こんな裁判まだ続けるの?

皇紀2672年(平成24年)3月1日

 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012022800620
 ▲時事通信:発砲2警官に無罪=「殺意、違法性認められず」−男性死亡の付審判・奈良地裁
 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012022800878
 ▲時事通信:「裁判、めちゃくちゃ」=死亡男性の母、遺影持ち法廷に−奈良警官発砲

 実のところ昨日にもすぐ取り上げたかったほど、私はこの付審判に注目していました。付審判とは、司法のいわゆる「公務員かばい」の疑念を払拭すべく、公務員を告訴、告発しても不起訴にされた場合、その者が裁判所に請求できる審判です。今回は裁判員裁判でした。

 事件は、平成十五年九月十日に奈良県大和郡山市で起きたものですが、容疑者二名は天理市や橿原市内で車上荒らしに及び、現金やクレジットカードを盗んで車で逃走、気づいた被害者からの通報を受けた奈良県警の警察官が追跡し、路上で職務質問を試みますがさらに逃走され、再三にわたって「止まれ」と警告するもなお逃走され続け、停車したところを急発進でひき殺されそうになった警官がやむなく発砲したというのが概要です。

 それで、運転していて主犯とされた者はすでに窃盗と公務執行妨害で有罪となり、服役して出所していますが、助手席にいた者はその場で射殺されてしまったかたちになります。それが高壮日さんであり、一億八千万円を求めて国家賠償訴訟を起こしたのが、その母親の金順得さんでした。

 仮にこの二人の警官に有罪判決が下っていた場合、司法が警察行政における公務の執行を一部妨害することになったと申して過言ではありません。それほど重要な審判でした。無罪であるのは当然であり、三権分立を前提としても、有罪の場合には警察側が徹底して抗議すべきだったと思っています。

 そうはならずに、金さん曰く「めちゃくちゃ」な判断が下りましたが、はっきり申し上げて、警察にとってこの審判を請求されたこと自体がすでに「めちゃくちゃ」だったのです。それでも控訴されます。

 主犯とされた者は、高さんを「犯行とは無関係」とかばっていましたが、同乗したまま犯行につき合っていたのは間違いなく、亡くなられたことは残念であり、死者を冒涜しないわが民族の考え方にしたがってこれ以上は非難しませんが、母親の「子の命をカネに換えようとした」態度には首を傾げざるを得ません。もし「そんなことを言われる筋合いはない」といわれるのなら、生前、子にどれほどの注意をはらった結果だったというのでしょうか。

 この付審判には裁判員が加わりましたが、私たちが映画などで見るように、警告のためであれば車輪に向けて発砲すればよいという漠然たる認識は、他の車で込み合っていたわが国の道路事情にあって跳弾の恐れを無視したもので、まして母親が言い放った「警官の家族でも撃つのか」という言葉には、一切何の意味もないとわかりました。

 あえて人種の問題はまったく取り上げませんが、わが国でこのような盗難、強盗、或いは強姦、殺人を犯しながら逃走するような凶悪犯がいなくならないかぎり、警察官は発砲の是非という高度な判断を瞬時に求められることがあるのであり、私たちもそれをよく理解しておかなければならないのです。

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『こんな裁判まだ続けるの?』に1件のコメント

  1. matu:

    遠藤様
    日々のご活動に感謝いたしております。
    前々から気になっておりましたが、こちらの◎ブログジャーナリズムで紹介されている所はどちらも不審をうむと思いますので、対処されては如何かと思います。
    むしろない方が良いのではないかと思います。お忙しいところを失礼致しました。