LGBT議員がコレだから

皇紀2680年(令和2年)10月7日

「普通の結婚をして、子を育て」 区議発言に抗議広がる:朝日新闻数码

 東京都足立区の白石正輝区議(78)=自民=が9月の区議会で「同性愛が法律で守られると足立区は滅んでしまう」という趣旨の発言をしたことに対し、ネット上で抗議の声が広がっている。ツイッターでは6日、白石…

(朝日新闻公司(조일신문사)日本語版)

 東京都足立区の白石正輝区議会議員の発言については、一つの大正解と一つの間違いが含まれています。

 まず後者から申しますと、同性愛・全性愛・性同一性障害・性不特定(LGBTQ)が法で認められたからといって、人びとに「広がったり」はしません。異性愛者がそう簡単に同性愛になると思いますか? なるわけがありません。わが国は古来より大らかに衆道を認めてきた世界随一の先進国(非宗教原理主義・皇室祭祀の国)なので、堂堂とお互い不問にしていればよいのです。

 そして重要な前者について、白石議員は「家族」の基本を説いておられます。両親が子を産み育てることの大切さを確認して何が悪いものでしょうか? 一つの「価値観」などという言葉で片づけるものではありません。これは生命の真実であり、祭祀の基本です。

 親のいない子は存在しません。たまさか両親に育てられていない子に「おまえは捨て子」「施設の子」などと心理的虐待を加えるのは、祭祀を知らないのです。白石議員の発言を「価値観の押しつけ」と非難する人たちは、あたかも善人面しながら裏では平気で「親のいない子」と決めつけた子たちを差別するに違いありません。そのような人たちこそが実は最も「LGBTQ自体に生産性がない」と思っており、ご自身の「ダークサイド(暗黒面)」を怒りの表現で誤魔化したいのでしょう。

 そこで行政・立法・地方自治体としての課題は、LGBTQを法や条例で保護する必要があるかという問題です。

 民法に規定される婚姻は異性愛者のものであり、LGBTQは該当しません。ではLGBTQのカップルをどう国家的に認めるかについては、私も正直まだ答えが出ておらず、十分に議論の余地はあると思っています。

 しかし、白石議員がこの発言に及んだのは、かつて杉田水脈衆議院議員も問題にした「特定団体による圧力過剰に保護する必要があるか否か」の議論の途上であり、この「保護」は間違いなく逆差別を生むでしょう。それはあってはなりません。

石川大我 参議院議員 @ishikawataiga

テレビ東京「超スゴ!自衛隊の裏側全部見せちゃいます!」を観た。海上自衛隊の艦船の中で、真水が貴重との1シーン。艦内に「真水の一滴は血の一滴」(海軍省)と掲示。日本に「海軍」はない。誰がどのような権限で掲示したのか?危険な”なし崩し”ではないか?明日、国会で防衛省にヒアリングします。

(Twitter)

 このような莫迦議員がLGBTQを公表して活動しているから、わが国では信用されないのです。深夜の新宿二丁目、新宿三丁目ではなくて、もう一度申しますが新宿二丁目で警視庁新宿署員に「俺を誰だと思ってるんだ! 国会議員だぞ!」などと暴言を吐きまくった一見民主党の石川大我参議院議員では、どんな「過剰保護」「特権」を制度化してしまうか分かったものではない、という不安がよぎります。

 出展である「海軍省」を明記した張り紙(自衛隊員に先人たちから訓示を引き継いでいる事実を教育している)に難癖をつけて今度は防衛省職員に暴言を吐くつもりなのか、全く頭の悪い議員です。間違ってもLGBTQであることが理由ではありません。この議員が酷く莫迦なだけです。

 先日日本テレビ系「沸騰ワード10」でお笑い芸人のカズレーザーさんが自衛隊員に対して「みなさんが一滴汗を流すと、誰かが流す涙が一滴減ると思います。皆さんが沢山汗を流してくださるので、我我は涙を流さずに済んでおります。僕がこうしてヘラヘラしていられるのも、皆さんのおかげです。我我の未来から悲しみを取り除いてくださって本当にありがとうございます。感謝しています」と挨拶したことが話題になっていますが、石川議員はまず全性愛を公表しているカズレーザーさんにヒアリングしたほうがいいでしょう。

スポンサードリンク

全国民に副作用を無料贈呈

皇紀2680年(令和2年)10月6日

コロナワクチン無料接種へ 全国民対象、国費6700億円超―政府方針:時事ドットコム

政府は30日、国内外で開発が進む新型コロナウイルスワクチンに関し、接種で自己負担を求めず全国民を無料とする方針を固めた。来年前半までの確保を目指し、費用は全額国費で負担。関連費用は今年度補正予算の予備費6700億円超を充てる。来週にも厚生労働省の審議会で無料化方針を示す。

(時事通信社)

 八月一日記事でとんでもないことを申しましたが、米ファイザー製薬が先行してきた武漢ウイルス(新型コロナウイルス)ワクチン開発は、ウイルスを全世界にばらまいた中共と、既にワクチンを保有していた米国との「戦争」の中心にありました。

 或いは、これを「突拍子もない話」として一旦棚上げするにしても、米国の製薬会社がまさしく全世界に対して「マウントをとるため」に開発を急いだことは事実であり、正直に申しますと、これほど得体の知れないものを私は接種する気にはなりません。

 臨床試験(治験)はするでしょう。数段階を経て承認申請をし、承認されて初めて私たちに接種されるのですから、安全だと思いたいところですが、そもそもこれほど「急に」できるワクチンはなく、もう一つ申せば副作用のないワクチンもほぼありません。

 近年では子宮頸癌ワクチンの副作用について、文字通り「それも主作用」と申してよいほどの重篤な症状をもたらし、何名もの未成年の女子を性行為経験前に「病院送り」にしてしまいました。まるで「少子化促進・日本人撲滅ワクチン」のようでした。

 族議員と組む上層部の製薬利権で動くだけの厚生労働省は、厚労官僚の天下りを受付けていなかった富士フイルム富山化学開発の抗インフルエンザウイルス薬「アビガン」の承認手続きを今さら進めていますが、米ギリアド・サイエンシズが開発した抗エボラ出血熱薬「レムデシビル」の特例承認を急いだことといい、重篤な副作用には(十分な情報を持っているのに)あまりにも無関心です。

 今なおまだ「どんどんやるべき」などといっているPCR検査にしても、出鱈目な検査キットの件について、なぜか厚労省はひた隠しに隠してきました。世界各国で、中共から輸入した「偽物」の検査キットを摘発し、その存在に関する危険情報を公開してきたのに対し、厚労省はつい先日ようやくといった有り様です。

 偽陽性が出やすいPCR検査も新型ワクチンもまた然りで、政府や自治体が予算を割いて国民に提供するような代物ではありません。不必要な消費税を徴収し、不必要なものに予算を注ぐ政府の間違いには抗議しましょう。

 ついでに、安倍前政権の武漢ウイルス対策をあの体たらくに落とし込んだ「ゲル長官の手下」こと田村憲久厚労相には「何も見せるな・何も知らせるな」と厚労官僚に申したい。のちのち後悔することになるぞ。

東京新聞N記者の暴力行為

皇紀2680年(令和2年)10月5日

トランプ米大統領は「調子良好」 治療薬の投与継続―主治医:時事ドットコム

【ワシントン時事】新型コロナウイルスに感染し入院したトランプ米大統領の病状について、主治医が3日午前(日本時間4日未明)、記者団に説明し、「とても調子がいい」と述べた。「私たちは非常に楽観的だ」とも強調した。 主治医は、ここ24時間は発熱もなく、一部で報じられた呼吸の困難はないと説明。心臓、腎臓、肝機能などは「すべて正常」と語っ…

(時事通信社)

 米国のドナルド・トランプ大統領は、これで本格的に中共を完膚なきまでに叩き潰す口実が得られました。まずはお見舞いを申し上げます。

 英国のボリス・ジョンソン首相も武漢ウイルス(新型コロナウイルス)に感染しましたが、あれほど「単独主義者」として揶揄され嫌われた彼でさえ、その時には英国民の多くが心配しました。

 しかし、初動対応が楽観的に過ぎたという批判材料はあるものの、それは安倍晋三前首相も同じでしたが、トランプ大統領の感染に対する米国民の態度は、米国として末期的と申して過言ではありません。

 多人種の寄り合い所帯が大統領の危機にも我関せず「中共のせいにしてきただけの人が最後に自分で感染しよった」的な、ともすれば「草生える」程度の認識しか持っていない米国民がいることにこそ、他国のことながら心配します。

 そのようなことをいっている場合なのか、と。トランプ大統領はあまりにも楽観的でしたし、自らの生活様式を変える気がなかった一方で、国民に無用の不安を煽らないよう配慮してきたのも事実です。

 指導者が現場の真っ只中でどう振舞うかは、政治的センスが問われます。いたずらに防護服を着ない、マスクをつけない、というのも政治家の国民に対する重要なメッセージです。トランプ大統領は、米国経済を守ることに命を懸けてきました。

 その結果、彼は側近から感染しました。それを嘲笑する左派の言動は、とても平和や人権を重んじるように見えません。安倍前首相に対する「許さない」連中もそうでしたが、この人たちの人権感覚ほど信用ならないものはありません。

東京新聞が厚労省に謝罪 記者が取材で暴力的行為

 東京新聞記者が9月、厚生労働省の職員を取材した際、机をたたいて怒鳴るなど暴力的な行為をし、編集局は厚労省に謝罪する文書を出した。 記者は社会部に所属する40代の男性…

(中日新聞社|東京新聞)

 さて、表題の件。中日新聞社・東京新聞は、加古陽治編集局次長のお詫び文を実名で掲載したにもかかわらず、あの「SF小説家」こと望月衣塑子記者とも仲の良い「社会部に所属する四十代の男性」記者の実名を伏せました。これではお詫びになっていません。

 仕方がないので私が書いてあげましょう。社会部の中澤誠記者です。

 実は、彼の気持ちは分かります。私も行政権力側の不正行為や隠蔽を追及してきましたから、何度聞いても同じ答え(文字通り同じ言葉)しか繰り返さない権力の末端に対して「いい加減にしろよ」と机を叩きたくもなったのでしょう。よく分かります。

 しかし、私はあの日教組を追及した時でさえ、大声一つ上げず、机を叩いて文書を奪うどころか、冷静に「そうですか、分かりました。そういうおつもりなのですね」といってスリッパをそろえ頭を下げて帰ってきても、日教組側に嫌がらせの訴えを起こされて略式命令を受けてしまいました。

 中澤記者、あなたのやったことは「暴力的行為」ではなく、明確に「暴力行為」であり「暴行」です。言い訳する能力しかない厚生労働省に被害届を出され受理されたら、あなたは警視庁に逮捕されるでしょう。

 少なくとも「取材」の過程でこのようなことをしてしまったのは、新聞記者に多い「望月的勘違い」です。質問に対して政治家や官僚がまともに答えなかった事実を記事にし、私たちに訴えかけるのがあなたたちの仕事であり、その場で「望月的政治活動」をしてはなりません。

 そのようなことばかりしているから、報道権力は私たち国民に信用されなくなったのです。取材と政治活動をはき違えるようになったらおしまいDEATH(笑)。

今より気が長かった日本人

皇紀2680年(令和2年)10月4日

【のんびり日曜】
 大阪市内の待ち合わせの定番といえば、私の中ではまず北区梅田の旧阪急百貨店本店一階にあった郵便局前。ズラリと公衆電話が並んでいるところで、アーチ型の天井にはモザイク画が施され、シャンデリアが下がっているという豪華な空間でした。

 そして中央区難波の南海なんば駅にあった旧ロケット広場。この二か所は、いずれも姿を消しました。ポケットベルから携帯電話へ、時代の変遷と共に私たちの暮らし、いや時間の流れ方そのものが変わっていったのです。

ケータイがない時代の「待ち合わせ」 東京人は指定場所でいちいちセンスを競っていた

 携帯電話が普及して、もっとも変わったのは待ち合わせ方法かもしれません。最近の待ち合わせは「〇〇時に、どこそこのあたりにいてよ」と、正確な待ち合わせ場所を決めない印象があります。 東京の場合、駅の改札を出た頃にコミュニケーションアプリで「着いたよ」と送り、相手の返信を待つのが当たり前になりつつあります。 しかし、携帯電話がまだ普及していない時代の待ち合わせは…

(Urban Life Metro)

 この記事は、二十世紀研究家を名乗っておられる星野正子さんが書かれたものですが、最も同意したのが「現在よりもずっと気が長かった東京人」という部分です。

 かつて映画監督の鳥居元宏元大阪芸術大学映像学科長が「自動販売機の購入ボタンでも押すように答えが出てくる(教えてもらえる)と思うな」と学生たちを叱っておられましたが、これはのちに私が進学塾の先生になって子供たちを指導する時の基本となりました。

 性急に答えだけを求めても、何も身につきません。時間がかかろうが面倒であろうが、自ら調べて考える過程こそが学習で最も重要なのです。

 しかし、私たちの暮らしはどんどん便利になり、そのこと自体はまさに「私たちが考え、調べ、作り、動かした」結果なのですが、スーパーマーケットも、自販機も、コンビニエンスストアも、そしてインターネットも、スマートフォンも、生み出してきたものによって私たちは、立ち止まる時間をほとんど必要としなくなりました。

 それが当たり前になりますと、すぐに得られないものが我慢ならなくなってきます。「時短(時間短縮)できるよね」が当然の基準になれば、そうでないものに対して「なぜできないの?」と瞬間湯沸かし器のごとく怒りだす人まで出てくるのです。

 特に日本人は時間に正確であり、それを勤勉の礎としてきましたから、過剰に時短が進むと国家全体が「イライラ」の噴火口のごとくになるのでしょう。まして加齢と共に前頭葉の機能が低下することで極端な言動に奔りがちであり、日本人高齢者がことに「すぐじゃないなら不要じゃ」などと怒鳴り散らして店を去っていく場合に発展してしまいます。

 杉田水脈衆議院議員の発言の真意や、日本学術会議の正体に目を向けてから行動すべきな、立ち止まって考える時間を自らに一切与えられない日本人が増えたことも、また嘆かわしい限りです。

閉鎖的な日本学術会議

皇紀2680年(令和2年)10月3日

菅首相が学術会議の任命を拒否した6人はこんな人 安保法制、特定秘密保護法、辺野古などで政府に異論

 政策提言を行う国の特別機関「日本学術会議」が、新会員として内閣府に推薦した法律・歴史学者ら6人の任命について、菅義偉首相が拒否していた問題。6人は安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府の方針に異論を示してきた。政府の意に沿わない人物は排除しようとする菅政権の意図が…

(東京新聞|中日新聞社)

 もう誰もが思っていることでしょう、彼らの「学問の自由を侵害している」という批判はおかしい、と。

 日本学術会議は、内閣府の特別機関であり、その予算は政府が負担しています。つまり、私たちの税金です。

 よってその会員は、日本学術会議法第七条第二項により内閣総理大臣の任命を受けるのであり、任命権が「菅義偉首相にはない」などとわめいている孔子学院大学……もとい立命館大学の松宮孝明教授は、既に法を理解する能力がありません。そんな莫迦が任命されないのは当然です。

 政府の機関に入らずとも彼らの学問・研究の自由は何ら変わりません。地位や名誉が欲しいのかもしれませんが、そのことと学問の自由は何も関係がないのです。

 任命されなかったからといって「自由が侵害された」というのは、とんだ思い違いであり、正しくは「名誉欲を侵害された」でしょう。恥ずかしくていえないのですか? それとも莫迦ですか?

 そもそも日本学術会議が軍事的安全保障研究を禁じたことこそ、学問の自由を侵害しています。これまで数多の学者たちが自身の研究を軍事転用しようと初めから画策などせず、のちに政治によって転用されてきました。

 一部は軍事的計画によって研究・開発されたものもありますが、保障すべきは学問の自由と国家の安全です。国家安全保障に係る技術として応用するか否かは政治の問題であり、それを「学術」を名乗る機関が一方的に最初から禁じることに異論すら唱えない学者に、学問の自由を語る資格はありません。

 手順としては、学問は一切自由であり、内閣府の機関として首相に助言を与え、決断に影響させるというのが正しいのであり、焦った対日ヘイトスピーカー学者風(学者っぽいだけの日本憎悪差別主義者)が莫迦丸出しの声明を出してしまったがために、もはや組織としてとっくに解体すべきでした。税金の無駄遣いそのものです。

 日本学術会議は昭和二十四年一月、現行憲法(占領憲法)下で作られました。だからこそ「軍事目的禁止の声明」が編み出されたのです。これを契機に潰してしまいましょう。私たち国民が「莫迦に血税を使うな」と声を上げるべきです。