発信形態も登場しましたが、よほどインターネットにかじりついていない限りその機能を生かしきることはできず、私のように常時チェックする時間がないと大した魅力を感じません。

 そんな中で、一体どれほどの日本国民が政治ブログを読んでいるのか、という疑問は以前からありました。私がやってきたことは、いわゆるビジネスのチェーン展開にあるドミナント政策(地域を限定して集中出店する戦略)のようなものであり、日本国家の問題を扱ってきたにもかかわらず、果たしていつまでもそれでよいのかと自問してきたのです。

 特に政治ブログを読むほど政治に高い関心があるわけではないという方々にも、日本国家の基軸が何にあるべきかを伝え、認識を共有していくことを考えれば、おもいきって娯楽や生活分野のカテゴリーに飛び込んでいこうと思います。

 これは、私が街頭演説をする際、常に心掛けてきたことでした。できるかぎり平易に、時には流行の事象を例にとってでも語ってきた基本的な私の姿勢です。それをインターネット上でも体現する試みに打って出ます。

 在日米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、いよいよ鳩山由紀夫首相の発言の軽さがメディアでも取り上げられ、民主党の山岡賢次国対委員長の沖縄県民を莫迦にしたような発言までもが、しっかりと問題視され始めました。多くの日本国民が政権交代への失望を抱いていることでしょう。

 しかし、ではどうすべきなのかが分かりません。ほとんどの国民に長期的な国家展望を考える時間などありませんから、つい民主党への政権交代に乗ってしまったのですが、これもダメとなると、もはや歩むべき道も光も失ったようなものです。

 この間にも、政策をときどきに変節させる小沢一郎幹事長が無為無策に時を過ごしているわけなどありません。今ごろになって「対案を」などと寝とぼけている自民党との間で、参議院議員選挙後の勝手な政界再編を思案しているに違いないのです。

 私は「この国は日本である」と言えるか、と問い続けてきました。それは決して内向的な話ではありません。米軍による占領統治の続くような国が経済大国であり、常に弄ばれて没落していくかもしれないという全世界規模の危機と、地球を守ることと人類の生命の継承を守ることの教えがわが国にありながら、全世界に啓蒙することもしない大罪を問うているのです。

 普天間問題にしても、なぜ誰も占領憲法下で鳩山内閣の言う県外も海外もないと言わないのでしょうか。米軍のいやがることは何もできません。そして、米軍が日本をもぬけの殻にしたがれば、その時は黙って従うしかないのです。

 このような日本に、平和環境も語る資格などありません。ところが、本来ならそれを全世界に発信する「祭祀」が日本にあるのです。天皇陛下のご存在は、まさにその証明ではありませんか。

 ということは、ますますもって政治ブログで語るようなことではないとも言えます。今後、ブログランキングから閲覧に来て下さっていた皆様には、何卒拙ブログをブックマークしていただきますよう御願いします。どのカテゴリーに出没するか分かりませんので、あしからず。

ありがとうございました

皇紀2670年(平成22年)5月5日

 5月5日は端午の節句ですが、本来は旧暦で祝うべきであり、平成22年は6月16日がその日です。経済交流を含めた外交に於いて、便宜上グレゴリオ暦を導入したのは明治5年のことですが、少なくとも古くからの伝統行事をローマ教皇発令の暦で祝うのは間違っています。

 この端午の風習は支那の伝承に基づきますが、日本には五月忌み(さつきいみ)という風習がもともとありました。田植えの前に女性の忌み籠りや大地の不浄を祓う儀礼だったと言われています。

 これが結びつき、菖蒲を節句の魔除けに使ったことから、日本では「菖蒲」と「尚武」の音通により、女性の節句から現在のような男子の節句へと変貌したようです。

 しかし、平成17年に「端午の節句」の起源は韓国であるとの主張がユネスコの無形文化遺産で認められてしまったのは、多くの怒りと失笑をもたらしましたが、ことほど左様に欧米主導の国際社会では東亜の文化に対してまるで不勉強なのでした。

 私の親しい医師によると、いわゆる五月病というのは、俗に新入の学生や社員たちが環境に慣れ、落ち着き始めたころに陥りやすい心理状態を指すと言いますが、これにはほぼ根拠がなく、春季から夏季にかけて湿気が増すことで人間の心理状態に影響を及ぼすことを指すと言います。

 この自然の変化が「モヤモヤ感」を発生させ、そこで古来より日本民族は五月忌みを行なったのでしょう。支那や朝鮮に於いても、昔の人々のほうが自然と人間の関係を知っていたのです。そんな中、まず女性と大地をすっきりさせることだったというのがいかにも日本民族らしく、現下のつまらぬフェミニズムの先を行っていたとも言えましょう。

 北陸から近畿、山陰地方には、女性の尻を菖蒲などを束ねた棒で叩いてまわるという儀礼もあったそうですが、これがあたかも女性虐めであるかのように歪曲するのが、今日の日本社会です。儀礼の意味を知らず、伝承することの意味もなくしてしまってはいけません

 さて、私は本日をもって、これまでのような政治ブログの形態を終了させたいと思います。心密かに「人気政治ブログランキング」の順位に於いて、或る一定の基準を下回ればブログをやめようと思ってきました。とはいえ、私は順位のチェックを怠りがちで、正確には本日を機とするのはおかしかったかもしれませんが、何卒それはお許し下さい。

 今でもよく覚えているのは、もう4年前にもなりましょうか、ハンドルネーム「高校生」様が「大日本帝國憲法は今でも生きています」とコメント欄に書き込んで下さり、それに対して私が「おっしゃる通りです。しかし、それを証明する政治日程が私には提示できず、世間に向かって訴えることができません」というような意味のお返事を書きました。今、この方にお会いしたいと強く願っています。

 あれ以来、南出喜久治辯護士が法律家・真の憲法学者として確立された真正護憲論(占領憲法新無効論)に触れ、やっと訴える術を身につけた今では、「本当に日本を守るにはこれしかない」とはっきり言えるようになりました。

 問題は、南出辯護士から「真正護憲論者を激しく憎悪・敵視するのは、決まって旧来保守派。従来保守利権(保守風味)の連中。それでも一緒に闘ってくれるか?」と問われたように、私に対する皆様のご支持がそれ以前より確実に減ることです。当然、すべて腹をくくった上での宣言でした。

 ブログランキングに於いては、ハンドルネーム「日本人」様が「FC2政治ブログランキングが(左翼系だらけで)酷い有り様なので、ここを登録して流れを変えて下さい」とご提案下さり、一部(左翼系?)ブロガーから名指しで恨まれもしましたが、確かに拙ブログの登録を端緒に上位の並びが一変しました。ここでも、もう私の役目は終わったと思っています。

 これまで本当にありがとうございました。これからも、真・保守市民の会 公式ウェブサイトを宜しくお願い申し上げます。

上海万博に見る中共の姿勢

皇紀2670年(平成22年)5月4日

 沖縄県を訪問した鳩山由紀夫首相は4日午前、在日米軍普天間飛行場の移設について、仲井真弘多知事に「すべて県外にというのは、現実問題として難しくなった」と述べました。

 また、昨年末のデノミネーション(通貨単位の変更)に失敗し、韓国海軍の哨戒艦「天安」沈没への関与が疑われている北朝鮮の金正日委員長が、4年ぶりに陸路で中共入りしています。

 一方、1日に開幕した上海万博(上海国際博覧会)について、これまでここでは何も言及してきませんでしたが、広報用の楽曲やキャラクターに浮上した「パクリ疑惑」や、開幕に間に合わない複数パピリオンの存在、開幕前のリハーサルで起きた混乱、入場予約券を奪い合う人民など、その多くが日本のメディア報道がなぞりたがる昭和45年の大阪万博とは様子が違うではありませんか。

 会場のパピリオン配列に、中共の政治姿勢が表れているようです。通称「中国館」は、まさに「世界の中国(【一般名詞】中心の国の意)」を誇張するように建てられ、アジアゾーンの端に「日本館」が建てられました。そして、万博初出展の「北朝鮮館」も、やはりアジアゾーンの端にあるのです。

 日本館で国旗の掲揚が控えられるという余計な措置は、もはや日中間の潜在的対立をけしかけるべく、わざとやられたとしか思えませんが、資源外交で引き寄せたアフリカ諸国のパピリオンが「中国」館のそばに林立していることからも、やはり政治的意図が反映されていると思われます。北朝鮮との距離感もまたしかりでしょう。

 中共のなりふりかまわぬ資源外交といえば、実はこれこそが最大の環境問題であることを認識しておかねばなりません。

 例えば、日本国内で流通している輸入割り箸の約9割が支那産ですが、日本のように建設材などの余りを利用するという「捨てない」文化ではなく、まだ育ってもいないような木からでさえ丸ごと割り箸加工用に切り倒してしまうといいます。

 しかも、彼らに植林という考え方はありません。私たち日本民族が、自然の恵みをいただき、また再生していくという暮らし方の基礎である自然祭祀を世界に広めねばならないと私が主張しているのは、このような国があるためで、環境保護をうたうならば中共のこのような資源の使い方をこそやめさせねばならないのです。

 欧米が中共に致命的な宣告を下さないのは、自分たちもそのような資源確保をしてきたためで、調査捕鯨で日本だけが攻撃を受けてきたのは、環境保護活動でも何でもなく、ただ日本のような国の存在が邪魔だからでしょう。

 在日米軍をめぐる日本政府の迷走、人民解放軍の動き、韓国艦の不思議な沈没事故、これらの意味するところは、東アジアの混乱を狙う者がおり、中共は万博後の国力発展維持にそれを利用するかもしれないということです。

 日韓朝の3カ国は米中の思惑にただ翻弄されるに墜ちるかもしれず、いよいよ日本にまともな政権を誕生させねば、もうもちません。

第5回「新憲法無効論公開講座」大阪大会

 基調講演 「日本の自立再生への道」 南出喜久治先生

 日 時 平成22年5月30日(日)13:00?16:30

     開場12:30(納会は16:45?18:30)

 場 所 難波御堂筋ホール8階 HALL8A

     大阪市中央区難波4丁目2番1号(電話 0120-010-443)

     地下鉄御堂筋線「なんば」駅下車 13番出口直結

 参加費 2000円

 主 催 錦の御旗のけんむの会

 ◎納会参加費は、3000円

 ◎参加申し込みは、 吉水神社 宮司 佐藤 一彦(素心)まで

  電話 0746-32-3024

 http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/

小沢主導の改憲を阻止せよ

皇紀2670年(平成22年)5月3日

 昭和22年5月3日、GHQによる占領統治下で日本国憲法という名の占領憲法が発布されました。翌年7月20日に公布・即日施行された祝日法(国民の祝日に関する法律)により、この屈辱の日が「憲法記念日」となったのです。

 もはや人類が互いに血を流さねばならない時代から脱却すべきである、とする平和の理念をわが国が世界に発信するためにも、占領憲法の出鱈目は忘れ得ぬものと言えましょう。占領憲法第9条がありながら、大日本帝國の統治からはずれた途端に勃発した朝鮮戦争により、法律より上位だったGHQ指令で誕生したのが警察予備隊、すなわち現在の自衛隊です。

 この国軍となるべき自衛隊を合憲化するには、昭和27年4月28日以降、自前の大日本帝國憲法に戻すしかありませんでした。仮に武力の保持を本当に否定するにしても、一旦はそうすべきだったところを、平成22年現在に至るまで日本政府はGHQ指令に従ったままなのです。

 その出鱈目を覆い隠すために政府や憲法学者たちが述べてきた屁理屈の莫迦莫迦しさは、5月1日記事「占領憲法はまるで仮店舗」で平易にご説明申し上げた通りです。

 野中広務元官房長官は4月23日、内閣官房報償費(機密費)から複数の評論家へ盆暮れのたびに数百万円を届ける慣例があったことを暴露しましたが、大して驚かされるような話ではありません。「まぁ、そんなところだろう」という話です。

 目下、フジ・サンケイグループは民主党批判を続けていますが、週刊文春5月13日号に書かれたようなこともあります。それは、中川一徳氏がすでに『メディアの支配者』(講談社刊)で指摘しておられたような、つまりフジテレビ系列の「岩手めんこいテレビ」を盛岡市ではなく小沢幹事長の地元・水沢市(現在の奥州市)に開局させた「フジと小沢の黒い関係」があるというものでした。

 ともすれば、フジテレビも産經新聞も小沢幹事長の手の平の上で小沢批判を展開しているだけかもしれませんし、或いは中川氏が書いておられたように、それでも岩手めんこい開局当時の東京都知事選挙では「フジと小沢が明らかに対立していた」ことから、必ずしも組織的且つ永続的に癒着しているわけではないのかもしれません。現に、開局まもなく本社は小沢幹事長の地元を捨てて盛岡市に移転してしまいました。

 しかし、私たちは長らくメディア報道から「改憲か、護憲か」の両論しか聞かされてこなかったのは事実です。この出鱈目を流布してきたのは、政治家と官僚と憲法学者やジャーナリストたちであり、小沢幹事長が今夏の参議院議員選挙後に目指すと言われている占領憲法の改正を阻止できるだけの力は彼らにありません。

 仮設の仮店舗をリニューアルして本店舗に見せかけ、お客を騙すような行為は絶対に阻止しなければならないのです。小沢幹事長主導の改憲を阻止するためにも、皆様が真正護憲論にたどり着かれるよう、私はこれからも説いてまわります。

第5回「新憲法無効論公開講座」大阪大会

 基調講演 「日本の自立再生への道」 南出喜久治先生

 日 時 平成22年5月30日(日)13:00?16:30

     開場12:30(納会は16:45?18:30)

 場 所 難波御堂筋ホール8階 HALL8A

     大阪市中央区難波4丁目2番1号(電話 0120-010-443)

     地下鉄御堂筋線「なんば」駅下車 13番出口直結

 参加費 2000円

 主 催 錦の御旗のけんむの会

 ◎納会参加費は、3000円

 ◎参加申し込みは、 吉水神社 宮司 佐藤 一彦(素心)まで

  電話 0746-32-3024

 http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/