皇紀2680年(令和2年)8月15日
七十五年前の本日、天皇陛下(昭和天皇)より大東亜戦争に関する玉音放送を賜りました。本来の終戦というのは、国際法上後日になるのですが、私たち臣民にとって玉音を賜ること自体がそれほどの強い印象を残したのです。
さて、俳優の渡哲也さんが十日、肺炎で亡くなっていたことが分かりました。石原プロモーションの整理は、渡さん最後の大仕事にしてけじめでいらっしゃったのでしょう。衷心よりお悔やみを申し上げます。
渡さんといえば、何といってもテレビ朝日系『西部警察』の大門圭介巡査部長役が印象的で、つくづく「違法賭博のアジトに踏み込むためならプラスチック爆弾で鉄の扉を爆破する大阪府警察には大門がいる!」とふざけたくなるわけですが、他に私がよく覚えているのは、同局系『浮浪雲』です。桃井かおりさんとの夫婦役で、この成功が西部警察の放送へと繋がったといいます。
そもそも渡さんがお若いころに活躍された日活という映画会社は、スタジオの美術スタッフがセンス抜群で、いわゆるプログラム・ピクチャーでも他社を圧倒するほどお洒落で格好のいい作品が多数ありました。
平成に入り、幾度とない病との闘いで渡さんのお姿をなかなか拝見できなくなるのですが、その中で最も印象的だったのが東宝の『誘拐』(大河原孝夫監督)です。渡さんは、それまでとは違う警察官の役柄を演じられました。
これは、城戸賞受賞作(森下直さんの脚本)の映画化です。大企業の常務が誘拐され、犯人より巨額の身代金を「取締役自ら抱えて、東京都内のどこそこまで持って来い」という前代未聞の指示を都度に受け、体力の限界からつぎつぎに取締役たちが倒れていく中、マスコミも過熱気味にこれを地上のカメラとヘリコプターで追い回し、さながら取締役たちの公開処刑と化していき、全東京がパニックに陥っていく、というよくできたストーリーでした。
これほどのプロットで渡さん主演、都内大ロケーション撮影の大作だったにもかかわらず、ふたを開ければ全くヒットしませんでした。しかし、改めて是非ご覧いただきたいのです。
未見の方に「ネタバレ」で申し訳ないのですが、何と犯人は、警察官である渡さんなのです。ところが、それだけではありません。なぜ大企業の常務が誘拐され、取締役たちが、取引銀行の取締役まで巻き込んで公開処刑されていったのか、という犯行動機がすごかったのです。
二十数年前、下加佐村のアキワ公害訴訟(架空)で敗訴した元村人たちが、今やダムの底へと沈んだ故郷の怨念をはらそうと、公害の汚染水で妻と子供を亡くしていた当時村の駐在だった渡さんの共同正犯になっていたというのです。
これは、実に私好みの作品でした。日本の村が抱える怨念。何十年・何百年経ってでも必ずはらす。村社会特有の同調圧力。陰湿なまでの結託。横溝正史の『八つ墓村』も、そんな日本の村社会が着想の背景にありました。
渡さんのお役は最後、癌で亡くなります。自らの命が短いことを知った上での犯行でした。そんなお役にのめり込まれたかのように、渡さんがとてもよかったのです。機会があればご覧ください。
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皇紀2680年(令和2年)8月14日
私たちは、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)の世界的感染爆発(パンデミック)から春を知らず、梅雨の長雨から突然の猛暑にすっかり体も心も疲弊させられています。
この猛暑に至っても尚、報道権力も私たち国民自身も「マスクをつけろ」と互いにわめき散らし合っています。
七十五年前の明日、天皇陛下(昭和天皇)の玉音放送を賜って、全て国民(臣民)が大東亜戦争の終結とわが国軍(大日本帝國軍)の武装解除を知ったのですが、そこへ至るまで当時の報道権力も臣民自身も、やはり互いに「ほしがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめませう」などと煽り合いました。
これらの言葉は、決して国家権力側から出てきたものではありません。しかし現下の状況は、厚生労働省ら行政権力から「マスクをつけろ」とのお達しがまずあったため、戦時下よりも悪質といえるでしょう。
さすがに猛暑へと突入し、いよいよ「暑い時は熱中症対策のためにマスクを外してもよいです」などといい出しましたが、もはや手遅れです。既に煽られた国民は、暴走したまま止まらないのです。
感染発覚のかなり最初の段階で申しましたが、私たちが購入できる医療用サージカルマスクに感染防止の完全な機能はありません。
まして暑さ対策のための「冷感マスク」や「通気性のよいマスク」は、当然ウイルスも通してしまいます。いや、ちょっと考えれば分かることでしょう。
それでもつけていなければいけませんか?
先日も申しましたが飛沫が他人に飛ぶのを防ぐ効果はありますから、ご高齢の方や基礎疾患を持っている方、肥満の方が重症化するかもしれないとして、その方がたを思いやる行動としてマスクは携帯しておくべきでしょう。
これらの条件に当てはまらない人びと(主に基礎疾患のない普通体型の若者たち)が神経質に、互いにマスクをつけなければならないということはありません。暑い時は、無駄なマスクをつける必要などないのです。ただ人の多いところで自身の飛沫が発生しないよう気をつければよいだけです。
マスクをつけなければ表も歩けないというのは、ゲートルを巻かなければ家から一歩も出られないという戦時下に自分たち自身が作り出した状況に酷似しています。そのくせ戦後、私たちは何といいましたか? 「お国に騙された」「日本は悪いことをしたのだ」といって卑屈になっただけです。
もう一度卑屈になって「赤い反日人生」でも送りたければ構いませんが、それこそウイルスよりもはた迷惑なので、どうかおやめいただきたい。
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皇紀2680年(令和2年)8月13日
下賤な女性週刊誌の記事なんぞを引いてくる気は一切ありませんので、もしもご興味がおありでしたら検索してご覧いただければと存じますが、秋篠宮の佳子内親王殿下に男子の御交際相手がおられるとの余計な報道(報道というより落書き)。
その彼が誰に似てる(この部分に関する記述がまた極めて不愉快)とか、どの程度の御付き合いをされているか(犯罪的なまでに覗き趣味丸出し)とか、そのようなことはどうでもよいのです。
そもそも芸能人の私生活にも余計な記事ばかり書き、勝手な妄想(「或る芸能関係者によると」などの真偽不明な記事)を披露し続けるゴシップ雑誌の類いは、洋の東西を問わずにぎやかであることから、つくづく人は下劣な生き物だ、と。自分の中にもそのような感覚はあるのだろうと思うと、うんざりさせられます。
で、私が非常に気がかりなのは、この記事が出る数日前に「宮内庁は秋篠宮に関する情報を何も把握しようとしない」という話を某氏としており、この佳子殿下に関する記事についても追加して尋ねたところ、またも御相手の素性も何も一切把握していないというのです。
そのくせ皇嗣文仁親王妃紀子殿下に対するまるでテロのような雑言ばかりが外に漏れています。
最近まで「東宮派」などと不謹慎にも呼ばれていた宮内庁の「新橋あたりで酔っ払って大声で皇室の話をするような五秒以内に死んだほうがマシな恥さらし」職員どもめが、不敬を審議する以前に人として終わっているさまを自ら晒すがごとくに、秋篠宮を何とかして貶めようと画策してきました。
その手口が「御世話しない」というものです。秋篠宮はほとんど宮内庁に放置された状態で、よって紀子殿下が大変な御苦労をなさっていると伺っており、それを「一人で何必死になってんの」「悠仁親王殿下を天皇陛下にしようと躍起になってでしゃばっている」「だからみんなに嫌われている」といった出鱈目な話をばらまいている下人がいるのです。しかもその出所が本当に宮内庁職員(まさに下人)というのですから、怒りを通り越して呆れかえります。
某氏とよく話し合って、一人残らず叩き潰していこうという話をしましたが、残念ながら皇宮警察でさえ秋篠宮に関してあまり「よくしている」とはいえません。これには何かわけがあるような(ちょっと申せません)ので、さだめし皇宮護衛官も「いかんともしがたい」境遇で任に就かされているに違いないのです。
上皇陛下と上皇后陛下も、御望みになられた状況になっていない現状を大変心配されていると思います。
眞子内親王殿下の御成婚への道程に於いて、あれほどの大失態を晒した宮内庁が、実は秋篠宮に対してわざとそうしていた事実からして、佳子殿下にも、決して御相手の素性を調べもせずに醜聞すら書かれ放題にするでしょう。
私たち国民に求められていることは、わが国の祭祀を引き継がれてきた皇室に全く似つかわしくない話を軽率に信じたり、思い込んだりしないことです。
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皇紀2680年(令和2年)8月12日
六日午前0時過ぎ、新東京国際空港(成田空港)に駐機中の日本航空(JAL)機が突然「123便」を名乗り、航空機位置情報サイトを閲覧していた多くの人びとを震え上がらせるという珍事が起きました。
これは整備作業上の都合で永久欠番の「0123」を暫時的に入力したため起きたことでしたが、三十五年前の本日午後十八時五十六分、東京国際空港(羽田空港)から当時の大阪国際空港(伊丹空港)へ向け、乗客乗員五百二十四名の命を乗せた日本航空123便(ボーイング747SR-46型機)が、群馬県多野郡上野村高天原山山中へ墜落、五百二十名もの方がたが亡くなられました。
これが永久欠番の理由にして、未だ単独機事故として死者の数が世界最悪なのですが、いわゆる「お盆休み」に差し掛かる本日、当時「ジャンボジェット」の愛称で親しまれた当機は、同時刻・同路線の全日本空輸(ANA)機ともども文字通りの満席であり、帰省のご家族や出張帰りのビジネスマンなど、機体正面から山肌へとてつもない衝撃を伴って激突したこの事故は、彼らの命を容赦なく、そして最もむごい形で奪いました。助かったのは、後部座席周辺のわずか四名の女性だけだったのです。
多分、私は毎年同じことを書いてしまっています。それは、どうしてもこの事故が当時十二歳の私にとって強烈な恐怖体験だったからで、頭から離れないせいでしょう。
私は今でも、日航機は利用しません。そもそも東京・大阪間を飛行機で移動しないのです。それ自体に(事故に遭わないという)意味はないのですが、この事故から遡ること七年前(昭和五十三年)に伊丹空港で同機が起こした「しりもち事故」の修理ミスを事故原因と認めた米ザ・ボーイング社への一貫した不信もありますし、飛行機自体があまり好きではありません。
対米従属の自民党政治(中曽根内閣)の真骨頂ともいうべき事故処理・事故調査といい、私は小学生の頃から中曽根康弘首相の「不沈空母発言」や「防衛費(当時のGNP=国民総生産に対して)一%枠越え」への嫌悪感がありましたから、それこそ不信が募る一方でした。
後部圧力隔壁の破損による三分の二もの垂直尾翼の喪失が事故原因であるなら、相模湾上空で爆発、海底に落下した垂直尾翼の破片をなぜ全て回収して事故調査を徹底しないのか、という疑念は今も決して消えることがありません。
この事故調査の常識を無視したがゆえに、未だに「在日米軍が、自衛隊が、訓練中に間違えて撃った」などといわれるのです。米軍需産業の一翼を担うザ・ボーイング社の異常なほど早かった謝罪と、当時半官半民の日航を操縦した従米政治への疑惑は、もし私が遺族になっていたなら狂ったように徹底追及したでしょう。いえ、もう既にご遺族の方がたが事あるごとに再調査を訴えてきましたが、旧運輸省から国土交通省に至っても尚これを絶対に受け入れません。
思えばこの事故にまつわるあの日、十九時過ぎに流れた画面上の「ニュース速報」とその後の緊急報道特別番組、翌朝の自衛官による劇的な生存者救出映像が、私の中の現行憲法(占領憲法)という国家的屈辱からくる憂国の原点だったのかもしれない。
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皇紀2680年(令和2年)8月11日
昨日記事前段を踏まえて申しますと少し意地悪な表現になりますが、安倍晋三首相はどうせ「最後」なら靖國神社を参拝すべきです。既に参拝しない意向が伝えられた八月十五日は特にその必要がないのにしても、秋季例大祭には参拝してほしい、いや、もう毎朝参拝してください。
むろん天皇陛下の御親拝を賜るのが最も重要ですが、それを昭和の途中でかなわないものにしてしまったのが自民党政治(中曽根内閣)でした。敢えて対日ヘイトスピーチ(日本憎悪差別)活動家風に申せば、お国のために赤紙一枚で戦地へ送られ、無残に散った国民の御霊に頭を下げようともしない為政者は、何度でも国民を平気で殺すでしょう。
私は結構、本気でそう思っています。よって、私たち国民の命に何の責任も負わない中共や韓国に「配慮」する必要など一切ありません。むしろ一体どこにあるのかと問いたいほどです。
安倍首相は、わが国を「美しい国」とおっしゃいました。ならば私たちのために命を懸けられた先人たちの御霊を招魂し、感謝の気持ちを込めることすらも忘れた為政者しかいないこの国を、どう思っておられるのでしょうか。ちっとも美しくないじゃないですか!
言論弾圧に抗してきただけの若干二十三歳の周庭(英語名=アグネス・チョウ)さんを逮捕するような中共に、遠慮し続けなければなりませんか? わが国は、人が人として生きる自由を保障しているはずなのに……。
先月三十一日記事で取り上げた台湾の李登輝元総統の葬儀に、政府代表団も派遣できない(超党派の弔問団のみ)ほど中共に遠慮しなければなりませんか? わが国は、お世話になった人への恩を忘れないぐらいの最低限の倫理観を大切にしてきたはずなのに……。
世間は間もなく「お盆」を迎えますが、忘恩の徒だらけに堕ちた国民とその国家に、明るい未来などあるはずがないのです。先人たちを忘れ、東亜の同胞を忘れ、わが日本と民族は、一体どこへ行くというのでしょうか。
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