あの時、岸田を〇っておけば…
台湾の張俊雄元行政院長(首相)が昨日、亡くなられました。八十七歳でした。衷心よりお悔やみ申し上げます。
野党・国民党と激しく対立した民主進歩党の陳水扁元総統を二度にわたって支えた張元院長は、言論の自由と闘う「美麗島」事件の弁護士として注目されたのを端緒に、立法委員(国会議員)を四期務め、真の左翼(愛国左翼)たる政治家の姿を後世に残しました。
わが国や韓国の左翼(反日・ヘイト)に爪の垢を煎じて飲ませたかったものですが、彼らの場合、飲んだ瞬間に効力が強すぎてショック死するかもしれません。それほど日韓の左翼は、左翼とは全く似て非なる憎悪扇動の暴力集団でしかないのです。
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さて、令和五年四月に安倍晋三元首相暗殺事件(奈良市)を模倣した岸田文雄首相(当時)暗殺未遂事件(和歌山市)というのがありましたが、このみすぼらしい事件の木村隆二被告は二十五日、和歌山地方裁判所(福島恵子裁判長)の判決を支持した大阪高等裁判所(石川恭司裁判長)に控訴を棄却されました。
判決文の朗読後、被告が裁判長に向かって「裏金もらってそういう判決を書いたんですか?」などと叫んだらしく、安倍元首相を暗殺したことになっている山上徹也被告と同様、この手の「事実確認もせず思い込みの激しい莫迦」が政治家を消したい時に「或る勢力にまんまと利用されるのだろう」と思います。
ただ、岸田氏暗殺の背後には何もなく、よってあえなく未遂に終わったのですが、決して口にしてはいけないこととは言え「かえすがえすもあの時、岸田を撃っておけばわが国は現在、ここまで落ちぶれることはなかっただろう」と。
岸田氏が消えていれば石破茂氏が首相の座に就くこともなく、自民党の転落もなかったのです。この暴言が意味するところを自民党の議員・党員・党友各位がよくお考えになりますよう、許されざる暴言と知りながら敢えて申しておきます。
岸田・石破政権で沖縄県石垣市尖閣諸島は、極めて危険な状態に陥りました。第十一管区海上保安本部(那覇市)は二十七日、中共(支那)共産党人民解放軍・準海軍の海警局が周辺海域で武装船団を徘徊させること三百十三日連続に及び、過去最悪の記録を更新し続けている現実を確認しています。
ところが、どの面を下げて海上保安学校(京都府舞鶴市)の卒業式に石破氏が出席したものでしょう。現職首相では安倍元首相しか出席したことがなかったため、退陣を目前に「俺の名前刻んどこ」とでも思ったのか、全く汚らわしい輩です。
政権末期に宥和的態度へ転じたものの対中強硬派と批判すらされた安倍元首相のころ、中共産党軍がこれほど陰湿な好戦的体制を維持することはありませんでした。
要するに米民主党の言いなりにわが国を左傾化の泥沼へ陥れた岸田政権以降、かえって中共の増長を招いたのです。ヘンリー・キッシンジャー氏は、共和党政権の国務長官でしたが、何やらドナルド・トランプ大統領を指して「共和党の大統領とは言えない」と揶揄するならキッシンジャーこそ共和党にいてはいけない人物でした。
米公文書で明かされるまでもなく、キッシンジャー氏がこの種の対日工作で中共を利用していたことは、これまで日米の外交史でも指摘されています。親中・屈中の左翼政治家が「台湾有事を煽るな」と喚くのも、こうした汚い過去が下敷きにあるのでしょう。
しかし、わが国が台湾有事を誘発することは絶対にありません。無責任で何ら当てにならない米軍にも決してさせてはならず、私たち日本人の強い願いは、台湾やわが国に指一本触れさせぬよう中共産党軍の戦意を完膚なきまでにくじくことです。
岸破森進次郎政権の路線では、先述の通り軍靴の音を近づけてしまいます。いわば「安倍高市路線」でなければ東亜の平和を守れないのです。尖閣の現実をよく見ろ、と言いたい。








