今後も何度でもだまされる
今回は『マルサの女』などの伊丹十三監督のお父様に関するお話しが出てまいります。ちなみに、この画像は糸井重里氏のほぼ日刊イトイ新聞?伊丹さんに。のものです。糸井氏による「伊丹十三特集」は非常に面白いですから、是非お読み下さい。
今夏はとても暑い日が続きますね。
先日、残念ながら私の親しい友人が熱中症にかかってしまい、肝を冷やしました。メディア各社は増加する熱中症患者を現象として報じ、意外に多い室内での発症を警告して、水分と塩分の十分な補給と、冷房を効かせるよう伝えています。
ところが、昨夏までは「クールビズ」を推奨し、いわゆる地球温暖化の原因とされるCO2(二酸化炭素)の排出権なるものを設定してこれをカネに換えた「エコ」活動を礼賛して、冷房を効かせてはいけないと伝えてきました。ということは、目下のところ地球を守ることはどうでもよいようです。
では、地球を守ろうとすると人間の生命を犠牲にしなければならないのでしょうか?
実際、大いなる地球の自然環境を語る上で、産業構造の進化以前(約200年前)に比べておよそ0.01%しか増加していないとされる大気中のCO2濃度が、地球の自然環境そのものを狂わせてしまっていると結論づけられるかどうかについては、諸説あります。
しかし、私たちはCO2の大量(?)排出こそが地球温暖化の主因だと聞かされてきました。これがもし、ウソだとしたらどうしましょう。また、化石燃料の大量消費に何の問題もないという説のほうが実はウソで、気づいた時には地球がとんでもないことになっていたら、どうしましょう。
このような漠然たる不安は、人間と自然、すなわち地球とのかかわりに対する考え方に於いて何らの基軸を持たない人間であるからこそ発生し、つい「あっち」に振れたり「こっち」に振れたりするのです。
日本民族は本来、祭祀によって人間と自然のかかわりを極めてゆるやかに説いてきました。当時初の対外公式文書とも言える『日本書記』もそこから始まっています。
例えば祖先祭祀と自然祭祀はまったく矛盾しておらず、ともに天皇陛下が司られるからこそ、鎌倉幕府だろうが室町幕府だろうが江戸幕府だろうが、ご皇室は決して排されなかったのです。
天皇陛下を排してしまえば、自然を守ろうとすると人間の生命を犠牲にすることになってしまう、と本能的に日本民族は知っていたのではないでしょうか。物事を唯物的に、或いは善悪の二元論だけで定義づける発想であれば、地球の自然と人類生命の継承を保守することが互いに相容れない関係に墜ちてゆく、と。目下がまさにその時点なのかもしれません。
では、なぜ日本民族はこの本能を衰退させてしまったのでしょうか?
その答えは、ここで何度となく取り上げてきましたが、私の大好きな映画『赤西蠣太』などで知られる日本映画界の基礎を築いたお1人、伊丹万作監督が昭和21年4月28日に記された『戦争責任者の問題』(『映画春秋』昭和21年8月号掲載・『伊丹万作全集 第1巻』収蔵)にあるのです。
近代戦に於いてわが国が初めて大東亜戦争に敗北したことを認めて以来、明治維新以降にも増して前述のような欧米の発想を取り入れ、それを新しく身に付けるべしとされたことから、次第に祭祀は古く無視してもよいもののように扱われ始めました。天皇陛下は、京都御所の外壁の高さからは想像もつかないほど臣民から遠い存在にされ、要・不要を公然と論じられるにまで貶められたのです。
それでも「貶められた」という感覚を持っている人がどれほどおられるでしょう。大本営発表とそれに忠実だった朝日新聞社などの報道に触れ、大日本帝國軍の勝利を信じた先人たちと、現下の私たちは、まったく別のような存在だと誰が言いきれましょうか。
戦後「だまされていた」と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のウソによってだまされ始めているにちがいない、と問題を提起し、映画界の戦争責任者を炙り出すことに自分は一切関わらないと宣言した伊丹監督は、ゲートルを巻かなければ自宅の門から一歩も出られないようにしたのが政府でも官庁でもなく隣組や婦人会ら国民自身だったことを体験しておられたのです。
一体どの口で、どの側に立って「戦争責任者」を言っているのか、と。私たちはこの時から、間違いなくもうすでに別のウソにだまされ始めていました。だからこそ現下の「日本国民」とされている人々は、エコを言えば冷房を切れと言われ、熱中症予防を言えば冷房を効かせろと言われるという、その1年越しの矛盾にも気づかず、何ら基軸を持たずに漂流するように暮らしているのです。
私が「保守」「祭祀」「天皇陛下」を書き続けるのは、日本民族のみの優位性やら日本国家のみの全盛を期待して扇動しているのではなく、このような暮らしからの脱却、すなわち人間としての基軸を持つことでしか人間や地球が「だまされる」社会構造を打ち砕くことはできないと申したいのです。
そう、現下の人間は人間をだまし、母なる地球をもだましているのかもしれませんよ。