皇紀2670年(平成22年)4月26日
沖縄県の在日米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、ワシントンで12日に約10分間行われた日米首脳の非公式会談について、首相官邸は責任回避・政権維持のため、記録を残さないよう指示していたことが分かりました。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100426/amr1004260130000-n1.htm
▲産經新聞:普天間移設で日米攻防 米側「怒り心頭」機密漏洩に厳重抗議 日本「メモを取るな」首脳会談の記録残さず
バラク・オバマ大統領が鳩山由紀夫首相に「Can you follow through?」と言ったとされる報道は、真っ先に米側(国務省?)からもたらされた情報に忠実な讀賣新聞社が書いたものですが、鳩山内閣が記録を残さないようにしていたということであれば、かの日米密約の暴露はいったい何のためになされたのでしょうか。
密約は外務省と財務省によって継承され、内閣は代が替われば替わるほど官僚主導に陥りやすくなります。ジョン・ルース駐日大使が昨年12月、岡田克也外相と北澤俊美防衛相に激しく怒鳴ったとされる際にも、岡田外相は外務官僚の退席を促したそうですが、これは政治主導でも何でもありません。
自分たちの恥を隠すために大臣が官僚を追い出した、或いはメモを取らせなかったと官僚たちは分かっており、いずれ事が動き出すにつれ、当然所管官庁として対処する中で、やはり密約のようなものが醸成され、将来にわたって政治主導を妨害するのです。鳩山内閣のやっていることは、日本外交の不健全化以外の何ものでもありません。
その諸悪の根源は占領憲法の放置に尽きるのですが、在日米軍の駐留に反対するということであれば、25日に読谷村で行なわれた県内移設に反対する大会の主旨はズレているように思います。どうもこの方々の調子を伺っていますと、沖縄県防衛のために、替わって自衛隊基地を置くにしても反対するのではないでしょうか。
以前にも指摘しましたが、米国はすでに核依存型安全保障を粉砕できるだけの新しい防衛システムを構築するべく動いています。日本が中共・人民解放軍によって危機に追いやられると分かっていても、近い将来、沖縄を捨ててグアムまで後退させることに米国内で異論は出ないはずです。
そのような事態を「日本国家の危機」とするか「日本再興の機会」とするかは、占領憲法を無効にできるか否かと決して無縁ではありません。改憲は米軍による占領統治の継続を意味します。そこで米国に梯子を外されれば日本はおしまいでしょう。沖縄県民を振り回し続けることにもなります。
わが国の現状が「未だ米軍に支配されている」と自覚しない限り、このような問題は解決しません。それでよいという人は仕方がありませんが、現に沖縄本島とその周辺の航空管制業務は、先月31日に嘉手納ラプコン(嘉手納レーダー・アプローチ・コントロール)から日本側へ移管されたばかりです。
日本の航空交通管制権の米軍に対する建前は、いざ制空権を認識しなければならないような事態に陥って、果たしてどうなるでしょうか。その時はもう建前が通用しません。米国が日本を制圧するのは赤子の手をひねるようなものです。それで安寧としていられる「親米保守派」の気がしれません。
日米同盟が重要なのは過去常に現時点であり、何しろ「相手のあることですから」今後は分からないのです。
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皇紀2670年(平成22年)4月25日
関西出身のシンガーソングライターである植村花菜さんが、先月10日に発売されたミニアルバム『わたしのかけらたち』に収録した『トイレの神様』という曲を皆様はご存知でしょうか。
まずタイトルを聞いて笑ったり冷やかしたりしてはいけません。この歌は、植村さんが9歳から23歳くらいまでに体験したお祖母様との思い出を綴ったもので、その長さは約10分にも及びます。是非聴いてみて下さい。
植村さんがこの歌を「お涙頂戴」目的に作ったとは、私は思いません。最後に今は亡きお祖母様に「ありがとう」「ありがとう」と何度も呼びかけるのは、ごく本能的な祭祀の実践です。
しかし、本能であるがゆえに、植村さんが特に「祭祀」を意識して詞を書いたとも思いません。私はこれまで、何度となく「家族や友人、ご近所さんに『保守』を説くにはどうしたらよいでしょうか」というお尋ねを頂戴してきましたが、これほどまでに保守であることはまったく自然なことなのです。
お祖母様が言われたという「トイレの神様」は、その基本に神道があり、子や孫へ伝承するため「美人の女神様がおわす」「綺麗にすると自分も美人になれる」といった説話を残されたのでしょう。私も子供の頃、よく「田んぼの神様」や「川の神様」「山の神様」という言葉を耳にしました。
植村さんは、ご自身の思春期に体験した「祖先や伝統とは断絶したような個人」の生活を途中に歌っています。そしてその結果、お祖母様が亡くなられたのをきっかけに、後悔の念を解き放ったのです。
占領憲法第13条の基本は個人主義であり、あくまで生存中の人間の理性によってのみ物事を決めていくという発想では、すでに亡くなった自分の祖先に想いを馳せ、何かを語りかけるということは否定されるでしょう。ならばこの歌は存在し得ません。
大日本帝國憲法第1条の「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とは、いわば永遠・普遍の生命の継承を言っているのであり、その祖先祭祀を司られるのが天皇陛下であらせられるということです。決して特別なことでも、まして政治的な意味でも何でもありません。ゆえに「萬世一系」の一言が盛り込まれたのです。
私は、この歌に材を得て皆様がわが国の保守主義の基本哲学を語られては、と思いました。肩肘張らず語れることで、恐らく多くのご同意を得られるのではないでしょうか。
民主党や社民党は、確実に家族の解体、地方の解体から国家の解体を進めようとしています。これに抗する考え方の醸成は、政治の議論よりもこのような歌を「いいね」と思う、語り合うことから始まるのかもしれません。
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皇紀2670年(平成22年)4月24日
兵庫県尼崎市に住む50歳代の韓国人男性が、養子縁組したという554人分の子ども手当、年間約8600万円の申請をしようとしたことが分かりました。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100424ddm041010005000c.html
▲毎日新聞:子ども手当 韓国人男性、554人分申請 「孤児と養子縁組」、尼崎市不受理
これまでも想定される不正受給の例がさんざん挙げられ、テレビ番組でも紹介されるに至り、長妻昭厚生労働相が必死に否定し、原口一博総務相が支給方法の検討を明言したりしてきましたが、ついに本当に申請に訪れた外国人が出たわけです。
一方で、このような申請は受理されないことがはっきりしましたが、各自治体の困惑の度は一層深まったでしょう。いちいち厚労省に照会し、判断を請うのも大変な手間です。
下手をすれば、いずれ不受理された外国人とその支援団体による政治活動に発展しかねません。民主党の不見識な公約の実行により、日本は混沌の淵へと墜ちかねないのです。
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100419/CK2010041902000024.html
▲中日新聞:「私立高も無償に」 名古屋で1400人パレード
これもその1つでしょう。民主党による公立高校の授業料無償化という公約の実行で、私立高校の就学支援金制度が設けられ、逆に愛知県独自の私学助成予算が圧縮されてしまいました。
そうなりますと、ならば「私学も無償化しろ」となり、朝鮮学校問題と併せて、いらぬ政治活動を生んでしまったのです。そもそも、タイのタクシン元首相派による暴動といい、カネが絡めば「クレクレ」運動になり、社会規範の底が抜けていくのでしょう。
私たちも、例えば吉田茂元首相のあと、鳩山一郎元首相が占領憲法を無効、自前の大日本帝國憲法を復原していれば、今このような政治活動をせずに済んでいたかもしれないと思います。政治の無策がいたずらに国内対立を創出するというのは間違いありません。
民主党にこの責任をとらせなければならないのです。
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皇紀2670年(平成22年)4月23日
鳩山内閣が高速道路の料金体系をめぐって迷走を始めましたが、つまるところ、民主党の小沢一郎幹事長が今夏の参議院議員選挙に向けて道路建設予算を要求し、国土交通省がこれに応えて考え出した「ほぼ値上げ案」を発表してみせた前原誠司国交相を批判し、自分の政策の矛盾を鳩山由紀夫首相に押しつけたものです。
予算をバラまいて選挙に勝ちたい一方で、公約の「高速道路料金無料化」からかけ離れれば選挙に勝てないと指摘するのですから、小沢幹事長の政治家としての主張には一貫性がありません。振り回される鳩山首相にも、やはり政治家としての資質はないでしょう。一国の首相たるもの、聞けないものは聞かないと斬り捨てるべきです。
通常、ことほど左様に与党がミスを連発していれば野党の存在は高く評価されるはずですが、さんざん自民党を傷つけてきた舛添要一前厚労相が、とうとう党を出なければならないほど追い詰められてしまいました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100422/stt1004222027018-n1.htm
▲産經新聞:舛添新党、その名は「新党改革」 自民に離党届提出
特にこの一週間ほどで舛添前厚労相をとりまく環境が激変してしまったようです。そのきっかけは、東国原英夫宮崎県知事との面会でした。舛添前厚労相自身は、本当に自民党を離れるつもりはなかったと思います。それどころか、自らが総裁になることを夢見ていたかもしれません。
しかし、氏に対する非難は党内で爆発し、ついに谷垣貞一総裁が「舛添除名」の処分検討を迫られるに至っています。これは与謝野馨元財務相や鳩山邦夫元総務相の離党時とはまったく異なる対処です。
ところで私は昨夏、西村眞悟元防衛政務次官から「改革クラブという名は今夏の衆議院議員総選挙をもって忘れてもらっていい」と聞かされていましたが、確かにその通りになりました。
あれから中村喜四郎元建設相の入党で、すっかり私の関心を失っていた改革クラブは、舛添前厚労相・矢野哲朗前自民党参議院国対委員長・小池正勝元外務政務官の3名の入党により、分解されてしまいます。そうして誕生する「新党改革」には加わらず、改革クラブを離党する大江康弘元参議院国土交通委員長には、是非とも「たちあがれ日本」に合流していただければと考えているようなところです。
大変申し訳ありませんが、そもそも渡辺秀央代表は極めて軽率な方に思えてなりません。姫井由美子参議院議員を引き抜こうとしたのも、いわばその主犯は渡辺元郵政相であり、舛添元厚労相の(当てにもならない)国民人気に飛びついて党を分解させるに至るのも、主犯は渡辺代表です。
とりあえず、これで舛添新代表は終わりました。平沼赳夫代表率いる「たちあがれ日本」には、このような新党とはわけが違うというところを見せつけていただきたいと思います。
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皇紀2670年(平成22年)4月22日
小泉政権下に於いて、郵政民営化関連法案と同列に極めて強引な手法で施行が決められた障害者自立支援法を違憲とする集団訴訟は21日、東京地裁で終結しました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100421/trl1004211224000-n1.htm
▲産經新聞:障害者自立支援法訴訟が終結
これは、被告の政府が障害者の福祉サービス利用料の原則1割を自己負担とする「応益負担」を見直すと約束したことによる和解ですが、この議論の行方は、今や基軸がなく無責任に政策を打ち出す民主党中心政権となっているだけに、特に最後まで監視しなければいけません。
何度でも申しますが、同法の提出に際して尾辻秀久厚生労働相(当時)の発した「郵政解散総選挙でこれも国民の信を得ている」という意味の言葉は、まったくもって勘違いもはなはだしく、決して忘れることができないのです。
占領憲法第13条には「すべて国民は、個人として尊重される」とわざわざ書かれており、これが祖先(家族)や伝統(社会)から個人を引き剥がしていく仕掛けであることは、たびたびここで指摘してきました。占領憲法は「個人主義」をうたっているのです。
ところが、先天性の障害を持つ人は最初から個人の自由が制限されているようなもので、後天的理由によって障害を抱える人もまた、その時点から個人の自由が制限されます。目や足の不自由な人が思うように走り回れないのは仕方がなく、とはいえ不自由の範囲で自由を謳歌、或いは不自由の枠を超えるような自由を得るべく努力する障害者がいることも事実でしょう。
このような視点を持たない占領憲法に対して、「真正護憲論」を確立した南出喜久治辯護士は「健常者の傲慢」と指摘しました。いわゆる左派・人権派が障害者を抱え込んで政治活動をしているのは、まさにこの「健常者の傲慢(「かわいそう」という上から目線)」に立っており、障害者行政の根本を見据えてはいないように思います。
彼ら(そうなる時が来れば私も)は健常者の支援を受けなければ生活できず、それをあくまで「おまえも個人」と指されて政府に負担をせまられれば、さぞ困惑したに違いありません。それが占領憲法と個人主義の正体であると知れば、護憲運動や妙な人権運動などしていられないはずなのです。
そうこうしているうちに、健常者と障害者の意識差が広がり始めています。俗に言う障害者自立支援ビジネスに関わった方が「つくづく思い知った」と私に吐露されたのは、障害者側が支援を当然視しており、健常者側は自立目標の達成を最初から見誤っている、ということです。これでは一般に美しく思い描くほど、まったく成功しません。
私は或る場で、敢えて車いすを使用されている方の目前でこの障害者自立支援法の問題に口火を切ったことがありましたが、その方はごく正直に「障害者が人から何を助けられても礼すら言わないからいけない」と語って下さいました。つまり、障害者も個人主義に染まり始めており、健常者の個人主義とぶつかりあった時の差は、もはやとてつもないのです。
日本民族は今こそ、教育勅語に書かれた「億兆心を一にして」「朋友相信じ」「恭儉己を持し」「博愛衆に及ぼし」「公益を廣め」といった精神的支柱を確認すべきではないでしょうか。そこからしか障害者行政の在るべき姿を考えることはできないように思います。が、勅語は決して占領憲法の改正(改憲)では返ってこないのです。
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