ヤジ裁判原告弁護焦ってる

皇紀2682年(令和4年)7月17日

「安倍やめろ」ヤジ当事者、「警察が裁判で負けて萎縮した」論に反論「こじつけだ」

安倍晋三元首相が銃撃された事件では、要人警護の不備が指摘されている。その中で事件直後から槍玉にあげられているのが、2019年7月の前回参院選時に札幌市で起きた「ヤジ排除事件」だ。当時首相だった安倍氏の…

(弁護士ドットコム)

 九日記事で、安倍晋三元首相の暗殺を招いてしまった奈良県警察の警護体制について、本年三月に札幌地方裁判所(広瀬孝裁判長)が下したいわゆる「北海道野次裁判」の判決が少なからず影響した可能性に言及しました。

 当時の街頭演説会場から北海道警察に排除された原告(男性二人)とその原告代理人は、これを「こじつけだ」と主張しているという弁護士ドットコムの記事が上記です。

 恐らく原告側は、焦っていると思います。道庁・道警の被告側が控訴した二審の札幌高等裁判所で、安倍元首相の暗殺事件が影響し、一審判決が覆るのではないかと思っているのでしょう。

 記事中ではその不安を否定しているようですが、焦りがなければわざわざ出す必要もない程度の内容です。そもそもこの記事は、初めの「表現の自由の尊重が要人警護の足枷になっているかのような印象を読者に与えた」という前提が大いに間違っています。

 一審判決後に原告側が掲げた「民主主義の後退に歯止め」という垂れ幕も間違いに間違い倒していますが、彼らの悪質性は、そのことに一切の疑いを持っていないことでしょう。本気でそのように誤解、誤読しているのです。

 選挙に於ける候補者、並びに応援弁士による街頭演説会は、彼らの言論に耳を傾け、自身の投票行動を決める貴重な機会であり、これを邪魔することこそ言論・表現・研究の自由を侵害し、民意に基づく政治の執行を妨害しています。

 政策的対立による政治家同士の激論を交わすことが想定されている国会内の野次とは違うのです。近年、与野党を問わずその低質ぶりが問題視されてはいますが。

 私は、選挙活動も街頭演説も共に経験していますからよく分かりますが、街宣車から声をかけて物を投げつけられるなどの敵対的態度を取られたり、街頭演説中に主旨を誤解した通行人から怒鳴り込まれたり、延延と睨みつけられたりしますと、応援してくれているほかの方がたや聴衆に「申し訳ないな」と思います。

 警察官諸氏の決死の警護で収めていただいた乱闘騒ぎもありました。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の構成員から嫌がらせを受け、拉致事件被害者救済の署名用紙を地面に叩きつけられて「やめろ」「帰れ」などと怒鳴られた時は、被害者ご家族に申し訳ない気持ちでした。

 ですから私は、たとえ日本共産党や立憲民主党、日本維新の会らの街宣車や街頭演説会に出くわしても、決して何もいいません。黙ってその場を立ち去ります。なぜなら懸命に選挙活動中の人びと、その支持者や興味を示して聴いている人びとの邪魔などしたくないからです。

 彼らに意見するのは、こうした言論の場を持つことで十分です。暴力行為に打って出ようとは思いません。いわゆる「カウンター」と呼ばれる政治活動は、狙いを定めて言論封殺にかかる違法行為(憲法違反)だと思っています。

 それを棚に上げておいて何が「表現の自由」「民主主義」ですか。

 確かに岡山県警察の警護はしっかりしていたのに対し、奈良県警は杜撰だったと思います。しかし、広瀬裁判長の判決は、要人警護そのものを否定できないがゆえに、むしろ「表現の自由」という文言の致命的誤読をもって「反アベ」が繰り返していた暴力行為を一部正当化してしまったのです。

 安倍元首相がそのような暴力集団に「カウンター」されてきたのは、多くの国民が報道を見て知っています。常に危険な状態でした。

 自由や権利のはき違えは、もうたくさんです。彼らのいうことを聞いていれば、そのうち「人を殺すのも自由」などといい出しかねません。そのような理屈を司法権力が認めたことに、私たち国民の怒りと不安を禁じえないのです。

 言論・表現・研究の自由を守ってください。

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『ヤジ裁判原告弁護焦ってる』に1件のコメント

  1. 読者:

    排除されたのは、男性1名女性1名ですね、
    桃井季生ももいきお という元北大生です。
    経歴見たら生粋の活動家でした。