日露見る北朝鮮の時間稼ぎ

皇紀2675年(平成27年)4月4日

 http://www.sankei.com/world/news/150403/wor150403……
 ▲産經新聞:【拉致再調査】安倍首相、被害者家族と面会 「抱き合う日まであらゆる手段尽くす」

 北朝鮮による日本国民拉致事件について、安倍晋三首相が被害者ご家族との対談を控えていた矢先、北朝鮮は一方的に日朝協議の中断を通告してきました。調査結果をわが国政府に伝えるとしていた約束をまったく反故にして……。

 通告と同じ日、北朝鮮は短距離弾道弾と見られる飛翔体を五発、黄海に向けて発射しました。そして、露政府が五月九日に開催する対独戦勝記念式典に金正恩労働党第一書記が出席する可能性が示唆されたのです。

 式典出席については、今年の一月二十八日に露政府側からすでに情報はもたらされていましたが、最終調整に入ったという情報がほかの件と同じ日に解禁された事実にこそ重要な意味があります。これらはすべて繋がっているのです。

 敢えて申しますと、さらにイラン(義国)と米国との核兵器開発に関する協議がまとまったことと、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の許宗萬議長宅などに家宅捜索が入ったことも関係があります。

 まず「わりとどうでもよいこと」から申しますと、最後の二点になりますが、北朝鮮は米義で話がまとまったことに不満を抱いており、朝鮮総連が組織として弱体化を始めたことにも少なからず不満を抱いています。

 しかし、北朝鮮はあくまで「協議を中断」と言ってきたのであり「中止」ではありません。許議長が強がったことに味方するふりはしても、とても日朝協議を中止するまでにはいかないのです。

 そしてここからが大切なのですが、中朝貿易が再び盛んになる一方、政治的には北朝鮮が中韓に「後ろ足で砂をかける」行為に出続ける方針を変えていないことを、黄海に弾道弾を発射したことが物語っています。

 その上で、これは私が何度も指摘してきたことですが、北朝鮮はやはり露国に接近したがっており、日露関係の緊密化を見守ってきた経緯が「式典出席」と「協議中断」によって明確に伺えるのです。

 拉致事件の解決には、外務省が担当する日朝包括協議とは別の警察主導の協議が必要ですが、やはり安倍首相がウラジーミル・プーチン大統領との話し合いを重ねることが欠かせません。プーチン大統領は決して金一族を信用していませんから、北朝鮮単独で露国に乗り込んでも大した話はしてもらえないはずです。

 北朝鮮側もそのことをよく分かっていて、どうしても安倍首相に「北朝鮮は拉致被害者を全員返しました。東亜の今後を北朝鮮も交えて話してみては」とプーチン大統領に持ち掛けてほしいのでしょう。よって事件解決は夢物語ではありません。

 ですから私は「日露対話を絶やすな」と申してきました。露国に対してさまざまな疑念が生じているのは分かりますが、これまで申してきたように米国によって作られた印象もかなりあります。

 日露講和を目指し、北方領土問題にケリをつけようとした安倍首相の当初の方針が正しいのは、北朝鮮問題と照らし合わせても間違いないのです。

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『日露見る北朝鮮の時間稼ぎ』に2件のコメント

  1. 七子:

    北朝鮮に囚われている拉致被害者の方達は春の訪れと共にどれだけ毎年、桜の日本を思われたことでしょう。ウクライナのことがあっても安倍さんがプーチン大統領とのパイプを繋いでいるのは良かったですね。国としては制裁の仕合いもしているようですが、それでもお互いの誕生日にプレゼントを贈り合ったりしていますね。

  2. ゆき:

    中東のことは話題にならない中、イランについて。核合意がなされた。ケリーは娘のパートナーにイラン人医師がいることを思えば、イランに好意があるようだ。共和党が厳しいためか、米国は(対イラン)地下貫通爆弾を決裂に備え、開発中という。イスラム革命後、イランの経済は制裁により、世界から切り離された。2004年に見た空港はドバイの絢爛たるものに比して博物館のようであつたし、部品拒否のイジメにあい、飛行機も今にも墜落しそうなオンボロだった。ハーバード大ではモサデクからパーラビー時の1950年前後の要人の聞き取りが収められ、それをwebで読んでいる。英国石油会社が搾取を続け、米国も良き兄のようにふるまいつつ、イランを搾取した。CIAがモサデクを潰したのは事実である。米放送でイランの元要人が、米国と離れたのはバーラビーの独裁を助けた、イラクイラン戦争でイラクの肩を持ち毒ガス使用を見逃した恨みが根底にあると言った。原理主義が気に入らないからと言って、制裁し続け、核を使用し、保持しながら、他国を恫喝する米国。日本にも教訓となろう。日本で学位を取った愛国主義のイラン人学者がカナダに留まることを決め亡くなった。今のイスラムの締め付けには相当なものがあるのだろう。70年代のイラン人とは米国映画を語り合え、豚を間違って食べても気にも留めなかった。昨年接したイラン学者達はホテルでは蛋白源として卵以外は怖くて口にしなかったらしい。バーラビ―時代に悪口を言っていたのはクルド人ばかり。今はイラン人も口をつぐむ。パーレビーの時には、公開処刑はあったし、学生を急襲して拉致したのも事実。米国には扱いやすい政権であるかが問題で、人権なんて重要視していないように思える。中東政策は米国任せでなく、日本も
    独り立ちしてほしい。中国にはその点でも遅れを取りすぎている。