日本文化の様式と滅びの美

皇紀2670年(平成22年)5月20日

 18日記事市川崑監督作品を挙げるなら『細雪』がよいと申しましたが、昭和58年に製作・公開された本作は、蒔岡家の四姉妹を岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子が演じました。当初の長女鶴子役は、昭和34年大映版で三女雪子を演じ、市川監督とは『私は二歳』『雪之丞変化』で組んだ山本富士子の予定だったそうです。

 まずは谷崎潤一郎の原作の素晴らしさを申さねばならないでしょう。書き始められたのは、日独伊三国同盟の調印にはじまった昭和17年であり、軍部の発禁処分に遭って、完成は昭和23年まで待たねばなりませんでした。物語の舞台は、大東亜戦争前の昭和初期、大阪船場の老舗商・蒔岡家です。

 私たちが日本史(本来の「国史」)の授業で教わったことから受ける印象と、谷崎が松子夫人の四姉妹をモデルに描いた戦前の大日本帝國の実相はまるで違っていることが分かります。

 昭和モダニズムを謳歌する女性たちが余すところなく描かれており、当時すでに「ウィンナ・シュニッツレル(シュニッツェル)=ウィーン風カツレツ」や「クラブハウスサンドイッチ」といったものがあったと分かります。私たちは、GHQによる占領統治を経て、すっかり自分たちの国史を失ってしまいました。

 谷崎は、のちに三島由紀夫が評したように、「日本文化の様式を記録」し、その滅びの美を描いてみせたのです。『細雪』は3度映画化されていますが、いずれもこの雰囲気を見事に表現しています。

 本作で申せば、まさに大東亜戦争の勃発と敗北によって急速に突入していく暗さを体現する四女妙子(古手川祐子)を、そして極めて複雑な女である三女雪子(吉永小百合)を、市川監督がその独特な陰影をもって描きました。最後に雪子がニヤリと口角を上げる不気味さは、何とも言えません。

 ここでも、私の好きな「市川演出」が冴え渡っています。着物のこすれる音や、蒔岡家の家紋が入った羽織りをハラリと脱ぐ次女幸子(佐久間良子)をアップにして別カットでインサートするところなど、まさに老舗商の滅びを予感させて美しく、見事です。

 また、私の敬愛する伊丹十三が蒔岡家を預かる長女鶴子(岸惠子)のいやらしい婿養子を演じていますが、彼が「蒔岡」の名を口にする時の、その屈折した心境・立場を表したような声音は、のちに監督として卓越した演出をするに至る芸の細かさでしょう。

 大東亜戦争前のわが国が暗く、貧しく、何もかもが間違っていたように伝えていくことこそが間違いです。大東亜戦争へと突入する過程にいくつもの外交戦略の不備があり、突入してからのほぼ無計画な計画の中で、それでも「パーマネントはやめませう」などの掛け声を自ら発し、すべて臣民が必死に闘っていたことも知らねばなりません。

 GHQの置き土産たる占領憲法の放置と、三島も批判した占領憲法違反の自衛隊に対する解釈改憲の継続は、わが国を再び滅ぼしかねないのです。私たちの現在の暮らし、この平成の御代を「滅びの美」をもって描きたくはありません。是非、占領憲法を無効にできると知って下さい。さもなくば、民主党の小沢一郎幹事長のような政治家によって改憲されてしまうのです。

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ウイルスの侵入を許す政府

皇紀2670年(平成22年)5月19日

 平成7年製作・公開の米国映画『アウトブレイク』は、ザイール(現コンゴ民主共和国)から米国に持ち込まれた極めて致死性の高い出血熱をもたらすウイルスと、その爆発的感染保身のために隠蔽しようとする米軍上層部と闘う人々を豪華キャスト(ダスティン・ホフマン、レネ・ルッソ、モーガン・フリーマンら)で描いて大ヒットしました。監督は、独国出身で『Uボート』『ネバーエンディング・ストーリー』『エアフォース・ワン』などのウォルフガング・ペーターゼンです。

 昨年にも、韓国で無許可の編集(内容の改ざん)版公開が問題となった日本映画『感染列島』(監督=瀬々敬久 主演=妻夫木聡、檀れい)が発表されましたが、わが国では昭和55年、米軍によって極秘開発・隠蔽されたウイルス兵器によって人類がほぼ絶滅するという小松左京原作の『復活の日』(監督=深作欣二 主演=草刈正雄、オリヴィア・ハッセー、ジョージ・ケネディ)が製作・公開されて話題になりました。

 ウイルスのような目に見えぬものの侵入を映画で表現するのは本来難しいのですが、感染する人々の苦しみが或る種の恐怖表現となり、観る者を震撼させます。そして、必ずと言ってもよいほどつきまとうのが、軽率にウイルスを持ち込む愚か者と、情報を隠蔽する国家権力の存在です。

 発生から1ヶ月が経とうとしている宮崎県内の畜産農家たちを著しく疲弊させた口蹄疫は、メディア報道が画一的で、私たちの「どこから? なぜ? 何をしているのか? これからどうなるのか?」の問いに答えるものがありません。

 「何をしているのか?」については、13日記事で県下の農家の方から頂戴した情報の一部を書きましたが、これについては目下の報道も取り上げています。「これからどうなるのか?」については、まさに鳩山由紀夫首相や赤松広隆農水相らが答えなくてはいけませんが、初動体制の大いなる誤りを認めない内閣に一切期待できません。

 問題は、この口蹄疫が「どこから?」来たもので、「なぜ?」これほど感染拡大してしまったのかということでしょう。これをズバリ報じているメディアがほぼない(※後述)ので、推論の域を出ないことをおことわりして簡単にまとめたいと思います。

 まず、私たち日本国民の広く知らされていない状況下で、近隣国・韓国で口蹄疫が爆発的に感染していたことは確かです。それを警告していた自治体がありました。例えば、長野県は公式にその情報を1月8日・20日、4月12日に発しています。

 http://www.pref.nagano.jp/nousei/tikusan/eisei/fmd/fmd1.htm

 ▲長野県公式ホームページ:口蹄疫情報 (ページ下部のPDFファイル)

 農林水産省も同様のPDFファイルをリンクさせており、やはり宮崎県での発生(4月21日)以前に韓国での感染確認を発信していました。あとは、この韓国で発生したO型ウイルスと、宮崎県で牛や豚が感染しているウイルスが同型かどうか、ということでしょう。

 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100507-OYT1T00974.htm

 ▲讀賣新聞:宮崎の口蹄疫、韓国・香港のウイルスと酷似

 このように報じられているのですが、どうにも各社とも小さな記事でしかなく、少なくともテレビメディアが「なぜ?」持ち込まれたのかについてまるで追及する姿勢を見せません。ここには、軽率にウイルスを持ち込む愚か者と、情報を隠蔽する国家権力が存在しているはずなのです。

 まったくの未確認ですが、以下の記事が本当に農家の断末魔の叫びだとすると、口蹄疫対策に足りないと私も聞かされていた消毒薬ビルコン(独バイエル製薬)のストックを増やし始めた中共や韓国をよそに、日本の鳩山内閣はまったくの無策で、しかもこの期に及んで農水省保管の5000本のビルコンの放出要請に赤松農水相が許可を出さないと言います。

 http://tokiy.jugem.jp/?eid=645

 ▲たまねぎ通信:【拡散希望】 宮崎の口蹄疫・現場の叫び

 これには、宮崎県選出の民主党代議士が韓国から本年1月、口蹄疫発生区域(京畿道抱川市)として受け入れを断わった熊本県の農家にかわって韓国人研修生を宮崎に斡旋したといったような噂までありますが、まったく真贋がはっきりしていません。しかも、抱川市で発生していたのはA型ウイルスとの情報もあり、ならば感染経路は別にあるかもしれないのです。

 映画でも描かれているように、軽率にウイルスを持ち込む愚か者と、情報を隠蔽する国家権力ほど恐ろしいものはありません。「なぜ?」というのは、鳩山内閣もメディアもまともに答えない・応じない・報じない理由こそ知りたいものです。

 http://sitarou09.blog91.fc2.com/blog-entry-176.html

 ▲【日本を】『日本解体法案』反対請願.com【守ろう】

  意見書文例:韓国から伝染し国内へ上陸した「口蹄疫」への対処をお願いする与野党議員への意見書 *利用、改変可*

込められた権力批判が…

皇紀2670年(平成22年)5月18日

 昭和62年製作・公開の日本映画『竹取物語』は、わが国最古とされる(平安時代前期?)の古典をベースに、かぐや姫の物語を東宝の特撮技術(本作を最後の仕事とした、『日本沈没』昭和48年版や『ゴジラ』昭和59年版などの中野昭慶特技監督)を用いて描いた市川崑監督作品です。

 市川監督といえば、私は『犬神家の一族』や『細雪』を取り上げたいのですが、それは後日としましょう。恐らく市川監督は、凛として美しく、ときに激しく気丈な女性を描こうと、『細雪』の蒔岡雪子や前作『映画女優』の田中絹代(ともに吉永小百合)の系譜として本作のかぐや姫(沢口靖子)を登場させたに違いない、と私は思うのです。

 思えば、市川映画に登場する女性はほぼそうであったように思います。本作製作のころには亡くなられていましたが、妻で脚本家の和田夏十(わだなっと)さんのイメージなのでしょうか。例えば、和服美人が勢いよく部屋を出ると、ふすまに裾が挟まっており、それを女が向こう側でこれまた勢いよくスっと引くといった場面が、私の好きな「市川演出」なのです。

 ですから、本作に古典『竹取物語』に関する研究成果の描写を求めるのは間違っているかもしれません。『細雪』の蒔岡姉妹を包み込んだヘンデル作曲の歌劇『クセルクセス』の『オンブラ・マイ・フ』を再び音楽に使用(本作では谷川賢作が編曲)したことからも、やはりかぐや姫を描きたかっただけの映画なのでしょう。しかし、それにしても雑な構成だったように思えてならないのです。

 今日の研究では、第40代の天武天皇と第41代の持統天皇に仕えた藤原不比等らを指し、このころから始まった藤原氏の絶対権力を批判したものだっただろうと言われています。ところが、本作ではあくまで帝(石坂浩二)が絶対権力者であるかのように描かれてしまいました。これではわが国のかたちに大いなる誤解を与えるでしょう。

 物語の展開を単純化すべく、実はいくらでも面白く描けたはずの古典に込められた権力批判を描かなかったことで、本作は非常につまらない子供騙しの映画になっています。

 羽衣伝説に材を得た異界からのかぐや姫を異星人と設定し、蓮の花をモチーフにしたという巨大な宇宙船が襲来する後半の見せ場も(初見の中学生のころは少しワクワクしましたが)今となっては何やら虚しく、当時全世界公開をうたった本作は決して大ヒットしませんでした。

 また、配役に関する批判も多く、特に竹取の翁(三船敏郎)と妻の嫗(若尾文子)がイメージに合わないとされ、これには私もどちらかと言えば小津安二郎監督作品のイメージを借りたほうがよかったように思います。例えば、笠智衆と(杉村春子ではトゲがありすぎるので)三宅邦子の翁と嫗ならどうであったか、と。

 とにもかくにも、平成の御代にあって第125代今上陛下を政治利用してきたような政治家や国民がワンサカおります。それも占領憲法で「すべて国民」が「主権者」なのですから仕方がありません。仮に紀貫之が古典『竹取物語』の筆者とされ、彼がわが国に残した警告はまったく生かされないのでしょうか。

 官や民の権力が暴走しないよう、祭祀王たる天皇陛下がおわすのに、いつの世も勘違いした権力者は暴走し始めます。そして、周りはメディアも含めて萎縮し、その間違いを正せなくなって何らかの破壊へと突き進むのです。

 私たちは、もう藤原氏を批判した書を焼き払われたりはしません。権力批判を暗喩でしか表現できない時代や国家でもありません。堂々と言いましょう

 http://sitarou09.blog91.fc2.com/blog-entry-159.html

 ▲【日本を】『日本解体法案』反対請願.com【守ろう】

  文例:「国会法改正案」への反対意見書 *利用、改変可*

 ◎民主党の小沢一郎幹事長は、さすがにこのままでの成立を断念するようですが、18日に自民党やたちあがれ日本などの野党5党が関連法案の撤回を求めることに決まりました。あともう一歩です。

伝統の一戦!守る闘い!

皇紀2670年(平成22年)5月17日

 目下の泰国(タイ)は、金権・金脈政治で多数の農民を味方につけたタクシン・チンナワット元首相の一派が、アピシット・ウェーチャチーワ現首相体制の失脚をもくろんで暴動を起こし続けているため、日本からの渡航の是非を検討しなければなりません(17日現在 外務省)が、映画で楽しんでいただくことにしましょう。

 平成17年日本公開(前年製作)の泰国映画『風の前奏曲』は、泰国の古典楽器ラナート(「心を癒す」の意をもつ船形の木琴)奏者として実在の偉人ソーン・シラパバーレーン師に関する実話を映画化したイティスントーン・ウィチャイラック監督作品です。第14回スパンナホン賞(泰国立映画協会賞)などを総ナメにしました。

 古典楽器にまつわる『風の前奏曲(原題:ホームローン The Overture)』とくれば、よほど気位の高い文芸大作のように思われますが、実は本作はラナートの格闘技を描いた映画なのです。青年期のソーン師(日本映画『春の雪』にも出演したアヌチット・サパンポン)が宮廷でクンイン(ナロンリット・トーサガー)と演奏対決する場面は、まるで血と汗の最後の一滴までを賭けるような闘いに見えます。

 しかし、もうひとつの重要な見どころは、日本の大正末期から昭和初期に於いて、泰国が欧米列強による侵略の危機にさらされる中、これに対抗すべく近代化と称して「古臭い」伝統文化を否定する(当然ラナートの演奏にも注文をつける)軍事政権が現れ、老年期のソーン師(アドゥン・ドゥンヤラット)がウィラー大佐(ポンパット・ワチラバンジョン)と対決する場面でしょう。

 ソーン師は言います。「近代化とは、この国の歴史的伝統を否定した上でのものか」と。師は欧米列強を恐れて自ら欧米人化する滑稽を軍人たちに説き、しかしながら政治の現実として泰国の独立を守らねばならない軍人たちの想いもあって、この最後の対決は非常に見応えがありました。

 日本は大東亜戦争後、GHQによる占領統治期を経てすっかり米国製占領憲法にひれ伏し、官僚機構も現在その体制のままで、あくまでその法解釈に基づいて立法が動き、GHQに土下座して存続を許されたようなメディア各社が、今も「日本を否定した上での近代化」を垂れ流し続けています。

 本作を観ていると、現代日本人は胸が痛むのです。それは泰国人とて同じではないでしょうか。東南亜で唯一国家の独立を維持し続けた彼らの秘訣は、大日本帝國との同盟の裏で欧米連合国とも通じ、戦後の難を逃れたことであり、それはタクシン元首相のやり方にも似ています。

 彼は北部出身の客家系華人ですが、米国と通じ、同じ「屈米の徒」小泉純一郎元首相とは刎頸(ふんけい)の友であり、一方で一党独裁の中共に当時自ら結党のタイ・ラック・タイ党北京支部を置くことを許されていました。そのようなタクシン元首相が口にした恐ろしい言葉は、泰国民にとっては絶対的存在であるプミポン・アドゥンヤデート国王陛下を暗に見下し非難したものだったのです。

 権力者が自らの国家を売るとはこういうことで、権力を維持するためにはいとわないのでしょう。

 概して泰国民にありがちな「白人至上主義」は羨望からくるものでしょうが、同じ亜州の外国人にはときに差別的でさえあります。私は彼らに、もう一度ラナートの音色に耳を傾けるよう勧めたいところです。そして、私たち日本人が本作に触れたとき、占領憲法のまま経済発展し、プラザ合意に持ち込まれ、勝手にバブル経済が発生して崩壊したままのわが国は一体何なのか、と考えずにはいられません。

独裁のむなしさ分かる映画

皇紀2670年(平成22年)5月16日

 平成17年日本公開(前年製作)の独国・墺国(オーストリア)・伊国映画『ヒトラー?最期の12日間?』(原題:Der Untergang = 失脚)は、世界中の賛否両論を巻き起こして大ヒットしたアドルフ・ヒトラー総統率いる独ナチス党の陥落を描いた独TV界出身のオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督作品です。

 一種の歴史劇ですから物語の詳細は省略しますが、ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツの素晴らしさは特筆すべきものでした。「そこにヒトラーがいる」と観客に思わせて十分なのです。

 ただ、スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』にしてもそう(最後に救われたユダヤ人たちが登場する)ですが、最後に証言者ご本人(ヒトラーの秘書を務めておられたトラウドゥル・ユンゲさん)が登場し、ヒトラーの行いを「私たち独国民はよく知りませんでした」と述べられる場面は、まったくの蛇足だったように思います。

 ナチス党が政権を奪取したのは、圧倒的独国民の支持によるものでした。確かに、その経済政策には国民の支持を得るに十分なものがあり、結果としてゲルマン民族至上の思想に陶酔してヒトラーの独裁を許していくわけです。

 確かに国民は、厳しさも優しさももつ1人の人間としてのヒトラーが首相官邸で何をし、何を言っていたかまでは知りません。だからこそ、本作でその周囲の人々までもが何をし、どのように生き、どのように死んでいったかがよく描かれて秀逸なのです。(やはり最後のシークエンスは要りません)

 日本国民の圧倒的支持を得て政権を奪取した民主党ら与党3党は14日、官僚答弁の原則禁止などを盛り込んだ国会法改正案を議員立法で国会に提出しました。これには、占領憲法の解釈を与党議員たちで勝手に行なえるものとし、自民党をはじめとする野党の全党が反対しています。

 この改正案には、国会で答弁する政府特別補佐人から内閣法制局長官を除くことや、政府参考人制度の廃止が盛り込まれており、政権与党にとって都合の悪い法解釈や説明をする人間を国会から排除するものです。

 果たして、日本の現代版ヒトラーになってしまうのは一体誰なのでしょうか? 民主党の小沢一郎幹事長でしょうか。いえ、本改正案が可決・成立してしまったあとでは、政権が変われば仮に自民党の総理・総裁も独裁者と化しましょう。その末路も哀れだ、と本作は描いています。

 そもそも、これまでの占領憲法(象徴的には第9条)解釈も酷いものでした。占領憲法の施行に関する(大日本帝國憲法を改正したものとする)解釈も含めてです。ゆえに、与党議員たちやその御用有識者たちだけで法解釈をこれ以上曲げていくことは許されません。ただでさえ日本はもう曲がっているのです。

 のちに私たちが「小沢幹事長が何をし、何を言っていたかはよく知りませんでした」なんぞと言わねばならぬ状態にならないよう、ほんの少し頑張ってみましょうよ!

 http://sitarou09.blog91.fc2.com/blog-entry-159.html

 ▲【日本を】『日本解体法案』反対請願.com【守ろう】

  文例:「国会法改正案」への反対意見書 *利用、改変可*