移動する権利を与える?
今回は映画・映像作品ではなく、一冊の本をお薦めしたいと思います。英国の哲学者であり演説家でもあったエドマンド・バークが著し、半澤孝麿が訳した『フランス革命の省察』(みすず書房刊)です。「あ、難しそうだな」とおもわず逃げないで下さいね。
私が何度となく取り上げてきたものではありますが、これが保守主義の基本哲学を最も容易に知ることができる書物ということになるでしょう。しかし、天皇陛下によって司られる祭祀を知ることのほうが最も容易とも言え、ゆえに「保守」なる文言は政治思想の道具に非ず、人間が人間として地球に生きる基本を指すのみであると私は書き続けてきました。
バークは、本著で社会契約論に於ける契約の欺瞞を指摘し、批判しています。そのため、政治について多く触れられていますが、よく読み解けば基本哲学がはっきりと浮かび上がってくるはずです。
現世の者のみの理性や意志、心情によって何ごとも変えられるとする革命思想が否定されるのは、受け継がれるものをないことにして現世の者のみですべてを貪れば、仮にも地球は不毛の星と化し、生命という生命が絶滅しかねないからに他なりません。そのような「やりたいようにやる」或いは「やりたいようにやらせろ」という個人主権を認めてはならないのです。
さてさて、書きたいことが山のようにあって、つい長くなってはいけませんから、まず今回のお話しに絞りましょう。
在日韓国・中共人のみ地方参政権付与法案(通称=永住外国人地方参政権付与法案)の賛成派でもいらっしゃる前原誠司国土交通相は、民主党の基本理念とも言える「国民の移動する権利を基本的人権の1つとする交通権」をべースに、交通基本法なる法案を成立させようと目下、省をあげて準備しています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100129/212456/
▲日経ビジネスオンライン:「交通基本法」がやって来る
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100822-OYT1T00744.htm
▲讀賣新聞:交通基本法 問題はらむ「移動権」の保障
自由で平等な状態を最大化すべく、個人が社会契約を締結することによって国家が成立し、その個人や集合体の人民こそが主権者という考えならば、奇遇にもまたぞろ仏国の「交通権」を模範とすればよいでしょう。
そうすれば、讀賣新聞社の社説が指摘するように、地方の公共交通機関の不採算路線が廃止された場合、住民が権利の侵害を理由に相次いで訴訟を起こし、行政が混乱をきたすのも、何らかの革命を起こして更地にすることで乗り切るのでしょうか。
いえ、これは地方に限らず、東京メトロの最寄り駅から徒歩3分の住民と、徒歩15分の住民では「交通権の格差がある」などと言われ、15分の住民が「うちから3分圏内まで地下を掘れ」と言い出せば、カネがいくらあっても足りません。
いわゆる道路族の利権政治にも困ったものですが、これは新たな利権を創出するだけのものだとの指摘もあります。直言すれば「交通の自由はカネをバラ撒いて保障します」という新手の福祉利権であり、(本当に生活に困窮して助けねばならぬ者ではない)生活保護対象者や部落解放同盟らと組んで「鳩ポッポ小沢ナイナイ」(笑)する企画だったりするのでしょうか。是非とも前原国交相にお尋ねしたい。
そもそも交通行政を含めた街づくりの権限を地方自治体に移譲するというわりには、予算は国交省が掌握し、地方の役所はただ煩雑な仕事をやらされるだけに違いありません。このような基本法によらず、例えばコンパクトシティ化を実現する知恵の集積と予算の確保があればよいではないですか。地方議員の皆様、ともに法案成立阻止に向けて立ち上がりましょうよ!
というわけで、ついカネのお話しをしてしまいましたが、私は、個人の交通権なるものが社会契約の中で保障されることにより、国家が正当化されるなんぞという薄気味の悪い思想には、どうしても組することができません。この思想でない限り、交通権という言葉も概念も出てこないはずなのです。民主党政権は、やはり革命政府を生み出したということになるのでしょう。
交通基本法というのは、これはとんでもないですよ。
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「日本よ、立ち上がれ!」決起集会のご報告【追加】
http://www.shinhoshu.com/2010/07/post-145.html
▲真・保守市民の会:「日本よ、立ち上がれ!」決起集会のご報告
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