朝日新聞、見苦しい逆ギレ

皇紀2674年(平成26年)8月20日

 http://www.asahi.com/articles/ASG8L5S9DG8LUUPI006.html
 ▲朝日新聞:産経記事巡り朝日新聞社が抗議書 「吉田調書」報道

 韓国政府(正確には司法当局だが)にソウル支局長が不当な取調べを受けたり、朝日新聞社から頓珍漢な抗議書を送りつけられたり、と受難続きの産經新聞社ですが、いわゆる「『従軍』慰安婦」報道をめぐる朝日の誤報告白事件は、まだまったく解決していません。

 むろん「何らかの過ちを犯した個人や団体は、他者からいかなる誹謗中傷も受けなければならない」ということはなく、してもいないことを「した」と言われれば、毅然と反論すべきです。

 だから多くの有識者や、或いは韓国の済州新聞社までもが、世に言う「吉田証言」や朝日の連日・越年に及んだ慰安婦報道に対し、懸命に「していない」「なかった」と証明していたではありませんか。

 それを「日本右翼の妄言」などと非難し、「都合のよい情報だけを取り上げている」として黙殺を決め込んだ結果、自分たちこそが都合のよい情報だけを貼りあわせ、結局は記事を捏造したのです。

 産經に記事を寄せたジャーナリストの門田隆将氏は、そのことを指して「事実を曲げて」と書かれたに違いありません。(注=門田氏ご指摘の「吉田調書」は、福島第一原発事故当時の所長の聴取結果のこと)

 実際、女子挺身隊と慰安婦の混同は、意図的だったとしか思えないほどで、そうでないのなら、なぜお詫びをしないのか、また海外への当該記事配信を避けるのか、まるで説明がつかないのです。

 産經に抗議書を作成して送りつける暇があれば、さらなる検証と謝罪は可能であり、ただちに始めていただきたい。要求しましょう。

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ローマ教皇に朴大統領は…

皇紀2674年(平成26年)8月19日

 http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014081800159
 ▲時事通信:ローマ法王が平和ミサ=元慰安婦の手握る-韓国

 二十五年ぶりに韓国を訪問されたローマ教皇(法王)は十四日、朴槿恵大統領と会談しました。その際の映像をご覧になって、著しい違和感をおぼえた方もおられたでしょう。

 朴大統領の手を握り、そちらを強く見つめて何か話しかけておられる教皇に対し、当の大統領は報道各社に撮影されることしか頭にないのか、ろくに目を合わさず、正面を向いて笑顔で握手し続けるほかなかったのか、返事もしていません

 仮にも安倍晋三首相がこのような態度をとった場合、私は即座に「この安倍政権も案外終わりが近い」と申すでしょう。為政者が外国からの賓客と接する態度は、なかなか政権の安定度をはかる目安になるものです。

 教皇庁には、訪韓を端緒に中共との関係改善を模索する意図があるかもしれませんが、それが容易ではないことを彼らもご存知でしょう。教皇庁の諜報能力を甘く見てはいけません。

 ソウル特別市内の明洞聖堂で開かれたミサで、前列に「韓国人慰安婦」だったとされる女性が並べられ、彼女たちを前に教皇が語られたのは「罪を犯した兄弟を完全に許しなさい」でした。

 この「兄弟」という表現が、いわゆる「人類みな兄弟」という意味で日本人のことも指したか、或いはあくまで身内という意味であるなら、罪を犯した者に日本人など入っていないかもしれません。

 教皇の有する政治性を考えれば、教皇庁はすでに慰安婦に関する吉田証言や朝日新聞社らの捏造を知っており、ゆえに日韓の歴史問題に言及しなかったのかもしれないのです。大統領府はまたも失敗でした。

 しかし、もし私たち日本人に対しても「完全に許しなさい」と語られたならば、それができない韓国の政官民を挙げた「反日」は、どう答えるのでしょうか。もはや政権運営の余裕を完全に失った朴大統領に、答える力は残っていないでしょう。

知事リコール報じない国で

皇紀2674年(平成26年)8月18日

 http://yukan-news.ameba.jp/20140812-12416/
 ▲夕刊アメーバニュース:舛添都知事リコール街宣で「売国奴なんていりません」

 八月十六日記事で申したように、東京都の舛添要一知事について、報道各社がいくつかの出来事を隠しています。そもそも昨年一月二十七日記事で取り上げた金銭疑惑についても、何ら報じられませんでした。

 石原慎太郎元都知事の後継指名を受けた猪瀬直樹前都知事と違い、なぜこれほど舛添都知事が守られるのかは、まだ何とも申せませんが、着任してまだ約半年の自治体首長に対する解職請求(リコール)デモが起きているというのに、一切報じない各社の態度は異常です。

 このようなことだから、わが国の報道の自由度は、世界五十九位(米韓よりも下位)にしかなりません。記者クラブ制度の弊害もありましょうが、各社横一列に並んで一体何を恐れているのでしょうか。

 地方自治法の規定により、来年二月まで舛添都知事に対するリコールはできませんが、報道各社がこの種の民間行動を取り上げるのは、決まって「基地は出て行け」「日中韓はみな友達」といった左翼・革新系団体によるもののみであり、少しでも日中韓外交を批判する行動であれば、まったくなかったという扱いしか受けません。

 市民団体主催による集会の類いも同様で、例えば革新系弁護士団体のものは報じられ、保守系のものは取材にも来ないのです。

 これでよく「新聞は社会の木鐸たれ」「不偏不党」なんぞとおっしゃるもので、昨日記事の問題についても、各社は「ヘイトスピーチ」を問題行動として報じながら、それらのデモなどが行われた時点では、一切取り上げていませんでした。だから私は、規制に対して嫌味な態度をとると申しているのです。

 都知事リコール・デモにおける掛け声がヘイトスピーチに当たるのか、ぜひとも議論していただきましょう。この意味が分かれば大したものです。

ヘイトスピーチ規制へ

皇紀2674年(平成26年)8月17日

 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140815-OYT1T50028.html
 ▲讀賣新聞:ヘイトスピーチ規制へ自民、議員立法を検討

 民族間の憎悪を煽るいわゆる「ヘイトスピーチ」の規制について、各社の報じ方におかしな点が二つあります。

 まず一つは、訪韓したばかりの東京都の舛添要一知事が安倍晋三首相に要請して事が動き始めたように書かれていますが、安倍首相は都知事訪韓以前から規制すべきか模索していました。

 もう一つは、ヘイトスピーチを「在日韓国・朝鮮人への侮蔑的差別を煽るもの」と限定している点です。このままでは、自民党内に設置されるプロジェクトチーム(PT)も、同様の民族的偏向をもって議論が終始するでしょう。

 結論から申しますと、私はヘイトスピーチの規制に反対しません。ただし、慌てて汚いものに蓋をする、或いは国家三権が国民の思考に介入することは、原則として許されないため、必ず権力側に守らせるべき条件があります。

 舛添都知事は、何かと「東京五輪までに」「恥ずかしい」などと言っていますが、米国にも規制する法はありません。憲法が保障する言論・表現の自由に抵触する恐れがあるからです。

 ヘイトスピーチも自由なものかどうかはともかく、対象を仮にも在日韓国・朝鮮人に特定するような規制は、法務省が成立を目論んできた人権委員会設置法案(旧人権擁護法案)と同種の危険性をもたらします。

 占領憲法(日本国憲法)有効論に従えば、連合国(俗称=国際連合)自由権規約委員会の勧告に従わざるを得ず、どうしても規制するというのであれば、私たち日本人に対するヘイトスピーチも含めてすべて規制していただきたいのです。

 対象を特定しないことが絶対条件であり、自民党での議論はまさにこれからですから、私は高市早苗政務調査会長らへの提言に「反日言動の規制」を盛り込みます。ご協力ください。

舛添都知事、中共より印綬

皇紀2674年(平成26年)8月16日

 わが国の報道が隠していること……それは、或る方から「大変です! 読んでください」と持ち込まれた、中共で発行されている唯一の日本語誌『人民中国 八月号』(HP)にありました。

 「東京ー北京 交流再開 舛添都知事に聞く 『周りから温水が入れば、真ん中の氷は溶けるもの』」(聞き手=王家一)と題されたインタヴュー記事の中で、東京都の舛添要一知事が本年四月下旬に訪中した際、中日友好協会の唐家璇会長(元外交部長、元国務委員)から印鑑(正確には判子)をもらっていたというのです。

 これの何が大変なのかと申しますと、皆様もご存知のとおり、中共以前の歴代王朝は属国や冊封国に対し、例えば後漢の光武帝が贈った「漢委奴國王印」のように、印を授けるという習慣があり、舛添都知事がうっかり受け取ってしまったため、今ごろ中共共産党は東京都知事を臣下におさめたとでも思っているかもしれません。

 しかし、現在に至って、まだそのようなことが行われているのでしょうか。

 はい。平成四年当時の江沢民体制(唐会長は当時外交部部長補佐官)が強く望んで実現させた今上陛下の中共御行幸において、彼らはやはり印を授けようとし、宮内庁随行職員が気づいてはね除けたという、これまた隠された事実があります。

 また、よその国のことですが、韓国の盧武鉉大統領(当時)が中共側に用意された大清国属国旗(黄色の大極旗)の前で印を受け取ってしまったため、韓国国内で大いに批判されました。

 外務省が前出の件を隠蔽したせいもありますが、それにしても舛添都知事は無知が過ぎます。漢委奴國王印のことは、国史の授業で習ったはずであり、訪中しても絶対に作られた印など受け取ってはいけません。