四宮正貴先生が逝去

皇紀2681年(令和3年)4月7日

『日本の心を学ぶ会』100回記念

左からブログ『日本よ何処へ』主筆で『日本第一党』最高顧問の瀬戸弘幸氏、田母神俊雄・元航空幕僚長、『維新政党・新風』の魚谷哲央代表、四宮先生、遠藤健太郎先生、主催者の渡邊昇氏…

(侍蟻SamuraiAri)

【速報】
 著述家で歌人の四宮正貴先生が昨日午前 四日、東京都内で亡くなられました。七十四歳でした。衷心よりお悔やみを申し上げます。

 上記有門大輔さんのブログ記事は、四宮先生がほぼ毎回講師を務めておられた定例勉強会である「日本の心を学ぶ会(以下、日心会)」の第百回記念講演のもので、令和元年十月二十七日、偕行社(千代田区九段南)を会場に開かれました。これが、私が四宮先生とお会いした最後の日になってしまったのです。

 最初にお会いしましたのは、確か現行憲法(占領憲法)の無効(大日本帝國憲法の正統な改正)請願が実現した際の日比谷公会堂(同区)での講演だったと思います。壇上の席で私と隣同士だったものですから、私のほうからご挨拶を申し上げたはずです。

 以来、何度もお会いすることとなり、日心会からも何度かゲスト講師でお招きいただきましたから、その度に四宮先生のお話を拝聴させていただく機会に恵まれました。

 何名かの某省庁職員から「四宮先生って、やっぱり怖い人ですか?」とよく尋ねられたものです。平成十六年六月放送のテレビ朝日系「朝まで生テレビ!」での田原総一朗氏とのやり取り、というより司会の田原氏がわざと莫迦な質問をして四宮先生を怒らせておきながら、一方的に「人格破綻」とまで誹謗中傷した件ですが、この印象を強く持っている方がいました。

 はっきり申し上げて優しい先生です。私はその全員に、そう答えてきました。誤解していますよ、と。ただ、眼光は鋭かったです。それは、まるで現下のわが国の体たらくを憂い、もどかしく、ご自身を含めたわが民族全員ににらみを利かせるかのような表情でいらっしゃいました。

 四宮政治文化研究所の月刊誌には、よく和歌を詠まれていましたし、国史にも極めてお詳しかったです。四宮先生責任編集のオピニオン誌「伝統と革新」(たちばな出版)も、本年一月十五日発行の第三十七号が最後(以降編集分がない)かもしれません。

 昨年は期せずして講演会の中止が多発し、丸一年以上もお会いできませんでした。まさかこのような日が、こんなにも早く来てしまうとは思ってもみなかったのです。

 占領憲法と現行典範(占領典範)を、わが国の正しい憲法であり皇室典範だと思い込まされてきたことによる危機的な状況は、私たちの世代で何としても正さねばならないという思いを今、新たにしています。四宮先生に、改めて衷心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 ※ 本日配信予定だった記事につきましては、明日配信します。ご了承ください。

スポンサードリンク

『四宮正貴先生が逝去』に1件のコメント

  1. 渡邊昇:

    記事にしてくださりありがとうございます。