初の空襲警報でも平和ボケ
本日は明治節です。現行憲法(占領憲法)をいつまでも「憲法」として放置し続ける立法の不作為を「文化」とするような恥ずかしい国であってはなりません。
自民党の麻生太郎副総裁(元首相)が訪韓し、尹錫悦大統領と会談した昨日、露国を背後に弾道弾発射を続ける北韓(北朝鮮)は、韓国戦争(朝鮮戦争)休戦後初めて北方限界線(NLL)を越えて韓国領海付近に落下させました。
このため午前八時五十五分、慶尚北道鬱陵郡全域に空襲警報が発令されるという、これまた初めてのことが起きました。因みに竹島は、島根県隠岐郡隠岐の島町の官有地です。
ところが鬱陵郡庁は、職員たちこそ庁舎内の地下に避難しながら、住民への連絡も放送も怠りました。警報発令時の対応指針があるにもかかわらず「初めてのことだったから」などと言い訳をしていますが、その割に自分たちの避難だけは早かったのです。
郡内住民に連絡したのは発令から二十五分後、放送に至っては四十五分後で、発射から落下までに全く間に合っておらず、もしも鬱陵島内の集落に着弾でもしていれば、確実に死者を出していたでしょう。韓国戦争休戦から北韓工作員の大統領就任を経て、韓国こそ完全に平和呆けしています。
公務員だけが避難できたことについて、韓民族の特性をどうこう言うつもりはありません。そもそも住民のほとんどが避難場所を知らないというのは、あくまで休戦中であることを忘れているのです。
韓国戦争休戦前を知らない世代が増え、かつてのような北韓嫌悪が「薄れた」とか、韓半島(朝鮮半島)統一の非現実性に「議論するのも疲れた」とか、いろいろ言われてはきましたが、自治体レヴェルでのこの劣化は許されません。
わが国でも、占領憲法を「憲法」だと思い込むことにし始めてから七十五年近くが経ち、自分の足で立つことも、自分の身を守るために盾と矛を自分で持つこともやめてしまい、深刻な平和呆けに陥って久しいと言われてきました。
平和を守り続けることと平和呆けは、まるで違います。平和呆けとは、無気力であり無思考であり、無批判な国民と国家権力による危機の拡大を意味し、それは何も国家防衛のみならず、経済から人口動態にまで悪影響を及ぼすのです。
自立することを忘れ、自身(自国)に何が起きているのかも正しく把握できないような国は、経済政策も教育行政すらも何一つ自分たちで決められなくなり始め、やがて国民経済が破綻し、教育の興廃で民度が転落、致命的少子化へと堕ちて滅ぶしかありません。
しかし、「そうはなるものか」と立ち上がる者がいる限り、まだまだ望みはあります。
一年に二度も設定された占領憲法「屈辱の日」に際し、皆さんと共にその希望を強く、強く持ちたいのです。