日本文化の様式と滅びの美
18日記事で市川崑監督作品を挙げるなら『細雪』がよいと申しましたが、昭和58年に製作・公開された本作は、蒔岡家の四姉妹を岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子が演じました。当初の長女鶴子役は、昭和34年大映版で三女雪子を演じ、市川監督とは『私は二歳』『雪之丞変化』で組んだ山本富士子の予定だったそうです。
まずは谷崎潤一郎の原作の素晴らしさを申さねばならないでしょう。書き始められたのは、日独伊三国同盟の調印にはじまった昭和17年であり、軍部の発禁処分に遭って、完成は昭和23年まで待たねばなりませんでした。物語の舞台は、大東亜戦争前の昭和初期、大阪船場の老舗商・蒔岡家です。
私たちが日本史(本来の「国史」)の授業で教わったことから受ける印象と、谷崎が松子夫人の四姉妹をモデルに描いた戦前の大日本帝國の実相はまるで違っていることが分かります。
昭和モダニズムを謳歌する女性たちが余すところなく描かれており、当時すでに「ウィンナ・シュニッツレル(シュニッツェル)=ウィーン風カツレツ」や「クラブハウスサンドイッチ」といったものがあったと分かります。私たちは、GHQによる占領統治を経て、すっかり自分たちの国史を失ってしまいました。
谷崎は、のちに三島由紀夫が評したように、「日本文化の様式を記録」し、その滅びの美を描いてみせたのです。『細雪』は3度映画化されていますが、いずれもこの雰囲気を見事に表現しています。
本作で申せば、まさに大東亜戦争の勃発と敗北によって急速に突入していく暗さを体現する四女妙子(古手川祐子)を、そして極めて複雑な女である三女雪子(吉永小百合)を、市川監督がその独特な陰影をもって描きました。最後に雪子がニヤリと口角を上げる不気味さは、何とも言えません。
ここでも、私の好きな「市川演出」が冴え渡っています。着物のこすれる音や、蒔岡家の家紋が入った羽織りをハラリと脱ぐ次女幸子(佐久間良子)をアップにして別カットでインサートするところなど、まさに老舗商の滅びを予感させて美しく、見事です。
また、私の敬愛する伊丹十三が蒔岡家を預かる長女鶴子(岸惠子)のいやらしい婿養子を演じていますが、彼が「蒔岡」の名を口にする時の、その屈折した心境・立場を表したような声音は、のちに監督として卓越した演出をするに至る芸の細かさでしょう。
大東亜戦争前のわが国が暗く、貧しく、何もかもが間違っていたように伝えていくことこそが間違いです。大東亜戦争へと突入する過程にいくつもの外交戦略の不備があり、突入してからのほぼ無計画な計画の中で、それでも「パーマネントはやめませう」などの掛け声を自ら発し、すべて臣民が必死に闘っていたことも知らねばなりません。
GHQの置き土産たる占領憲法の放置と、三島も批判した占領憲法違反の自衛隊に対する解釈改憲の継続は、わが国を再び滅ぼしかねないのです。私たちの現在の暮らし、この平成の御代を「滅びの美」をもって描きたくはありません。是非、占領憲法を無効にできると知って下さい。さもなくば、民主党の小沢一郎幹事長のような政治家によって改憲されてしまうのです。