戦勝国の歴史認識こそ戦犯

皇紀2674年(平成26年)1月3日

 本日は南米爾国(アルゼンチン)の政治アナリストが書いた、安倍晋三首相の靖國神社参拝に関する分析を、英語メディアの一部から翻訳してお届けします。

 http://rt.com/op-edge/japan-war-crimes-867/
 ▲RT(英語):Japanese war crimes; I’m sorry? (Adrian Salbuchi)

 日本の安倍晋三首相の靖國神社参拝に、中共と韓国が激怒している。靖國神社は二百五十万人の戦没者を祀る東京の神社だ。多くの人が怒っているのは、この十九世紀創建の神社に祀られている人人の中に、米国の占領軍によって「戦争犯罪人」という烙印を押された第二次世界大戦時の英雄らが含まれているためだ。その中には、米国によって昭和二十二年に処刑された戦時指導者、東條英機大将など「戦争計画」に関わったとされる十四人の「A級戦犯」も含まれている。

 戦勝国が敗戦国に対して当然に獲得する権利は、領土要求に関するものだけではない。敗戦国の都市や土地、国民、資源、工場、特許権、軍事装備、そして国際法上の諸権利に対しても、完全且つ欲しいままに支配する権利を戦勝国は獲得する …… 悲しむべきことだが、これが現実だ。

 そして戦勝国は、戦争の端緒となった対立に関する歴史記述を書く(或いは書き直す)「権利」をも獲得する。自国の見解と論理を「真実」とする権利を獲得し、敗戦国を「間違った国・邪悪な国・戦犯国・侵略国」だと非難するのである。「俺たちは善人、相手は悪者」「私たちの息子らは英雄。向こうは殺されて当然の悪魔だ、二歳の幼児までも」という考えは、人類の歴史と同じほど古い。第二次大戦後の七十年間のプロパガンダが明瞭に示している通り、二十世紀と二十一世紀も例外ではない。

 だが日本は今なお屈しようとしない。これは賞賛すべきことだ。平身低頭して世界に再三再四赦しを請うてきた独国の姿とは対照的だ。だが独国自身もよく了解している通り、たとえ何度謝罪しようと、世界の報道・出版・教育を支配する人人は決して独国に赦しを与えることはあるまい。

 歴史認識について「ハラキリ」した独国とは違って日本は顔を伏せず、敢然として軍事的敗北の結果に耐え続けている。倫理面で屈服してはいないのだ。

 なるほど確かに、連合国による極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」の結果、日本の多くの軍事・政治指導者らが「A級戦犯」だとされた。だが安倍首相は、平成十八年に「JapanTimes」で報じられたように、「靖國神社に祀られた十四人のA級戦犯は国内法上の犯罪者ではなく、東京裁判の結果を日本が受け入れたのは独立を回復するためのものだった。(中略)A級戦犯の起訴理由となった『平和と人道に対する罪』は連合国によって戦後に作られた概念で、法律に定められたものではない」と考えている。

 日本よ、良くぞ言ってくれた。もし我々が、戦勝国・敗戦国を問わず全ての国の戦争犯罪を真摯に罰しようとするなら、とんでもない規模の国際軍事裁判所が必要だろう。そしてその裁判所は、ダブルスタ
ンダードと検閲から自由でなければならない。

——————————

 わが国が占領統治期から「日本は悪い国」と信じ込まされて顔を伏せてきたことや、独国が全ての戦争責任をナチス党に背負わせて国防軍すらも逃れたこと、そもそも中韓は何処から見ても戦勝国ではないことが、いずれも指摘されていませんが、このような捉え方が海外から配信される、その可能性からも、私たちは顔を伏せてはならないのです。

スポンサードリンク

『戦勝国の歴史認識こそ戦犯』に2件のコメント

  1. violet:

    とてもよい記事をご紹介してくださり、ありがとうございます。

    コメント欄には、「日本は悪い国と信じ込まされてきた」ことについて言及された方の意見もありますので、記事とコメントの両方を何度も読み返したいです。

  2. 小川:

    戦争に負けたくせに、経済大国にまで成り上がり
    大きな顔するでない。
    これが中韓の本音であると思います。
    またそれ以外の欧米諸国も
    日本に対してそのような気持ちを持っている国は
    かなりあるといえるでしょう。
    首相靖国参拝を問題にして云々はそんな下地があるからだと
    思います。
    そんな雰囲気を解消していくのも困難なことです。

    戦勝国であろうと、敗戦国であろうと世界平和のためには
    水に流してお互いいい未来を目指すべきですが
    なかなかそうはいかないのが人間のサガでしょうかね。
    過去をほじくり、相手を非難するなら、
    お互いいくらでもい言うことがあります。
    とくに民度の低い国ほど過去にこだわり
    勝手な理屈をこねて来ます。日本は
    違う観点から粛々と地道に努力して
    行けばいいのかな。と思います。