あえて言う「一人で死ね」

皇紀2680年(令和2年)10月25日

 JR大阪駅や阪急大阪梅田駅に近い観覧車があることで有名な商業施設「HEP FIVE」(大阪市北区)で二十三日午後十八時ごろ、屋上から店舗従業員の男子高校生(十七歳)が飛び降り、路上にいた女子大学生(十九歳)を巻き込んでお二人とも亡くなるという痛ましい事故がありました。衷心よりお悔やみを申し上げます。

 この付近は特に若年層の待ち合わせ場所にもなっており、時間帯を考えても屋上から飛び降りれば路上の人びとに衝突する確率が高いことは想像に難くありませんが、そこに思い至る余裕がないほど悩み抜いた挙げ句の自殺だったのか、或いは多くの人びとに「思い知らせる」というような意味合いを持っていたのか、軽率なことは申せませんが、とにかく全く無関係な人を死なせてしまったのは間違いありません。

 よく自殺を「社会のせい」にし、政権批判につなげて政治的に話す活動家や政治家が散見されますが、そうした「社会」なるもの、国家というものを見渡せなくなるから極めて個人的に死を選んでしまうのです。

 おおよそその正体が見えて以降の武漢ウイルス(新型コロナウイルス)対策でも申しましたが、政府が経済政策を誤れば確かに自殺者が増えてしまいます。平成の三十年間で、自民党と旧日本社会党らの歴代政権による無策が多くの国民を死に追いやりました。

 しかし、HEPでアルバイトをしていた男子高校生は恐らく、もっと個人的な理由で極端な選択をしてしまったであろうし、彼にとって確実に死ねる高さのある、そこへ侵入できる建物はHEPしかなかったのでしょう。

 HEPも含め大抵の屋上回廊などがない商業施設は、簡単に屋上へは上がれません。現にここも十階の従業員専用エリアは外部の侵入が難しいらしく、施錠されていた屋上に出る非常用ドアを彼がこじ開け、管理センターの警報が鳴ったためにすぐに警備員が駆けつけています。それでも間に合わなかった(飛び降りるのを止められなかった)ということは、何のためらいもなく彼が飛び降りてしまったことを意味しているのです。

 血で穢れた現場は、大阪府警察曽根崎署の方がたが捜査し、警備しました。金曜日の夜がどれほど多くの人でごった返したことでしょうか、本当にお疲れ様です。

 平成十九年の十一月六日午後十三時ごろ、やはり商業施設「池袋PARCO」(東京都豊島区)の屋上から飛び降りた二十五歳の女性は、路上を歩いていた三十七歳の男性会社員を巻き込んで、お二人とも亡くなられてしまいました。

 このような事故の痛ましさは、飛び降りた方と巻き込まれた方のご家族を共に地獄へ突き落します。少なくともこのような場所で、このような行動の選択をしてはいけないのです。

 特に無関係な人を巻き込んでしまった場合、飛び降りた人への「同情」や「哀れみ」といった感情は、決して多くの人びとに持たれません。何か「あの連中に思い知らせてやりたい」と考えたとしても、その人たちですら「人を巻き込んで阿呆ちゃうか」「死にたきゃ一人で死ねよ」でおしまいです。死の選択は失敗に終わります。目標を達せられないのです。

 こんな極端な選択をしてしまう前に、むしろ何の関係もない人に相談すればよいのです。しがらみがない分「なんで私ばかりこんな思いさせられなきゃいけないのよ」「あいつ死ね」など、いくらでも話しやすいですし、少しは気が晴れるかもしれません。

 全国のいのちの電話(一般社団法人日本いのちの電話連盟)にかけてみるのもいいでしょう。話は変わりますが、人様のお金を盗む前に各都道府県の社会福祉協議会へ相談してください。実は無利子の融資を受けられるのです。

 わが国は、心も体も疲弊した人を救うための仕組みが整っています。疲弊しきってしまうと調べることもできなくなるもので、平素から心にそれを留めておいてください。

スポンサードリンク

『あえて言う「一人で死ね」』に1件のコメント

  1. q:

    どうせ死ぬなら自分に危害や屈辱を与えた人間に復讐して死にたいな。