正論老人?に潜む日本の姿

皇紀2679年(令和元年)6月12日

 十日の参議院予算委員会で、九日記事でも扱った年金に関する問題について、ナントカ民主党の謝蓮舫(村田蓮舫)議員が「国民は嘘だったと怒っている」とわめいたようですが、本当にこの人の神経を疑います。

 そうです。多くの国民は、あなたの国籍が嘘だったと怒っています。出鱈目な釈明をしたまま未だ何も公開しないあなたの態度に呆れているのです。このような連中の追及にしかあわないからこそ、年金問題は何も解決しません。あなたたちが政権を牛耳っていたころにも全く解決できなかったでしょう。国民は怒っています。

 そんな蓮舫議員の国籍があるやもしれぬ中共は、四月下旬から連日、沖縄県石垣市尖閣諸島の接続水域に船を出させ、ついにまたも沖縄本島と宮古島の間の海域を共産党人民解放軍海軍の空母「遼寧」に通過させました。これで三度目です。

 十日記事で申した太平洋進出の策謀に於いて、むしろ「目くらまし」のように海軍艦を出す共産党の汚らわしい手口は、わが国の国防行政官たちを大いに煩わせます。それが狙いなのでしょう。実際にこれほど「ポンコツ」の空母で日米に割って入れるとは、彼らも思っていません。だから「日中関係の改善」などと両国政府がうたっている時こそ油断ならないのです。

歩道へのミリ単位の看板はみ出しにクレーム 「正論ジイサン」の暴走に商店街が崩壊寸前

「要するにここは天下の歩道なの。あそこに旗が立っている。椅子が置いてある」 89歳男性が三重県松阪市で突然始めた「歩道クリーンアップキャンペーン」に地元商店街が悲鳴をあげている。男性は4か月にわたりほぼ毎日商店街を回り、歩道に置いてある看板を蹴飛ばし、店内をにらみつける。 ミリ単位のはみ出しにクレームを出すだけではなく、看板を壊す、のぼりを切る、商品を投げるなど…

(J-CAST テレビウォッチ)

 三重県松坂市か……。いや、何でもありません。とにかく、テレビ朝日系の情報番組に佇んでいる程度のコメンテーターには、的確に指摘すべきことが全く見えていません。毎度頓珍漢な自社の玉川徹解説委員、したり顔でいつも外す青木理氏(共同通信社出身といえば定番の変な人)、さらによく知らない弁護士、ものの見事に全員いっていることが間違っています。

 三重県警察と商店会が「よく話し合って」とか、或いは障害者にも配慮すべき道路交通法上の問題というのは、あくまでこの番組が取り上げた中心的話題とほぼ無関係な商店街の在り方の問題であり、この八十九歳の老人の行ないについて、決して「正義感の暴走」なんぞという薄っぺらい言葉では語れない問題が潜んでいるのです。

 昨日記事でも申したように、特にこの世代の道徳観や倫理観の押しつけは、平成の三十年間を棒に振った前代未聞の売国行政(大蔵省から財務省)を経て、もう全く通用しません。多くの後輩世代がそこから外されていったのです。

 ところがそうした価値観といい換えてもよいでしょうが、それを据え置いたまま多くの国民に無理を強いた結果、とてつもないひずみが生じ、前出記事で申したようなことが起き始めた、と。

 「お年寄りを大切に」などといっていられないのが正直なところになり始めたわが国で、人間の脳の中でも特に前頭葉の劣化がもたらす意思確認困難(コミュニケーション困難)は、松坂市の老人のような行動の典型です。よって本人に極端な言動の自覚はありません。

 ですからはっきり申し上げて正論だの何だのではなく、まずこの老人を威力業務妨害の容疑で逮捕するしかないのです。このような行動は「一切が法律違反です」という確認を国民的にしなければなりません。商店主たちは、個人または法人の所有物を破壊されているのに、警察へ被害届を出していないのが間違いです。

 老人がいい放つ「天下の歩道」は、思うほどもう安全ではありません。障害物があれば、自分で避けて通るしかないのです。老人の運転する車がいつ突っ込んでくるか分かりません(先月二十日記事参照)。それは、障害者も同じであり、健常な自分が「あ、手を貸したい」と思えば助けるのです。

 そんな道徳観は、何度も申しますが教育勅語にあるのです。これ以上に余計に語る必要がどこにありますか? この老人は大日本帝國憲法時代を知っている、すなわち勅語をもとに憲法があった時代をわずかにでも知っているはずですが、もうすっかり忘れているのでしょう。自らの勝手な道徳観を商店街全体に押しつけて平気なのです。

 ここでは、商店街の路上に物を置いている問題には一切触れません。そのことは、最も重要な問題とは別のことだからです。教育勅語という価値観を基にしていない現行憲法(占領憲法)を放置し続けていると、かくも人は身勝手に自分の価値観を語りだし、権利を主張し、挙げ句に暴力をふるうようになるという点に、わが国が抱える壮大な問題が透けて見えるのです。

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『正論老人?に潜む日本の姿』に2件のコメント

  1. 心配性@我は蛮夷なり:

    「ダイバシティ」という、横文字の価値観を押し付ける人々がいます。

    東京はよいでしょう。
    江戸時代の頃から「ダイバシティ」を実践していますから。

    「江戸は諸国の掃き溜め」或は「江戸は諸国の入り込み」と言われて来ましたし、住民は「三代住んだら江戸っ子よ!」と江戸の頃から開き直ってきたのです。
    西関東以西、東海以西からの移住者が膨大であった為、方言も本来の武州弁とは異なる、西寄りにシフトした「江戸言葉」もできました。
    「標準語」なるものも、上層武家階級の言葉に京言葉を混ぜたような感じの珍妙な言葉です。

    「首都圏」にしても、東京と全く同じ歴史を歩み、同じ価値観の中で人々が暮らして来たわけではないので、「お前も一緒にダイバシティをやれ!ダイバシティとはこうだ!俺の考えに賛成しろ!」と鬼の形相で強要されても困ります。

  2. 沿道より:

    老人は、社会の足手まとい。
    尊重すべきお人柄の方はいるけど、殊更デリケートに扱うのは社会の歪みをもたらす。

    若者ー高齢者、世代間対立をうながしてもいいんじゃない?