中核派の獄死は国のせい?

皇紀2679年(令和元年)6月4日

 昭和四十六年十一月十四日に発生した渋谷暴動事件(東京都渋谷区神山町付近)で、警備に当たっていた関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)の機動隊員(二十一歳)を焼死させた中核派の一人、星野文昭元受刑者(無期懲役)が五月三十日に収容先の東日本成人矯正医療センターで死亡しましたが、遺族や極左暴力集団の連中が国家賠償請求訴訟を起こすといいます。

 適切な処置を怠ったせいで死んだというのですが、この二十一歳の巡査は、星野元受刑者らに鉄パイプで集団殴打され、意識不明にされたところをさらにガソリンまでかけられ、火炎瓶を投げつけられて焼き殺されたのです。顔を識別することも不可能なほど真っ黒にされた巡査のご遺体を、新潟から駆けつけられたご家族がどのような想いでご覧になったか、それを「ついにやった!」などと機関紙で喧伝した中核派の連中は、(安倍晋三首相を指して「おまえは人間ではない」といい放った法政大学の莫迦教授がいましたが)彼らこそもはや人間ではありません。

 今月一日記事で取り上げたコンビニ関連ユニオン発足の件でも申しましたが、これが彼らの正体なのです。暴動を主導しておいて逃亡した大坂正明被告は、平成二十九年五月に潜伏先の広島市安佐南区の中核派アジトへ乗り込んだ大阪府警察に逮捕されましたが、弁護側はやはり「百%無実」などとありえない主張をしています。

 当時大学生だった彼らの無知な暴走が、今日に至るまでの「若者から政治を遠ざけよう」という流れに至り、国民的無気力・無思考を加速させました。その結果として現在、経済も財政も社会福祉もほとんど全てが出鱈目な行政と立法の所業に、もう誰も声を上げません(昨日記事参照)。本当に抵抗すべき時に一切反応しない「役立たず」と化したのです。

 暴力に始まって暴力に終わる「革命」でよくなった国など、実は一つもありません。仏国も、露国も、或いはチュニジアでもエジプトでも、待ち受けていたのは混乱と貧困の繰り返しであり、極左暴力革命では何も解決しないのです。

 それはなぜでしょうか。基軸となる精神がないからです。現世個人の集合体が持つ最大公約数的不満からくる目先の政策や体制そのものに対する抵抗だけでは、世の中がよくなったりは決してしません。

 すなわち「感謝」からくる体制への厳しい指摘がなければ、よしんば体制を変えることができたとしてもその先がないのです。感謝とは、命の継承や自然に対するものであり、つまりは祭祀に照らし合わせて全く合わない政策を打ってくる体制に抵抗し、真の日本を取り戻すのです。

 人を道具に変え、民族性を無視した政策を打ち続けてきた現行憲法(占領憲法)政府を、私たち国民の力で一から作り変えるというぐらいの勢いで臨まなければ、私たちは極左暴力集団による酷い暴力を受けずとも滅んでいくことになります。

「領海内で漁 何が悪い」 知事の尖閣発言、漁業者反発 

 尖閣諸島で領海侵入を繰り返す中国公船に関し、玉城デニー知事が「中国公船がパトロールしているので、故意に刺激するようなことは控えなければならない」と述べたことに、1日、八重山の漁業者らから「領海内で漁をすることの何が悪いのか」と反発の声が…

(八重山日報 official website)

 沖縄県の玉城デニー(玉城康裕)知事も、そんな体制を代表する一人であり、漁業で生計を立てる県民の暮らしを無視して中共の共産党人民解放軍に遠慮するとは、とてもわが国の地方自治体首長のあるべき姿とは申せません。

 昨日記事でも申しましたが、こうした民の声をなぜどの政治家も代弁してくれないのですか? 中共が絡めば少しは保守系の政治家が何か発言しますが、わが国の病巣がどこにあるのかさえ全く発見できない「藪医者」ばかりなのです。

 この非常事態に玉城知事なんぞを選んでいても構わないような国民的余裕はありません。思想ごっこで遊んでいられるほど、もうわが国の国民は(莫大な政府資産を抱えているのに)豊かではないのです。

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『中核派の獄死は国のせい?』に2件のコメント

  1. 心配性@我は蛮夷なり:

    >今日に至るまでの「若者から政治を遠ざけよう」という流れに至り、国民的無気力・無思考を加速させました。

    マスコミの影響力も大きかったかと思います。
    「国民一人当たりの借金が~」と言われれば、単純に「全てにおいて切り詰めねば・・」と思いますし、「今は中国が熱い!日本は出遅れている!」と煽られ中国に進出して痛い目に遭う企業も少なくなかったでしょう。

    特に、専門性の高い話題に関しては、マスコミの報道だけに頼っていると「一億総勘違い」に陥り、道を誤ることもあると思います。
    もうほんとうに、英語で書かれた公式文書や、声明文や、研究機関のプレスリリースや論文を丹念に読まねば「正しい判断」が全くできないというところまで来ているのかも知れません。

  2. 真響:

    徳島新聞コラムで、テロリストを美談にする。不愉快な記事。
    これまでにも、やれ手紙が黒塗りだの、寒いから毛布を使わせろだの、人権が無視されてるかのように、小さい記事が掲載されてた。

    鳴潮 6月4日付
    https://www.topics.or.jp/articles/-/211055
    結婚から32年余にしてようやく、夫婦は手を握り合うことができた。徳島刑務所に収監後も一貫して無実を訴えていた星野文昭受刑者(73)と妻暁子さん(64)。がんが進行し、夫は目を開けられないほど弱っていたという。手術のかいなく、先日死亡した 星野受刑者は「渋谷暴動」と呼ばれる1971年の沖縄返還協定反対闘争でデモ隊を指揮。警官1人を殺害したとして殺人罪などに問われた。87年に無期懲役が確定している 2人は法廷で出会った。獄中でも信念を曲げない星野受刑者の姿に、傍聴していた暁子さんが心を寄せる。文通と面会を重ね、86年9月に結婚。暁子さんは毎月、東京から面会に通った 今から十数年前、暁子さんは「仕切りのない場所で、夫婦2人きりで会わせてほしい」と刑務所に要望したことがある。米国や北欧では珍しくない。日本でも当時で事例は千件を超えていた しかし2人には認められなかった。子を授かるどころか、夫の死の間際まで肌を触れ合うことさえできなかった。主張通り無実であれば、非情というほかない 水彩画が趣味の星野受刑者は、暁子さんの肖像を何枚も描いた。その中に、赤ちゃんに乳を含ませている想像の1枚がある。「自分の絵の中で最高のもの」。昨年9月、暁子さんに送り、そう言ったという。死の8カ月前だった。