広島の「不愉快」な面々
広島市は6日、昭和20年8月6日午前8時15分の原爆投下から65年目を迎え、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を開きました。
7月30日記事でいくつか原爆投下の惨状を描いた映画をご紹介しましたが、私たち俗に言う「団塊ジュニア世代」にとっては、昭和58年製作・公開のアニメーション映画『はだしのゲン』が最も馴染みのある作品だったかもしれません。
全国各地の小学校の図書室に収められていたと言っても過言ではないほど、いわゆる「平和学習」の一貫として本作の原作漫画を多数の子供たちが読みましたが、はっきり申し上げて私の周囲はまるでホラー漫画を読むような感覚でした。
本作の上映は小学校の体育館でしたが、原爆投下の瞬間の描写では(特に女子から)大きな悲鳴が起こり、気分を悪くした児童も続出したことを覚えています。まさにあの時の広島市は、いわば「この世の地獄」と化したのですから、やむをえないかもしれません。
しかし、これを政治的に利用する面々は、本作のような一種の恐怖表現で観衆の思考停止を誘い、続けざまに「広島のようなことは、日本が悪いことをしたから起きたのです」などと吹き込んで歪んだ反核運動へと引きずり込もうとしてきました。相手が子供なら、なおのこと「イチコロ」です。
30日記事にも書きましたが、広島と長崎の過去を「目を背けるもの」のように扱って核の議論から逃げてきた日本に、非核・反核を言う資格はありません。先人達の舐めた辛酸を忘れないよう、私たちは真の非核・反核の世界構築に向けて核の議論をすべきなのです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100806/plc1008060943005-n1.htm
▲産經新聞:広島弁で核廃絶訴え「あっちゃいけん」 65回目原爆忌、米国大使らも出席
広島市の秋葉忠利市長は、日本政府が「非核三原則の法制化」や「核の傘からの離脱」を果たし、「核兵器廃絶に向けて先頭に立つ」よう求めましたが、これらすべてが米軍による占領統治体制からの脱却、すなわち対米講和の日本国憲法(占領憲法)の無効確認なくしてできるはずもないことを述べていません。このような平和宣言は、実効性のない美辞麗句の大安売りです。
ついでに申すならば、7月24日記事で取り上げたように、目下救いがたい窮地に立たされているUN(連合国 俗称=国連)の潘基文事務総長の出席など、ただの政治パフォーマンス以下に過ぎません。広島市や長崎市は「あなたの薄汚れた名誉の挽回に我々を利用しないで」と出席を断わるべきでした。
核保有国に取り囲まれてしまった日本が、核の傘から離脱するならば、日本の核保有の可能性を議論することから逃げてはいけないと思います。そこまでの覚悟を示してこそ、はじめて世界は日本の被爆体験と向き合うでしょう。被爆国にして原子力エネルギー最先端国・日本の核保有は、全世界が決して受け入れはしません。そこが狙いなのです。