増税反対の声が足りない?
財務省の代理人を長くやり過ぎたからというわけでもないでしょうが、麻生太郎元首相のこの発言こそ、私たち多くの国民の理解を得られません。
この発言の原因は、私が指摘した「増税よりも防衛費増強に反対」している極左暴力一派の声にあります。
概して彼らは、いわゆる「弱者の味方」を騙って増税の類いに一貫して反対してきたにもかかわらず、事が防衛費となればそちらに論点が傾いてしまい、保守派のほとんどが懸命に「増税反対」を唱えても国民的大声にはなっていません。
保守派が反対しているのは、そもそも安倍晋三元首相が国債の発行で賄う提案をしていたからで、安倍元首相の暗殺と共に財務省がまんまとこの案も抹殺しました。
麻生氏には、いつもながらの聞くに堪えない極左の戯言と、保守派のわずかな増税反対しか聞こえていません。報道権力各社の世論調査結果にしても麻生氏は、反対が八割に達するような事態を想定していた(ふりをしている)のでしょう。
政治家が聞くべきでない声を分別するのは結構ですが、今回ばかりは大きな過ちを犯しつつあります。
財務省の支配を許していますと、延延とこのようなことがあちこちで起きます。前にも申しましたように防衛費の増強案も、もともと財務省が米政府の発注で潰そうとしていました。
財務省が許した増強案が純粋に防衛省・自衛隊の予算ではないのも、そうした経緯があるからです。
政府資産を温存し、主計権力と徴税権力を維持することしか考えていない財務省に、私たち国民・国家の宝を守ろうなどという気はさらさらありません。
自民党の文教族も、文化庁のこの種の折衝に口添えしないからいけないのです。彼らもまた、国宝を維持管理(修繕)することにあまり関心が向いていません。
博物館法第二十三条に「公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない」とありますが、現在は但し書きに沿って自ら維持管理費を調達(入館料等徴収)しています。
博物館側も必死ですから、魅力ある企画展をつぎつぎと打ち出して費用を調達していますが、国宝の修繕には莫大な予算が必要です。これを満足に用意できないような国が果たして先進国と言えるでしょうか。
武漢ウイルス(新型コロナウイルス)狂乱による行動制限を経て運営が苦しいのは、私たち民間だけではありませんでした。国立ならなお政府が責任をもって予算を計上すべきです。
それでまた「文化財税を新設」などと言い出したら、いよいよ一億二千万の国民が永田町と霞が関を襲撃してもよいでしょうか。