皇紀2680年(令和2年)8月17日
イスラエルとUAE(アラブ首長国連邦)の国交回復に一言。
これは明らかに、米国のドナルド・トランプ政権が推すシオニスト新造国家イスラエルと、伝統国家イラン(義国)との対立を鮮明にするもので、しかしながらイスラエルとUAEも一筋縄ではいかない関係ですから、今後どうなるか極めて不透明です。
今日の中東の混乱の引き金を引いたのは、英国と米国ですが、わが国はあくまで日義関係を維持すべきであり、安易にイスラエル側についてはいけません。
短期的にはイスラエル(米国側)についたほうがよさそうに見えるでしょうが、UAEは必ず裏口で「違う話」をするでしょうし、わが国の資源政策から考えてそこは、その「違う話」につきあう余地をもっておいたほうがよいでしょう。
義国に対しても同じで、中共の接近を許さないためにもわが国が対話を継続すべきで、さもなければかえってわが国の手に負えない混乱に巻き込まれるだけです。米国の無理難題にすべてつき合いきれません。
どうも安倍政権は、イスラエルにくっつきたがるので危険です。私が申すほど距離を置くのは難しいにしても、わが国から見た彼らとの関係性を熟考していただきたい。
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皇紀2680年(令和2年)8月16日
十一日記事に関連して一言。
結局、安倍内閣から靖國神社を参拝したのは、入閣してもしなくても毎年参拝している高市早苗総務相と、萩生田光一文部科学相、親に倣っているだけの小泉進次郎環境相だけでした。
別に八月十五日は参拝すべき日ではありませんが、つくづく天皇陛下の御親拝を賜れないよう政治問題化させた自民党と靖國神社自身がいけません。
もう一度申しますが、赤紙一枚で国民を戦地へ送って死なせた政府の代表が玉串料を奉納しておしまいというのは、つまるところ赤紙一枚で国民を死なせたのと同じ態度です。戦地に散った国民の御霊を招魂し、感謝するということを決してしない行政権力は、何度でも国民を殺して平気でしょう。
自称左翼活動家は、なぜそう叫ばないのですか? 国民の命が大事だといいながら、最も粗末に扱っている、或いは扱うよう行政権力をも恫喝する、そのためには中共と韓国を利用するというのは、リベラルを標榜する左翼の思想としてあるまじきことです。だからそんな人たちは、左翼ではありません。ただの対日ヘイトスピーカー(日本憎悪差別主義者)です。
祖先に感謝するということに、それぞれの家族や個人の考えは別にして、本来政治の左右が口を差し挟む余地などありません。いよいよ「お盆」の最終日。こうして命が繋がっていることにまず感謝したい。
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皇紀2680年(令和2年)8月15日
七十五年前の本日、天皇陛下(昭和天皇)より大東亜戦争に関する玉音放送を賜りました。本来の終戦というのは、国際法上後日になるのですが、私たち臣民にとって玉音を賜ること自体がそれほどの強い印象を残したのです。
さて、俳優の渡哲也さんが十日、肺炎で亡くなっていたことが分かりました。石原プロモーションの整理は、渡さん最後の大仕事にしてけじめでいらっしゃったのでしょう。衷心よりお悔やみを申し上げます。
渡さんといえば、何といってもテレビ朝日系『西部警察』の大門圭介巡査部長役が印象的で、つくづく「違法賭博のアジトに踏み込むためならプラスチック爆弾で鉄の扉を爆破する大阪府警察には大門がいる!」とふざけたくなるわけですが、他に私がよく覚えているのは、同局系『浮浪雲』です。桃井かおりさんとの夫婦役で、この成功が西部警察の放送へと繋がったといいます。
そもそも渡さんがお若いころに活躍された日活という映画会社は、スタジオの美術スタッフがセンス抜群で、いわゆるプログラム・ピクチャーでも他社を圧倒するほどお洒落で格好のいい作品が多数ありました。
平成に入り、幾度とない病との闘いで渡さんのお姿をなかなか拝見できなくなるのですが、その中で最も印象的だったのが東宝の『誘拐』(大河原孝夫監督)です。渡さんは、それまでとは違う警察官の役柄を演じられました。
これは、城戸賞受賞作(森下直さんの脚本)の映画化です。大企業の常務が誘拐され、犯人より巨額の身代金を「取締役自ら抱えて、東京都内のどこそこまで持って来い」という前代未聞の指示を都度に受け、体力の限界からつぎつぎに取締役たちが倒れていく中、マスコミも過熱気味にこれを地上のカメラとヘリコプターで追い回し、さながら取締役たちの公開処刑と化していき、全東京がパニックに陥っていく、というよくできたストーリーでした。
これほどのプロットで渡さん主演、都内大ロケーション撮影の大作だったにもかかわらず、ふたを開ければ全くヒットしませんでした。しかし、改めて是非ご覧いただきたいのです。
未見の方に「ネタバレ」で申し訳ないのですが、何と犯人は、警察官である渡さんなのです。ところが、それだけではありません。なぜ大企業の常務が誘拐され、取締役たちが、取引銀行の取締役まで巻き込んで公開処刑されていったのか、という犯行動機がすごかったのです。
二十数年前、下加佐村のアキワ公害訴訟(架空)で敗訴した元村人たちが、今やダムの底へと沈んだ故郷の怨念をはらそうと、公害の汚染水で妻と子供を亡くしていた当時村の駐在だった渡さんの共同正犯になっていたというのです。
これは、実に私好みの作品でした。日本の村が抱える怨念。何十年・何百年経ってでも必ずはらす。村社会特有の同調圧力。陰湿なまでの結託。横溝正史の『八つ墓村』も、そんな日本の村社会が着想の背景にありました。
渡さんのお役は最後、癌で亡くなります。自らの命が短いことを知った上での犯行でした。そんなお役にのめり込まれたかのように、渡さんがとてもよかったのです。機会があればご覧ください。
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皇紀2680年(令和2年)8月14日
私たちは、武漢ウイルス(新型コロナウイルス)の世界的感染爆発(パンデミック)から春を知らず、梅雨の長雨から突然の猛暑にすっかり体も心も疲弊させられています。
この猛暑に至っても尚、報道権力も私たち国民自身も「マスクをつけろ」と互いにわめき散らし合っています。
七十五年前の明日、天皇陛下(昭和天皇)の玉音放送を賜って、全て国民(臣民)が大東亜戦争の終結とわが国軍(大日本帝國軍)の武装解除を知ったのですが、そこへ至るまで当時の報道権力も臣民自身も、やはり互いに「ほしがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめませう」などと煽り合いました。
これらの言葉は、決して国家権力側から出てきたものではありません。しかし現下の状況は、厚生労働省ら行政権力から「マスクをつけろ」とのお達しがまずあったため、戦時下よりも悪質といえるでしょう。
さすがに猛暑へと突入し、いよいよ「暑い時は熱中症対策のためにマスクを外してもよいです」などといい出しましたが、もはや手遅れです。既に煽られた国民は、暴走したまま止まらないのです。
感染発覚のかなり最初の段階で申しましたが、私たちが購入できる医療用サージカルマスクに感染防止の完全な機能はありません。
まして暑さ対策のための「冷感マスク」や「通気性のよいマスク」は、当然ウイルスも通してしまいます。いや、ちょっと考えれば分かることでしょう。
それでもつけていなければいけませんか?
先日も申しましたが飛沫が他人に飛ぶのを防ぐ効果はありますから、ご高齢の方や基礎疾患を持っている方、肥満の方が重症化するかもしれないとして、その方がたを思いやる行動としてマスクは携帯しておくべきでしょう。
これらの条件に当てはまらない人びと(主に基礎疾患のない普通体型の若者たち)が神経質に、互いにマスクをつけなければならないということはありません。暑い時は、無駄なマスクをつける必要などないのです。ただ人の多いところで自身の飛沫が発生しないよう気をつければよいだけです。
マスクをつけなければ表も歩けないというのは、ゲートルを巻かなければ家から一歩も出られないという戦時下に自分たち自身が作り出した状況に酷似しています。そのくせ戦後、私たちは何といいましたか? 「お国に騙された」「日本は悪いことをしたのだ」といって卑屈になっただけです。
もう一度卑屈になって「赤い反日人生」でも送りたければ構いませんが、それこそウイルスよりもはた迷惑なので、どうかおやめいただきたい。
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皇紀2680年(令和2年)8月13日
下賤な女性週刊誌の記事なんぞを引いてくる気は一切ありませんので、もしもご興味がおありでしたら検索してご覧いただければと存じますが、秋篠宮の佳子内親王殿下に男子の御交際相手がおられるとの余計な報道(報道というより落書き)。
その彼が誰に似てる(この部分に関する記述がまた極めて不愉快)とか、どの程度の御付き合いをされているか(犯罪的なまでに覗き趣味丸出し)とか、そのようなことはどうでもよいのです。
そもそも芸能人の私生活にも余計な記事ばかり書き、勝手な妄想(「或る芸能関係者によると」などの真偽不明な記事)を披露し続けるゴシップ雑誌の類いは、洋の東西を問わずにぎやかであることから、つくづく人は下劣な生き物だ、と。自分の中にもそのような感覚はあるのだろうと思うと、うんざりさせられます。
で、私が非常に気がかりなのは、この記事が出る数日前に「宮内庁は秋篠宮に関する情報を何も把握しようとしない」という話を某氏としており、この佳子殿下に関する記事についても追加して尋ねたところ、またも御相手の素性も何も一切把握していないというのです。
そのくせ皇嗣文仁親王妃紀子殿下に対するまるでテロのような雑言ばかりが外に漏れています。
最近まで「東宮派」などと不謹慎にも呼ばれていた宮内庁の「新橋あたりで酔っ払って大声で皇室の話をするような五秒以内に死んだほうがマシな恥さらし」職員どもめが、不敬を審議する以前に人として終わっているさまを自ら晒すがごとくに、秋篠宮を何とかして貶めようと画策してきました。
その手口が「御世話しない」というものです。秋篠宮はほとんど宮内庁に放置された状態で、よって紀子殿下が大変な御苦労をなさっていると伺っており、それを「一人で何必死になってんの」「悠仁親王殿下を天皇陛下にしようと躍起になってでしゃばっている」「だからみんなに嫌われている」といった出鱈目な話をばらまいている下人がいるのです。しかもその出所が本当に宮内庁職員(まさに下人)というのですから、怒りを通り越して呆れかえります。
某氏とよく話し合って、一人残らず叩き潰していこうという話をしましたが、残念ながら皇宮警察でさえ秋篠宮に関してあまり「よくしている」とはいえません。これには何かわけがあるような(ちょっと申せません)ので、さだめし皇宮護衛官も「いかんともしがたい」境遇で任に就かされているに違いないのです。
上皇陛下と上皇后陛下も、御望みになられた状況になっていない現状を大変心配されていると思います。
眞子内親王殿下の御成婚への道程に於いて、あれほどの大失態を晒した宮内庁が、実は秋篠宮に対してわざとそうしていた事実からして、佳子殿下にも、決して御相手の素性を調べもせずに醜聞すら書かれ放題にするでしょう。
私たち国民に求められていることは、わが国の祭祀を引き継がれてきた皇室に全く似つかわしくない話を軽率に信じたり、思い込んだりしないことです。
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