小津安二郎と日本人
緩慢な「家族」の崩壊
皆さんは小津安二郎監督の映画をご覧になったことがあるでしょうか。小津監督は、私の尊敬する映画監督のうちのお1人(ほかに伊丹十三監督ら)なのですが、黒澤明監督や溝口健二監督と並んで国際的評価の高い日本人映画監督でした。特に欧州での人気は未だ健在です。
そんな小津ファンとして有名なのが『ベルリン/天使の詩』などのヴィム・ヴェンダース監督(独国)であり、小津研究の第一人者が(伊丹監督とも交友がありながら『お葬式』を酷評して去った)東京大学の蓮實重彦元総長でしょう。
もちろん私はここで、イマジナリーラインを超えたローアングルの、50ミリレンズで画を切り取ることに固執した小津演出(戦後全作品のキャメラマンは厚田雄春氏)を深く語るつもりはありません。『大人は判ってくれない』などのフランソワ・トリュフォー監督(仏国)をも虜にした小津映画に、保守主義の基本哲学とその滅びの警告を読み取ることができる、と申したいのです。
私が中学生の頃、初めて観た小津映画が『お茶漬けの味』(昭和27年)でした。ここでは、小津組で知られる笠智衆さんがパチンコ屋の店主を演じており、彼は言います。「こんなものが流行る世の中はイカンですよ」と。当時は今ほど事実上違法な賭博産業が幅を利かせてはいませんでしたが、小津監督は既に気づいていたのです。
そう言えるのには根拠があります。小津監督の戦後復帰作は『長屋紳士録』(昭和22年)ですが、彼は決して一度たりとも焼け野原を撮りませんでした。むしろ復興してゆく日本を切り取り、そこには工場の煙突や、いくつものビルディングの壁面が重なるショットを収め、極めて早い段階からお茶の間にテレビセットを置いてみせたのです。
小津映画に日本の原風景を求める方は多いですが、彼が今もなお映画監督であり続けたなら、臆することなく新宿歌舞伎町や渋谷109の周辺、六本木ヒルズなどを撮り収めたことでしょう。小津映画の真骨頂は、そうした物質的豊かさの向上と反比例して緩やかに瓦解してゆく日本人の心を描いたことに他ならぬ、と私は思うのです。
最も有名な作品とされる『東京物語』(昭和28年)で、笠さんと東山千栄子さん演じる父と母を、厄介者扱いする子どもたち(山村聰さんや杉村春子さん)の「個人主義」全開なさまは、まさに戦後「国民主権」の毒がまわった日本人の姿であり、さればこそ原節子さん演じる、戦死した次男の嫁の佇まいが美しいのです。これは是非ともご覧下さい。
昨日、私は或る新聞社記者の方の貴重なお話を伺いながら、わが国は大日本帝国より3度に渡る文化の隔絶があったと感じました。それは、日清・日露戦争期と大東亜戦争期、そして占領統治(戦後)期です。その都度確実に「日本人が当たり前にできたことができなくなり、さらに当たり前の存在さえ忘れられた」のではないでしょうか。
民主党のやろうとしている子ども手当などが、ことごとく個人支給の形態をとっていることは、緩慢に崩壊しつつある家族を完全に引き裂くことであり、極めて軽い存在と化した日本民族から「大和魂(大いなる和をもって尊ぶ精神)」を取り除く政治です。
これでは日本列島をとりまく自然環境を生き抜くことができません。わが民族が古代の平定によって「大和」を名乗ったのは、大いなる和なくして猛暑や台風、積雪、地震、火山噴火、津波を生き延びられなかったからでしょう。日本の日本たるゆえんを否定することは、すぐにでも死につながることなのです。
そうしたとき、私たちは小津監督の遺した映画作品から「家族崩壊」の警告を受け取り、国家社会の再興を誓わずにはいられません。日本のいかなる出身地を問わず誰もが皇室を指せば自らの祖先が皆と同じそれと分かることこそ、本当の平等であり、その生命の連繋なくして個人の存在などないのです。