集団的自衛権、無責任な話

皇紀2674年(平成26年)4月10日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140409/stt140409……
 ▲産經新聞:集団的自衛権「自公の考え根本から違うというわけではない」 自民・高村副総裁

 いわゆる「集団的自衛権」の行使容認をめぐり、政府の有識者懇談会による報告書のとりまとめが来月の連休明けにずれ込むようですが、本当の原因は公明党との調整に時間がかかっているのではなく、有識者や政府内部から根本的な疑問が投げかけられ、それに誰も答えられないからにほかなりません。

 その疑問とは、現下の自衛官に「他国軍のためにも死んでくれ」と言えるのか、そもそもそのようなことを前提に募集しているのか、ということです。

 私はこれまで当該議論を指して「自衛権問題」と申してきましたが、本来は既に連合国(俗称=国際連合)憲章第五十一条でも日米安全保障条約第五条でも、集団的自衛権という考え方は認められています。これらにわが国は加盟、または調印しているのですから、行使することに問題はありません。

 しかし、わが国政府が今なお有効な基本法としている占領憲法(日本国憲法)がこれらを全て否定しているのです。法理論として立法府(国会)が無効を確認すれば何の問題もありませんが、安倍晋三首相も有効論をとったがために、目下わざわざしなくてもよい議論をしています。

 占領憲法有効論のもとにある政府は、自衛官に「戦争に行け」と命じることはできないはずです。何度も申しますが、自衛官も国民であり、その国民を騙して万が一にも死なせるわけにはいかず、現法制下で募集に応じた自衛官に「戦争に行く義務」はありません。それでも「行け」というのであれば、「命じたやつがまず行って死んでこい」か「国民全員で行く」という話です。

 「公明党や日本共産党ら、中韓両国のみがこれに反対しているから進めればよい」などと幼稚なことを言う人はいないと思いますが、もともと自衛権に「個別的」も「集団的」もなく、自衛官の「戦死」を認めていないような現体制(「公務死」議論)で、もっと申せば靖國神社に参拝もしない首相が出てくる状態で解釈改憲を重ね、法の支配を無視して「自衛官に行ってもらいます」とは、一体どの口が言うのでしょうか。

 安倍首相自身は結論を急いでいませんし、朝鮮半島情勢に何らかの形で加担したくもありませんから、一から議論をやり直させましょう。

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中共、尖閣に武力行使用意

皇紀2674年(平成26年)4月9日

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/140408/chn140408……
 ▲産經新聞:尖閣めぐり米中国防相が火花 米「日本守る」、中国は「武力を使う用意ある」と威嚇

 米国のチャック・ヘーゲル国防長官と会談した中共の常万全国防部長は八日、沖縄県石垣市尖閣諸島に対して「武力を使用する準備はできている」などと述べ、さらに「米国は日本の行動を油断なく警戒しなければならないし、日本政府に対し寛大になり、支援してはならない」と語ったようです。

 中共側のこの態度は、米オバマ政権を「弱い」と見ていることと、在米韓国人を「駒」のように使って資金を投入してきた対日糾弾行動に呼応する米国の政治家らが複数いること、さらにわが国の野党や特定市民団体らも同様であり、中韓の主張が日本でも支持されているという演出が今も続いていることから、強気に出られるうちは出ておこうというものでしょう。

 現に民主党の海江田万里代表は米中国防相級会談の同日、米国の講演で靖國神社参拝などを取り上げ、中韓側の主張を展開しました。殆ど力を失った野党党首の発言に重みなどありませんが、中共はわが国を非難する道具として使えるものなら全て使います。

 また、日米両政府の離間を図るような中共側の発言も、米国内の親中派に向けたものであり、ヘーゲル長官が尖閣防衛について踏み込んだ発言をしたからこそ出てきたものです。

 中共が今すぐにでもわが国を侵略できない理由は、太平洋防衛を担う日米の連携を背景にした国際世論を敵に回すからであり、よって中共は「反日」を海外に広めてきました。

 中共は今後も、ヘーゲル長官のような人物に対して「おまえはまだ分かっていないのか」とばかりに強硬な態度をとり続けるでしょう。それをわが国の政治家が後押ししていれば世話はないのです。

みんな渡辺代表辞任問題

皇紀2674年(平成26年)4月8日

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140407/crm140407……
 ▲産經新聞:代表辞任の渡辺氏と猪瀬事件の違いは「個人の選挙で使ったか」 刑事責任追及にハードル

 みんなの党の渡辺喜美代表が辞任しました。産經新聞社配信記事の中に「渡辺氏は七日の会見で『党への選挙関係費用として使った』としており、渡辺氏個人の選挙資金に使用された実体がなければ」云云とありますが、これこそ検察が「猪瀬直樹前東京都知事の事件より構図は複雑」と見ている一因です。

 確かに渡辺前代表自身は、お父様(渡辺美智雄元副首相)の代からの選挙区で、特に武器・弾薬を大量に追加投入する必要などなかったでしょう。彼を悩ませていたのは、むしろ党所属の弱弱しい候補者たちをいかに勝たせて勢力を拡大するかということでした。

 猪瀬前都知事は、公職選挙法違反で東京簡易裁判所から略式命令を受けましたが、渡辺前代表を起訴するとすれば同法違反容疑の線が最も強く、しかしながら渡辺前代表から分配されたお金を党の誰の選挙で誰が政治資金収支報告書に記載しなかったのか、検察は特定しなければなりません

 これを検察は「複雑」と言っているわけです。本当に捜査が始まれば、みんな内部は大混乱に陥ります。

 日本維新の会の石原慎太郎共同代表と、みんなから脱出した結いの党の江田憲司代表がいよいよ「合流」を話し合うといいますが、江田代表のほうはこの混乱に目をつけ、今後みんなから脱出してくる者を拾い集めようというのでしょうか。前段までに申したことから、脱出組が「傷だらけ」という可能性もあり、安易に拾わないほうがよいと考えられます。

 それにしましても渡辺前代表の周辺について、検察は妻のまゆみ夫人もよく調べるべきであり、そもそも(厚生労働省の公表データから考えて成分の効能に疑問の多い商品だらけの)DHCの吉田嘉明会長は、荒稼ぎしているな、と。

 もう一つ私たちが考え直すべきは、根拠なき供託金の金額設定です。選挙にお金がかかる第一関門はここであり、人気投票になるのを避けるためとはいえ、理念だけでは立候補も出来ないのです。

日本は勇気ある撤退を

皇紀2674年(平成26年)4月7日

 http://jp.wsj.com/article/SB1000142405270230334810457948……
 ▲ザ・ウォール・ストリート・ジャーナル:米議会、TPP交渉に悲観的見方―日本抜きの合意も

 環太平洋経済連携協定(TPP)参加交渉について、最悪なのは米連邦議会にわが国が名指しで「参加させない」と決議されてしまうことです。

 下院歳入委員会の公聴会で、マイケル・フロマン通商代表は「今度は日本側がマウンドに立つ番だ」と述べたようですが、これを逆手に取り、わが国政府は自ら「参加しない」と宣言すべき時でしょう。

 経済的には米中が「もちつもたれつ」でうまくいくのに対し、日米はいわば「仮想敵国」関係にあり、多くの分野で利権が被っていますから、分け合えるものを都度に調整するしかなく、自由貿易協定の類いを締結するに相応しい関係ではありません。ほかに例えば日独も同様です。

 一日記事で取り上げた捕鯨裁判もそうですが、国際司法裁判所(ICJ)のこの場合の判決もTPPも、各国の文化や国民性などに適合した制度に対して、まるで特定の価値観で強制的に他国を支配する植民地政策のようなものでしょう。

 先進国のよいものを発展途上国または地域で利用してもらうこと(かつての皇民化政策に近い)とは全く違い、多くの参加交渉参加国の中で、日米のような先進国どうしがどちらか一方の価値観で相手を縛りあうべきではありません。

 私たちはあくまでわが国側の視点でものを言ってきましたが、米上下両院議員たちの懸念は、私たちにとって意外なほど「日本の基準で妥協させられるのではないか」というものなのです。

舛添都政を監視せよ!

皇紀2674年(平成26年)4月6日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140404/lcl140404……
 ▲産經新聞:「赤坂迎賓館はベルサイユ宮殿のまがいもの」 舛添知事、東京五輪までに“都版迎賓館”検討整備を指示

 明治四十二年に東宮御所として建設された経緯のある国宝・迎賓館赤坂離宮(片山東熊設計)を「ヴェルサイユ宮殿(仏国)のまがいもの」などと言い放った政治家のまがいもの、いや、失礼。東京都の舛添要一知事は、確か「東京シャンゼリゼ・プロジェクト」なるものを立ち上げた張本人ではなかったでしょうか。

 中共の北京市と交流したがっている舛添都知事は、都の迎賓館を作るなどと言っていますが、どうせ招くのは北京政府の共産党官僚たちばかりになるに違いありません。

 地方自治体は外交を担うところではありませんから、なにも「一切手をつけるな」と申しているのではなく、外交儀礼上必要な迎賓館を持つ必要が全くないということなのです。

 そのような予算を計上するより、都の喫緊の課題は地震対策、特に木造住宅の密集地問題の解決であり、例えば土地の収用に莫大な税金を投入しなくてはなりません。これには、固定資産税の制度見直しなどを含め、政府と緊密に連携しなくてはならないはずです。

 何度も申しますが、現下の東京都にいわゆる「派手なこと」をしなくてはならない切迫した政策課題は殆どありません。飽和状態の都市をいかに整理するか、地味にこなした首長こそを評価する時代なのです。