日本は「そびえたつ地獄」
私が生まれて初めて劇場で鑑賞した映画は、昭和49年製作・50年日本公開の米国映画『タワーリング・インフェルノ』(ジョン・ギラーミン監督)でした。当時もうあと1ヶ月ほどで3歳になろうかというころの私でしたが、高層ビル火災のとてつもない映画をやたら広くて何やら埃っぽい場所で観たと覚えており、のちに親の記憶と照らし合わせて本作だったと分かったのです。題の日本語訳は「そびえたつ地獄」だと、かつて『日曜洋画劇場』で淀川長治氏が解説しておられたのもよく覚えています。
ディザスター映画(日本ではパニック映画)の金字塔というべき本作は、前作『ポセイドン・アドベンチャー』の製作者アーウィン・アレンによって企画され、20世紀フォックスとワーナーという二大メジャーが史上初めて手を組み、巨費を投じて作られました。
よって出演陣が豪華を極め、消防士役のスティーヴ・マックイーンと建築設計士役のポール・ニューマンという二大看板スターをどう表記するかでもめた(片方を先に表記するわけにもいかず、結局2人同時に左右・上下を工夫して表記した)そうです。
桑港(サン・フランシスコ)に完成した138階建ての超高層ビル「ザ・グラス・タワー」は、社長(『戦場にかける橋』のウィリアム・ホールデン)がその世界一の高さにこだわり、彼の娘婿(『将軍 SHOGUN』のリチャード・チェンバレン)は建築予算の着服を企て、電気系統の手抜き工事で81階備品室から出火してしまいます。それは今まさに、完成披露パーティーが始まろうという時でした。
設計士の恋人(『俺たちに明日はない』のフェイ・ダナウェイ)や、実は人を騙せない老詐欺師(『グリーンマイル』の映画上映シーンにも登場するタップの天才フレッド・アステア)と彼が狙う富豪の未亡人(『慕情』でホールデンと共演しているジェニファー・ジョーンズ)、招かれた上院議員(『ブリット』でマックイーンと共演しているロバート・ヴォーン)らが135階のプロムナードルームに集まっているというのに、火は次第にビルを覆い始めます。
本作を観て消防士になったという方が大勢おられたほど、彼らの「人のため」にはたらく姿はまぶしいほどで、一方、現世の自分のことしか考えずに生きている娘婿が、我先にと無理に避難しようとして墜落死するという展開(現世個人主権という革命思想の顛末)は、この手の作品の定石であるがゆえに当然です。
非常に衝撃的な展開を見せたのは、あの未亡人が小さな子供たちを抱きかかえながら展望エレベーターで避難しようという時、通過階の爆発的火災でワイヤーが切れ、彼女は子供たちを(墜ちそうな自分に代わって守ってくれるであろう)他の人に渡そうととっさに両手を放し、外れた窓枠から墜落死してしまうという場面でした。
公開時にはこの展開に対する批判が米国内で殺到したと何かで読んだ事があります。確かに彼女の死はあまりに哀しいにしても、彼女が子供を守ろうとする人間の本能に基づき、たとえ他人の子に対してさえ生命の継承を保守しようとしたこと(天皇陛下と祖先祭祀の実践)は、実に崇高なのです。
それにしましても、完成披露パーティーで大盤振る舞いをしながら建築予算はビルの高さに見合っていなかったという本作のくだりが、現下の日本そのものに見えて仕方ありません。
子ども手当などでつまらぬバラマキをしながら、実態は官僚主導の事業仕分けでケチな歳出削減をし、そのくせまともな予算編成もできずに「政権交代」の任に見合っていなかった民主党は、まさに「ド素人集団が政治主導をうたって威丈高にそびえたつ地獄」です。
私たちは早く逃げた出したほうがよいのでしょうか。或いは、マックイーンのように自らの退路を断ってでも消火すべきでしょうか。ラストシーンで彼は、懸命に消火を手伝った設計士にこう言います。「ビルの建て方を教えてやる」「いずれ電話しろ」と。