乗車拒否騒動の何が問題か
この一週間の話題といえばこれでしょう。福島瑞穂参議院議員しかいなくなった社会民主党の伊是名夏子全国連合常任幹事が東日本旅客鉄道(JR東日本)に「乗車拒否された」と騒いだ話は、賛否両論どころか多くの批判を浴びました。
ご本人は「誹謗中傷された」と感じているようですが、彼女のとった行動の問題点は、どこかへ出かける際に健常者でも障害者でも自身に何らかの達成したい課題がある場合にはまず事前に下調べをする、問い合わせる、必要なら予約をするのに対し、ろくに調べもせずに無人駅へ行こうとし、突然にもかかわらず対応した駅員の提案にことごとく反対を唱えて無人駅へ駅員四人を派遣させ、重さ八十kgを超える電動車椅子を運ばせたことにほぼ集約されています。
彼女のいう「障害者だから」というのは全く通用しません。健常者でも事前の問い合わせ・予約なしに、例えばホテルや旅館へ行って「泊めて」と頼んでも、場合によっては「本日は満室です」といわれれば諦めるほかなく、親切にも「近隣にこのようなホテルもあります」と提案されて「どうしても自分はここに泊まりたい」とごねたところで、どうにもならないものはどうにもならないのです。それを「宿泊拒否された」と騒いでも、誰もそのホテルに対して何らの問題意識ももちません。
「いや、普通に駅を利用したかっただけで、障害者は電車に乗って駅で降りることもできないのか」と問われたとしても、自身の達成したい課題は多様なもので、障害者は障害を認知しているのならそれ相応の事前準備は必要なはずです。もう一度申しますが、それは健常者でも同じことであり、まして自分が車椅子で移動している自覚があるのなら、それ相応の準備をした上で気持ちよく外出を楽しまれるべきでした。
彼女が事前に見たというJR東日本のアプリケーションには、来宮駅に階段があることは記載されています。よく見なかった自身の落ち度を棚に上げて駅員に喰ってかかり、挙げ句に「乗車拒否された」と騒いだのでは(嫌いな表現ですが)典型的なカスタマー・ハラスメントでしかないのです。
彼女のいう「合理的配慮」は、極めて個人的な課題の解決のために他者に重い犠牲を強いることでしかなく、国家として障害者の立場に立った街づくりを求めることにはなりません。
よって、彼女が既に「こういうことを何回も繰り返す」と予告していることは、もはやテロ予告か何かに等しく、迷惑行為も度が過ぎれば威力業務妨害などの犯罪を構成します。私たちのこの世界に、彼女の行動は何ら問題提起としての役目を果たしません。
わが国は、諸外国に比べていわゆる「バリアフリー」がかなり進んでいます。欧州各国の名勝地には、手すりも案内板すらもなく、健常者でも自分の身は自分で守らなければならない場合がほとんどです。わが国は、電車内のアナウンスといい「甘やかし」「子供の国だ」と揶揄されたこともあるほどでした。
私は、それでもわが国がバリアフリー化を進めてきたのはよいことだと思っています。健常者が次の日には車椅子生活になることだってあるのですから、互いに声を掛け合える国家でありたいものです。
そうした国家的目標の達成は、彼女のような暴力によって成しえるものではありません。彼女の行動は、いよいよ健常者を跳ね飛ばし、世間の障害者に対する誤解を拡大させ、目標の達成を遠ざけたのです。
彼女は二月二十一日の社民党全国代表者会議で、かの沖縄平和運動センターの山城博治議長と共に常任幹事に選出されたばかりで、これが福島一人党首の方針なのかと思うと、ますます暴力肯定政党に未来はないと感じます。
一方で、未曽有の内需委縮が招いた致命的な少子化により、今後は鉄道駅の無人駅がさらに増えていくでしょう。障害者対応の職務が無人駅の管理駅(今回の場合は熱海駅)にある限り、やはり事前の問い合わせは必須になります。
それを彼女のような振る舞いを繰り返されるのであれば、鉄道事業者としてはその無人駅を廃止するほかなくなるのです。これは高齢者の公共交通機関利用の促進という課題と重なり、重大な問題を拡大させてしまいます。
だからこそ互いに声を掛け合う世の中にしていくのが政策的課題なのではないのですか? それすら分からない者が「世の中のために声を上げる」なんぞと大層な言い訳をしてはいけないのです。