京都弁護士会・上瀧浩子氏

皇紀2675年(平成27年)12月4日

 http://www.sankei.com/west/news/151201/wst151201……
 ▲産經新聞:マイナンバーは違憲と提訴 差し止め請求、金沢地裁

 いろんな「商売」があるものです。マイナンバー制度の問題とこの訴訟は、全く別次元でしょう。裁判長がまともでさえあれば、これは棄却されるはずです。

 さて、京都弁護士会に上瀧浩子弁護士と言う方がいて、自身のツイッターに「『日本人は誰でも殺せ』は、差別にはあたらない」と書き込んで問題になっているそうです。(該当記事参照)

 上瀧弁護士は、在日韓国・朝鮮人が「日本人を殺せ」と叫んでも差別にならないが、日本人が「在日韓国・朝鮮人を殺せ」と叫んだ場合のみ差別になると考えろ、と提起しているようで、弁護士という以前に人として大いに問題があると思われます。どちらも駄目に決まっているではありませんか。

 彼女の理屈では、十一月二十五日記事で取り上げた靖國神社爆発事件の犯人がどうやら韓国人だったらしいことについて、韓国人がわが国でテロをやっても犯罪にはならないが、日本人が韓国でテロをやった場合のみ犯罪と言っているようなものです。やはりどちらも駄目に決まっているでしょう。

 私はかなり前から街頭などで「日本人が差別されるような日本はおかしい」と訴えてきましたが、恐らく韓国・朝鮮シンパの権利闘争がこのようなおかしな考えを流布するに至り、わが国の平和を打ち破ろうとするのです。

 先日発覚した市議会議員や県庁職員による同性愛者に対する「異常」といった異常な殴り書きも、創出された権利闘争の哀しい顛末であり、わが国の衆道文化など全く忘れられています。

 権利闘争に巻き込まれた同性愛者が決して幸せにならないのは、祀り上げられて文字通り闘争の矢面に立たされ、それを見た他者が攻撃するという構図を必ず生むからです。

 つまり、全ての権利闘争は人と人とを対立させる仕掛けでしかありません。これで人が権利を得て、幸せになることはないのです。

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『京都弁護士会・上瀧浩子氏』に13件のコメント

  1. 心配性:

    >上瀧弁護士は、在日韓国・朝鮮人が「日本人を殺せ」と叫んでも差別にならないが、日本人が「在日韓国・朝鮮人を殺せ」と叫んだ場合のみ差別になると考えろ、と提起しているようで、弁護士という以前に人として大いに問題があると思われます。

    こうした発想の最たるものに、靖国神社に放火をしたりする度に、正義の行い義挙であると褒め讃える韓国社会や中国社会の風潮があります。
    トイレにパイプ爆弾は一種の甘えでしょう。

    更にこれがスケールアップするとISやアルカイダになってしまう訳です。

    こうした反日モンスターを育て上げたのは、中韓の反日教育や抗日報道のみならず、中韓の極端過ぎる「反日史観」を是としてもて囃し、迎合して来た欧米の責任でもあると感じます。
    アメリカ人も、北朝鮮の工作団体の様な挺対協の反日プロパガンダを教科書に載せたり、極左活動家のデザインした慰安婦像が建つのを容認している訳ですから同罪です。

  2. ゆき:

    関東で二股交際をしていた男と富豪の農家出身の女性が女性を遺棄したとして、ます男性側が執行猶予つきの1年半の判決が出た。女性は係争中。黙秘で何もわからない中、社会に放出。死んだ女性の首には絞殺の後があり、子供も行方不明と言う。いつから日本はこんな軟弱な国に成り下がったのか。警察官が痴漢を起こす率の高いこと。高齢者を認知症として被害届を受理しない神奈川県警。窃盗犯が東京で取ら待って自白し始めて警察のいい加減さが暴露された。神奈川と言う所はおかしいことがよく起こる。警察法曹界はきちんと仕事をしなくなっている。それでやっていけると思ったら。大間違いだ。そこまで日本一般市民を馬鹿にしてはいけない。

  3. ゆき:

    取ら待って→捕まえられる  間違いでした。

  4. 素浪人:

    ご無沙汰しております。

    遠藤様、この気違いに敬称は要らないのではないでしょうか。この鬼畜は我々日本国民が半島人に殺されようとも当然だと言っているのと同じではありませんか。我が国でなかったら国民に半殺しにされている様な『人間の形をしている醜悪な物体』に過ぎないのではないでしょうか。

    本当に虫酸が走る汚物です、この自称弁護士は。

  5. 三角四角:

    【衆道は、平安時代にはじまり、大正時代に完全に終わる。(ウィキペディアより)】

     遠藤様  初めてコメントします。 ウィキペディアを概観すると身分の高い人に衆道
    は多かった様に、思います。  当然、日本人全体の比率でいけば、可なり小さかったと
    言わざるをえません。  また、彼らが堂々と街中の庶民の目が有る中で、そういう行動
    を取っていたかは、定かでは有りません。  衆道文化と言いますが、日本人の男の殆ど
    が、衆道だったら、相当気持ち悪いものがあります。  武士と言う、戦闘員が、戦場に
    女性がいなかったので、仕方なく広まったのでは無いのでしょうか。  当時、慰安婦は
    いませんから。  だから、庶民に見られるのは、さすがに、恥ずかしかったのではない
    でしょうか。  つまり、当人達のみで、秘かに楽しんでいたのではないでしょうか。 
     大っぴらにしたら、庶民から馬鹿にされ、武士の権威も失墜したかも知れません。  
     つまり、衆道文化といっても、世間に対して大っぴらにはせずに、密やかにやっていた
    ので、庶民の大部分は知らなかったにではないかと思います。  これと、現在の同性愛
    者が新聞・テレビ・SNSでガンガン発信しているのを同一視は出来ないとおもいます。
     同じ様に見えても、全然違う、性行為でも、自宅やホテルでするのと公園や駅前でする
    のと、全然違いますよね、遠藤様もそこに気付かれた方、善いと思います。  でないと、
    同性愛を広め、国民の間に同性愛に対する違和感を無くすプロパガンダに、協力している
    事になります。  衆道文化は有りましたけれども、それを恥ずかしげもなく広言する
    文化は日本にはなかった。  だから、現在の同性愛をひけらかす様な、日本人の有り方
    を否定する発言や行動をいろんなメディアで見せられれば、憤怒のあまりそういう言葉が
    出るのも仕方がないと思います。  人権平等と言いますが、日本の慣習・文化を守る事
    もそれ以上に大切だと思います。  人権だけが、最高のものという考え方は傲慢だと思
    います。  遠藤様の考え方は可なり左翼に近いと思います。  戦後の義務教育には 
    左翼思想が鏤められていたので、遠藤様の気付かないところで頭脳の可なりの部分が左傾
    化しているのでは無いでしょうか。  人権が唯一絶対だという考え方は捨てて下さい。
     大戦末期、我が国は、特攻作戦で連合国に対抗しましたけれども、特攻程人権無視の作戦は有りません。  特攻は、人権などと言う薄っぺらいものではなく、この世で限り無
    く尊い至高の行為だと思います。  左翼の方は、人権を至高のものと思っているので、
    特攻の事を犬死と言って蔑みました。  遠藤様、人権は至高のものですか。  それ 
    とも、特攻は犬死ですか。  どちらなのでしょう。     完

  6. 遠藤 健太郎:

     皆さま、いつもありがとうございます。

    三角四角様
     人権(人が人として存在する前提)は至高のものです。それを肯定するのが左翼・革新であり、右翼・保守は否定する連中だというものの考え方や言いぐさ自体が「反日」思想そのものです。人権と特権、反日と左翼はそれぞれ異質のもので、騙されてはいけません。わが国の国柄を保守する者は、決して人権を否定しないのです。だから北朝鮮の拉致事件に対し、被害者の全員救出を訴えて被害者ご家族に寄り添う人が保守派に多いのではありませんか? わが国にあるのはただ反日であり、もはや本物の左翼は存在しないのです。そのことがわが国最大の不幸とも申せましょう。
     最後に唐突に「特攻は犬死ですか」などという台詞が登場するのも、反日の思うつぼと指摘せざるを得ません。特別攻撃は、多くの大日本帝國臣民の人権を守るために大日本帝國臣民の一人が自らを犠牲にしてまで戦った行為です。作戦としての問題はともかく、その精神を誰が「犬死」か否かなどと評価できるものでしょうか?
     目下のLGBT問題は記述の通り、権利闘争と化して同性愛者を見せものにする反日的常套手法です。人と人とを対立させることが目的になっています。その結果として「異常」という書き込みが露出したのであり、衆道のいわば「なんとなくあるものを、あるものとして認めてしまう」という道をもっていれば、決して権利闘争を仕掛けた愚かな反日活動家にのせられることはなかったでしょう。衆道が隠れてされていたものという指摘も、あまり当たっていないようです。とはいえもちろんこれは、私も歴史研究家ではないので断定できませんが、現在の日本橋茅場町など都内複数個所にあった陰間茶屋は、もちろんおおっぴらではないにせよ、庶民の全く知らない存在とまではいえませんでした。
     皇室祭祀のわが国は、宗教原理に固執した(せざるをえなかった)西洋各国とは違い、極めてリベラルな国家だったと思います。私はそのことがとても誇らしいのです。

     貴重なご指摘をありがとうございました。時間の関係でここまでとさせていただきますが、おかげで少しでも大切なことを皆さんに確認する機会を与えられたと思っています。

  7. 三角四角:

    遠藤様  丁寧なお返事ありがとう御座います。 何時もは、遠藤様のブログ記事を読
    んで、そうだったのかと吃驚したり、そうだ、そうだと得心したりして、更新を楽しみ
    にしていました。  しかし、今回の記事には、二か所も腹が立つ部分が有り、怒りに委
    せて、コメントを書き殴ってしまいました。  随分、失礼な表現になってしまい、済み
    ません、でした。  遠藤様の大人の対応は年上の私が学ばねばならない処です。   
     私の表現力が拙いので、思った処が遠藤様に半分も伝わって無い様な気がします。  
     私が何に怒っているかといえば、先ず、LGBT問題のときに、よく、衆道という言葉
    を遠藤様がお使いになるので、秘かにするのと明け透けにするのとは、違うだろうと憤慨
    していました。  また、普通の日本人だったら、LGBTなんて、気持ち悪いだろう、
    やりたきゃ、頼むから人目に付かない処でやって呉れと、言いたいんです。  それを、
    市議会議員や県庁職員が代弁して呉れて、嬉しかったのに、遠藤様は彼らに批判的な言説
    を披露したので、なぜ、左翼の味方をするのかとボルテージがさらに上がってしまったの
    です。  左翼の目的は唯一つ。  日本を混乱に陥れて、合法・非合法を問わず、日本
    を、転覆させて自分達が君臨する新たな国を作ることです。  其れには、我が国の伝統
    と慣習や考え方が邪魔なので、少しづつ、少しづつ、まるで匍匐前進する様に、日本破壊
    に勤しんでいます。  それで、私達の価値観も少しづつ、歪んで来たのです。  是に
    は、テレビの影響は甚大です。  ある特定の集団に乗っ取られたテレビ局は、戦後、 
    御釜と言われる人を好んで起用して来ました。  それで、本来なら、本性を現したら、
    気持ち悪いと苛められるものなのに、社会が許容し始めました。  是が、自発的なもの
    だったらまだ許せるんですが、明確な意図を持って日本社会が操られて来たのだから、許
    せないのです。  価値観多様化など馬鹿らしい、そんな事をすればする程、国と社会が
    纏まりにくく成ります。  それは、多文化共生も同じ事、国の存立を危うくさせるのは
    必定です。  アメリカやヨーロッパを見て貰えば分かると思います。  最近、オバマ
    大統領が、黒人の暴動が起きた時、いみじくも、言った「日本のように国民の大半が日本
    人と、いう国では、このような問題は起こりにくい」の発言に善く表れていると思います。
     然しながら、最近、テレビでは、ハーフのタレントを多用したり、日本語の出来る外国
    人を使う番組が増えて来ました。  外国人に対する違和感を徐々に逓減させ、遂には零
    にするのが彼等の最終目標です。  安倍政権というより、一部の官僚や政治家が推し進
    める、毎年20万人の移民を受け入れて、今後50年間で計1000万人の移民を受け入れる
    という正気の沙汰では無い政策が実行されようとしているのは、何故かと言えば、螺子が
    吹っ飛んだ輩が権力の中枢にいるからです。  遣り口が左翼的です。  日本を破壊するのに、ミサイルは要りません、伝統・文化・慣習をぶっ壊せばよいからです。  価値
    観の多様化を認めれば、皇室を尊ばない文化・慣習を生み、やがては、それが、主流派になり、伝統にならないと誰が確約して呉れるのですか。  人権尊重の錦の御旗で、伝統的な普通の素朴な考えの持ち主の日本人がなぜ、逆賊にならなければいけないのでしょう
     理不尽過ぎます。  遠藤様はこの様な 【先日発覚した市議会議員や県庁職員による
    同性愛者に対する「異常」といった異常な殴り書きも、創出された権利闘争の哀しい顛末
    であり、わが国の衆道文化など全く忘れられています。】言葉で、普通の感覚を持った日本
    人を罵倒し、左翼のために、弾圧したのです(と、私には見えました)。  だから、私は
    コメントせねばと、冷静になる暇もなくコメント欄に書き入れてしまいました。  遠藤
    様はご自分では、左翼的とは、思っていないと思いますけれど、図らずも、彼等の手助け
    をしたとは今でも思っていませんか。  是非、可能ならば、聞かせて頂きたいと言うの
    が、私の偽らざる気持ちです。  戦後70年も、学校で、テレビ・新聞で、左翼的な
    言説のシャワーを生れてから今まで。毎日浴びて来て、左翼的で無いとしたら、逆に凄い
    と思います。  如何でしょう、それでも、遠藤様は、私を含めて、日本人は些かも左翼
    的な考えを基本思考に取り入れてないと仰るのでしょうか。  また、私の表現力の限界
    が露呈しましたね。  前よりは、少し、伝わりましたか。  ご意見を聞かせて頂けれ
    ば、大変ありがたい事で御座います。  長文駄文に付き合わせてしまい、御免なさい。   完

  8. dandy:

    久しぶりにコメントさせて頂きます。

    どうも、遠藤さんと、三角四角さんとの、「人権」の定義が違うようです。
    (この定義に関しては前に戸塚先生も講演会で仰っておられましたね。)

    我が國の「左翼」は現状、愛国の「左翼」ではなく、反日の「サヨク」です。
    そのサヨクが言う「人権」は、遠藤さんや我々が言う「人権」とは異質です。
    サヨクが言う人権は「特権」であり、サヨクはその「特権」を声高に訴えます。

    よって、遠藤さんが仰る意味での「人権」のよれば、
    「人権は至高のものですか。それとも、特攻は犬死ですか。」
    というダブルバインド的な設問自体に意味がありませんし、
    その設問を受け入れること自体がサヨクの術中に嵌っていると思います。

    サヨクはその特権に仮面をかぶせて「人権」と叫び、
    それ反する者に対して「人権軽視」とレッテルを貼り、意見しにくい状況を創出させます。
    遠藤さん仰るように、そうようにしてサヨクは人と人との対立を煽ります。

    「特攻」という作戦の問題はともかく、
    「特攻隊員」への評価など我々如きが口出せるものでは有りません。
    下せる権利など我々にはない、と私は考えます。

    長文、駄文失礼いたしました。

  9. 遠藤 健太郎:

     皆さん、いつもありがとうございます。

    dandy様
     おっしゃる通りです。

    三角四角様
     時間等の都合で余裕がなく、手間のかからない答え方になるのをお詫び申しあげますが、まさにdandy様のおっしゃる通りなのです。その上で、貴殿の「秘かにするのと明け透けにするのとは、違うだろう」というお怒りは、全くその通りであり、ゆえに私は先のコメントに「(目下のLGBT問題は)権利闘争と化して同性愛者を見せものにする反日的常套手法」として批判していました。
     私が左翼か右翼かは、重要だとは思いません。ひょっとすると日本はリベラルな国家だったわけですから、左翼的な国家だったと言えるのかもしれませんが、それを保守するのが右翼だとすれば、道理でわが国で左翼論壇がまともになれず、ただの「共産主義者」か「反日」にしかならなかったわけです。今夏の安保を巡る「安倍は人間じゃない」となどの騒乱を見ても明らかでしょう。
     日本右翼は、例えば米共和党的右翼とはまるで異質の存在になれる、すなわちリベラルを内包した世界最高最強の論壇となりえる力を秘めているのではないか、とも考えます。それがまさしく皇室祭祀の「皇(すめらぎ)の国」にしか成しえないことなのではないか、と。
     であるなら、同性愛者を見せものにするような反日論壇主導の権利闘争とは別の道を示さなければなりません。それは決して同性愛者を「異常」とののしることではないでしょう。露国を含む西洋各国が同性愛者という理由だけで人を殺していたころ、わが国には衆道があったという「別の道」……私が申しているのはそういうことです。

     重ねて丁重なご意見を賜り、ありがとうございました。私の論述により極めて不快な想いをなさったことには、言葉もございません。しかし、ご理解を賜れれば幸甚に存じます。各論意見の違いを超え、引き続きご支援ください。少し考えが違うからといって何も言わずに去ることもできたでしょうが、こうしてご意見くださったことに衷心よりお礼申し上げます。

  10. 三角四角[1/2]:

    【議論するときは、お互いの誤解を招かない為、用語を一義的に定義しましょう。
    前篇(全2回)】

     遠藤様   お忙しい身で在り乍、再び、私のコメントを真剣に検討して頂き、有難う
    御座います。  人権か特権かに付いては、善く分かりません。  其れは其れとして、
    我々日本人が政治に付いて議論するときに、政治用語が一義的に定義されていない所為で、
    例えば『保守』と言っても、議論している二人が丸で違うものを念頭に置いている為、
    全然噛み合わないと言う事が往々にして有ります。  何処で聞き齧ったのかは、忘れ
    ましたが、保守とは、イデオロギー(政治的思想)では無くて、政治的態度だそうです。
     保守が、現状を維持すると言う政治的態度を意味すれば、その反対は左翼(左派)では
    なく革新、即ち現状で満足せず大きく変革して行こうと言う政治的態度あろうと思います。
     そして左翼(左派)は正しくイデオロギー(政治的思想)で有り、社会主義・共産主義
    思想・共和制であると思います。  其れに対するのは右翼(右派)であろうかと、思い
    ます。  しかし、思想的にはどう表現したら善いか分かりませんが、恐らく反社会主義・
    反共産主義思想・君主制であろうと思います。   すると、日本人のイデオロギー
    (政治的思想)と政治的態度を加味した、政治的立場は4つに分ける事も可能だと思い
    ます。                                     
     ①保守・右派、②保守・左派、③革新・左派、④革新・右派、の4つです。     
     ①保守・右派と②保守・左派の何処が違うのかという、正当な突っ込みが直ぐに、入り
    そうです。  日本は大戦前と大戦後では、丸で違う国とは言いませんが、可なり違う国
    に成ったと思います。  その大戦前の古来、日本と日本人の歩んで来た道筋を仮にA道
    としましょう。  そして、GHQ(連合国)や、コミンテルン日本支社員により、戦後A
    道が極端に左へ曲げられた、A’道を70年も長きに亘って歩んで来ました。  左傾化A’
    道が当たり前の道、それを守る事が保守であり、保守本流とまで言い切る人もいます。 
     保守の定義からしたら強ち間違いで無い処が①保守・右派が切歯扼腕せざるを得ない、
    辛い処です。  ①保守・右派とは、主に、大戦前の日本、本道たるA道を知っている人
    であり、90歳(終戦時20歳)以上の人が該当するものと思われます。  此の立場の
    人は現在の左傾化したA’道を嫌い、本道がA道なので、A道を基準にしてみると今現在
    のA’道は本来居るべきA道から見れば、SFのパラレル・ワールド(異世界)なので、
    早く本道のA道に戻りたいと焦っているのではないでしょうか。  私は、60歳未満で
    在るものの、此の立場に立ちたいと思っています。  此の立場に立とうしている人は、
    自民党(元自民党も含む)であれば、平沼赳夫先生や中山 成彬・ 恭子両先生だろうと思
    います。  しかし、御三方は、終戦時10歳未満なので、A道を知っているか如何か、分
    かりませんが、戦後生まれの人よりは、当時の日本の雰囲気は知っていたでしょう。  
     やはり、当時の日本を熟知していた政治家といえば、中曽根 康弘(97歳)先生を、
    忘れてはならないでしょう。  しかし、中曽根元総理は最初、①保守・右派だったの
    ですが、④革新・右派に転向したのではないかと見受けられます。  次に、②保守・
    左派とは、大戦前の日本の本道であるA道を知らず、生まれたときから左傾化A’道が
    当たり前なので、基本的には左右にぶれずに、左傾化A’道を真直ぐ歩んで行くのだと思い
    ます。  この人達は、自民党だけで無く野党にも可なりいると思います。  ③革新・
    左派は言わずと知れたコミンテルン日本支社員です。  最後は、④革新・右派ですが、
    左傾化A’道には満足せずとは雖も、保守・右派の様に、大戦前の本道A道に戻る気は
    無く、右方向だが、A道の上、超A道を目指しているのだと思います。  首相公選制や
    道州制に、その思想性や改革・変革精神とグローバル思想・新自由主義が見て取れると思
    います。  自民党は旧来、①保守・右派と、②保守・左派の闘争が、政治の中心でした
    が、何時の間にか、④革新・右派の天下に成ってしまいました。  おおさか維新も結党
    時の重鎮が抜けた次世代の党も④革新・右派が、牛耳ろうとしています。  長々書いて
    来て、取り留めの無い纏めに成りそうですが、保守と言っても、①保守・右派と②保守・
    左派が有り、全然別物であるので、議論しても噛み合わないし、益々お互いへの無理解と
    不信感が増進するので、誰に取っても、日本に取っても不幸な事では無いでしょうか。 
     前篇終り、後篇に続く。

  11. 三角四角[2/2]:

    【議論するときは、お互いの誤解を招かない為、用語を一義的に定義しましょう。
    後篇(全2回)】

    遠藤様  前篇からの続きです。  引き続き御付合い下さい。  「とざい、とーざい。
    人権、人権と申しましても、色々御座んす。」  天賦人権説の想定する人権と日本国憲法
    が対象とする人権は同じものではありません。  『天賦人権説(てんぷじんけんせつ)
    とは、すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で幸福を追求する権利をもつという思想。
    ジャン=ジャック・ルソーなどの18世紀の啓蒙思想家により主張され、アメリカ独立宣言
    やフランス人権宣言に具体化された。(ウィキペディアより一部抜粋)』を見ても御分かり
    の様に、【天賦人権説】は地球上の全ての人間に生まれながら自由・平等・幸福追求権を
    授けました。 是に対して、日本国憲法は、11条で人権を此の様に規定しています。
    『日本国憲法第11条(基本的人権の尊重) 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げ
    られない。 この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利と
    して、現在及び将来の国民に与へられる。』  を見ると、日本国憲法が基本的人権を与え
    ようとしている対象は唯一、日本国民のみであり、外国人に日本国民と同等な人権が認め
    られる、とは限りません。   【天賦人権説】の様に普遍性が有る訳ではありません。
     『日本国憲法は、国民主権(主権在民)、平和主義とならび、基本的人権の尊重を三大
    原則としている。   【基本的人権】とは、人間が、一人の人間として人生をおくり、
    他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、決して侵してはならないとされる人権のこと
    である。  すべての人間が生まれながらにして持つ。基本的人権は、生命、財産、名誉
    の尊重といったような個別的具体的な権利の保障へと展開することが多い。  このため、
    体系化されているさまざまな権利を総称して「基本的人権」ということもある。(ウィキペ
    ディアより一部抜粋)』  【基本的】(人権)と在る様に、地球上の全ての人間に生まれ
    乍認められるのは、人間が生きて行くために必要な最小限の欠くことの出来ない人権のみ
    かも知れません。  其れを裏付ける証拠として、アメリカ合衆国憲法修正第2条が挙げ
    る事が出来ます。   『アメリカ合衆国憲法修正第2条(人民の武装権)規律ある民兵
    は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利
    は、これを侵してはならない。』            又、平成25年(2013年)の次
    のニュースを見て下さい。  『2013年12月11日 18:14 発信地:ニューデリー/インド・・・
                           【12月11日 AFP】インドの最高裁は
    11日、植民地時代から残る同性間性交渉を禁止する法律は憲法に反するとした2009年の
    高等裁判所の判決を破棄し、同法を合憲とする判決を下した。  これにより、世界最大
    の民主主義国家である同国における性の自由を保証するという、活動家らの期待は打ち砕
    かれた。  インド刑法第377条では、「自然の秩序に反した性的行為」が禁じられている
    が、デリー高等裁判所(Delhi High Court)は2009年、同条項がインド国民の基本的権利
    を侵害しているとする画期的な判断を下した。  だがこの判決については、国内のイス
    ラム教・キリスト教コミュニティーを主とした宗教団体が強く反発し、最高裁に上訴して
    いた。   最高裁裁判長は11日の判決で、同性愛合法化の是非については、議会の法制
    定に委ねられるものであり、司法が介入すべきではないとの判断を示した。  インドの
    同性愛者は、自分たちの性的指向を隠す人がいまだに多いが、2009年の判決には勇気づけ
    られて、いた。 そのような背景から、同日中には最高裁の判断に対するなんらかの抗議
    活動が行われるとみられている。   この最高裁の判断を受け、HIV/AIDS患者を支援
    する団体の弁護士は、審理のやり直しも含め、あらゆる選択肢を模索していること明らか
    にした。 刑法第377条に基づき刑事責任を追及されることはまれだが、起訴されて有罪
    になれば最高で終身刑が科される。  また活動家らは、警察が同条項を利用して同性愛
    カップルに嫌がらせを働いていると主張している。(c)AFP』             
                          此の様に、銃を保持する権利はアメリカ
    合衆国では、憲法に明文で規定されています。  アメリカ合衆国では銃を保持するのは
    アメリカ人の基本的人権なのです。  日本では、日本国憲法に明文されていませんので、
    果たして日本人には有るのでしょうか。   分かりません。   どちらとも取れるで
    しょう。   又世界最大の民主主義国家であるインドでは、平成25年(2013年)の
    最高裁判決でも分かる通り、同性愛者の性交渉の自由は認められていません。  日本
    では、如何でしょう。  明文で禁止されている訳でも無いし、積極的に書かれている訳
    でも無いので明確な権利として認められてはいないが、大目に見られているのではないで
    しょうか。  斯うして、見てみると人権には二種類有る事が分かります。  一つは
    【天賦人権説】が地球上の全ての人間に授けた、生まれ乍らに自由・平等・幸福を追求
    する権利です。  人間で在れば、誰でも持っている生存に必要な最小限の共通権利です。
     もう一つが、世界各国が其々の国民に憲法によりに与えた、固有の人権(権利)です。
     アメリカ合衆国では、何度も言いますが、『銃を保持する権利』はアメリカ文化(銃文化)
    其の物かも知れません。  (宗主)国(英国)の圧政から、人民が銃を取って立ち上が
    り独立を勝ち取った建国の精神を象徴する物だからです。  是を、日本の伝統的な考え
    方で批判するのは、筋が違うのではないでしょうか。  世界最大の民主主義国家である
    インドでは『同性間性交渉を法律で禁止する』のは、彼等の考える正常な性文化と宗教の
    戒律に反するからであり、是を、日本の現代的な考え方で批判するのは、其れも筋が違う
    のではないと思います。   『銃を保持する権利』は、【天賦人権説】が地球上の全ての
    人間を対象とするのとは違い、アメリカ合衆国憲法修正第2条によって、アメリカ国民
    だけに、与えられた人権で在るので、【天賦人権】の様に『侵すことのできない永久の権利』
    では有りません。   『同性間性交渉を法律で禁止する』のはインド最高裁が、合憲と
    認めました。   即ち、同性愛の権利もそれを制限する国があると言う事は、『侵すこと
    のできない永久の権利』では無いと言う事です。  纏めると、人権には『侵すことので
    きない永久の権利』で普遍性の有る人権と、各国がその伝統的・文化的に認めた特殊性の
    有る人権の二種類在ると言う事が分かりました。  是で最初の遠藤様の記事に戻ると、
          『先日発覚した【市議会議員や県庁職員による同性愛者に対する「異常」と
    いった≪異常な≫殴り書き】も、創出された権利闘争の哀しい顛末であり、わが国の衆道
    文化など全く忘れられています。』と言う、日本人であれば極伝統的な考え方を、異常と
    非難する事が私には今以て理解する事が出来ません。  世界最大の民主主義国家である
    インドであれば、『同性間性交渉』の禁止は、違反すれば刑法によって、最高刑は終身刑に
    処せられる重罪で在るからです。  何故、私が長々と縷々書き連ねて来たかと申します
    と、左翼が例えば、同性愛者の人権(権利)を恰も【天賦人権説】の『侵すことのできな
    い永久の権利』に本来は到底出来ないものを強引に擬制しようして、「同性愛者の人権は、
    永久普遍な権利なのだから、最高裁も認めろ。 認めたら法律も作れ、将来的には、憲法
    にも、書き入れろ。」などと声高にプロパガンダを発信しようとしているのを論難したいか
    らです。  私の、最初のコメントに対する遠藤様の第一声の、 『人権(人が人として
    存在する前提)は至高のものです。』 は当然【天賦人権説】の『侵すことのできない永久
    の権利』に付いて述べていると推察いたしますが、その永久普遍の人権に同性愛者の人権
    を含めるのは、抑、間違いではないのでしょうか。  長々と屁理屈を捏ねてしまった様
    にも思いますが、遠藤様は如何感じられたでしょうか。      完     

  12. matu:

    私は「人権」などという概念は、空理空論で作られた現実にあり得ないものであると考えています。別の言い方をすれば、その社会や国にある伝統や慣習をぶち壊すための武器であるともいえるでしょう。
    例えば、砂漠の中で一人いて、「私は生きるための人権がある!」と叫んでみたところで、誰がどうやってその人権を認めるというのでしょうか。人権とは人間が生来持っているものなどと定義しますがそのようなものでないことは明らかです。社会や国があってこそ人は守られ生きてゆけるのですが、「人権」思想はそもそもその社会・国の伝統習慣を否定した概念で誕生しており(具体的にいえばフランス国家を否定して)もともと矛盾したものなのです。つまり、社会を混乱させ闘争させぶち壊すことを目的としているのです。(表面はご立派に聞こえますが・・詐欺師が表面は立派にみえるのと同じです)
    日本人が日本の慣習の中で「人権」を「生きとし生ける者に対する深い慈愛」すなわち、天皇が国民のことを「大御宝」としたのと同じようなものだと『誤解』するのは仕方がないのかもしれません。しかし、それは麗しい『誤解』であって「人権」が本来もつ毒を知っていなければ、反日活動家に対処することはできないし、われわれはこの愛する祖国を保守することはできないと考えています。

    また、日本国憲法という植民地憲法に「人権」が高らかに謳われているのもこの毒を日本人に注入し闘争させ、日本国そして日本人をぶち壊すことを目的としているからです。
    この攻撃は単に70年だけのことではなく何百年あるいはもっと長く続いていると思っています。

  13. dandy:

    また横槍で失礼します。

    あくまで勝手な私見、という事で述べさせて下さい。
    少しでも多くの方にご理解頂けるように、極力簡潔に書きます。

    「人権」については二つ説明をさせてください。
    ◆まず一つ目の「人権」の定義について。

    >遠藤様の第一声の、 『人権(人が人として存在する前提)は至高のものです。』 は当然【天賦人権説】の『侵すことのできない永久の権利』に付いて述べていると推察いたしますが、

    本来、これまた「天賦人権説」に対する定義のよっても答えが変わる所ではありますが、仰せの意味に照らせばその推察は間違いです。

    遠藤さんの人権に対する定義については以下の返信内容にほぼ集約されていると考えます。

    「わが国の国柄を保守する者は、決して人権を否定しないのです。だから北朝鮮の拉致事件に対し、被害者の全員救出を訴えて被害者ご家族に寄り添う人が保守派に多いのではありませんか?」
    (皇紀2675年(平成27年)12月6日 9:20 AM)

    強制的に拉致された方々を救う事、それが人権(生命)を守ることだと定義しています。

    「特別攻撃は、多くの大日本帝國臣民の人権を守るために大日本帝國臣民の一人が自らを犠牲にしてまで戦った行為です。」

    臣民の人権(生命)を守ることと定義しています。

    生命の生存本能、自己防衛本能、種族(家族)防衛本能、によるものです。

    サヨクの人権は「自分の人権」を、無理やり他者に認めさせようとする人権です。
    「存在の否定、生命の危機に瀕する事など無い物、自分に経済的に有利になる物など」に対して認めさせようとします。私はこれを指して「特権」と言いました。
    「特権」という商品に「人権」と偽名して、人々の同情を買うために売り場を確保するものです。
    その特権の主張は自分です。自己中心的なものです。

    そういった観点から考えると、私が考える「人権」の定義は「生命」に関するものという極めて「狭義」な意味となります。
    matu様が仰った
    「生きとし生ける者に対する深い慈愛」
    というようなそんな崇高で大層なものではありません。
    親が子を庇い自らを犠牲にすることのような、極極シンプルなものです。
    これに行き着きます。

    サヨクの考える「人権」は広義どころかこれからも際限なく広がり続けるでしょう。これが逆に私の解釈で言う「人権」を侵害する事に繋がるにもかかわらず。。。

    遠藤さんの定義とは違うかもしれませんが(間違っていたらすみません。)、私自身はそう思っています。

    ◆二つ目です。
    蛇足みたいな話でして、単に方法論の話です。

    ここまでさんざん「人権!人権!人権!」と述べておきながらなんですが、本当は「人権」という言葉自体に全くコダワリはありません。むしろ三角四角様やmatu様の仰るようにサヨクのイメージが貼り付いて剥がれない「人権」という言葉を使わない方がよい、使わなくて良いのなら使いたくもありません。

    では何故使うのかと言えば、現代は「情報戦」だからです。
    世の中には「人権」という意味を殆ど理解していないにも拘わらず、「「人権を守る」って何か良い事なんだよね?」と思っている人が多数存在するという認識で、あえて「人権」という言葉を使っています。

    かつての福田総理ではありませんが、
    「貴方の言う「人権」と、私が言う「人権」は中身(定義)違うんです。」と。
    櫻井女史の「あなたのおっしゃるアジアってどこの国のことかしら?」みたいな感じと似てますね。
    中身が違うんです。

    耳に入りやすいので、取っ付き易いから使っているという感じです。
    耳を傾けてもらって「いや、実は私が言う「人権」ってあの人達が言う「人権」と違ってこうなんですよ。」と解説を付け加えるといった具合です。

    所謂「保守派」の方々から見ると、「あいつは人権を連呼してるから怪しい」と見えるかもしれませんね。変化球で勝負しているように見えるとおもいますが、ノンポリの人から見れば割りと「ストレート勝負」に見えてるかもしれません。

    要は、出来る限り多くの方に理解して頂けるように、分かる人だけ分かればイイというアカデミックな主張にならないように気をつけているといったところです。