靖國神社と米国立大聖堂

皇紀2674年(平成26年)1月5日

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/131229/amr131229……
 ▲産經新聞:【あめりかノート】 靖国参拝 オバマ政権の偽善 ワシントン駐在客員特派員・古森義久

 米国では、首都ワシントンD.C.にある国立大聖堂で南阿のネルソン・マンデラ元大統領の追悼式が昨年十二月十一日に催されたのを機に或る議論が巻き起こっている、と産經新聞社の古森義久記者が伝えています。

 例えばザ・ワシントン・ポストの首都圏コラムニストのジョン・ケリー氏は、南北戦争で合衆国に反旗を翻して奴隷制を守るために戦った南部連合軍のロバート・E・リー最高司令官とストーンウォール・ジャクソン将軍が大聖堂に祀られていることに疑問を呈したのです。

 これらに対し、大聖堂の広報官は「歴史には良い部分も悪い部分もある」として公式の反対はないと言明し、死者の霊は生前の行動によって責められることがないという見解を示しました。

 この基督教の施設である国立大聖堂には、バラク・オバマ大統領や長官たちが頻繁に参拝しています。それでも在日米国大使館は安倍晋三首相の靖國神社参拝について、中韓との外交関係を勝手に動かした(中韓を刺激した)ことに「失望した」という声明を出したのです。

 何度も申しますが、米政府は靖國神社に参拝したことそれ自体を問題視していません。その背景には、彼らのこのような現実があるからでしょう。

 或る意味、古森記者も朝日新聞社らが書きたてた「米国も靖國参拝に失望したと言っている」という報道に絡めとられ、少し間違った方向に記事をまとめていますが、大使館の声明を読めば「オバマ政権の偽善」など存在しないことが分かります。いえ、米政府は今後もこの点に注意すべきなのです。

 米政府が安倍首相の行動に対して敏感なのは、中韓朝の関係が極度に緊張しているからであり、わが国の助力なくして米国一国だけでは朝鮮戦争の再燃に対処出来ないために他なりません。

 しかし、靖國神社の真の問題は鎮霊社への参拝を強調した安倍首相の行動によって、わが国もこの議論を巻き起こすべきなのですが、合祀される英霊の選別があくまで政府の視点によってなされてきたことです。

 国立大聖堂にリー将軍らを讃える碑文が存在することは、まさに米国創建期の歴史にあって彼らが米国のために戦った英霊だからであり、いずれもわが国のために戦って散った奥羽列藩同盟や白虎隊など、いわゆる「賊軍」と呼ばれた先人たちを合祀しない靖國神社は、改めて天皇陛下の御親拝を賜れる祭祀の場とは言えません。天皇陛下は私たち臣民にとって権力者ではなく、政治的な御存在でもあらせられないのです。

 靖國神社は、東條英機元首相らの御霊を合祀したのなら、官軍視点の合祀を改められるはずであり、むしろ東條元首相らの合祀を問題視しては西郷隆盛氏らの合祀もなくなりかねません。

 問題の根幹は決して「A級戦犯合祀」なんぞではなく、本来宗教施設ですらない神社に首相らが参拝するのは当たり前のことなのです。

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英国人記者が見た戦勝史観

皇紀2674年(平成26年)1月4日

『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』

ヘンリー・S・ストークス=著

 本日はおすすめの本をご紹介しましょう。それは、英フィナンシャル・タイムズの東京特派員、英ロンドン・タイムズと米ニュー・ヨーク・タイムズの東京支局長を歴任し、三島由紀夫氏とも親交を結んだ英国人大物記者と言われるヘンリー・S・ストークス氏が書かれた『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)です。

 早い話が、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を信じて疑わなかった英国人記者が、大東亜戦争に於けるわが国の行いだけを「侵略」と規定する異常さと、日本を貶めるためにさまざまな史実が捏造されたこと、いわゆる「東京裁判」が間違いであることなどを、丁寧に書いた本なのであります。

 しかし、この本が「英国の失ったものの大きさ」を書けば書くほど、本国から「反英思想」と疑われるのではないかという心配があり、そうなれば日本の名誉も決して回復しません。

 皆様とて、日本人記者が中韓あたりで「日本はあの戦争で亜州の友人をことごとく失った」などとおかしなことを書き記し、したり顔で出版されれば当然、信じて読んだりはしないでしょう。まずはストークス氏の記述の正しさが、欧米で評価されるよう願います。

 昨日は南米の分析者による記事をお届けしましたが、連合国軍が占領憲法(日本国憲法)とともに置いていった「戦勝国史観」に、私たちは決してひれ伏していてはいけません。その戦いの一助となる一冊が、この本です。

戦勝国の歴史認識こそ戦犯

皇紀2674年(平成26年)1月3日

 本日は南米爾国(アルゼンチン)の政治アナリストが書いた、安倍晋三首相の靖國神社参拝に関する分析を、英語メディアの一部から翻訳してお届けします。

 http://rt.com/op-edge/japan-war-crimes-867/
 ▲RT(英語):Japanese war crimes; I’m sorry? (Adrian Salbuchi)

 日本の安倍晋三首相の靖國神社参拝に、中共と韓国が激怒している。靖國神社は二百五十万人の戦没者を祀る東京の神社だ。多くの人が怒っているのは、この十九世紀創建の神社に祀られている人人の中に、米国の占領軍によって「戦争犯罪人」という烙印を押された第二次世界大戦時の英雄らが含まれているためだ。その中には、米国によって昭和二十二年に処刑された戦時指導者、東條英機大将など「戦争計画」に関わったとされる十四人の「A級戦犯」も含まれている。

 戦勝国が敗戦国に対して当然に獲得する権利は、領土要求に関するものだけではない。敗戦国の都市や土地、国民、資源、工場、特許権、軍事装備、そして国際法上の諸権利に対しても、完全且つ欲しいままに支配する権利を戦勝国は獲得する …… 悲しむべきことだが、これが現実だ。

 そして戦勝国は、戦争の端緒となった対立に関する歴史記述を書く(或いは書き直す)「権利」をも獲得する。自国の見解と論理を「真実」とする権利を獲得し、敗戦国を「間違った国・邪悪な国・戦犯国・侵略国」だと非難するのである。「俺たちは善人、相手は悪者」「私たちの息子らは英雄。向こうは殺されて当然の悪魔だ、二歳の幼児までも」という考えは、人類の歴史と同じほど古い。第二次大戦後の七十年間のプロパガンダが明瞭に示している通り、二十世紀と二十一世紀も例外ではない。

 だが日本は今なお屈しようとしない。これは賞賛すべきことだ。平身低頭して世界に再三再四赦しを請うてきた独国の姿とは対照的だ。だが独国自身もよく了解している通り、たとえ何度謝罪しようと、世界の報道・出版・教育を支配する人人は決して独国に赦しを与えることはあるまい。

 歴史認識について「ハラキリ」した独国とは違って日本は顔を伏せず、敢然として軍事的敗北の結果に耐え続けている。倫理面で屈服してはいないのだ。

 なるほど確かに、連合国による極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」の結果、日本の多くの軍事・政治指導者らが「A級戦犯」だとされた。だが安倍首相は、平成十八年に「JapanTimes」で報じられたように、「靖國神社に祀られた十四人のA級戦犯は国内法上の犯罪者ではなく、東京裁判の結果を日本が受け入れたのは独立を回復するためのものだった。(中略)A級戦犯の起訴理由となった『平和と人道に対する罪』は連合国によって戦後に作られた概念で、法律に定められたものではない」と考えている。

 日本よ、良くぞ言ってくれた。もし我々が、戦勝国・敗戦国を問わず全ての国の戦争犯罪を真摯に罰しようとするなら、とんでもない規模の国際軍事裁判所が必要だろう。そしてその裁判所は、ダブルスタ
ンダードと検閲から自由でなければならない。

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 わが国が占領統治期から「日本は悪い国」と信じ込まされて顔を伏せてきたことや、独国が全ての戦争責任をナチス党に背負わせて国防軍すらも逃れたこと、そもそも中韓は何処から見ても戦勝国ではないことが、いずれも指摘されていませんが、このような捉え方が海外から配信される、その可能性からも、私たちは顔を伏せてはならないのです。

これは斬新な日独比較論

皇紀2674年(平成26年)1月2日

『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』

川口 マーン 惠美=著

 本日はおすすめの本をご紹介しましょう。拓殖大学日本文化研究所の川口マーン惠美客員教授がお書きになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社プラスアルファ新書)です。

 実はこの本、目下大変売れているそうでして、独国南西部バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルトに住んでおられる川口先生が、独国をけなされると褒めたくなり、独国を美化されるとそうでもないと言いたくなるという複雑なご心境でお書きになった、かなり面白い本なのであります。

 お気楽な題(タイトル)がつけられてはいるものの、これは斬新な日独比較論であり、まず沖縄県石垣市尖閣諸島の領有権問題から書き始められているのは、さすがの川口先生です。

 独国人はよく私たち日本人と同列に「勤勉」と評されることが多いのですが、私が以前に申した通り、本当のところは仏国人とまた違う「強烈な個人主義」の方向軸を脳内に有しており、融通が利かなくて困ることもあります。だから電車が定刻に着くことなどありません。

 亜州某国で独国人と話し初めに「お疲れですか」と尋ねられ、私が「ええ、少し」と答えた途端、延延と黙り込むのが彼らです。疲れを口にした者は話しかけられたくないと考えるのでしょうが、思わず「あんたらは何をしに来たのか」と言いたくなってしまいました。

 そのくせ彼らは議論が好きです。哲学的な議論には天才的能力を発揮し、何かと結論を急ぐ日本人の欠点を露呈させます。

 川口先生がお住まいのシュトゥットガルトは、独国を代表する工業都市であり、経済に於いて日独米が互いに仮想敵国の関係にあることは明白ですが、この本は、その予定がある人にとって訪独前に一読の価値ありでしょう。おすすめです。

本日は「四方節」です

皇紀2674年(平成26年)1月1日

あけまして おめでとうございます

 本日は、グレゴリオ暦で年が変わったとされる日に過ぎず、本当に「元日」とは言えませんが、私たちはすっかりこの日に新年の挨拶を交わす習慣を定着させてしまいました。

 そのような臣民の程度に合わせるかのように、天皇陛下が「四方拝」を執り行われるのも本日です。午前五時三十分、天皇陛下は黄櫨染御袍と呼ばれる束帯を御着用され、伊勢の皇大神宮と豊受大神宮に向かわれて拝礼され、四方の諸神を拝されました。

 このいわれには諸説あって、本来は神道祭祀と無関係であるともされていますが、私たちも四方を拝して一年間の豊作と無病息災を家族で祈ってみてはいかがでしょうか。

 ちなみに、本年の旧元日は一月三十一日です。

 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 平成二十六年 皇紀二千六百七十四年 一月一日
 真正保守政策研究所代表 遠藤健太郎