※ 本日の内容は、極めて私的なものであることをご理解ください。
とても奇妙な話をするようだが、旧暦の新年(二月一日)を迎えるに当たって私の夢になぜか石原慎太郎氏が出てこられた。中身の詳細はもう忘れてしまったのだが、何やら穏やかな夢だったように記憶している。
目を覚ましてしばらくして、午後になってから石原氏の訃報が飛び込んできた。私はそれを、現実のものとも夢うつつとも解せず、ひどくぼんやりと聞き流したのだった。
次第にそれが本物の報道だと判ると、先刻の夢は何だったのだろうか、と。
私にとっての石原氏は、現行憲法(占領憲法)が昭和二十七年四月二十八日の桑港講和条約発効と同時に効力を失ったものであることを、南出喜久治弁護士の「新無効論」に学んで世に訴える同志、いや、むろん大先輩なのだが、この点に於いては同志と呼ばせていただきたい。
東京都議会で私たちが占領憲法無効請願をやった時も、議会側は当時の土屋敬之都議会議員らに託されて「大いにやってくれ」とおっしゃったのが石原都知事だったし、沖縄県石垣市尖閣諸島の購入を都として目指した折、米国で石原都知事が演説した内容は、まさに尖閣と占領憲法の無効だった。
ところが、報道権力は占領憲法のくだりを切った。尖閣だけを報じて或る種扇情的に石原批判をやったのだ。そのほうが自主憲法論に触れずに済みやりやすいからだ。
この安っぽさこそが今の報道権力の正体だろう。石原氏は、靖國神社参拝などをめぐって、常にそうした報道記者たちに噛みついてこられた。「支那が怒るからか?」「莫迦なこというな」「どこの人間なんだ、貴様!」と発言して国会議員時代も都知事時代も辞職に追い込まれたことが一度もない政治家は、石原慎太郎をおいて他に類例が極めて少なかろう。
動画「石原都知事アホな記者にブチキレ-靖国参拝」
私たち国民は、そんな政治家をとうとう失ってしまったのだ。
石原氏を嫌う人びとも多かろう。社民党の副党首だか何だかが訃報に触れてなお故人を罵倒したというから、それこそ「一体どこの国の人間なんだ」と私は問いたいが、保守派の中にも「所詮はポピュリストだった」と批評する方がたがおられる。
恐らくそれは、かの三島由紀夫氏との対談など過去の発言を漁った印象だろうと思う。
しかし、これにはね、私なりの解釈がある。三島氏は、健康的で体格もよく、万能に見えてとてもハンサムだった石原氏に嫉妬し、石原氏は三島氏の類稀なる文学の才能に嫉妬したと思う。そんなことは文壇に限らず、芸術家の世界では当たり前にあるだろう。
これが石原氏の三島氏に対するいわゆる「逆張り」を生み、しかしながらその魅力をもって政治家となり、そして三島氏は肉体改造の末、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で占領憲法下のわが国を憂いて自決した。
石原氏が皇室を軽んじたとされるのもこうした頃の小さな発言で、結局は自説を曲げることなく皇室祭祀を重んじたのに間違いはない。それがわが国、わが民族の精神的支柱であることをよくご存じだった。
もし、石原氏が作家のままだったら、或いは三島氏が割腹の美学に奔らず政治家になっていたら、今頃わが国はどうだったろうと思うが、決してそうはならない。それがこのお二人の宿命だったと思う。
私たちは、とうに三島氏を失ったが、石原氏を得ていた。
それでも「戦後民主主義」と称される「占領統治後」を払拭できなかったのだが、だからこそ石原氏は次世代の政治家を探していたのだろう。橋下徹氏の突破力に期待したのもそうした焦りからだ。
宿題は残ったが、三島由紀夫と石原慎太郎が遺した「民族の問題提起」は、私たちが力を合わせて解いていかねばなるまい。
だから夢枕に立たれたのだろうか。末筆にて、衷心よりお悔やみ申し上げます。