日本案否決…捕鯨戦略は?

皇紀2678年(平成30年)9月16日

 鯨や海豚を神格化して狂信し始めた狩猟民族の宗教原理主義国と、自然の恵みに感謝する農耕民族の祭祀の国との永遠に分かり合うことがない対立について、一言申します。

IWC脱退の可能性に言及 日本、商業捕鯨再開否決

ブラジルで開かれている国際捕鯨委員会(IWC)総会は14日午前(日本時間14日夜)、閉幕日となる5日目の協議で商業捕鯨の一部再開を盛り込んだ日本の提案を反対多数で否決した。反捕鯨国の反発は激しく商業捕鯨再開は将来的にも…

(SankeiBiz)

 いわゆる「反捕鯨」に堕ちた欧米諸国と分かり合えるなどと決して夢想してはいけません。「反捕鯨」は「カルト」のようなものですから、欧米諸国自身がその異常と気持ち悪さに気づかない限り、私たちがいくら正論(わが国だけが学術的有効な調査捕鯨をし、その結果としてミンククジラなどの生息数が増えすぎてむしろ海洋生態系に異常が生じていること)をぶつけても理解できる精神状態ではないのです。

 わが国と同じ捕鯨支持国が四十一か国もありながら、わが国の提案に対する賛成票が二十七票に留まったことからも、日本の捕鯨能力そのものへの危機感が煽られて採決は失敗に終わりました。

 この件は、そもそも採決に持ち込まれたこと自体がわが国の戦略的失敗だったのです。農林水産省の対応班は、採決を避けて「コンセンサス合意」の道を目指したにも関わらず、英連邦豪州などが主導して採決に持ち込まれた時点で負けは確実でした。

 今後は、ノルウェーのように独自の捕獲数制限を設定し、あくまで国際捕鯨委員会(IWC)を無視し続けるか、或いはアイスランドのように一旦脱退し、再加入しても「IWCの捕鯨モラトリアムに反対」と条件づけるようなしたたかさを持つことです。カルトの顔色(世にいう国際世論)を伺うような中途半端な真似は、この件ではしなくて構いません。

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野田総務相は虐めが趣味か

皇紀2678年(平成30年)9月15日

野田聖子総務相「ふるさと納税制度存続に危機感」 開き直り自治体に法の網

野田聖子総務相は11日、ふるさと納税制度を見直す方針を正式に表明した。総務省がこれまでの「自治体の自粛任せ」から法規制へかじを切ったのは、大阪府泉佐野市などが度…

(産經ニュース)

 十一日以来ずっと申したかったことなのですが、野田聖子総務相(岐阜一区)は、何らかの対象を見つけては徹底的に虐める(暴力行為)のが趣味なのでしょうか。

 かつて蒟蒻ゼリーによる死亡事故が起きた際、マンナンライフを内閣府に呼び出し、同社製品によるか不明の事故の分まで罪を擦りつけ、徹底的に責め立てた結果、製造中止に追い込むという暴力にはしりました。

 ふるさと納税制度をめぐり、今度は地方自治体を虐めの対象に選んだようですが、その手口はマンナンライフに対するそれを想起させます。通常の(正常な)やり方ではありません。

 確かにふるさと納税の過度な返礼品については、高市早苗前総務相が地方に一定の基準(納税額の三割以内)を通知しています。野田総務相は昨年九月、産經新聞社の取材に「今年は何も通知しない」と答えましたが、今年になって急に「制度改正して法で罰してやる」というのは、あまりにも異常でしょう。

 自治体では、返礼品の製造のため既に投資、雇用を増やした地元の契約業者にも説明しなければならないでしょうし、野田総務相が「虐めたい」としたいくつかの地方に絞って再度通知し、改善期間を設けてしかるべき事案です。

 いきなりにでも法改正(量刑の設定)して罰すべきことは、日教組や自治労などの地方公務員法違反といった事件があるにもかかわらず、地方のために設けた制度で地方をいきなり罰するというなら、いっそ当該制度を廃止すればよいでしょう。

 野田総務相の唐突な発表が自民党総裁選挙期間中だったことで、これは安倍内閣の内部から安倍晋三首相へのテロではないか、とさえ思えます。石破茂衆議院議員が口先だけで驚嘆するほど中身が全くない「地方創生」をうたい、総裁選の争点にしているからです。

 安倍内閣は、このような「地方は黙って総務省のいうことを聞け。聞かないなら再度通知もせずいきなり死刑に処す」というような総務相を放置しておくのでしょうか。それこそ総裁選で問われるべきであり、第五次内閣には野田氏のような陰湿な虐めが趣味の大臣を入閣させてはいけません。野田氏が夫婦で起こした仮想通貨不正事件も一切片づいていないのです。

沖縄知事選、消えた自由党

皇紀2678年(平成30年)9月14日

玉城氏、寄付金不記載 政治資金規正法違反か 選挙区内に花代も

沖縄県知事選(13日告示、30日投開票)への立候補を表明している自由党の玉城(たまき)デニー幹事長(58)=衆院沖縄3区=が代表を務めた政党支部が、平成26年に受けた寄付金120万円を同年の政治資金収支報告書に記載していないことが11日、分かった。政治資金規正法違反(不記載)に問われる…

(産經新聞社)

 中共福建省福州市名誉市民の翁長雄志前沖縄県知事の死去により投開票日程が早まった沖縄県知事選挙で、その中共名誉市民の後継者として立候補した玉城デニー前衆議院議員は、インターネット上で「デマ」を流布されたとし、名誉棄損で告訴すると騒いでいますが、それはひょっとして「隠し子疑惑」のことでしょうか。

 とすれば、それはインターネット上ではなく週刊文春の(確か事実誤認だったらしい)記事でしょう。誤報を打ったと思われる「週刊誌を訴える」と表明するより「ネットが……」といったほうがいわゆる「出鱈目書かれた感」が出てよいとでも思ったのでしょうか。もう既に知事候補としてあってはならないほど手口が姑息です。

 事実上の対抗馬である佐喜真淳前宜野湾市長が、仏国在住時代の前妻との子の存在を堂堂と認めたようになさってはいかがでしょうか。

 そんなことより、産經新聞社などが一斉に報じた政治資金規正法違反のほうが重大な問題です。これも「名誉棄損だ」と騒いで疑惑の言論を封殺、弾圧する気でしょうか。

 一方で、玉城氏が衆議院議員(沖縄三区)として失職したことを受け昨日、衆議院事務局が自由党会派の解散を発表しました。なぜならもう小沢一郎共同代表(岩手三区)ただ一人になってしまったからです。

 自由党と申せば、二年前の十月まで「生活の党と山本太郎となかまたち」なんぞという人を喰った(私たち国民を莫迦にしたような)名前の政党でした。よって参議院に山本太郎共同代表(東京都選挙区)らはいますが、衆議院にはもう終わった人が一人意地を張っているだけなのです。これで衆議院では、少なくとも小沢氏は無所属になります。

 玉城氏を放出し、幹事長を失った自由党は一体どうなるのでしょうか。ただでさえ当選者不足で代表代行もいません。玉城氏が国会対策委員長も兼任していたほどです。党自体ももう終わったと見るべきでしょう。

 そのような事情を分かっていても玉城氏を立てるしかなかった中共名誉市民一派(自称オール沖縄)のゴタゴタは、よもや玉城氏が当選してしまったとして、その後の県政にどれほどの暗い影を落とすか、県民の皆さんにはよく考えていただきたいと思います。

日露平和条約は本気か否か

皇紀2678年(平成30年)9月13日

 中共の習近平国家主席は目下、共産党内で力を失い始めているという噂があります。いわゆる「米中貿易戦争」に於ける「中共の負け」が見えているせいもあるでしょうが、ゆえに米国のドナルド・トランプ大統領と親密な関係を築けている世界でもたった二人しかいないとされるうちの安倍晋三首相(もう一人はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相)が対中制裁側に立つ前に、何としても中共へ引き入れておこうという目的があるのでしょう。日中首脳会談が決まった背景には、そのようなことがあります。

 一方、露国のウラジーミル・プーチン大統領が突如年内の日露講和(日露平和条約の締結)をいい出したのは、いかにも「トップダウン」らしいのですが、ともすれば自民党総裁選挙を睨んで安倍首相を手ぶらで帰すのはよくない、と。つまり、石破茂候補に間違っても当選してほしくないという思いがよぎったからではないでしょうか。

 外交で成果を上げてきた安倍首相にとって、対米従属があからさまになって痛恨のミスとなったのが日露関係です。北海道千島列島と南樺太の領土帰属がわが国にあることを前提として交渉し、現行憲法(占領憲法)体制からの脱却を実行していれば、プーチン大統領の態度を一変させることはありませんでした。

 プーチン大統領も日露経済協力は欲しいところですが、トランプ大統領側から得た(やはりプーチン・トランプ両大統領は組んでいると考えられる)情報の限り安倍首相の対米従属は決定的です。となれば絶対にいわゆる「北方四島」を日本に返還などしたくありません。

 今回の電撃的な発表は、私たち日本人が領土より経済をとるか否かが試されています。経済をとるなら安倍首相の訪露は評価され、領土をとるなら今回の首脳会合を単に無視するという世論形成になるだろう、と。いずれにしても安倍首相が傷つくことはないと踏めば、とりあえず「いってしまえ」というプーチン大統領の思いつきだったかもしれません。

 日露講和の条件は、まずわが国が未だ米軍に占領されているに等しい法体制を無効にし、自立することです。自立した日本としかプーチン大統領は交渉する気がありません。かつて「今の憲法は無効にできる」と発言した安倍首相なら「やるかもしれない」と踏んだ露国の愛国者は、或る時点で「読み違えた」とみて一気に北方四島を私たちから遠ざけたのです。

 ですから年内の日露無条件講和も、全く本気ではないのです。

外国人の国保調査に論議 開始半年、偽装滞在は未確認

外国人が高額医療を受ける目的で来日し、偽りの在留資格で国民健康保険(国保)に加入する恐れがあるとして厚生労働、法務両省が1月に始めた調査制度が論議を呼んでいる。約半年で在留資格偽装がはっきりしたケースは見つかっておらず、外国人を特に疑う調査で偏見を助長すると中止を求める声も…

(東京新聞(中日新聞社))

 さて、最後にもう一件。これは共同通信社の配信記事ですから、対日ヘイトスピーチ(反日)に狂っている各地方紙でもさぞ掲載されていることでしょうが、何が悲しくて対日ヘイト団体の代表理事だか何だかを取材した結果の戯言を目にさせられねばならないのでしょうか。

 現に旧民主党政権以降、外国人の国民健康保険不正事件が多発し、医療現場が困っています。そのような不正事件が起き始めたなら行政が何らかの実態把握に乗り出すのは当然であり、それをしないで放置した場合、私たち国民が「調査してください」というのが筋でしょう。

 それを「やめろ」というような人がまともな国民とは思えません。調査自体が「差別だ」というなら不正を見逃し、逆に私たちが際限なく外国人を疑ってもよいというのでしょうか。そうならないようにするための調査なのです。

 権利闘争に目がない活動屋は、これだからどうしようもありません。厚生労働省と法務省が実態把握のために調査を進めるよう求めます。ただでさえ両省とも(特に法務省は)国民的信用がないのに行政の不作為を続けることは許されません。

フジテレビのインチキ再び

皇紀2678年(平成30年)9月12日

池上彰氏、疑惑に「あってはならないし、ありえない」 「他人の意見を自分の意見に…」主張へ反論

ジャーナリスト池上彰さん(68)の番組スタッフから取材を受けたが、池上さんの意見として紹介したいと言われた――。元通産官僚で徳島文理大学教授の八幡和郎さんがフェイスブックでこう明かしたところ、同様な経験をしたと明かす識者が次々に現れ…

(J-CASTニュース)

 もはやフジテレビだけを批判してもほぼ意味はなく、「テレビというのはそういうものだ」と思えばよいのでしょうが、特に報道・情報番組に於いて、私たち国民を扇動、洗脳しようと意図されるものには、断固として抵抗しなければなれません。国家が間違ったほうへ進みかねないからです。

 日本体操界の騒動にしてもフジテレビが、宮川紗江選手に速見佑斗コーチが平手打ちする場面の盗撮動画を放送しましたが、その意図は明らかに、教育を目的とした有形力の行使である「体罰」をあくまで「暴力」と印象づけるものでした。既に本人たちも「暴力」という言葉を使ってしまっています。

 それがこの騒動をややこしくしており、宮川選手がご両親も含めて速見コーチを求めていることと、塚原光男・千恵子夫妻のいわゆる「パワー・ハラスメント」が複雑に絡み合い、どちらが正しいことをいっているのか分からなくしているのです。

 本来であれば、教育的指導を「暴力」扱いして騒ぎを起こした塚原夫妻に著しい問題があり、その騒動が朝日生命体操クラブへの引き抜きのためだった(速見コーチが涙を呑んで協会への異議申し立てを取り下げてお詫び会見を開いたのは、宮川選手のためにこの話を告発するためだった)ことからも、塚原夫妻に不純な目的、または謀略があったことは明白です。

 ところが、この盗撮動画を流布されたことで宮川選手の主張に対し、或る種の「危うさ」がささやかれ始め、塚原夫妻への告発の信憑性をも揺るがす羽目になっています。御用コメンテーターを配してでも十月開催の「世界体操」独占放映を成功させたいテレビ朝日のみならず、フジテレビにもその意図があるのでしょう。

 何度でも申しますが、教育を目的とした有形力の行使である「体罰」が「暴力」とされるのであれば、医療を目的とした有形力の行使である「手術」が「傷害」や「殺人」になってしまうのです。いきすぎた体罰が事件化する、または医療ミスが事件化する、というのと現下の報道は全く違っています。

 さて、そこでフジテレビが起こした七日放送の『池上彰スペシャル』の件ですが、まず出演していた子供たちが劇団員だったという問題があり、しかもその子役たちに局が発言させた内容は、自民党総裁選挙期間中にもかかわらず文字通り安倍晋三首相を激しく莫迦にするものだったことです。

 そして、J-CASTニュース配信記事にあるような問題も起こしていた、と。

 この放送は、もともと放映予定だったサッカー日本代表対チリ代表の国際親善試合が北海道南西部大地震で中止になったことで、緊急に「四時間拡大」放送としなければならなかったため、番組の体裁を整えるために予定調和に対応できる役者を仕込んだのでしょうが、その予定調和がそもそも悪質です。

 識者の意見をそのまま出さずに池上彰氏の意見のようにつくろうのも同様で、恐らく池上氏の要望ではなく局と制作会社が進行のスムーズと、ともすれば「池上氏の神格化」を意図してそうしたと思われ、番組の作り込みというにも限度があります。

 私たち国民は、あらゆるものへの疑いをまず持って接することです。