安倍首相~法要に追悼問題

皇紀2674年(平成26年)8月29日

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140827/plc140827……
 ▲産經新聞:安倍首相、A級戦犯ら元軍人の法要に追悼の書面

 靖國神社参拝を含め、二つの前提をもう一度申しますが、まず時の首相が参拝を否定することは、国民の生命の犠牲に対して背を向ける行為であり、現世国民が国策による何らかの犠牲を払っても、その首相は一切頭を下げることはしないと宣言したも同然です。

 そして大東亜戦争の「A級戦犯」という言葉は、名誉回復の国会議決と関係十一カ国の同意を得て今日存在しないのであり、例えば昨日記事で取り上げた週刊文春の見出し広告にも、実は朝日新聞社を「A級戦犯」と書いておりましたが、これは戦犯の中でも最上級を意味するような誤用を招く表現であり、まるで正しくありません。

 よって安倍晋三首相が、和歌山県伊都郡高野町の高野山奥の院にある「昭和殉難者法務死追悼碑」で四月二十九日に営まれた法要に哀悼の書面を送ったことは、何の問題もないのです。

 また、菅義偉内閣官房長官が「私人としての行為」と断ったのは、靖國神社と違って高野山が宗教施設のためであり、政府としてコメントしないのは当然だからに過ぎません。

 なぜ中共外交部や韓国外交部だけがこれを非難し、私たちの生命の犠牲を軽んじるのですか? そのような権利が彼らにありますか? これで「中韓の犠牲には永遠に謝罪し続けろ」と言われて納得できますか?

 この法要は、故・築野政次氏(ご経歴)の呼びかけで、連合国の便宜上区分によりA・B・C級戦犯とされた約千百八十人をかろうじて「法務死」として追悼するものであり、築野氏も比国で戦犯容疑をかけられながら奇跡的に無罪を勝ち取った方です。

 築野氏は、和歌山県で著名な方であり、しかし広く知られていない現状で何が「あの戦争を語る」でしょうか。例を挙げれば、かつて堺正俊先生(フランキー堺)主演の名作『私は貝になりたい』を作った東京放送(TBS)の現状は、中韓ロビーにのみ耳を傾け、あまりにも大東亜戦争を語る資格を失っているのです。

 安倍首相の判断に間違いがあると思うなら、政府に抗議すればよいでしょう。ただし、それは天に唾する行為だと思い知るがよいのです。

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