人権派って、つまり何?

皇紀2670年(平成22年)4月4日

 親の子に対する懲戒権は、民法第八百二十二条に定められており、いわゆる「体罰」は除外されていません。これは、教員の児童・生徒に対する懲戒権が学校教育法第十一条但書に於いて「体罰」が禁止されているのとは異なっています。

 ところが、児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)が平成十二年に制定され、親の懲戒が「虐待」と混同され始めました。

 そこに目を付けた行政側は、児童福祉法第三十三条の定める児童相談所長の権限を駆使し、子を親から引き剥がして「一時保護」と称する「拉致」事件を多発させ始めています。

 日本でこのようなことが起きるのは、懲戒の中に「体罰」があるとして、それを即「虐待」とする理性論、または合理主義によるでしょう。その根幹は、究極の個人主義を確立したジャン=ジャック・ルソーの思想啓蒙に盲信した現代人権論にあります。これに基づいているのが、まさに現下の日本政府なのです。

 私は真・保守市民の会を発足させた当初より、エドマンド・バークフランス革命を否定した所以について提起して参りましたが、この革命を生んだのがルソーの思想でした。祖先と伝統から解放された個人を理想とする彼の「社会契約説」は、わが子五人全員を生まれてすぐに遺棄し、知的障害者に性的虐待を加えて妊娠させ、次々に捨てるといった自身の行為を肯定・転嫁したい合理性に目が眩んだ末の暴論としか申しようがありません。

 これが現代人権論の典拠であり、児童相談所の「拉致」行為を生み出した思想的原因なのです。

 ウラジーミル・レーニンによるロシア革命や、毛沢東による文化大革命のいずれもが、家族の解体を促進し、時には子が親を告発糾弾するよう仕向けて失敗に終わりました。このような歴史にこそ学ぶべきであり、この個人主義が日本国憲法という占領憲法の「国民主権」によるものと知れば、その性質からも直ちに無効にしなければなりません。

                    「家族と憲法」児童相談所の大問題!  遠藤健太郎

「家族と憲法」児童相談所の大問題!

 と き 平成22年4月4日・日曜日 午後13時30分から16時まで

 ところ 静岡商工会議所会館(静岡市黒金町20番地の8)4階会議室

     JR「静岡」駅北口より徒歩3分 地図

 講 演 南出喜久治(辯護士 憲法学会会員)

     遠藤健太郎(真・保守市民の会代表)

 参加費 無料

 主 催 真・保守市民の会

 親と子供を引き裂く「拉致」事件が国内で勃発していることを、皆様はご存知だろうか?

 民法が定める親の子に対する懲戒権と、児童虐待事件、児童相談所の実態……。

 これが日本の大問題へと発展してゆく!

◎非会員やご家族・ご友人をお誘いいただいても結構です。本日、会場にてお会いしましょう。

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伊勢の神宮だけじゃない!

皇紀2670年(平成22年)3月28日

 わが国にあって(明治時代に廃止されましたが)朝廷が神階をつけなかった神宮は三つございます。律令制下の『延喜式』神名帳や明治の近代社格制度の(神にまで位をつけた)是非はともかく、それは伊勢の神宮、日前神宮、國懸神宮です。神宮は「伊勢神宮」「お伊勢さん」と親しまれ、大変有名ですが、皆様あとの二つはご存知でしょうか。

 日前神宮は「ひのくまじんぐう」と読み、和歌山県和歌山市にあり、私たち地元では「日前宮=にちぜんぐう」と親しまれ、徒歩一分圏内に和歌山電鐵貴志川線の日前宮駅があります。この和歌山電鐵は最近、猫の駅長で有名になり、「たま電車」や「いちご電車」「おもちゃ電車」などが走る楽しい路線です。JR和歌山駅から乗車できます。

 もう一つの國懸神宮は「くにかかすじんぐう」と読み、実はこれも和歌山県和歌山市にあり、しかも日前神宮と同じ境内におわします。正確には、この二社を総じて「日前宮」と呼んでいます。

 http://www10.ocn.ne.jp/~hinokuma/

 ▲日前神宮・國縣神宮(日前宮)公式サイト ※ 画像はこちらから

 日前神宮の御主祭神は「日前大神=ひのくまのおおかみ」で、一説には「天照大神」の別名とありますが、さはともかく「日神」をお祀りした特別な神社なのでした。國懸神宮の御主祭神は「國懸大神=くにかかすのおおかみ」です。

 両社の御神体は「日像鏡=ひがたのかがみ」と「日矛鏡=ひぼこのかがみ」で、これは天照大神が天岩戸に御隠れになった際、「石凝姥命=いしこりどめ」が作ったとされる「八咫鏡=やたのかがみ」(神宮内宮に奉安)と同等のものと言われています。

 太陽が生命の維持に欠かせないことを当時既に明確に認識していたわが民族の書『日本書記』には、日像鏡・日矛鏡が八咫鏡より先に鋳造され祀られていたことが書かれていますが、これほどの別格社が規模を小さくしてしまったのは、天正13年の豊臣秀吉による紀州征伐で、破壊されてしまったためでした。

 その再興は、元和5年に徳川頼宣紀州藩五十五万五千石の初代藩主となるのを待たねばならず、大正8年から15年の大改修で現在の姿になったそうです。

 毎年夏には「薪能」が神楽殿にて催され、当然初詣の人出は県下最多ではなかったかと思います。皆様も是非、和歌山へお越しの際には、かわいい「たま電車」に乗ってわずか二駅、日前・國懸神宮に参拝されて下さい

「英霊来世」と街宣右翼

皇紀2670年(平成22年)3月8日

 讀賣テレビ系『たかじんのそこまで言って委員会』は7日、6人組のラップグループ「英霊来世(えいれいらいず)」が民主党を批判した楽曲に対して、コラムニストの勝谷誠彦氏が「俺、耳をふさぐか退場しようと思った。反吐が出そうだったね。あの変な歌は」 「あれ、形を変えた街宣右翼だね」と論評する様子を放送しました。

 http://www.youtube.com/watch?v=eet7pKC0C1E

 http://www.youtube.com/watch?v=YrkCJfimams

 ▲YOUTUBE:イマドキの若者 1英霊来世登場 2愛国心とは

 私はこの放送を見ることができなかったのですが、或る方から教えていただき、そもそも英霊来世のアルバムCD『矜恃』を支持者の方からかつてお譲りいただいて興味深く拝聴したことを思い出しました。

 彼らが「右でも左でもない」と愛国心の発露をことわる理由はよく分かります。一方で、ラップとしての音楽性には問題があるかもしれません。しかし、ラップという表現を用いることが若者におもねっているというより、若者の1人として「日本」をうたいたいという彼らの気持ちが率直に伝わってくるのは事実です。

 日本のいわゆる「J・POP」などの楽曲がどれも非常に似通った恋愛をうたうに留まっているのは、或る意味政治的なメッセージ性をもたせることへのタブーであり、わが国の音楽界が世界に通用しない要因の1つではないでしょうか。

 勝谷氏は「きちっとした知識の裏付けがされていない」と英霊来世を批判していますが、どの部分がどのように不足だったのか分かりません。それを申せば、普段は保守的なことをおっしゃる勝谷氏らが揃いも揃って「日本の真の独立」などとうたうわりには真正護憲論の存在に対してまったく不勉強であるのはいかがなものか、と。

 まるでジョン・レノン氏の有名な楽曲『イマジン』を「左翼のうた」などと決めつけるような安直さが勝谷氏の態度から見て取れます。「日本を守る」という者が皇室について語るなら、私たちは天皇陛下こそが祭祀からくる平和の祈りを全世界へ語りかけられているのだと知らねばなりません。

 ですから、わが国を知るということは決して内向的な作業ではなく、たとえ思考の入り口はそうであったとしても、結果としては世界を見るという、大変外向的な作業になるのは必然です。若者の愛国心を「内向きの傾向」としたがる壮年・老年層の意識こそ、極めて内向的ではないでしょうか。

 私は以前に、靖国神社の問題は東京裁判史観からの脱却のみならず、まずは薩長史観からの脱却が果たされていないことだと書きましたが、これは真正護憲論を確立した南出喜久治辯護士のご指摘であり、そうすれば、大東亜戦争のことのみをうたったように聞こえる英霊来世の『九段』は、確かに歴史の勉強が足りない結果かもしれません。

 ですが、1つの楽曲にどの想いを込めるかはアーティストの創造性にあり、それを勝谷氏のように非難する者が出てくるからこそ、わが国の最近のうたは結局何もうたわないのです。仮にも言論人である勝谷氏が、昭和43年にザ・フォーク・クルセダーズのうたった『イムジン河』が発売中止になった過去を肯定するような態度をとることは、それこそ「右も左もなく」あってはならないと私は思います。

 本当のところ、勝谷氏は小沢一郎幹事長率いる民主党の批判が単に気にくわなかったに違いありません。放送ではその後、民主党の「子ども手当」を厳しく批判していますが、決して小沢幹事長に対する批判は何があってもしませんから、それで「街宣右翼」とまでレッテルを貼られた「右でも左でもない」英霊来世の6人はあまりに気の毒ではありませんか。

皇紀2670年の幕開け

皇紀2670年(平成22年)1月1日

新年のご祝詞を申し上げます。

旧年中は皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけしました。お陰様で東京と大阪の憲法集会、街頭演説をさせていただく中で、多くのご支援を賜りましたことに心より御礼申し上げます。

保守論壇の論理武装を一層充実、拡大させ、國體護持をかかげて戦ってまいりますので、本年も何卒宜しくお願いします。

皇紀2670年 平成22年 元旦

遠藤健太郎

小津安二郎と日本人

皇紀2669年(平成21年)11月29日

緩慢な「家族」の崩壊

 皆さんは小津安二郎監督の映画をご覧になったことがあるでしょうか。小津監督は、私の尊敬する映画監督のうちのお1人(ほかに伊丹十三監督ら)なのですが、黒澤明監督や溝口健二監督と並んで国際的評価の高い日本人映画監督でした。特に欧州での人気は未だ健在です。

 そんな小津ファンとして有名なのが『ベルリン/天使の詩』などのヴィム・ヴェンダース監督(独国)であり、小津研究の第一人者が(伊丹監督とも交友がありながら『お葬式』を酷評して去った)東京大学の蓮實重彦元総長でしょう。

 もちろん私はここで、イマジナリーラインを超えたローアングルの、50ミリレンズで画を切り取ることに固執した小津演出(戦後全作品のキャメラマンは厚田雄春氏)を深く語るつもりはありません。『大人は判ってくれない』などのフランソワ・トリュフォー監督(仏国)をも虜にした小津映画に、保守主義の基本哲学とその滅びの警告を読み取ることができる、と申したいのです。

 私が中学生の頃、初めて観た小津映画が『お茶漬けの味』(昭和27年)でした。ここでは、小津組で知られる笠智衆さんがパチンコ屋の店主を演じており、彼は言います。「こんなものが流行る世の中はイカンですよ」と。当時は今ほど事実上違法な賭博産業が幅を利かせてはいませんでしたが、小津監督は既に気づいていたのです。

 そう言えるのには根拠があります。小津監督の戦後復帰作は『長屋紳士録』(昭和22年)ですが、彼は決して一度たりとも焼け野原を撮りませんでした。むしろ復興してゆく日本を切り取り、そこには工場の煙突や、いくつものビルディングの壁面が重なるショットを収め、極めて早い段階からお茶の間にテレビセットを置いてみせたのです。

 小津映画に日本の原風景を求める方は多いですが、彼が今もなお映画監督であり続けたなら、臆することなく新宿歌舞伎町や渋谷109の周辺、六本木ヒルズなどを撮り収めたことでしょう。小津映画の真骨頂は、そうした物質的豊かさの向上と反比例して緩やかに瓦解してゆく日本人の心を描いたことに他ならぬ、と私は思うのです。

 最も有名な作品とされる『東京物語』(昭和28年)で、笠さんと東山千栄子さん演じる父と母を、厄介者扱いする子どもたち山村聰さんや杉村春子さん)の「個人主義」全開なさまは、まさに戦後「国民主権」の毒がまわった日本人の姿であり、さればこそ原節子さん演じる、戦死した次男の嫁の佇まいが美しいのです。これは是非ともご覧下さい。

 昨日、私は或る新聞社記者の方の貴重なお話を伺いながら、わが国は大日本帝国より3度に渡る文化の隔絶があったと感じました。それは、日清・日露戦争期と大東亜戦争期、そして占領統治(戦後)期です。その都度確実に「日本人が当たり前にできたことができなくなり、さらに当たり前の存在さえ忘れられた」のではないでしょうか。

 民主党のやろうとしている子ども手当などが、ことごとく個人支給の形態をとっていることは、緩慢に崩壊しつつある家族を完全に引き裂くことであり、極めて軽い存在と化した日本民族から「大和魂(大いなる和をもって尊ぶ精神)」を取り除く政治です。

 これでは日本列島をとりまく自然環境を生き抜くことができません。わが民族が古代の平定によって「大和」を名乗ったのは、大いなる和なくして猛暑や台風、積雪、地震、火山噴火、津波を生き延びられなかったからでしょう。日本の日本たるゆえんを否定することは、すぐにでも死につながることなのです。

 そうしたとき、私たちは小津監督の遺した映画作品から「家族崩壊」の警告を受け取り、国家社会の再興を誓わずにはいられません。日本のいかなる出身地を問わず誰もが皇室を指せば自らの祖先が皆と同じそれと分かることこそ、本当の平等であり、その生命の連繋なくして個人の存在などないのです。