民主党は革マル派政党か?

皇紀2670年(平成22年)7月21日

 月刊誌『新潮45』8月号は、民主党の枝野幸男幹事長が平成8年の衆議院議員総選挙出馬時に、警視庁公安部や公安調査庁が革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)秘密組織の幹部であると判断していたJR東労組(東日本旅客鉄道労組)大宮支部執行委員長(当時)と「推薦に関する覚書」を交わしたと報じましたが、私は事実確認が取れるまでここに書くのを待ちました。よって、この報道そのものはすでにご存知の方も多いでしょう。

 枝野幹事長は20日、この覚書の存在を否定せず、「一般的な政策協定を結ぶ一定のひな型の通りだ」と述べ、問題はないとの考えを示しました。つまり、事実だったわけです。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100720/stt1007202358013-n1.htm

 ▲産經新聞:「一般的な対応だ」枝野氏 「革マル派幹部と覚書」報道に

 小沢一郎前幹事長が去っても、民主党の人事はこの通りでした。枝野幹事長の口ぶりでは、ただの労働組合との覚書程度に聞こえますが、相手が革マル派だということに対する政治家としての危機意識のなさを露呈させたようなものではありませんか。革マル派が何党の誰を応援しようと自由ですが、政治家が彼らとわざわざ覚書を交わすことが「一定のひな型の通り」なわけなどないのです。

 そもそも黒田寛一氏によって組織された革マル派とは、一体何でしょうか。参考となる映画は、平成14年製作・公開の『突入せよ!あさま山荘事件』(原田眞人監督)が警察側(原作の佐々淳行元内閣安全保障室長)からの視点で連合赤軍(新左翼テロ組織)を描いたものとしてあり、逆に赤軍を美化して描いたのが、若松孝二監督による平成20年製作・公開の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』です。

 特に『実録・連合赤軍?』を観れば、革命を起こそうとした新左翼たちの人間としての弱さと、それによって「覚悟もなく」引き起こされた数々の殺人事件(「総括」「内ゲバ」)を知ることができるでしょう。革マル派は、もともとマルクス・レーニン主義を掲げる中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)のセクト(分派)でした。

 彼らは反スターリン主義を掲げ、左翼の日本共産党さえも「スターリン主義だ」として打倒の対象としています。中核派が目に見えて過激な行動をとり、警察によって徹底的に取り締まられていったのに対し、革マル派は思想研究に特化して組織を拡大させるべく潜り込んでしまい、警察の捜査を難しくさせているようです。

 それら組織が形成されていった複雑な経緯を書き並べることは避けるとして、いわゆる左翼が一枚岩ではないことについて、もう3年ほど前になりますか、私が「国旗・国歌を否定し、皇室を天皇制と呼称するような思想の方々こそが改憲を言い始めている」と警告し、左翼は占領憲法の護憲派であるとの認識はもう甘いと示したことでもはっきりしています。これは、実際に私が加えていただいた反権力・反体制派との討論で分かったことでした。

 このような革命思想を掲げる組織がなぜ怖いかと申せば、簡単に申していわゆる右翼・保守派と違い、彼らは私たちの日々の暮らし・経済活動に対して反抗的であり、国家の解体を目指して「破壊」することが目標だからです。保守派は文字通り「保守」を目指しますから、何かの不正などに対して抗議告発行動まではしても「破壊」は理念からかけ離れます。

 ですから、中核派や革マル派がインフラ(インフラストラクチャー=主に上下水道や道路などの社会基盤)関連企業に潜り込むことは非常に危険なのです。破壊活動のために上水道に劇薬を垂れ流されたり、電力会社に入って原子力発電所を破壊されれば、私たちが犠牲者となりかねません。現にJR東日本にも革マル派がいるわけですが、この革新派と保守派の決定的な違いを、皆様にご理解いただきたいのです。

 革マル派は大学生への勧誘をはじめ、さまざまな方法で組織拡大を図っており、しかも組織名を隠して何食わぬ顔で潜伏しています。民主党は枝野幹事長の例があってか、JR総連(全日本鉄道労働組合総連合会)の組織内候補たる田城郁氏を、今回の参議院議員選挙比例代表に出馬させました。残念ながら当選してしまっています。

 http://www.youtube.com/watch?v=HTNwgUHh6Bk

 ▲たちあがれ日本チャンネル:渋谷駅ハチ公口・街頭演説会1/たちあがれ日本

 たちあがれ日本与謝野馨共同代表が街頭演説で警告していた「JR東労組は革マルの牙城なんです。その革マルの親分の松崎さんの一の子分が民主党の全国比例で出てくるんです」とは、この松崎明JR総連・東労組顧問の運転手とまで言われた田城氏のことでした。

 もはや民主党は日本共産党よりも過激な新左翼革命政党であるということを忘れないで下さい。だからこそ横山北斗衆議院議員(党青森県連代表)は本年3月28日、「民主党を批判する反革命分子」などと言ってみせたのでした。

 http://www.dpj.or.jp/news/?num=17940

 ▲民主党ウェブサイト:小沢幹事長「民主党青森県連躍進パーティー」で挨拶

 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100518/stt1005181946005-n1.htm

 ▲産經新聞:JR不採用問題 23年ぶりに決着へ 国交相が鉄建機構に和解指示

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100628/trl1006281108000-n1.htm

 ▲産經新聞:旧国鉄側、総額200億円支払いで和解 JR不採用問題

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総連草案「丸写し」で可決

皇紀2670年(平成22年)7月20日

 皆様は、北朝鮮と朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)が共同で製作した映画『東海の歌』をご存知でしょうか。これは、北朝鮮を「地上の楽園」と騙って総連が推進した帰還事業50周年記念作品だそうで、韓徳銖前議長(初代)をモデルにした主人公が登場し、総連の結成、教育援助費と奨学金による民族教育の発展と帰国実現までを描いているそうです。こればかりは、さすがに私の未見作であることをことわっておきます。

 そもそも「東海」という海域など存在せず、正しくは「日本海」であるということも、はっきりとおことわりしておきましょう。

 20日早朝、金賢姫元工作員が来日しましたが、朝鮮総連の日本人拉致事件への関与は、公安調査庁の調査や警視庁公安部の捜査によって明白であるという日本政府の公式見解があります。この事実を忘れてはなりません。

 民主党が「子ども手当」とともに選挙対策でやった割には評判が悪く、ただ財政を圧迫させるだけの「高校授業料無償化」は、或る政治活動を後押ししただけでした。それが、朝鮮総連による朝鮮学校授業料無償化適用を訴える民族運動です。

 これに対し、たちあがれ日本高校授業料無償化そのものをやめると公約していましたが、確かにそのようにすべきだと思います。本件が持ち上がった際に私は、あくまで違法滞在ではない在日外国人に日本の公立学校への入学がまったく制限されていない(日本では人種による教育機会への差別はない)のにもかかわらず、前述のように民族教育の発展を目指して総連と北朝鮮本国が勝手に作ったのが朝鮮学校だと申しました。よって血税投入の対象になどする必要はありません。

 いまや在日朝鮮人のみならず一部の在日韓国人も、この「各種学校」に通っているそうですが、一時の総連と韓国民団(在日本大韓民国民団)の異常な関係については、ジャーナリストの櫻井よしこさんが平成18年7月に指摘しています。

 http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2006/07/08/post_454/

 ▲櫻井よしこブログ:『民団』団長就任後に続く異常事態発生の不可解 河丙鈺氏はいったい何者か?

 さて、東京都小平市議会は先月29日、総連の準備した朝鮮学校への高校授業料無償化適用を求める草案をそのまま使用した意見書を可決していたことが19日、分かりました。

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100720/crm1007200132002-n1.htm

 ▲産經新聞:総連の草案“丸写し”意見書、小平市会が可決 朝鮮学校「無償化」要望

 民主党会派や創価学会=公明党会派などの賛成多数だったそうですが、総連は民主党の地方議員に接近して可決を迫るよう工作の指示を出しており、これもやはり先月13日付けの産經新聞社配信記事によりますと、総連が朝鮮学校の生徒や保護者に対して文部科学省への「電話かけ」工作を、日本人になりすましてでもやるよう指示していたことが、すでにバレています。

 http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100613/kor1006130120000-n1.htm

 ▲産經新聞:総連、朝鮮学校無償化へ攻勢「日本人になりすませ」文科省への電話指示、ノルマも

 小平市といえば、総連と北朝鮮によって作られた東京朝鮮学園・朝鮮大学校のあるところです。民団の支援を受けて永住外国人(とはいえ在日韓国人・支那人のみ)地方参政権付与を実現させようとする民主党が、同じように総連に工作されてまんまとこのような意見書を可決させてしまうとは、何ということでしょうか。

 北朝鮮と総連による日本人拉致事件は未だ解決していません。その厳然たる事実を肝に命じ、特に小平市民の皆様、私を含め全国の皆様、改めて地方議員のはたらきの重要性を認識すべきです。このようなことが現状でも起きるからこそ、外国人地方参政権など以ての外なのです。

靖國神社みたままつりのご報告

 平成22年靖國神社みたままつりが16日、終わりました。真・保守市民の会は、会員皆様からのご寄付により、皆様の英霊への想いを込めて献灯させていただきました。18日付けで、当会ウェブサイトにてその模様を画像を交え、ご報告申し上げております。有難うございました。

                      真・保守市民の会代表 遠藤健太郎

菅「最小不幸社会」の愚か

皇紀2670年(平成22年)7月19日

 民主党で社民連(社会民主連合)出身の菅直人首相は、就任会見で「最小不幸社会」を日本の目指すべき目標として掲げました。しかし、昭和59年製作・60年日本公開の米国(撮影はほとんどチェコ)映画『アマデウス』(ミロシュ・フォアマン監督)を見る限り、それは絶対に不可能な目標であり、そもそも定義不明な概念であることが分かります。

 本作は、私の最も好きな映画と申しても過言ではありません。ヴァイオリンを習っていた子供の頃に鑑賞して衝撃を受け、その後何度となく観ています。ほぼ全編に彩られるウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの音楽と、初めて聴いたアントニオ・サリエリの音楽が交錯し、何と最後には、人間は皆おおよそ凡才であり、凡庸な人生をただ終えるだけだと言い放って終わるのです。

 史実とは関係なく、本作ではサリエリ(フランク・マーリー・エイブラハム)がモーツァルト(トム・ハルス)を暗殺したことになっていますが、実はモーツァルトが天才作曲家であることを音楽史上最初に認めたのがサリエリでした。音楽とは無縁な環境に育った彼はイエス・キリストに祈ります。「私を、歴史にその名を残す名作曲家にしてほしい」と。その祈りを粉砕し、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(ジェフリー・ジョーンズ)に擁護されて宮廷作曲家にまで登りつめたサリエリの人生を破滅させるかのように登場するのが、英才教育を受けた「神に愛されし子」モーツァルトだったのです。

 サリエリは、苦々しくキリストに問いかけます。「これがお前の答えか」「ならばお前の愛する者を葬ってやる。私の祈りを聞き入れなかったお前に復讐してやる」と。そして、彼は最も効果的な暗殺方法を思いつき、わずか36歳のモーツァルトを死に追いやりました。

 時は経ち、老いぼれて人々に忘れ去られたサリエリは、入所させられた精神病患者療養施設へカウンセリングに訪れた神父に、この世にもおぞましい真実を告白します。「神父さん、あんたも凡庸な人間だ」……そして、精神を病んで意味不明な行動を繰り返す入所者たちに向かって「私は凡才の王者だ。お前たちの罪を許そう」と言いますが、『カッコーの巣の上で』などの名匠フォアマン監督は、この人々こそ私たちであると描いてフェードアウトさせるのです。

 これほど恐ろしい映画はありません。一神教を信じ、一神教に見捨てられたと感じる一神教の個人主義者の「後がない」絶望或る1つの価値観として提示されており、それに基づけば私たちは皆まったく不幸です。唯一絶対の神は愛でし子を選別し、それ以外の者たちを創造しています。

 私たちは本当にそう考えるべきなのでしょうか。優れた才能を発揮する者は最初から唯一絶対の神に指名されており、それ以外の者に機会はない、と。そう考えればこそ、菅首相が述べた「最小不幸社会」の、できるだけ不幸な人間を生まないようにするという、まるで後ろ向きな言葉があるのでしょう。

 幸・不幸の価値観を一神教に求めて語ることに、祭祀(いわば多神教)の日本民族は本能的な抵抗があるはずです。賭博のような市場原理に奔ってでもカネを稼いで豊かになることが幸福である、としたり顔の経済評論家に説かれることにも、著しい違和感を拭えません。15万円を稼いで幸せに暮らす人を、150万円を欲しがって嘲り笑う者が決してよい人生を送るとは限らない、と説話ででも残してきたのが日本民族です。

 未だ菅首相の中に社会主義が生きていると露呈されたようなものでしょう。幸福の相対的価値がそもそも多様であることを前提としながらも、万民の幸福をうたうほうが遥かに一国の首相として健全でした。和歌山市出身の松下幸之助氏のように、丁稚奉公から松下電器(現パナソニック)を創業してみせたような、誰にでもいかなる機会がある前向きな社会の構築をうたって人材を育成することこそ、現下の日本の首相に求められていることなのです。

靖國神社みたままつりのご報告

 平成22年靖國神社みたままつりが16日、終わりました。真・保守市民の会は、会員皆様からのご寄付により、皆様の英霊への想いを込めて献灯させていただきました。18日付けで、当会ウェブサイトにてその模様を画像を交え、ご報告申し上げております。有難うございました。

                      真・保守市民の会代表 遠藤健太郎

韓国が天皇陛下に謝罪要求

皇紀2670年(平成22年)7月17日

 残念ながら、韓国では数多くのいわゆる反日作品が存在します(→ウィキペディア「韓国の反日作品」を参照)。映画では、平成11年製作の『ユリョン』や、平成18年製作の『韓半島』が、日本でも「最低最悪な作品」として一部で話題になりました。

 と申しますのも、『ユリョン』は韓国が日本を核攻撃しようとする物語であり、『韓半島』は韓国が日本と日本海上で武力衝突する物語だからです。

 このような設定は、例えば米国がソ連や現在の露国を相手にして戦争の可能性を描く作品などと同一に見ようと思えば見ることもでき、日本でも平成12年製作・14年公開の『宣戦布告』(石侍露堂監督)では、明らかに北朝鮮をモデルにした架空の国家(北東人民共和国)の工作員が日本に侵入、テロを起こそうとすることに政府を挙げて対処、戦争に発展するかという危機を描いています。

 いわば米ソ冷戦や、日朝間の問題(主として北朝鮮による日本人拉致事件)を下敷きにしているわけですが、日韓がこれほど荒んだ関係にある、或いはそのような関係にしようと韓国人に目論まれているとは、皆様いかがお感じでしょうか?

 上記のような物語の下敷き、つまり最大公約数的認識がなければ、特にポリティカル・サスペンスや同・アクションの映画は、観客にまったく理解されません。反日作品の存在が意味することは、韓国が日本を火の海にすることを多くの韓国人たちが潜在的に望んでいるということでしょう。

 その中にあって、どうしてもこれだけは冗談で済まされない、本気で最低最悪な作品があります。それが、韓国MBCで平成4年に放送されたドラマ『憤怒の王国』です。

 本作は、日韓併合条約を締結した大韓帝国李王朝の末裔が、なぜか「亡国」の恨み(???)を晴らすべく、今上陛下を狙撃するというもので、情報によりますと、実際に今上陛下の「即位の礼」の映像を使用していたため、さすがに外務省が抗議したといいます。

 日本に於いても、大東亜戦争敗北の責任を先帝陛下に求めたがる人たちがおり、彼らは自分たちの政権選択に対してまったく無責任な思考、行動様式をあらわにしていると言えましょう。天皇陛下が内閣総理大臣を指名したり、組閣したことは一度もありません。政権を作ったのは当時の臣民たちです。先輩に敬意は払いますが、人間の行いに間違いがあるのも厳然たる事実であり、その間違いから後輩は学ばなければなりません。ただそれだけのことです。

 にもかかわらず、外国人に天皇陛下を狙撃されてはたまりません。すべてのキリスト教国の戦争責任をとらせようと、ローマ法王(教皇)を狙撃するようなものです。飛躍した比喩でも何でもありません。これだけは絶対に冗談では済まされないというのが国際常識、と言っても過言ではないのです。

 しかし、韓国人があまりに非常識なのには、以下のような主張と行動が容易な社会的且つ民族的認識のせいがありましょう。

 http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100716/kor1007162112003-n1.htm

 ▲産經新聞:天皇謝罪求める訴訟検討 併合百年で韓国市民団体

 いえ、これは日本にも原因があります。どこの日本の弁護士が天皇陛下に謝罪を求める気なのでしょうか。また、日韓基本条約締結後に8億ドルもの「日本の気持ち」を受け取ったはずの韓国人が、日本に今もってまだなお何を求めて欲しがりますか。

 民主党の仙谷由人官房長官のような政治家がいることも、このような日韓対立を煽るだけの訴訟騒ぎを乱立させるのです。そう、いかにも韓国側に立つようなことを言っている活動家や政治家こそ、日韓が永遠に対立する仕組みを維持させています。騙されてはいけません。血税を食いものにする部落解放同盟のように、日韓対立利権で飯を食っている奴が日韓双方にいるのです。

 今後、本当に奴らが訴訟を起こすのかどうか、注視してまいりたいと思います。

至急?日教組の政治活動

皇紀2670年(平成22年)7月16日

 昨日記事で取り上げたティム・バートン監督の映画『マーズ・アタック!』には、もう一つ興味深いシークエンスが存在します。それは、夫のバイロン(元アメリカンフットボール選手のジム・ブラウン)が単身ラスベガスに出稼ぎの間、バス運転手として家計を支える妻のルイーズ(『ジャッキー・ブラウン』のパム・グリア)は2人の息子を育てていますが、その「やんちゃ」ぶりに手を焼いていました。

 或る日、息子たちが学校をサボってゲームセンターにいるところを、ルイーズは職務中に発見します。怒った彼女はバスを停め、息子たちを怒鳴り倒して引きずり乗せたところ、本来なら勝手にバスを停められたはずの乗客たちが彼女の「母親としての」剣幕に圧倒されて思わず拍手するという場面です。

 子供の「個人の自由」を許していれば、おおよそ宿題もしないでしょうし、学校にも行きたがりません。しかし、それでは大人になった時に彼らを困らせてしまうでしょう。自分に合わないものを知ることも学習であり、その判断はすべてを知った上でしか果たしえません。

 子供の好きなことだけをさせることが、決して個性を尊重する教育ではないのです。ところが、自民党の中曽根政権下で「ゆとり教育」を検討、のちに実施させた日教組(日本教職員組合)は、まず自分たちを教育者ではなく「教育労働者」とし、個人の権利をうたっています。

 そんな彼らは「子供の権利」を唱えて、日本の教育行政をまるで骨粗鬆症のような状態にしてしまいました。子供の人権とは「人として生きる権利」であり、簡単に人身売買や臓器売買などの対象にされるのを許してはならないことです。それは、人格未形成のうちに何をしても自由であるなどという意味ではありません

 このような日教組の提案を受け入れた当時の自民党政権、文部省(現在の文部科学省)は、完全に「個人主権」をうたった占領憲法に屈したのです。13日記事に書いた通り、占領憲法下では日教組のような「教員個人の勝手」を徹底的に許すため、自前の憲法たる大日本帝國憲法の復原とその改正なくして教育再生・日教組問題は解決しません。つまり、占領憲法の護憲・改憲では、いつまでも米国的価値観(拝金主義・プロテスタント・個人の救済・労働は罰・組合至上など)による占領統治が続くのです。

 日教組活動に熱心な教職員は、果たして本作に於けるルイーズの行動を認めないのでしょうか。

 教育公務員特例法第18条は、それこそ公立学校の教職員の政治的行為を認めていません。ところが、同法同条の2により、これに違反しても刑事罰を受けないことになっており、私はこの条項を削除すべきだと訴えてきました。

 現状では、日教組による組織的な同法違反を訴えても、私たちのほうが酷い目に遭い、それをいいことに彼らは違反を日常化させています。山梨県教組出身で民主党の輿石東参議院議員会長を当選へと導く彼らの政治的行為は、やはり行われていました。その1つの証拠が今回の画像です。是非ともクリックして拡大させ、ご覧下さい。

 これは特に甲府市教組のものですが、輿石議員の個人演説会への参加を教組執行委員長の名で促しており、明らかな法律違反です。それでも逮捕されないのは教育公務員の特権に他なりません。ことほど左様におかしな国がありましょうか。ふざけるなと言いたい。

靖國神社みたままつり

 平成22年靖國神社みたままつりは、7月16日が最終日です。真・保守市民の会は、会員皆様からのご寄付により、皆様の想いを込めて献灯しております。

                      真・保守市民の会代表 遠藤健太郎