皇紀2670年(平成22年)9月4日
■おいしいスコーンの食べ方
日本人にはおよそ深い縁などない食べものです。日本ケンタッキー・フライド・チキンが「ビスケット」というスコーンによく似た商品を販売し始めた頃、そのパサパサした食感にメイプルシロップが合わず、私はすっかり戸惑ってしまいました。現在発売中の商品は、この問題を生地の改良によって解決しています。
ところが先日、欧州・墺国(オーストリア)の友人とアフタヌーン・ティーを愉しみ、実に興味深いことを聞きました。日本人はこの縁遠い食べものを、お洒落だ何だと言って我が身に引き寄せておきながら、まったく無理解のまま食していたことにハタと気づいたのです。
もう10年ほど前になりましょうか、私が初めてアフタヌーン・ティーをいただいたのは、ザ・ペニンシュラ香港の有名な「ザ・ロビー」ででしたが、何やら恥ずかしい食べ方をしていたに違いありません。
まず、スコーンにハチミツやメイプルシロップをかけて食べるのは言語道断であるらしい。
そもそもアフタヌーン・ティーの文化が確立されたのは、日本で言えば天保8年から明治34年まで在位した英国王室ヴィクトリア女王の頃と言われていますが、その気品あふれる社交界の歴史を勘違いして、スコーンはナイフとフォークでいただくものと思っていたら大間違いなのです。
意外にも手で食べるのが本式であり、垂れて食べにくいシロップの類いは決してかけないといいます。ジャムの類いも、あくまで味の変化を愉しむ「2番手」に過ぎません。
最もスコーンはクロテッドクリームをつけて食べるものである、と。
この聞き慣れないクリームこそが、日本人の実に繊細な味覚をもってしても欧州人に敵わぬ曲者なのです。私たちがいただいたのは英国ロッダ社のロゴが印刷されたものでしたが、クロテッドクリームとは、脂肪分60%以上の生乳のみで作られるクリームで、誠に濃厚であり、その製法には英デヴォン州にて2000年以上の歴史があると言われています。
私が感嘆させられるのは、欧州人たちの乳製品に対する目利きの鋭さです。日本の鰹節や昆布、小魚などから作られる「だし」の細やかな気配りにはまったく気づかぬ連中が、ことチーズやクリームに関しては実にうるさい。
墺国の友人が「日本にはチーズの専門店がないから困る」と言うのです。有名百貨店の地階にある程度では種類が少ない、とぼやいていました。逆に彼らは、鰹節や昆布にいくつもの種類があって、日本人がそれらを買い分けていることには驚くのでしょう。
さて、そんな鰹節と昆布と味噌と米の国の私は、アフタヌーン・ティーの意義をこう教わったのです。夕食前にワインなどをいただくと、昼食以来何も食べていなければつい酔っぱらってしまう、と。いわゆる「空きっ腹に効く」というやつです。そこで、昼食と夕食の合間に少し食べておくわけです。
スコーンは焼きたてで、大抵3段重ねほどのティースタンドに乗ってやってきますが、ここで紅茶を供するのは執事ではなく女性の役目でした。女王であっても自ら皆の分を入れたと言いますが、聞けば慣れないせいか随分と段取りの悪い有り様で、おおよそ「先にスコーンでも召し上がれ」と言われるそうです。
その場の老若男女が女王の指示とばかりに「そうですか」、とおもむろにスコーンにクロテッドクリームをつけて食べ始めます。ですからスコーンは温かいうちに食べるものなのだそうです。
かくして食文化というのは、現世個人の理性が何を叫ぼうと、過去多くの人々、或いは国家体制によって構築されていったものであり、ゆえに中には由来を聞けば可笑しなものもあります。香港でのみならず、星国(シンガポール)ラッフルズ・ホテルの「ティフィン・ルーム」でのハイ・ティーが有名なのは、申すまでもなく英国の統治下にあった歴史の産物です。
とことん「それらは忌まわしく、禁じるべきだ」と言えば、とたんに人類はあるゆるものの食べ方を見失って戸惑うでしょう。いざ食べ方なんぞ個人の自由だ、と言われても困ってしまうものです。仏国領だった越南国(ヴェト・ナム)の仏パンやコーヒーが概して本国産以上においしいのは、歴史の素敵な産物ではありませんか。越南人はそれらの食べ方をよく知っています。
ご皇室由来のものや習慣を否定する愚かさを、よもやスコーンにクリームをつけながら思い知るとは私も思いがけませんでした。冷徹な印象をもたれがちだった女王を新しい視点で描いた平成21年製作・公開の英国映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』(ジャン=マルク・ヴァレ監督)でも観てみることにしましょう。
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皇紀2670年(平成22年)9月3日
民主党の小沢一郎幹事長(当時)の石川知裕元秘書(北海道11区・衆議院議員)が政治資金規制法違反容疑で逮捕された時、私はこのような形式犯で現職の国会議員が逮捕された前例はなく、極めて恣意的なものを感じると書いて「小沢擁護」に誤解されてしまいましたが、政治資金収支報告書の記載に疑問があれば総務省による修正指導で終わるはずのものを逮捕までし、小沢氏の逮捕・起訴まで迫ろうとしたのは不当だったという考えに今でも変わりありません。
それでも「石川は犯罪者」「小沢も犯罪者」で猛進する、いわゆるネット言論は恐ろしいと感じたものです。私が一貫して申してきたのは、小沢氏の集金方法に数々の疑惑があり、それが事実かどうか明らかにすべきだということですが、菅直人首相も前段の問題のみを指して「口撃」しています。裏でせっせと仙谷由人官房長官が焚きつけてきたわけですが、その仙石長官こそ、東京・新橋で司法書士をやっている長男に3つの政治団体から320万円が渡り、この事務所ビルに長男経営の不動産会社、仙石長官の3つの政治団体ならびに弁護士事務所があるというではありませんか。
さらにこのビルには、前原誠司国交相の凌雲会事務所も入居しています。問題は、この新橋の事務所が仙石氏の集金拠点になっているかもしれないというわけで、小沢?仙石ともに後ろめたい集金方法には絶対に触れない、深く調べさせないのです。
そここそ突けば、小沢氏も仙石氏もどの方向だけを見て政治をしているのか、すぐにでも明るみにできると思います。それが問題の本質であるべきではないのでしょうか。不動産登記だの親が子を助けただのといった目くらまし戦術にとらわれ、結果だまされていたでは済みません。
というわけで、いよいよ民主党代表(首相候補)選挙は茶番の様相を呈してきました。8月2日記事で取り上げたように、外国人でも人数水増しでも何でもありの党員・サポーター票が加算されるような選挙で一国の首相を決められてはたまりません。
のちに「だまされた」を言いたい人たちは、これをもって「内閣を認証するのは天皇陛下だから、天皇陛下に最大の責任がある」とでも言うのでしょうか。戦争責任論議の阿呆らしさはここにあるのです。帝国議会も国会も天皇陛下に招集の御声を賜りますが、そこでの莫迦議論の責任は議員・代議士にあり、選んだ臣民・国民の責任を自覚しなければ、政治がよくなったりする筈もありません。
このような「形式」の意義を軽蔑し、人間を「個人」の単位で語る者は、ゆえに自らの理性や意志を疑うことなく保守主義の基本哲学に猛烈な批判を加えるのですが、継承することやものを否定するのなら黙って自死せよというのです。あえて自殺とは申しませんが、自らの意志を後世に遺しても主義に反する筈ですから、黙って現世から去っていただくしかありません。ならばかえって「個人」の権利はどうなるのでしょうか。この思想では、とたんに論理破綻をきたします。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2752511/6135516
▲AFP通信:米ディスカバリーチャンネル本社で立てこもり、犯人を射殺
世界的にも有名なケーブルテレビ局に篭城し、射殺されたこの在米韓国人男性は、公開された犯行声明に「地球を守るために人口を減らせ」という主旨のことを書きなぐっていました。番組の中で子供の出産を紹介するのもやめろ、と主張しています。
結構でしょう。彼が、カール・マルクスさえも冷笑したトマス・ロバート・マルサスの『人口論』に傾倒していたのも自由です。ならば自ら勝手に人知れず死ぬか、或いは米国経済にも何らかのご意見をお持ちのようでしたから、ホワイトハウスか連邦議会の前で抗議活動をすればよかったに違いありません。菅首相もかつて、田中角栄元首相の自宅前で署名活動をしていたくらいですから、政治活動の自由は思想の如何を問わず、人種の差なく認められるべきです。
ところが彼は、目についたディスカバリーチャンネルを攻撃して2年前に逮捕され、またも今度は篭城して社員を人質にとってしまいました。この局の経営者または社員が何らかの不正をはたらいていたというなら(やり方の限度をはるかに超えていると思いますが)まだ分かります。
しかし、社員は彼の主義のもとになく、身体・生命の危機にまでさらされるいわれはないでしょう。ですから、人口増加が問題だという主義に到達し、自らがその原理を貫くのなら、もはや自死するほかないのです。これがどれほど生命の継承をなきものにし、むなしく、実は地球の営みを否定する思想か、もう少し考えて欲しいところでした。このような思想の淵から人を、そして地球を救う手はやはり祭祀によるほかない、と改めて思います。
おっと、今回は映像作品のご紹介がありませんでした。ディスカバリーチャンネルでもご覧下さい。
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皇紀2670年(平成22年)9月2日
酒癖の悪い某夫人まで出てきて議員会館を回り始めた選挙の話なんぞ、一旦やめておきましょう。
そんなことよりも、米国のバラク・オバマ大統領が8月31日夜(日本時間9月1日午前)、イラクでの戦闘任務の終了を宣言しました。しかし、長らく日本のメディア各社が報じなくなったために知られていないかもしれませんが、実態は今や無政府状態と化しているイラク(ヌーリー・マーリキー首相のもと半年以上議会も開かれない始末)から、イラクを荒らしに荒らし倒した米国が逃げることにしたという顛末です。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100901/amr1009011124004-n1.htm
▲産經新聞:オバマ大統領、イラクでの戦闘任務終了を宣言 国民向けにテレビ演説

オバマ大統領の言う「核のない世界(→世界平和)」はこの程度のものです。この程度の者が口先だけの世界平和を騙ってノーベル賞を受賞するような民主主義や資本主義に未来はありません。
私は開戦前からイラク戦争に反対でした。ブッシュ政権当時のコリン・パウエル国務長官がUN(連合国 俗称=国連)安全保障理事会に提示した不鮮明な画像と音声記録では開戦の理由にはならないと書いたこともあります。
米国は、ただサダーム・フセイン大統領(当時)を処刑したいだけであり、クリントン政権下の、イランとの兼合いからイスラム教シーア派やクルド人を使ったCIA発案の革命工作を断念したことがトラウマになっていただけにも思えました。ここにCIAが国防総省と組んで主導する戦争の欺瞞を感じたのです。
そして何より、占領憲法を無効にもせず威勢だけはよかった小泉純一郎首相(当時)が、その第9条に規定された交戦権のない状態を無視して開戦に賛成し、自衛隊の派遣を決定、実行したことが許せません。米軍による占領統治の続く日本に何が出来るというのですか。
自衛官たちは小泉政権の出鱈目に誰よりもさらされたのですから、私はとても任務に就く自衛官たちに向かって罵声を浴びせた人々の神経が理解できませんでした。日本の左翼は海外の左翼と違い、文字通り「木を見て森を見ず」という恥を恥ずかしげもなくさらけ出します。
かくして小泉政権は屈米のためなら遵法精神を捨て去り、批判も筋違いなものばかりで救われたため、とんだ人治政治がまかり通りました。不本意だろうと無効を決議しない限り、国家の三権は日本国憲法という名の占領憲法に従うのですから、一連の小泉首相の決定は脱法行為でしかありません。それでも首相なら出来たというわけで、小沢一郎氏はいよいよこの座に就こうとしています。
オバマ大統領の偽善を叱るなら、かえってジョージ・W・ブッシュ前大統領や英国のトニー・ブレア元首相は故・フセイン元大統領と並んで無罪放免であり、一方の小泉元首相は有罪確定でしょう。なぜそうなるのか、それは、イラク戦争は日本こそが止めることの出来た戦争だったからです。
日本政府がそのような覚悟を持つべきだったことは、例えば昭和57年製作・翌年公開の日本映画『東京裁判』(6部作・9時間31分もの超大作『人間の條件』で知られる小林正樹監督の長編記録映画)を見ても分かるように、連合国の欺瞞に満ち、小林監督自身もブロパガンダ・フィルムと知って使ったと話された『中国之怒吼』の南京大虐殺という捏造(事実は南京陥落)まで持ち出された敗戦国に対する戦勝国による凌辱行為の正当化に抗さなかった、或いは抗せなかったことから始まります。
平成10年には『プライド・運命の瞬間』(伊藤俊也監督 津川雅彦主演)が製作・公開されましたが、本作は上記指摘したことに多少触れられており、ゆえに一部から「右翼映画」などと決めつけられもしました。大東亜戦争の正当化を喧伝すべく本作が作られたというのですが、そうでしょうか。本作はむしろ、戦勝国が一方的に敗戦国を裁くという時代背景を真っ向から認め、人類叡智の進化を理想として極東国際軍事裁判を否定する必要があると言っているのです。
それが「右翼」だと言うのなら、やはり右派・保守派こそがイラク戦争のような行ないに反対し、世界平和実現の理想に向けて行動しなければなりません。その逆は「左翼」ですから、左派・革新派はいわゆる東京裁判を受け入れ続け、今後もこのような行ないが繰り広げられることに目を伏せるのです。それが屈米左翼という、日本の左翼ならではの極めて屈折した、或いは矛盾した理屈によって世界平和の実現を妨げる勢力という正体に他なりません。
東京裁判の出鱈目を指摘する者は好戦的な右翼であり、まるで犯罪者のように言われてきたのは大間違いです。講和発効後、日本政府が公式に東京裁判そのものを一度も否定しなかったことこそ大間違いなのです。その前ならやむをえずとも講和条約が発効していて、なぜできなかったというのですか。
独国に覚悟があるのかないのか知ったことではありませんが、英国や蘭国(オランダ)で始まったイラク戦争に対する政府検証は、日本でもなされるべきです。小泉元首相を国会で証人喚問にかけるべきではないでしょうか。それは些末な個人攻撃を目的とする類いではなく、占領憲法問題に日本民族がぶちあたる大きな機会としたいのです。
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皇紀2670年(平成22年)9月1日
どうやら菅直人?仙谷由人体制のほうが「負け」を認めなかったようですね。左翼弁護士(仙谷官房長官)が左翼活動家(菅首相)を担いだまま民主党代表(首相候補)選挙に臨むところを見ますと、小沢一郎前幹事長が勝とうが負けようが、年内に衆議院の解散総選挙があるかもしれません。
なぜなら、菅首相が勝ったとしても、もし小沢一派が党を割って出ればそうせざるを得なくなりますし、小沢前幹事長が勝ったとしても、既に本人が「俺でよいのかを問う」と言ってしまっています(ここで仙石一派が出て行く? 小沢民主党と創価学会=公明党の連携?)。昨日、赤坂1丁目の某ホテルに集合した小沢一派の議員たちはそれも覚悟の上でのことでしょうか。
恐らく早期解散で腹をくくっているのは小沢一派のほうに違いありません。選挙資金は必ず小沢氏が配ってくれます。だからこそ、悔しい仙石一派……ではなくて菅一派……いや、やっぱり仙石一派は、以下のような醜い行ないに出ています。これだから自民党のように「権力闘争」ではなく、中核派の「内ゲバ」に見えるのです。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100829-OYT1T00075.htm
▲讀賣新聞:小沢代表当時の資金配分を調査…菅氏側
不透明な「組織対策費」なんぞと言いますが、小沢氏の集金力に頼って民主党がメシを食ってきたのは周知の事実ではありませんか。そうじゃないという民主党議員は、自分にまったく集金力のないまま歳費や政党交付金からの分配金でメシを食ってきたのですから、卑屈になる必要は全然ありませんが威張れるものではないでしょう。
ならば仙石一派は、どうして小沢幹事長の秘書から寄付をするよう強要された(産經新聞)ことなどは追及しないのでしょうか。これは青木愛衆議院議員だけに留まらない話であるから、多くの新人当選組に汚泥を被せ(→政権交代を可能にした昨夏の大勝をぶち壊し)かねないことはしたくてもできない、というわけですか。これだから菅首相では勝負にならないのです。
こんなことで一国の首相が決まってしまうのでしょうか。3年で3人の首相を誕生させ、かえすがえすも真打ち(麻生太郎元首相)を出すタイミングを間違えた(明らかに安倍晋三・福田康夫両元首相は要らなかった)自民党ともども、わずか1年と少々で3人の首相を誕生させるかもしれない民主党に何を期待してよいのか分かりません。
したり顔で「最近の若者は内向的」なんぞとテレビで発言しているお歴々に私が申したいのは、かくも国家を語らない、すなわち世界に向かって日本がどういう国になるかも示さない政治家たちだらけで、誰が理想を語り、理想に憧れるものかというのです。
8月27日記事「民主党ただいま内ゲバ中」で取り上げた『スタートレック』の世界とは、原作のジーン・ロッデンベリー氏による冒険への憧れ、理想への憧れによって構築されており、米国人の氏が何をその基軸としたかについては憶測を論じませんが、地球人が国家間の対立を克服して異星のヴァルカン人らと惑星連邦を設立した世界観への私の憧れは、まさに世界平和を理想とする本来のわが國體にあるからに他なりません。
そのような未来の地球人に、機械生命体のボーグによる侵攻やドミニオン戦争(惑星連邦+クリンゴン帝国+ロミュラン帝国VSドミニオン+カーデシア連合)を体験させることで、物語は現下の地球上にあふれる数々の問題への提言をしています。
日本は世界平和を目指す国家ではないのですか? ならば平和を乱す好戦的な国家や組織と戦って勝たねばなりませんが、仙石官房長官に手綱を握られた菅首相に出来るとお思いですか? 輿石東参議院議員会長や山岡賢次副代表らに囲まれた小沢首相に出来るとお思いですか? 戦って勝てもしない国家の経済、国民の生活が自力でよくなったりはしないのですよ!
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皇紀2670年(平成22年)8月24日
今回は映画・映像作品ではなく、一冊の本をお薦めしたいと思います。英国の哲学者であり演説家でもあったエドマンド・バークが著し、半澤孝麿が訳した『フランス革命の省察』(みすず書房刊)です。「あ、難しそうだな」とおもわず逃げないで下さいね。
私が何度となく取り上げてきたものではありますが、これが保守主義の基本哲学を最も容易に知ることができる書物ということになるでしょう。しかし、天皇陛下によって司られる祭祀を知ることのほうが最も容易とも言え、ゆえに「保守」なる文言は政治思想の道具に非ず、人間が人間として地球に生きる基本を指すのみであると私は書き続けてきました。
バークは、本著で社会契約論に於ける契約の欺瞞を指摘し、批判しています。そのため、政治について多く触れられていますが、よく読み解けば基本哲学がはっきりと浮かび上がってくるはずです。
現世の者のみの理性や意志、心情によって何ごとも変えられるとする革命思想が否定されるのは、受け継がれるものをないことにして現世の者のみですべてを貪れば、仮にも地球は不毛の星と化し、生命という生命が絶滅しかねないからに他なりません。そのような「やりたいようにやる」或いは「やりたいようにやらせろ」という個人主権を認めてはならないのです。
さてさて、書きたいことが山のようにあって、つい長くなってはいけませんから、まず今回のお話しに絞りましょう。
在日韓国・中共人のみ地方参政権付与法案(通称=永住外国人地方参政権付与法案)の賛成派でもいらっしゃる前原誠司国土交通相は、民主党の基本理念とも言える「国民の移動する権利を基本的人権の1つとする交通権」をべースに、交通基本法なる法案を成立させようと目下、省をあげて準備しています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100129/212456/
▲日経ビジネスオンライン:「交通基本法」がやって来る
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100822-OYT1T00744.htm
▲讀賣新聞:交通基本法 問題はらむ「移動権」の保障
自由で平等な状態を最大化すべく、個人が社会契約を締結することによって国家が成立し、その個人や集合体の人民こそが主権者という考えならば、奇遇にもまたぞろ仏国の「交通権」を模範とすればよいでしょう。
そうすれば、讀賣新聞社の社説が指摘するように、地方の公共交通機関の不採算路線が廃止された場合、住民が権利の侵害を理由に相次いで訴訟を起こし、行政が混乱をきたすのも、何らかの革命を起こして更地にすることで乗り切るのでしょうか。
いえ、これは地方に限らず、東京メトロの最寄り駅から徒歩3分の住民と、徒歩15分の住民では「交通権の格差がある」などと言われ、15分の住民が「うちから3分圏内まで地下を掘れ」と言い出せば、カネがいくらあっても足りません。
いわゆる道路族の利権政治にも困ったものですが、これは新たな利権を創出するだけのものだとの指摘もあります。直言すれば「交通の自由はカネをバラ撒いて保障します」という新手の福祉利権であり、(本当に生活に困窮して助けねばならぬ者ではない)生活保護対象者や部落解放同盟らと組んで「鳩ポッポ小沢ナイナイ」(笑)する企画だったりするのでしょうか。是非とも前原国交相にお尋ねしたい。
そもそも交通行政を含めた街づくりの権限を地方自治体に移譲するというわりには、予算は国交省が掌握し、地方の役所はただ煩雑な仕事をやらされるだけに違いありません。このような基本法によらず、例えばコンパクトシティ化を実現する知恵の集積と予算の確保があればよいではないですか。地方議員の皆様、ともに法案成立阻止に向けて立ち上がりましょうよ!
というわけで、ついカネのお話しをしてしまいましたが、私は、個人の交通権なるものが社会契約の中で保障されることにより、国家が正当化されるなんぞという薄気味の悪い思想には、どうしても組することができません。この思想でない限り、交通権という言葉も概念も出てこないはずなのです。民主党政権は、やはり革命政府を生み出したということになるのでしょう。
交通基本法というのは、これはとんでもないですよ。
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