恥知らずな対日ヘイトたち
所詮は神戸新聞社のスポーツ新聞記事にしかならない話題ですが、かつて安倍晋三首相(当時)を指して「安倍、おまえは人間じゃない」などと路上で叫んだ法政大学の山口二郎教授が「ヘイトスピーチ(憎悪差別扇動)」の何たるかを適当に語って「聞いて呆れる」とは聞いて呆れます。
もし、仮にも、石原慎太郎元東京都知事が「日本で公然とヘイトスピーチをまき散らしてよいと差別主義者たちを安心させた」とするならば、そのおかげで山口教授はわが国、私たち日本人に公然と毎日のようにヘイトを吐き散らせるのです。本当にそう思っているなら感謝しなさい。
自民党の長島昭久衆議院議員に噛みついた部分でも「公共空間における公人の言葉遣いを真っ先に破壊した」といきり立っていますが、そんなはずがありません。真っ先に破壊したのは対日ヘイト活動家たちです。
石原氏は、そうした連中のさまざまな言葉や行動に抗しようと、強い言葉を用いて私たちをハッとさせました。時には厳しく、特定の人びとに対して適切ではなかったかもしれませんが、その特定の人びとを「支援する」と近づいた連中(対日ヘイト活動家たち)の言動の酷さがこうした言論を招いたことに「ヘイトを許さない」というのなら真っ先に批判の矛先を向けるべきです。
石原氏のご逝去でそれどころではなくなりましたが、立憲民主党の辻元清美前衆議院議員が今夏の参議院議員比例代表選挙に立候補するという無節操な会見で、「厚かましいんちゃうかとも思ったんです、でも、やっぱり黙ってられへん」と述べた場面で「厚かましいわ! 黙っとれ!」と突っ込んだ方も多かったでしょう。
こうした対日ヘイト活動家は「小さな声、異論を切り捨てる政治になってしまう」などというのですが、それが民主主義であり、これをいうなら「私は民主主義を否定し、対日ヘイトの独裁政治を目指す」と公約しなければなりません。
現に同類で文部科学省の前川喜平元事務次官が「こんなよい政治家をなぜ選挙で落とすのか。敢えていう。(大阪十区の)有権者が阿呆なんや」と辻元氏を激励しており、都合よく「全国の声」だの「民意」だのを謳って自民党を誹謗中傷しながら、都合が悪くなるとその「声」も「民意」も阿呆呼ばわりという知能の低さを露わにして恥じることがないようです。
自民党も大概ですし、二千六百数余年もの歴史を有するわが国が常に正しかったわけではありませんが、ことさらに私たち日本人の名誉を棄損し、憎悪をかき立てるよう喧伝するヘイトスピーチが正しいわけなどないのです。