皇紀2676年(平成28年)8月17日
十四日記事の最後に「防衛相が靖國神社参拝を避けるべく外交日程を調整する政治こそおかしい」と申しましたが、阿北東部ジブチ訪問日程を差し込んだのは防衛省(内局)、つまり事務方(背広組)です。稲田朋美防衛相の要望ではありません。
橋下徹前大阪市長や「休暇のような衣装」などと書く報道各社に批判されていますが、稲田防衛相自身が避けたがったのではなく、内局の背広組が靖國参拝を嫌がったためで、重装備を求められるような大した予定がないのに衣装も何もないでしょう。彼女にとっては平服です。
http://www.sankei.com/world/news/160816/wor160816……
▲産經新聞:【緊迫・東シナ海】「海の人民戦争だ」中国漁船に潜む海上民兵の実態は…政府から手当ても
かくして防衛省は、現行憲法(占領憲法)のせいで何の役にも立たない役所であり、先日来警告し続けてきた対中戦争の可能性は、指摘通り太平洋軍が開戦に向けて動いた米国によってとりあえず回避されました。
http://www.sankei.com/world/news/160816/wor160816……
▲産經新聞:【米大統領選】バイデン副大統領「私たちが日本国憲法を書いた。日本は核保有国になり得ない」 トランプ氏の容認論批判、異例の発言
だからここまではっきりと「占領憲法は米国産」と米副大統領に言われても、事実なのだから仕方がないのです。「米国が書いた」などと言ってはいけないとしてきた護憲派は、この改めて突きつけられた現実をどう解釈するのでしょうか。
沖縄県石垣市尖閣諸島が中共共産党に占領されかかった事態に於いて、米政府に守ってもらったことをよしとするのか、わが国政府が自力で米国と協調して守るべきだったとするのか、どうでもよい(どちらでもよい)とするのか、安倍内閣というより私たち自身が考えなくてはならないことです。
その上で何度でも申しますが、八月十五日に限らず現職の首相が靖國参拝をしないことの意味は、先人たちの御霊に対してのみならず現世私たちの命に対する冒涜であり、国家権力が国民を死なせたことへの無関心、無気力、無責任以外の何ものでもありません。
靖國参拝を否定する者こそが平和を愛し、過去を反省しているなどと思っていたら、全くの逆なのです。
誰もが安倍晋三首相や稲田防衛相らの「尊崇の念を」という言葉から誠意が伝わらず、国防に命を捧げてもこれほど粗末な扱いを受けるとしか感じていません。これが「戦争(人びとを死なせたこと)の反省が足りない」と受け取られ、靖國神社への誤解をも増幅させるのです。
それほど毎年「過去の反省」を言うのなら、占領憲法という過去の遺物を清算することであり、もう過去に捉われないことでしょう。
会うたびに「おまえのおじいさんに、うちの祖父は虐められた」と言うような人から「次いつ会いますか」と尋ねられれば、普通は「あなたとは、二度と会いません」と答えませんか? 中共の所業はこれに当たり、しかも彼らは今、現に私たちにいじわるばかりしています。
ことほど左様な状況を、そうだとも理解しないのが占領憲法行政であり、正しく機能するはずがないのです。
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皇紀2676年(平成28年)8月16日
https://jmania.jp/201608/29160.html
▲ジャニーズ研究会:「ジャニーズというだけで媚びを売られてきた」、KinKi Kids堂本光一が日本のエンタメ界に異例の苦言
ジャニーズ事務所所属のアイドルが言うな……そう言ってしまえばおしまいでしょうが、確かに堂本光一さんのおっしゃる通り「日本のもの作りの現場は今、コンプライアンスを意識しすぎるあまり窮屈になって」おり、ここからは私が申しますが、これが報道の勝手な「自粛」「萎縮」であり、それを安倍内閣のせいにしようと海外に向かって「日本は危険国家」などと叫び散らしている記者たちは、まさに私たちの平和を脅かすテロリストです。
また光一さんはどうしたものか、わが国の芸能が事務所の力関係で動いたりする実力とはほぼ無関係な世界とも指摘しています。彼ほど「『ジャニーズ事務所のタレント』というだけで多くの人に媚びを売られてきた身として、よーく知っています」とぶちまけた人をかつて知りません。とても勇気のいることだったでしょう。十四日記事で取り上げたSMAPの解散に、同事務所の彼も気づいていたからこそだったかもしれません。
さて以下、彼の考えとは関係なく私なりの意見を申します。
特に占領統治期以降、わが国の国民を政治的に「白痴化」するべく各種芸能が用いられると言われてきたのは、大東亜戦争以前からわが国には、いわゆる「左翼」芸能がはびこってきたためで、それが占領統治の方針(日本国民の団結阻止など)によって再び世に放たれることが明白だったからです。
例えば新藤兼人監督の半記録映画『さくら隊散る』を観ても容易に分かる通り、新劇の流れはほぼ左翼であり、占領統治期に入ってゆっくりと「反日」へ堕ちていきます。
わが国の映画・演劇をこのような人たちで占拠していくわけで、やれ俳優座だ文学座だ劇団民藝だということでなければ一人前ではないような扱いもあり、それに嫌悪して退団していった役者もたくさんいました。そのような考え方が、今日の芸能事務所単位での「売り」に繋がっているのかもしれません。
https://youtu.be/lcDTvZvKTdQ
▲YOUTUBE:おんな港町 八代亜紀
それにしましてもつい先日、或るきっかけで八代亜紀さんに見入ってしまうことがあり、ことのほか『舟歌』や『雨の慕情』もいいのですが『おんな港町』の迫力に絶句してしまいました。
上記動画は、昭和五十二年の日本放送協会(NHK)紅白歌合戦にて八代さんが初めて紅組のトリを務められた時のもので、司会のお声は恐らく佐良直美さんでしょうか、まるで映画女優のような八代さんが登場します。
壇上の誰かが八代さんのマイクコードを誤って踏んでおり、中央まで出られないままそれでも臆することなく八代さんが唄い始め、気がふれるほどリハーサルをするNHKの技術は、リハ通りの動きにしか対応しきれないのか中央に何とか出てきた八代さんへのピントがボケてしまっているのです。
この当時からNHKは駄目でした。番組の完成度云ぬんは、できないほうがおかしいほどリハを重ね倒した結果であり、昔から技術は決して高くありません。
それはともかく八代さんの迫力と歌唱力、そして女の色気を改めて拝見するにつけ、どんどん日本の芸能が劣化しているのは確かです。それは、国民の白痴化より早かったかもしれません。
事務所枠で役者やタレントをまず押さえ、ドラマを作っているようなテレビ局にもう新しいものは作れないのです。
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皇紀2676年(平成28年)8月15日
本日は昭和二十年、先帝陛下の「終戦」の玉音放送を当時臣民が賜ってから七十一年目の日です。
終戦記念日というのは本来、サン・フランシスコ(桑港)講和条約が調印された九月八日が適当であり、条約が発効した昭和二十七年四月二十八日は、わが国が再び国家主権を回復し現行憲法(占領憲法)が役割を終えた日(消費期限)でした。
http://www.sankei.com/world/news/160813/wor160813……
▲産經新聞:韓国議員ら15日に竹島上陸へ 「韓国領土を守る意志を伝える」 日韓関係への波紋必至
昨年末のいわゆる「日韓合意」以来、何度も申しますが韓国側の混乱があまりに予想通りの酷いもので、もはや日米の手のひらで転がされていることに彼らは気づかず騒いでいるのでしょうか。
韓国の政官民が騒げば騒ぐほど「韓国はもう駄目」「韓国を捨てよう」という流れが米国内で強くなるだけという状況下で、未だ中共共産党にすり寄ろうとした国会議員を呼びつけて思わず怒鳴ったらしい朴槿恵大統領は、ほぼ神経衰弱ぎりぎりの状態です。
これまた何度でも申しますが島根県隠岐郡隠岐の島町竹島は、米韓の極めて現実的な軍事同盟を前にしてわが国が奪還を遠慮したままになっているだけであり、米政府と決着さえつけばわが国が取り返します。
不法上陸するポーズをとってまで「反日」をアピールしたいのは勝手ですが、やればやるほど「その日」が近づくということを韓国に思い知らせておかなければなりません。
http://www.sankei.com/affairs/news/160811/afr160811……
▲産經新聞:【緊迫・東シナ海】中国漁船大量出没の尖閣沖で大型貨物船が漁船と衝突 中国公船は接続水域から姿消す
賢明な読者の方が書き込んでくださったように、わが国の占領憲法(交戦権なき弱腰)外交は、中韓の増長を許してかえって関係を悪化させたのであり、強気に出ればこの通りです。
海上保安庁巡視船が中共漁船を助けた行為の「どこが弱腰でないのか」を申せば、十一日記事で指摘した「漁業に関する管轄権の行使」風味の行為に及んでいたはずの中共が、いざ海保が目的をもって出てくるとさっさと逃げたことに他なりません。
日韓対立を煽る韓国の「反日」もまた、残念ながら私たち日本人の「配慮」や「気遣い」によって拡大されたものであり、それらは全て心を鬼にして捨て去るしか日韓の将来はないのです。
韓国の保守派は、日本が竹島を取り返しに来ることを知っています。だからこそ彼らは、米韓同盟の強固な継続を望んだのであり、本気でわが国が竹島奪還の相談を米政府にしたという情報を漏らすだけで韓国は身を縮め、最期の抵抗をするでしょう。
しかし米政府が了承したという情報でも流れれば、それがたとえ情報操作であったとしても韓国は、とりあえずわが国に話し合いを求めてすがるしかありません。
反戦の想いは、恐らく多くの国民が共有していますが、ならばこのぐらいの外交を求めなければ反戦の実現などないのです。まず日本人がビビッてどうするのですか。
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皇紀2676年(平成28年)8月14日
一月十九日記事でふれた人気グループ「SMAP」の解散が本日午後、ついに発表されます。やはりもたなかったようです。
前出記事では「チーフマネージャーの飯島三智さんだけがメリー喜多川さんと藤島ジュリー景子さんの嫉妬の犠牲になった」などと表現しましたが、組織の筋を申せば、社員の飯島さんが社の方針に反し、「私が育てた」と自負するにしてもその若い社員たちを外へ連れ出そうとした行為は、到底認められません。
記事中に「グループを裏切って割ろうとしたのは、一部で囁かれている木村拓哉さんではない」と指摘したのは、積極的に外へ出よう(社を裏切ろう)としたのが香取慎吾さんだったと分かっていたからです。
結局解散を回避できなくなったのも、社に筋を通そうとする木村さんに対して香取さんが共演を嫌悪するほど逆恨みし始めたためで、しかしながら木村さんが悪く言われ続けるのだろうと思うと、かえすがえすも飯島さんが最後の最後で彼らのマネジメントをおもいっきり間違ったと指弾せざるを得ません。
飯島さんが敏腕だったことは有名でしたがこの顛末は、以前の評判をなかったものにするほど最悪です。香取さんをこのようにしてしまったのも彼女であり、とうとうまとめられなかったジャニー喜多川さんの「神通力」も業界で消えてなくなるでしょう。
http://www.asahi.com/articles/ASJ8C73JPJ8CUTIL02J……
▲朝日新聞:SEALDs、15日解散 若者たちが残したものは
さて、十五日に解散するのは、残念ながら「ただのドンチャン騒ぎ」に終わった反日学生組織「SEALDs(シールズ)」です。
名残惜しそうな朝日新聞社記事にある「おかしいことはおかしいと言おう」という彼らの立場は、結局彼らの無知と異常行動こそが多くの国民から「おかしい」と言われ、そっぽを向かれて終わりました。本当に残念です。正論にして気骨ある政府批判であれば、私を含めてもっと多くの国民を巻き込む大きな運動に発展していたでしょう。
彼らはつまるところ何も残せず、組織に属した学生たちが「働き口をください」と嘆くに堕ちるほど活動後の人生を大いに狂わせ、選挙に於いても日本共産党の議席を大きく伸ばす力にすらなりませんでした。
たとえ「担ぐ神輿は軽いほうがよい」と申しても、政治の知識が著しく乏しい「日本人のため、日本国のためとは全く思えない主張」をする学生を代表に据え、いわゆる「サークルの新歓コンパ帰りの酔っぱらい学生」のような騒ぎを起こしただけで国民的支持を得られると思うほうが、どうにも時代遅れです。裏で糸を引いた共産党系の老人たちのセンスのなさが証明された一種の事件でした。
名を変え姿を変え、彼らは再び現れるでしょう。私たちがおかしいと言うべきは、ただ日本人を守ることもできない政治に対してです。防衛相が靖國神社参拝を避けるべく、外交日程を調整する政治こそおかしいのです。
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皇紀2676年(平成28年)8月13日
http://www.sankei.com/politics/news/160811/plt160811……
▲産經新聞:【阿比留瑠比の極言御免】「ゴジラ」が映す日本の縮図
現在大ヒット上映中の東宝映画『シン・ゴジラ』は、大阪芸術大学映像学科の先輩に当たる庵野秀明総監督と、樋口真嗣監督・特技監督の作品であり、公開前から期待されていましたが、概ね鑑賞した人たちから高評価を得ています。
私はまだ予告編しか観ていませんが、道理で余貴美子扮する防衛相が小池百合子元防衛相(現東京都知事)にしか見えなかったわけで、本編を鑑賞された産經新聞社政治部の阿比留瑠比編集委員によると、小池元防衛相が取材協力していたことがエンド・クレジットで分かるそうです。
しかしながら内閣官房長官経験者に取材したのが、よりによって民進党の枝野幸男幹事長だったとは、一気に官邸の描写に不安が、いや、米大統領特使役にはとても見えない石原さとみのおかしな感じは、そのせいかなどと考えてしまいました。
とはいえ阿比留氏が指摘される通り、プロットだけでも現行憲法(占領憲法)下の日本政治が未曽有の危機、巨大不明生物の出現にどう対峙するかをリアルに描こうとしているのが分かります。恐らく首相官邸を捨てざるを得なくなった内閣が立川広域防災基地へ移動するという設定は、本作が初めてのはずです。
東宝はこれまで、多くの架空の内閣を描いてきました。例えば新旧の『日本沈没』では、首相をそれぞれ丹波哲郎と石坂浩二が演じ、『地震列島』では佐分利信、昭和五十九年の『ゴジラ』では小林桂樹が登場し、米ソ冷戦下でゴジラによって破壊されたソビエト連邦(露国)海軍原子力潜水艦の対応などに苦慮します。
この時のアドヴァイザーが田原総一朗氏だったためか、官邸の一連の描写が「あくまでファンタジー」であり、大蔵相(財務相)に小澤栄太郎、外相に鈴木瑞穂、官房長官が内藤武敏、防衛庁長官に織本順吉といった重厚なキャスティングだったにもかかわらず、閣議の場面など微妙に滑稽な部分がありました。
実はゴジラについて、私は平成二十二年七月二十七日記事に自然祭祀との関係を述べ、最後に「畏怖すべき存在を理解しなければゴジラの原点回帰はない」と申しています。
東日本大震災があり、昨夏の安全保障関連諸法に関する珍騒動があり、たまさか今上陛下の玉音放送を二度も賜るという事態にあり、ついにゴジラへの「畏れ」が帰ってきたのです。
故・田中友幸プロデューサーは、ゴジラを「反戦非核」から生み出しました。その実現のため、本作のコピーにある「ゴジラとニッポンの対決」がいかなるものになるか、私たちは空想の世界から多くを学び取ることになるのでしょう。
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